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↓ 2002年春まで ↓
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| すっごい労作! こんな地図が欲しかった!
2002/01/30
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| 上海バンド。立ちならぶ建物のひとつひとつが、むかしはなんだったんだろうって考えて、村松伸『上海・都市と建築』(パルコ出版、1991年)を必死に引き引きして、地図を自分で作ったりして遊んだことがある。そのときから、なんか便利な地図ないかなぁと思ってた。そして見つけてよろこんだのが、これ。地図の上に、現在の建物の名前と、むかし何であったかが色を変えて書いてある。上海というおなじ空間で、いろんな歴史ドラマが展開されてきた。そのことを実感できる。上海に今いるとか、上海にいたことがあって土地勘があるという人たちに、ぜひおすすめ。空間に重層的にかぶさる歴史を堪能できる・・・(→全文を読む) |
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| 川喜多長政と日中映画「交流」
2002/01/29
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| 日本のポピュラーカルチャーが海を越える現象は、なにも最近のことだけじゃない。戦時中、日本軍は占領地・中国でエンタテイメントを牛耳ろうと、映画製作・配給網を作ろうとした。満州では満州映画協会、いわゆる「満映」が作られた(1937年8月)。上海には、中華電影が作られた(1939年6月)。この中華電影という会社は、日本が中国に作った「親日的政権(傀儡政権)」と満鉄などの共同出資だから、基本的には国策会社である。ただ、中華電影を任された川喜多長政という人物は、軍部の言いなりばかりにはならなかったのだという・・・(→全文を読む) |
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| 「中国は中華思想」じゃない。
2001/12/21
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中国政府が外交問題に対して見せるいろいろなリアクションを、わたしたち日本人は、「社会主義の国はわからん」だの、「やっぱり中華思想のお国なんだから、もう」なんて考えてしまう。そして、大国で強国意識のある中国は怖いなぁなんて思ってしまう。けど、そうじゃないんじゃない? というのがこのセンセイの見方。中国はアヘン戦争以来、領土を侵略され、独立を脅かされつづけた。それは自信喪失の歴史だった。それで、被害者意識をつのらせてきた。だから、「侵略に対しては抵抗してきたゾ」という強がりを言いつづけるしかなかったし、いまも、主権が侵害されようとすると、かたくなに抵抗しようとする。それは強国意識というより、むしろ、弱国意識に近い・・・(→全文を読む) |
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中国語やるなら東亜同文書院、
ロシア語ならばハルビン学院。
2001/08/17
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『「上海東亜同文書院」風雲録』と『中国残留日本兵の記録』を読んで、大陸帰りの日本人のことがもっと知りたくなって、手に取ってみた。語り口がよく、話題も、自由奔放に時空を越えてあちこち飛びまわる。登場する人物も、後藤新平、二葉亭四迷、石原莞爾、甘粕正彦、安彦良和、リーフェンシュタール、坂本龍一、手塚治虫などなど。これでもか状態。繰り出されるエピソードの連続をおもしろがっているうちに、満洲国というまぼろしの国家が置かれていた国際情勢や、そこに渦巻いた日本人の思惑などがみえてくるという仕組み・・・(→全文を読む) |
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| 戦後、すぐ帰国できなかった日本人の話。
2001/08/14
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太平洋戦争が終わって、植民地だった朝鮮半島や中国大陸から、多くの日本人が帰国した。しかし、ソ連に捕らわれ地獄のシベリア送りになった者や、大陸で戦犯として拘留された者など、すぐさま帰国できなかった者も多かった。中国に残った者の引き揚げは、結局、1950年代の半ばまでかかった。その間、共産党軍に組み込まれ、国共内戦の後方部隊で働いた日本人もいた。こうして引き留められ役務に使われたことを「留用」という。本書は、そうした、留用された残留日本人の姿を描いている・・・(→全文を読む) |
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| 上海留学の偉大な先輩たちに学ぶ。
2001/07/22
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| 1901年から終戦まで、上海にひとつの「ビジネススクール」があった。合格率は16倍。東大や海軍兵学校、陸軍士官学校などとならぶ、超エリート校。それが上海東亜同文書院である。当時の人の上海への憧れは、いまの若者がニューヨークに対して抱くより大きなものがあったというから、さしずめ、ニューヨーク大学のMBAコースといったところか・・・(→全文を読む) |
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| 汪兆銘は売国奴か? 愛国者か?
2001/04/26
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| 歴史上の人物の評価というものは、どの立場に立つかによって大いに違ってくる。日中戦争当時、中国は日本に対して徹底抗戦したのだという立場からいえば、日本軍と結託し日本政府の言いなりになって政権を作った中国人は逆賊、すなわち漢奸である。日中戦争後、漢奸として起訴された者は3万人にのぼる。そのうち半数が、死刑をふくむなんらかの刑罰を受けた。しかし、かれらのすべてをほんとうに漢奸と呼べるのであろうか・・・(→全文を読む) |
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| 80年代、中国を変貌させたのはテレビだった…
2001/01/23
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| 1966年から10年つづいた文革によって、中国人民は心身ともに疲れきっていた。そこで、中国を再生するため人民を奮い立たせようと、トウ小平が選んだのは改革開放政策であった。市場メカニズムと競争原理を導入し、自由主義社会のように経済発展を志そうというのだ。それには、イノベーティブな発想が必要である。企業家精神を育て官僚主義から脱却するには、思想の解放も必要となる。トウ小平は「改革開放」によって、しぼんだ中国人民の心に開放精神を吹き込もうとした。こうして始まった1980年代の中国は、「現代中国でもっとも開放的で政治的エネルギーに満ちていた」時代といわれている。1980年代、中国は開放とひきしめの大きなゆれのなかで、新しくさまざまなものごとを導入する。そのひとつがテレビだった・・・(→全文を読む) |
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| 韓国人が日本人に「親の恨み」をもつワケ
2000/10/01
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近代以前のアジアには、中国を中心とする華夷秩序がなりたっていた。それは中国の王朝にたいして臣下の礼を示せば周辺国は独立を維持できる、ゆるやかな統治−被統治関係であり、また安全保障と貿易の体系だった。そこに、1870年代、日本が西洋的な国際関係づくりをはじめだす。千島樺太交換条約をむすび、琉球を併合し、台湾に出兵し、小笠原諸島の領有を宣言する。そうして、領土の周囲に明確な国境をしきながら、近代的国家間関係を構築し、東アジアの伝統的世界である華夷秩序を解体してゆく・・・(→全文を読む) |
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社会主義中国は
ナショナリズムを契機に出発した。
2000/09/17
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中華人民共和国というと、建国当初から一貫して共産主義を標榜していたかのように思われている。しかし、当初の建国理念は「新民主主義」による国家建設である。朝鮮戦争以前の毛沢東は急進的な社会主義化にはむしろ懐疑的であった。それが朝鮮戦争、つまり冷戦構造のなかで急速に社会主義化していったのだ。中国は「変わって変わらぬ」国といわれる。では、「変わって」の部分が共産主義化だとしたら、では「変わらぬ部分」とはなんだったのか・・・(→全文を読む) |
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アメリカ人中国研究者の
センチメンタリズムを知る。
2000/06/30
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| タイトルが『アメリカ人の中国観』となっているからといって、そんじょそこらにいる、ジョンやスティーブやキャサリンが中国をどう思っているか書かれているわけではない。戦後のアメリカ人中国研究者の論文を紹介し、アメリカの知識人が中国をどう見てきたかを分析したもの。いわば、アメリカの中国研究史といった内容の本である。さて、著者は、アメリカ人の中国研究を通観し、そこに傾向を読みとる。アメリカ知識人が中国に対してセンチメンタルな「心情主義」や想い入れをもちつづけていること。そしてまた、中国を語りながら、じつは「中国という鏡」に映ったアメリカ自身を語っていること・・・(→全文を読む) |
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| 戦後日本と台湾のヒミツの関係…
2000/05/01
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| 終戦後の台湾に、旧日本軍の将校たちが総勢83人も渡り、台湾軍の幹部養成をおこなっていたなんて! 戦後史の知られざる一面ではないだろうか。その名を「白団(ぱいだん)」という。白は、団長になった富田直亮が使っていた中国語での偽名「白鴻亮」の頭文字であり、しかも大陸の中共のシンボルカラーである「紅」への対抗意識をあらわしたものだった。「白団」は、1950年から1968年の年末まで、およそ20年にわたっておこなわれたというから、なおおどろきだ。まだGHQの占領下にあったころから画策されたのだから!・・・(→全文を読む) |
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| 永遠のライバルが見ていた、ひとつの夢…
2000/04/25
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| タイトル『孫文と袁世凱』から察すると、正義の革命の志士孫文と、権力欲のかたまり袁世凱の対決、まるでルークスカイウォーカーとダースベーダーのようなことを想像しがちだけれど、そうではない。まず、この本に出てくる孫文は「国の父」として崇めたてまつられる、雲のうえの聖人ではない。権力の中枢であろうとあせり、同士に暴言を吐いてきらわれ、漢民族の他民族支配を夢見る、そのくせエリート軍人たちほど革命を遂行できない男である。また、もういっぽうの袁世凱も、歴史の教科書にあるような「みずから臨時大統領になることを革命側に承諾させた」(山川出版社『詳説世界史』1989、p.282)強欲ではない。実行力のない革命側に求められて、教え子や部下であるエリート軍人たちを総動員し、政治的手腕と軍事的実力を発揮して、革命後の体制をとりまとめた功労者である・・・(→全文を読む) |
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ナショナリズムなんて
自然な愛郷心じゃなく、
巧妙な作り物なんだそうだ
2000/03/26
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| アンダーソン教授によると、「国民国家」というのはひとつの作り物であり、その起源は「国語」の書物が印刷されて広く普及し、ひとつの地域の共通・共有のきずなとされることにはじまる。また、「国家」の首都におかれた大学に、各地方の神童たちがあつまる。九州出身だろうが北海道出身だろうが、「日本人だから」という共通性でそこにくる。そこで、日本という「国民国家」を想いえがきはじめる。かれらは役人になって、九州出身というアイデンティティを超え、国内をあちこち転勤して歩く。そうした経験によって、さらに「国家」を意識していく。それはさながら、メッカに集まることで、出身地の差をこえて宗教的紐帯感をもつイスラム教徒の「巡礼」のようなものだという。つまり、「国民国家」とは自明の、自然な、歴史的に普遍なものなどではなく、「国語」を意識したり「巡礼」したりしているうちに想像でつくられる、一種の虚構なのだと・・・(→全文を読む) |
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ミトコンドリアDNAが明かす
「わたしたち日本人はどこから来たのか」
2000/01/15
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| NHKの「驚異の小宇宙・人体III・遺伝子、第3集、日本人のルーツを探れ 人類の設計図」を観ていたらびっくり! 日本人の起源がDNAの分析でわかってきたというのだ! しかも! これまでは、渡来人「弥生人」が先住民「縄文人」を辺境においやってしまったぐらいで片付けられていた「日本人」像が、じつは大陸から渡ってきた多様な人たちから成り立っていることが実証されたのだ。すごい! というわけで探してみたのが、この本・・・(→全文を読む) |
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| あの人の、涙の瞬間が読める本。
2000/01/08
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| 副題が「リー・クアンユー首相演説集」。上下2冊で、1959年から1985年のあいだにリー・クアンユー氏が新聞記者との朝食会や、ラジオ演説、学生を前にしてなど、さまざまな場面でおこなった演説をまとめた本。とにかく歯に衣着せないもの言いが最高に心地よい。直情的で、しかも最高に知的。政敵やジャーナリストなど、この人にかかるとこれでもかとコキおろされてしまうのがコワイほど。自信たっぷりで、しかも論理的に「こうでしょッ」と納得させるから、迫力負けしておそれいりましたとなる。60年代から80年代までの現役バリバリのときのリー氏の演説だから、当時のシンガポールがおかれていた国家としてのあやうい立場や、建国そして発展途上のひとつひとつの決断のようすがなまなましく伝わってくる・・・(→全文を読む) |
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21世紀の日本は
多島海に浮かぶガーデンアイランズ!
1999/09/04
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| 1996年から99年にかけて『週刊ダイヤモンド』の「歴史の交差点」コーナーに掲載された40編などを集めた一冊。週刊誌の2ページものの記事をあつめたのだから、どこからでもとっつきやすく読みやすい。また内容がじつにさまざま。「英国議会資料」についてや「大塚久雄氏追悼」、文明論、沖縄問題などバラエティに富む。しかしそこには「21世紀の日本人はどうあるべきか」、そして「日本人のインテグリティ(日本を統合する力)はなにか」というテーマが通奏低音として流れている。著者の主張は、日本は西欧的にかたよった歴史観を独自に、根本的に再構築しよう、そのために学び直すことが必要だということだ。・・・(→全文を読む) |
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| 先輩から後輩へ、歴史はこう学ぶ
1999/09/01
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慶応大学でライティング・コース(講師・植田紗加栄氏)を受講した89人が、戦争体験者を対象におこなった聞き取り調査レポートのうち、31編をまとめて書籍化したもの。現在20歳前後の学生が、戦争当時20歳ぐらいであった「先輩」をたずね当時の話を聞き出すもので、いまと当時の20歳の差をうきぼりにしながら戦争とはなにかを知る試みである。インタビューであるから、主役は、徴集をうけ戦地におもむいた老人たちの体験談である。しかしもうひとつの主役は、インタビューを聞きながら迷ったり考え直す学生の言葉である。「実際にインタビューをしてもっとも強く感じたことは、『思ったよりも悲壮感がない』ということでした」・・・(→全文を読む) |
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清朝最盛期におきた最大の難事件?
そのとき名君主、乾隆帝のとった手とは?
1999/07/25
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わたしたちが生まれるおよそ200年前、史上最大の版図をきずいた清朝・乾隆帝の時代のこと。1767年の夏から秋にかけて、清帝国を震撼させる事件が起きた。弁髪をきりとり魂をうばう「霊魂泥棒」の出現だ。薬をかがされ気を失っているあいだに弁髪を切られると、呪いによって病気になって死んでしまうといううわさがあちこちに広がった。まるで口裂け女のブームのように、霊魂泥棒の存在はまことしやかに語り伝えられる・・・(→全文を読む) |
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地球という原っぱで、
日が暮れるまで遊ぶおじさんたち…
1999/06/04
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タイトルがよくって、装幀がおしゃれ。誘われるように手にとってみたら、これがおもしろいのなんの。ふつう「おじさん」と呼ばれるごろの男性は、家庭や会社をしょって立っている自負からか、旅にでるヒマはあまりない。いや、旅に出る気がないといったほうがいい。ましてやバックパッカーな一人旅なんて…。しかし、である。この著者曰く、おじさんだって、いやむしろおじさんこそ、ひとりで旅して考える時間が必要なのだと・・・(→全文を読む) |
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李登輝総統もご推薦!
複雑な台湾の歴史背景を一発攻略!
1999/04/14
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台湾の歴史を知る人は日本では少ない。教科書にはあまり出てこないし、中国のかげに隠れてしまって目立たない存在だったからだ。でも最近は文化面でも経済面でもなにかと気になる存在になってきた。ホウシャオシェンの映画は台湾の歴史を知らないとよく分からないし、好調な台湾経済の理由も、その歴史を知らないでは理解できないだろう。そういった最近の要望にこたえてくれるのがこの本。台湾に興味を持ち始めた人には入門書としておすすめだ・・・(→全文を読む) |
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李登輝総統もご推奨
みずから翻訳までした日本の哲学書
1999/04/06
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本書は、本来の意図から離れて「学問」に成り下がった哲学を、再び生活に密着した「知恵」として復活させていこうという趣向をもって書かれた哲学書だ。たしかに「哲学」と聞くと、学者先生が難しい顔して考えるだけのものというイメージだが、『哲学の現在』は、生きていく上で誰もが考える疑問を、いわゆる西洋近代哲学の見地からわかりやすく解説、そして生きるための知恵を与えてくれる本なのだ・・・(→全文を読む) |
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中国人はこうして移民した。
カナダ版「ワイルドスワン」
1999/03/06
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著者デニス・チョン氏は、カナダ政府の上席経済顧問まで務めたエコノミスト。彼女は祖父の代に広東省から渡ってきた、中国系カナダ人3世である。その彼女が、祖父と祖父が大陸に残してきた家族との手紙や、母からの語り伝え、大陸の家族からの聞き伝えなどをまとめて、3代の歴史を再現した力作が本書だ。だから、ここでの「チャイナタウン」とは、カナダ、バンクーバーのチャイナタウン。本書は、いってみれば海を渡った、カナダ版『ワイルドスワン』といったところか。ワイルドスワンで文革などの歴史の波が主人公たちを襲うように、中国系カナダ移民には、中国人排斥運動や恐慌による不況と失業など、差別されるマイノリティの苦悩が加わる・・・(→全文を読む) |
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「愛してます」と素直にいえない、
あなたのために…
1999/02/09
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| 「愛してます」なんて口が裂けても言えない、なんかバタ臭くて…。そんなあなたには本書がおすすめ。なぜバタ臭いか? 我々が今普通にかんがえる「恋愛」もまた、近代受容の過程において文明開化期に取り入られた西洋の概念だったからである。『近代中国と「恋愛」の発見』によると、このバタ臭さは、中国においてはなおさらだった。中国や日本が「西洋」を本格的に受容し始めたのは19世紀。そのころの欧米の恋愛風習は、一言でいうと、未婚男女が自由に恋愛でき、自由に結婚相手を選択できるということである。しかし当時の中国では親の取り決めた人と結婚するのが常識・・・(→全文を読む) |
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対中国貿易バトルを100倍楽しく
読ませてくれる、痛快OL物語!
1999/02/05
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| なんか変な本がずっと本屋にあるなとおもってたら、2年半で7刷まで売れてる本だった。無名の(失礼!)ライターさんにしてはすごいとおもって手に取った。読んでみたら、おもしろいのなんの。ほんとなら暗い気持ちになってしまうような中国人とのトラブルも、いつのまにか笑えるエピソードに姿を変えている。そういえばかつてわたしの友人に、ふつう日記といえばいいものを「ネタ帳」といって、毎日コツコツ笑えるネタを書き続けるのがいた。彼女も大阪人だった。梅棹忠夫氏がいったように、関西人は関東人と言葉も習慣もことなり、ほとんど異民族といっていい。とくにきわだつのは日常から笑いのネタを見つけることに、関西人は天才的だ。そして、なんとトラブルまるけの対中貿易の現場さえ笑いにしてしまう。このタフさには、まいる・・・(→全文を読む) |
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ニューヨークのチャイナタウン。
密入国者と低賃金労働、犯罪と絶望の街
1999/01/20
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| ニューヨークのチャイナタウンは「西半球で最大のチャイナタウン」といわれる。600近くの縫製工場、1年間に支払われる賃金総額2億ドル。宝石業のメッカでもあり、金やダイヤモンドの取引で1億ドル以上が動く。レストランは350軒。いつも多くの観光客でにぎわう。しかし、華やいだレストラン街の裏側には、アメリカのヘロイン市場の50%を占めるチャイニーズコネクションがある。姓や同郷人で固まった「堂」の支配の元に、いくつかのギャングが縄ばりをつくり、誘拐や殺人を繰り返している・・・(→全文を読む) |
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| 西太后汽車に乗る
1998/10/30
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| 著者徳齢は、清末の外交官の娘で、父の任地フランスで教育を受け、帰国し、2年にわたり女官として西太后の側に仕えた女性。西太后が汽車に乗って北京から奉天まで旅するという一大イベントを通じて、女帝のシリアスかつコミカルな日常が描き出されている。車中一週間、奉天滞在一週間の、わずか二週間のために、着替えはまるごと一両をクロゼットにして、衣装二千着、靴三、四十足を持ち運び、百皿をそろえる食事のために、四両からなる厨房を備えさせ百人以上の料理人を引き連れて旅する。道中は北京〜奉天間、ほかの列車はすべて運行停止。通過する列車の窓から西太后を見ることは禁じられ、線路周辺からも人影が消える・・・(→全文を読む) |
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| リー・クアンユー、中国・香港を語る
1998/08/29
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| 80年代以前、わたしたちはNIES諸国の代表者に対して、いまほど好意的な気持ちを持っていたわけでなかった。韓国のパク・チョンヒ氏、台湾の蒋経国氏、シンガポールのリー・クアンユー氏といえば、権威主義体制の代表であり、独裁者であり、民主主義を認めない統治者とみるほうが一般的だったと思う。だから「恐い」という印象が強かったように思う。その後、80年代後半、とくにプラザ合意以降のアジアのめざましい躍進を目の当たりにし、台湾で戒厳令が解かれ、韓国で民主的な大統領選挙がされたころ、わたしたちのアジア観が変わってきた・・・(→全文を読む) |
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