映画『メリーに首ったけ』

全米で人気の秘密を小分析!

私は映画好きです。

1998年の映画といえば『タイタニック』と『もののけ姫』が2強で、あとは興行的に全然ダメだったと年末に朝日新聞が総括していた。

映画っていうのは、小説みたいにペンひとつでつくれるモノと違って、ばく大な金がかかっているだけに、最大多数へ向かって作らないといけないという宿命をもっている。そういった意味でたしかにこの2つの大ヒット作はよくできていた。

ただ、最大多数に向かっているという事は、誰もが納得できるべきモノ、要するに予定調和的に作らないといけないという宿命も同時に内包しているのである。

もちろん古き良き昔は、娯楽といえば映画しかなかったから、金のことなんかあまり考えず、すきに作っていても客はどしどし入っていたのだろうけど。

いっぽう、社会の成熟によって人々の価値観が多様化してきたことと対応して、 最近はミニシアター系の、最大多数に向かわない少数派のための映画が以前より評価されてあちこちでロングランとなっている。

しかし映画というのはやっぱり大きな画面でゴージャスな映像を見てなんぼという気がするわけで、ばく大な金を投入できない少数派の映画というのは、結局、なにかテレビドラマのような、こじんまりとしたモノになってしまって、いわゆる映画っぽさを感じないという欠点があったりする。

ところでこの「価値観の多様化」は、これまで規範的存在であった「近代」的価値観が崩壊しつつある現在、より加速度的に進んでいる。そうなると『タイタニック』のような、誰でも感動できる大ヒット作を作り出すのは、これからますます難しくなってくるにちがいない。


全米で大ヒットした『メリーに首ったけ』は感じとしては少数派向けの映画。

キャメロン・ディアス以外は全然ゴージャスじゃないし、とにかくシモネタが多く良識に欠ける。

展開も全然予定調和的でない。音楽を担当しているジョナサン・リッチマンなんて、知ってる人なんてほとんどいないミュージシャンだし(外資系レコード店等で1/20に発売の『リズムアンドペンシル』創刊号は彼を大特集している)。

そんな少数派映画の『メリーに首ったけ』が思いもかけず全米で大ヒットしたのはなぜか?

日本より成熟社会であろうアメリカにおいては、(ハンチントンの『文明の衝突』ではないけれど)全員が共有できる価値観や常識というものは存在しないというのがもはや前提になっている。みなそれぞれ勝手に何かに価値を見いだし、価値観を同じくする小さなコミュニティでしか最終的に共同体意識を持ち得なくなりつつあるのだ。

でも実はみんな、そんな小さなコミュニティだけでしか自分を帰属できないことになにか寂しさを感じている。できれば他の価値観の人たちとも共感し合いたい。ところが他のコミュニティの人はどうしても違和感を感じてしまうし、さらに言えば恐怖さえ抱いてしまう。

成熟社会でのそんなせつない気分が『メリーに首ったけ』にはよくでている。この映画は成熟社会にあらわれた多数の少数派 (変な言い方だが)に共感を呼んだことが大ヒットの大きな要因だったと思うのだ。