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天児慧(あまこ さとし) 『中華人民共和国史』 岩波新書 1999.12 中華人民共和国というと、建国当初から一貫して共産主義を標榜していたかのように思われている。 しかし、当初の建国理念は「新民主主義」による国家建設である。朝鮮戦争以前の毛沢東は急進的な社会主義化にはむしろ懐疑的であった。それが朝鮮戦争、つまり冷戦構造のなかで急速に社会主義化していったのだ。*1 中国は「変わって変わらぬ」国といわれる。では、「変わって」の部分が共産主義化だとしたら、では「変わらぬ部分」とはなんだったのか。 この問いに、本書は、ナショナリズム、近代化、伝統、革命、国際インパクトをあげている。そのうち、とくにナショナリズムについては、ほんと、納得である。 太平天国の乱、洋務運動、変法運動、義和団事件、辛亥革命、大躍進などのスローガンは、それぞれ「滅満興漢」「中体西用」「自強」「扶清滅洋」「三民主義(とくに民族主義)」「西洋偏重のソ連方式からの離脱」などである。 あきらかに近代ウェスタンインパクトとそれに追随した日本・ロシアなどの脅威に対し、どう抵抗するのかという強烈な危機意識がある。 そう。中華人民共和国は、アヘン戦争後、華夷秩序が崩壊していった一世紀という「前史」を背負って誕生したのであり、なによりもナショナリズムが国家建設の根本なのだ。 ところで、1980年代、トウ小平時代の中国は、発展のためには民主主義をある程度犠牲にせざるを得ないという「新権威主義論」に裏打ちされていた。 そうした改革が進むにつれ、やがて社会不安の増大をまねき、民主化要求を盛り上げ、89年の天安門事件へとすすんでいく。 ここで、印象的なのが趙紫陽と江沢民のふたりである。 すでに75年あたりから四川省で農業の生産性向上に成功したこともある趙紫陽は、新権威主義論者をブレーンにかかえて、社会主義市場経済化を強力に推進した。しかし、かれは天安門事件に際しては、デモ学生に「愛国的な民主運動である」という同情をあらわし、そして公の場から姿を消していった。 逆に、89年当時、体制に批判的な記事を掲載した『世界経済導報』を廃刊させるなど、民主化を毅然と鎮圧できることでトウ小平に抜擢されたのが江沢民であった。 こうして迎えた90年代。江沢民の中国が「総合国力」強化のために、中国民主党や法輪功を弾圧したことは至極もっともなことに思われる。 *1 これについては天児慧「新民主主義共和国の展望と挫折」(宇野重昭・天児慧編『20世紀の中国』東大出版1994、pp152-166)にも詳述されています。
ナショナリズムを契機に出発した。

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