アメリカ人中国研究者のセンチメンタリズムを知る。

井尻秀憲

『アメリカ人の中国観』

文芸新書 2000.4

タイトルが『アメリカ人の中国観』となっているからといって、そんじょそこらにいる、ジョンやスティーブやキャサリンが中国をどう思っているか書かれているわけではない。

戦後のアメリカ人中国研究者の論文を紹介し、アメリカの知識人が中国をどう見てきたかを分析したもの。いわば、アメリカの中国研究史といった内容の本である。

さて、著者は、アメリカ人の中国研究を通観し、そこに傾向を読みとる。アメリカ知識人が中国に対してセンチメンタルな「心情主義」や想い入れをもちつづけていること。そしてまた、中国を語りながら、じつは「中国という鏡」に映ったアメリカ自身を語っていること。

たとえば、アメリカの中国学界は、1980年代にトウ小平をプラグマティストともちあげたが、それは「そうあって欲しい」というアメリカ人の思いであって、結局、その後の天安門事件やトウ小平のカリスマ性をバックにした人治の統治を見通すものにはならなかった。

このように、ひとつの文化に属する知識人が、他の文化をながめるとき、「期待」や「想い入れ」があって楽観主義になびいてしまう。

そして、ほんとうに相手の立場に立ってみて考えること、いわゆる「内在的な理解」ができなくなってしまう。アメリカの中国研究も例外ではない。著者の主張はそこにある。

やり玉にあげられているのはアメリカ人の中国研究だけれど、知性の限界であるとか、どうにもならない偏りという点では、わたしたち日本人もけっして人ごとではない。ふと、わたしたちは中国をどう見ているものか、考え直したくなる。