戦後日本と台湾の、

ヒミツの関係…

中村祐悦

『白団(ぱいだん)台湾軍をつくった日本軍将校たち』

芙蓉書房 1995.6

終戦後の台湾に、旧日本軍の将校たちが総勢83人も渡り、台湾軍の幹部養成をおこなっていたなんて! 戦後史の知られざる一面ではないだろうか。

その名を「白団(ぱいだん)」という。白は、団長になった富田直亮が使っていた中国語での偽名「白鴻亮」の頭文字であり、しかも大陸の中共のシンボルカラーである「紅」への対抗意識をあらわしたものだった。

「白団」は、1950年から1968年の年末まで、およそ20年にわたっておこなわれたというから、なおおどろきだ。まだGHQの占領下にあったころから画策されたのだから!

といっても、日本政府が隠れてやっていた謀略ではない。戦時中、支那派遣軍総司令官であり陸軍きっての中国通であった岡村寧次に、蒋介石が目をつけ工作したものだった。蒋介石にとっては、旧日本軍のノウハウこそ大陸反抗にとって必要なものだったからだ。

当時、戦後処理にあたって、蒋介石は対日寛大政策をつらぬいた。賠償請求を放棄し、大陸に残留した日本人も、拘留することなく食糧まであたえて帰国させた。そうして帰国した日本人は600万人にもおよぶ。シベリアに抑留され厳寒の環境下で厳しい肉体労働を課せられたり、東北で残留孤児が残ったのは、蒋介石の支配が届かなかった地域にいた日本人である。

そういった「徳をもって怨みに報いる」蒋介石の器量の大きさに、岡村は、心底感服していた。だから、国民党政権への援助をかってでたわけである。

以来およそ20年にわたって、旧日本軍将校の軍事顧問たちは、非公式に、隠密裡に派遣されつづけたのだった。

もちろん、こうした活動をマスコミ、アメリカ、日本政府がまったく気づいていなかったわけではない。しかし、日本列島からベトナム北部までを防共のとりでとしなければならなかった冷戦構造にあって、この事実はおおむね黙認された。

また、本書には、戦後の賠償請求の放棄や大陸からの引き揚げ者の援助だけでなく、天皇制の護持や日本の分割の回避といったことも、蒋介石の意向がおおきく影響したものだと指摘されている。

日本と台湾のむすびつきの深さをあらためて知る一冊である。