永遠のライバルが見ていた、ひとつの夢…

横山宏章

『孫文と袁世凱 中華統合の夢』

岩波書店 1996.1

タイトル『孫文と袁世凱』から察すると、正義の革命の志士孫文と、権力欲のかたまり袁世凱の対決、まるでルークスカイウォーカーとダースベーダーのようなことを想像しがちだけれど、そうではない。

まず、この本に出てくる孫文は「国の父」として崇めたてまつられる、雲のうえの聖人ではない。権力の中枢であろうとあせり、同士に暴言を吐いてきらわれ、漢民族の他民族支配を夢見る、そのくせエリート軍人たちほど革命を遂行できない男である。

また、もういっぽうの袁世凱も、歴史の教科書にあるような「みずから臨時大統領になることを革命側に承諾させた」(山川出版社『詳説世界史』1989、p.282)強欲ではない。実行力のない革命側に求められて、教え子や部下であるエリート軍人たちを総動員し、政治的手腕と軍事的実力を発揮して、革命後の体制をとりまとめた功労者である。

そう。孫文が善玉で、袁世凱が悪玉とするような歴史観は、孫文を崇高な革命のシンボルとしてもちあげることには寄与するけれど、当時の状況をふまえたものではない。

というのも、辛亥革命当時、一気に共和制をめざした為政者たちにひとつのジレンマがあったことを忘れているからだ。それは人民の教育程度の低さである。

まだほとんどが阿Qだった。

諸外国の浸食が進行しているというのに、若き宋教仁(当時まだ30歳!)の理想とする議会政党政治は危険すぎた。そのことを孫文も袁世凱も、そして袁世凱に帝政をすすめたコロンビア大学教授フランク・グッドナウも、知りつくしていた。

民衆の政治意識が低い段階では、有能な賢人が政治を担当しなければならない。たとえ民主的であっても、「主権在民」の早すぎる実施は中国を危険にさらしてしまう。

そこで、袁世凱は帝政の復活を、孫文は革命政党(中華革命党、のちに中国国民党)による一党独裁的専制支配をのぞんだ。

ふたりとも、帝国の解体への危機感と、衆愚政治への不信を共有していた。ちがったのは、その政治スタイルだった。

袁世凱が権力欲にとりつかれて反動的だったと一方的に非難するのは、当時の状況をかえりみない短慮である。*

結果的に、袁世凱の帝政は完成せず、かれは失意のなかで生涯を終える。孫文も軍閥を収拾できず、「革命いまだ成らず」といいのこしこの世を去る。その後、中国は、国民党、共産党、日本軍を交えた混乱の時代に突入し、歴史はあらたなフェイズに入っていく…

そして、いまなお中国は、共産党のもとで開発独裁体制にあり、江沢民はカリスマ性をつけようと努力を惜しんでいない。


* 同様の論旨は、以下のものでも読むことができます。
横山宏章「議会政治への挑戦と挫折」、山田辰雄「袁世凱の政治と帝政論」、ともに宇野重昭・天児慧編『20世紀の中国』東京大学出版会、1994 所収。