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徳 齢 『西太后汽車に乗る』 東方書店 1997.8 著者徳齢は、清末の外交官の娘で、父の任地フランスで教育を受け、帰国し、2年にわたり女官として西太后の側に仕えた女性。 西太后が汽車に乗って北京から奉天まで旅するという一大イベントを通じて、女帝のシリアスかつコミカルな日常が描き出されている。 車中一週間、奉天滞在一週間の、わずか二週間のために、着替えはまるごと一両をクロゼットにして、衣装二千着、靴三、四十足を持ち運び、百皿をそろえる食事のために、四両からなる厨房を備えさせ百人以上の料理人を引き連れて旅する。 道中は北京〜奉天間、ほかの列車はすべて運行停止。通過する列車の窓から西太后を見ることは禁じられ、線路周辺からも人影が消える。 スピードは平均時速16キロののろのろ運転。しかも西太后の気まぐれな一声でどこを走っていても止まらなければならない。車中の者はすべて腰掛けることを許されず、このルールは運転士にも当てはめられ、立つか、床に寝そべるかの生活を強いられる。 さすが女帝。とにかく万事が極めつけの傍若無人ぶりである。全編がわがまま放題の西太后と、その周囲で右往左往する宦官や女官らのようすである。 それはそれで面白いのだが、さらに一カ所、やや趣が異なり、興味深いシーンがある。 奉天の盛京宮殿で、清朝歴代の皇帝の遺品が安置されている宮殿を、西太后が侍女をひきつれて訪れるシーンである。 順治帝、康煕帝、乾隆帝の遺品などを見たのち、亡き夫・咸豊帝の遺品の前に立ち止まる。咸豊帝は先の乾隆帝のように才能のある人ではなかった。西太后は自分の青春の想い出をさまよい、青春をささげた相手の遺品の少なさ、つまり無能さにいたたまれない間を過ごす。 さらに、十九歳で逝去した亡き子・同治帝の遺品の前では、並べられたおもちゃを手に取り、なんども操りながら、悲嘆にくれ「あの子はこの兎をもって遊ぶのが好きだった」と独り言をもらす。思い出してもみたい。歴史書によれば、同治帝は西太后の権力欲の犠牲となり毒殺されたのではなかったか! どこまで真実かはともあれ、残忍さと放蕩ぶりで悪名高い、西太后の「素顔」に触れられる貴重な一冊である。

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