安藤彦太郎 

『中国語と近代日本』

岩波新書 1988

中国に住んでいたとき、私が日本人だと知ると、たまに心無い中国人が「メシメシ」、「スラスラ」などと言って私をからかったが、わたしには意味がわからなかった。後に親しい中国人に聞くと、これは戦争映画で日本軍がしゃべっている言葉であると教わった。

『中国語と近代日本』によれば、これらの言葉を「兵隊支那語」といい、実際中国で日本の兵隊が使っていたという。

「メシメシ」は「飯」で「スラスラ」は「死んだ」であるが、他にも「メシメシシンジョ(飯飯進上)」で「飯をくれてやる」、「ノーテンファイラ(脳天壊了)」は「馬鹿」、「テンホー(頂好)」は「とてもよい」。

娼家のことを軍隊では「ピー屋」と呼んだが、「ピー」とは中国語で女性性器をさす中国の俗語で尸に穴と書く。

さかのぼって日清戦争の時にもすでに「兵隊支那語」があって、例えば「ポコペン」(だめ)、「アンポンタン」(ばか)、「ペケ」などである。「アンポンタン」とは「王八蛋」、「ペケ」は「不可」、「ポコペン」は「不〈句多〉本」が語源。

上のいい加減な中国語(?)を見ればわかるとおり、英語などの西洋語が先進文化の吸収のために重要視されていた当時の日本人にとって、中国語などどうでもいいものだった。せいぜい商売か軍事上の会話ができればよいと考えられていた。また中国語は戦争語学ともいわれ、戦争のたびごとに学習ブームが起こった。なかには「支那は負けた---チョンクオーワンパイシタ」「旗を出せ---ハーチーターセ」といったキワモノ会話集も出版されていたそうである。

また一方で、日本は古来から中国文化圏に属していたため、明治以降も古典世界の中国語(=漢文)は重要であった。漢和辞典と中国語辞典が別々にあることに象徴される中国語の「二重構造」である。

注意すべきことに、この「二重構造」は中国認識に対しても存在した。というのは、たとえば中国に旅行して、気にくわぬことに出会うと、やはりシナは、となるが、感心したものを見ると、それが新しい中国に特有な事象であっても、さすが伝統文化の国だ、といって旧い価値観で解釈してしまうのである。

これらは戦前の日本の中国語の状況についての話だが、我々の生きる現代の状況もまた、結局は五十歩百歩であることを認識し、反省と改善を心掛けねばならないだろう。