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フィリップ・A・キューン 『中国近世の霊魂泥棒』 平凡社 1996.10 わたしたちが生まれるおよそ200年前、史上最大の版図をきずいた清朝・乾隆帝の時代のこと。1767年の夏から秋にかけて、清帝国を震撼させる事件が起きた。 弁髪をきりとり魂をうばう「霊魂泥棒」の出現だ。 薬をかがされ気を失っているあいだに弁髪を切られると、呪いによって病気になって死んでしまうといううわさがあちこちに広がった。 まるで口裂け女のブームのように、霊魂泥棒の存在はまことしやかに語り伝えられる。 当時清帝国はおおきな社会変化をとげつつあるころで、そうした動揺が庶民の不安をつくりだし、不安の高まりは迷信を広めさせ、はけ口をもとめ、攻撃の矛先は乞食や僧侶など社会のアウトサイダーに向かった。社会の底辺にあるこうした者たちは霊魂泥棒の疑いをかけられ、リンチや拷問などさんざんな目にあう。 弁髪というのは支配民族である満洲族の習慣であり、弁髪きりは反体制ムーブメントともいえるから、皇帝にとっても放っておけない不穏な状況だ。 乾隆帝はさっそく官僚に調査を命じ、波紋はただならぬ大きなものになっていく… 昔ならではの、なんとも間の抜けた話だが、著者はそこに別の意味をみいだす。 ひとつは皇帝の独裁体制が補強されたという点である。 清帝国は4代目皇帝にもなり、「官僚制」は精緻なものになっていた。官僚制というのは独裁権力がルーティンな行政システムにうつりかわっていくもので、皇帝としては、そうしたルーティンな官僚機構をときどき締めあげることで、皇帝みずからの独裁権力を維持する必要があった。また、ずいぶん漢化したとはいえ、それでもやはり支配民族としての満洲人エリートの地位体系をたしかなものにする必要もあった。 それには弁髪切りの摘発というのがまたとない機会だったというわけだ。皇帝はうわさの真相をあきらかにするため官僚をけしかけたり、責め立てたり、畏怖させたり、ポストをすげかえたりしながら、独裁体制の地固めをしたというのである。 もう一点は、中国が近代化に向かう社会変化のようすだ。 わたしたちが習ってきたような教科書風にいえば、アヘン戦争などの西洋諸国のあたえたショックが中国を近代化させたとされている。しかしじつはそうではなく、中国の内部から近代化への胎動がじょじょにはじまっていたんだという歴史学の新説がある。 アメリカの歴史学界では、ベトナム戦争をきっかけにして、文明的に進んだアメリカが遅れたアジアをどうこうするという見方はおこがましいんじゃないのとおもわれるようになりだした。それで中国の近代化をそれじたい連続性のあるものとして、しかも地域差や社会階層まで踏み込んで、場合によっては文化人類学や政治学も使って再検討しはじめた。それがいわゆる「中国自身に即したアプローチ」といわれるもの。 本書は、それがわかりやすい読み物として実践されたものだ。 清帝国は当時、急激な人口の増加、領土の拡大、農村における商品経済の発展、政治的不満の膨張など、急激な社会変化のまっただなかにあった。そうした時代に起きたこの「霊魂泥棒」騒動をつぶさに調査することで、中国が伝統社会から抜け出す一歩手前の状況をみてとろうとしている。 ようするに、ひとつのうわさにまつわる事件をワイドショー的な興味で読みながら、あれよあれよと清朝の内実にくわしくなっていく本なのだ。
ちなみに、このフィリップ・キューンという先生は、ポール・A・コーエン『知の帝国主義』のなかで「中国自身に即したアプローチ」という新しい地平を切り開いた人としてあげられた“フィリップ・クーン”その人である。 この本を読んで、一橋大学学長の阿部謹也氏の出世作(?)『ハーメルンの笛吹き男』(平凡社、1974)を思い出した。 グリム童話にある、笛吹き男がこどもを連れ去った伝説をもとに、そのなぞをひとつひとつ追いながら、ヨーロッパ中世の社会状況にあれよあれよとくわしくなっていく本で、しかも笛吹き男が社会のアウトサイダーとしてスケープゴートにまつりあげられてるところなんか、『霊魂泥棒』にある乞食や僧の立場によく似ている。 『笛吹き男』のときは、ネイティブでさえ難解といわれる中世ドイツ語の資料を、あたりまえのように読み解いていく阿部謹也氏の知的腕力にたいへんな感動をおぼえたけれど、かんがえてみれば『霊魂泥棒』でも、キューン氏はアメリカ人なのに清朝の公文書を読みまくっている。それも、どちらも資料は活字じゃなく、手書きのものだ。 学問の世界には国境も時代もないんだ。すごい。 しかもそれが、どちらも現代の、ぼくらが読める日本語になっていて、せいぜいほんの数千円程度で自分のものにできるんだから、なおすごい。なんといい時代のいい国に生まれたものか。 (写真はちくま文庫版です)
そのとき名君主、乾隆帝のとった手とは?


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