サミュエル・ハンチントン 『文明の衝突』 集英社 1998.6 ベルリンの壁の崩壊を目にして、わたしたちは東西冷戦構造の崩壊を喜んだ。これで世界は争いをやめ、自由と民主主義を基調とするひとつの調和のとれた世界が生まれるとおもった。 しかし、そこに現れた世界は、わたしたちの期待をまったく無視したものだった。 地域紛争、民族紛争、民族浄化、ネオコミュニズム、ネオファシズム、あふれる難民、テロの蔓延… 平和は訪れず、おどろおどろしい時代になってしまった。 世界は地域ごとに主権を主張するようになった。東=共産主義と西=自由主義といった対立の構図にかわり、分散的な力がそれぞれ対立する構図である。 そのなかでこれまで優位を誇ってきた西欧文明の影響力が相対的に低下しつつある。 イデオロギーの対立は、宗教の対立に変わっている。 発展途上国の人口増加により、人口の面でも形勢が逆転しつつある。 とくにめざましいのは、経済開発に成功したアジアと、人口を加速度的に増加させているイスラム教圏である。 これらの国々は、これまでほぼ同意語とされていた「西欧化」と「近代化」を分けて考え、西欧化についてはベクトルを逆転させ、脱西欧を唱えながら、いっぽうで近代化をどん欲に取り込んでいる。 近代化のために個人がおちこむ孤立感や不安感を、宗教が救済の手をさしのべる。そのため、ひとびとは土着の宗教にますます強い魅力を感じるようになっている。 近代化による民主化によって、地域主義を叫ぶ勢力が増している。 つまり近代化によって、いっそう脱西欧が進行するという皮肉な状況なのだ。 そして、最悪なことに、絶大な力を持つアメリカの通常兵器に対抗できるよう、非西欧の諸国は核保有を進めている(非西欧諸国にとって湾岸戦争の教訓は「核兵器を保有するまでアメリカと戦争するな」だ)。 これで怖がっていては、まだ早い。 こういった問題は日本にとって、想像以上に深刻である。 わたしたち日本は国家の単位がイコールひとつの文明単位である。冷戦構造のもとでは、日本はアメリカの傘の下にいればよかった。しかしパワーバランスが分散化すると「最も危険な文化の衝突は、文明と文明の断層線にそって起こる」。つまり海上の国境線すべてが紛争地帯になりうるのだ。 現に、北朝鮮のミサイルは頭上を飛んでいるし、核開発も成功していると推測されている。しかも韓国は統一後に朝鮮半島の独立を守るために、北朝鮮の核を受け継ぐだろうとみられている。 また中国は「19世紀に失った東アジアの覇権国としての地位を取り戻すこと」を目指しており、その国家元首は日本に来て高圧的な姿勢をとりつづけている。 そこで日本は脱米入亜をしようと近隣諸国と同一文明のフリをしてみたって、過去を持ち出されて受け入れてもらえないのは明々白々。 また欧州連合をならって円ブロックを形成しようとしても、近隣諸国との文化的つながりが低いために実現しそうにない。 東アジア経済のなかで大きな比重を占める中華系エリートについて、日本人はほとんど理解できないでいるため、経済的なつながりが文化的な親近感へとは発展しない。 こうしたことから、「文化的に孤立している日本は、今後は経済的にも孤立していくかもしれない」。 恐ろしい状況である。 冷戦後の国際秩序を、多文明間の対立構造で解き明かそうとする本書は、背筋の凍る、恐ろしい警告の書である。 なお、本書の元となった論文の原題は「The Clash of Civilization?」であり、直訳すれば「文明の衝突ってか?」だった。 「この論文の日本語訳は誤訳が多く、論争的な性格を不必要に肥大させているので、注意して読む必要がある」*1 「問題は、彼が、文化的な集団の次元を上げていくと、もっとも大きな集団としてアラブ人、中国人、西欧人などの文明(圏)があり、彼らをそれ以上に大きな集団で結びつけるような文化的な絆は存在しないと断定し、したがって「文明の衝突」が待っている、としていることである。そうであろうか」*2 と平野健一郎センセイは警告している。 *1 岩田一政ほか『国際関係研究入門』東大出版、1996、pp.143-144
『文明の衝突』に関連して、こちらもどうぞ… ○グローバリズムについて 原 洋之介 『グローバリズムの終宴』 NTT出版 1999.2 ○国家のハードパワーとソフトパワーについて Joseph S Nye, Jr. "The Changing Nature of World Power" Political Science Quarterly 105 (Summer 1990) ○アジアでの日本のプレゼンスについて ○国民国家について ○日本と中国の文化的な距離について ○ハンチントンに対する反論
あたらしいパラダイムで考えると…
とっても怖いのだ。
*2 平野健一郎『国際文化論』東大出版、2000、p.29