『古代への情熱』のシュリーマンが、

1860年代にアジアを探検していた!

H・シュリーマン

『シュリーマン旅行記 清国・日本』

講談社学術文庫 1998.4

著者はトロヤ遺跡を発掘したことで有名なあのシュリーマン。この人はもともと商人で巨万の富を築いた人であったが、1863年、41歳のとき、それまでの仕事を打ち切って自分の夢であるトロヤ遺跡の発掘をめざすようになる。本書はそのころ世界を漫遊したシュリーマンの体験した中国と日本での旅行体験記だ。

ハインリッヒ・シュリーマン

1822年、牧師の息子として生まれる。ビジネスで成功を収めたのち、当時の考古学会の常識をくつがえし、トロイア発掘など、幾多の発見をおこなう。かれの自伝「古代への情熱」を読み、考古学者になりたいと思った人も少なくないのでは?

この旅行記の読みどころは、著者の持つどん欲なくらいの好奇心からわきでる細かい観察眼である。たとえば北京の町並みを描写するところは──

どの家も二階建てで、燻し煉瓦でできているので道路側に窓がある。商店の正面はあらゆる種類の怪物──とりわけ龍が多い──伝説の場面を表した巧みな彫刻で飾られている。だいたいは赤と金泥で塗られているが、ときには金色だけのものも見かける。店屋の看板は長さ二〜三メートル五十センチ、幅は五十〜六十七センチある。看板は入口の両側に垂直に、そして遠くからでもよく見えるように壁に直角に下がっている。

このような細かい観察があらゆる方面(遺跡、風俗、人間等)に向けられているので、当時の中国と日本がよく偲ばれとても興味深く読める。

しかしさらに興味深いのは、解説で木村尚三郎氏も指摘しているとおり、中国に対して批判的に描写しているのと対照的に、日本に対しては、ほとんど絶賛といえるぐらいの高い評価をしているところだ。

北京の町の不潔さ、人々の堕落しきった姿を観察した後、遺跡には目がなかったシュリーマンは、万里の長城にのぼり感想を述べている。

長城がかつて人間の手が築きあげたもっとも偉大な創造物だということは異論の余地がない。が、いまやこの大建築物は、過去の栄華の墓石といったほうがいいかもしれない。長城は、それが駆け抜けていく深い谷の底から、また、それが横切っていく雲の只中から、シナ帝国を現在の堕落と衰微にまで貶めた政治腐敗と志気喪失に対して、沈黙のうちに抗議をしているのだ。

その一方日本に対しては、人々の勤勉で誠実で清貧なところ、町の清潔さ、工芸品の巧みさ等におどろき、「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」と高く評価しているのである。

しかしながら、日本はやっぱりすばらしかったのだと考えるまえに、「シナ帝国の現在の堕落と衰微」の大きな要因である列強の中国進出に対して著者は一言も触れていないことを心に留めておくべきであろう。 シュリーマンがこの二つの国を訪れたのは1865年。この年は日本が明治になる3年前にあたるが、一方中国ではアロー戦争によって英仏に北京を占領され、混乱に陥った5年後にあたるのだ。


8歳のころの夢を50歳を過ぎてから実現したシュリーマン。

しかし…

いまではシュリーマンには虚言癖があり、8歳のころの「夢」は作り話だったといわれている。

夫婦関係がうまくいかず、妻の尊敬を得ようと考古学を学びだし、そこでトロイの学術論争を知り、「ホメロスの叙事詩にあるトロイの町を発掘するのが、わしの子どものころからの夢だったのじゃ」といいだしたらしい。

その後の世界旅行も、考古学への傾斜も、子どものころからの夢などではなくって、奥さんが上流社会のサロンで注目を浴びるための行動だったとさえいわれている。

これじゃあ、なんだか、偉人というよりは、よくいる目立ちたがりのジジイじゃないか。

どうも人間、60を過ぎると自分の都合のいい大言壮語を口にしてまわりを困らせるようである。シュリーマンもいまごろあの世で、毛沢東と自慢合戦をしているにちがいない。