狂気にまみれた戦中の状況を
日本人から聞く

中国帰還者連絡会 編

『私たちは中国でなにをしたか 元日本人戦犯の記録』

三一書房 1987.10

小林よしりんの『戦争論』に紹介されている本で、図書館で見つけたので、読んでみた。

『戦争論』では、戦後の日本人は洗脳されているという。

米軍が占領した時期、日本は敗戦国として明日の命もあるかないかの不安の極限状態にあった。ところが恐れていた占領国アメリカがさしだしたものは、「自由」であり「民主主義」であり、肝心の責任追及は「軍部のせい」とされて、一般国民は放免された。「そうだ、アメリカのいうとおりだ。軍が悪い。自分たちはだまされたんだ」と、日本人はすっかりその気になった。そういえば、当時の映画などを見ても、日本人はすっかり戦争の被害者になっており、だまされた不幸な国民として描かれている。

それとは別種の洗脳を中国でうけた人たちがいるとして、よしりんが挙げるのが、この『私たちは中国でなにをしたか』の寄稿者たちだ。

終戦後5年にわたってシベリアに抑留された日本人のうち、1,000人弱が中国の撫順戦犯管理所に送られる。シベリアでは零下30度にもなる環境で重労働に酷使された彼らを、中国はおどろくほどやさしく迎える。自分たちは食べるものがなくても、日本人には食べきれないほどの食事を提供する。予想していた敵意はおろか、なにかと手厚いもてなしをうける。

そのうち、日本兵たちはおもいはじめる「こんないい人たちに、われわれはかつてなんということをしでかしてしまったのか」と。

労働からも解放され、もてあます時間の中で日本兵たちはじょじょに深い自省をはじめる。それはやがて衆目のなかで罪を懺悔する「坦白(タンパイ)」となり、エスカレートして、一大懺悔大会となっていく。

高揚した集団心理の中で、凄惨な拷問や殺戮をした罪、レイプしそれを隠匿するために殺害した罪を、涙し絶句しながら告白し自己批判するのだ。

1956年に裁判が行われ、ほとんどが周恩来の配慮で「起訴免除・即日釈放」となり帰国が許された。この一連の寛大な政策に、日本兵たちは感涙にむせぶ。そして帰国後は平和運動に東奔西走する。

その過程を、本人たちの寄稿によって、克明にまとめられたのが本書『私たちは中国でなにをしたか 元日本人戦犯の記録』である。

よしりんはこの一連のなりゆきを「洗脳ではないか」という。

告白のなかには場のムードがつくりだした、でっちあげもあっただろうという。

たしかに洗脳かもしれない。

とはいえ、当時の戦場の狂気を知る手段をもたない現代の私たちには、貴重な証言である。べつのあるドキュメンタリーで、帰還兵を訪ねて戦場での罪を問うシーンを見たことがあったが、みな貝のように口を閉じ、なにかを語ろうとは決してしなかった。

語れるわけがないのだ。戦場の狂気のなかでレイプし口止めのために惨殺したことなど、帰国し善良な隣人に復帰した人間に語れるわけがないのだ。だれもが決して振り返りたくない、触れられたくない過去なのだ。

それを、精神的に自分を追いつめ言葉にした日本人たちがいたことは、記憶にとどめておきたいと思う。そのなりゆきがたとえ洗脳であろうと、中国共産党の外交上の戦略であったとしてもだ。

本書には戦場での狂気のつくられかたも描かれている。国には両親も、兄弟も、妻や子どももいて、おそらく善人とされているような市民が、戦地でなにをきっかけに凄惨な殺戮に走り、レイプをおこなったのか。

初年兵いじめで徹底して品性や人格を奪い、生きた中国人を縛りつけ刺殺する「刺突訓練」までおこなう陸軍の教育システム。

「お国のため」という大義名分と「獣性」という本能が合致して、人間がもっとも残忍になれたこと。

こうした戦場で狂気が生まれる実際のようすがわかる本は少ない。軍国主義とか民族優越論といった抽象的な戦争論は、ともするとうわすべりしそうだ。でもそれが実際にはどんなことなのか。戦場の狂気とはどういうものか。それを知るのに本書は稀な資料といえるかもしれない。


おなじく中国帰還者連絡会が編集した『新編 三光 中国で日本人はなにをしたか』(1982、光文社)。

『私たちは中国でなにをしたか』にあるような告白の手記が15編ある。

『私たちは中国でなにをしたか』は、告白にいたったてんまつが紹介されているが、こっちはその告白ばかり集めたもの。

カバーに小田実、野間宏、まえがきに本多勝一が文章を寄せている。

なお、「三光」とは三つの輝かしいなにかという意味ではない。中国語の「光」には「すっかりなにもない」とか「〜しつくす」という意味があり、たとえば「売光了」といえば、すっかり売ってしまって、もうない、つまり売り切れを表す。ここでいう三光とは、「殺光、焼光、略光」のことで、殺しつくし、焼き尽くし、略奪すつくすという意味。