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SAPIO 小学館 1999.2.24
中国という名の災厄
日中関係があまり芳しくない。というのも、去年(1998年)の暮れに江沢民が来日したときの日本批判に、マスコミ関係者がほとほとうんざりさせられたせいだろう。
たしかに日本は戦後の補償を怠ったかもしれない。戦後、敗戦国であった日本にできたことは戦勝国アメリカのいいなりになることだけであったし、米ソのはざまで防共の砦として復興を急がされていた。そのため、アメリカの擁護のもとでおこなわれた戦後処理は、周辺国に対しては、政府間での補償はされたとはいえ、天皇の処分をふくめ「謝罪」という点では不十分だったかもしれない。
そして時がたった現在、叔父を日本人に殺され、大国意識をふりまわしたがる江沢民が中国のトップになり、様相が変わりだしている。それにたいして、日本がどういう姿勢をとるべきか、中国をどう見極めるべきか、それが今号のサピオのテーマなのだ。
落合信彦氏の「21世紀の日本の生存のために『日台枢軸論』を提唱する」では、日本の対中政策が「土下座外交」だと批判される。
将来の市場としての有望さをエサに、日本やアメリカに強硬な姿勢を崩さない中国だが、その市場のゆくえは、じつは貧困地域の発展が絶望的であり、なにも卑屈に迎合するべきものではない。むしろ親日的で今後も安定的な成長が期待でき、優秀な政治家を擁する台湾との関係を重視すべきだという。
岡田英弘氏は「もしチベット、モンゴルが中国領ならカナダはインド領になってしまう」のなかで、中国というのは辛亥革命以降の実体であり、それ以前は幾多の民族がいれかわり統治をしていた地域であり、一貫しているのは漢字を使っていることだけだという。したがって、たとえば台湾にしても、「中国という国家は、日清戦争の当時にはまだなかったのだから、日本は台湾を中国から奪ったのではない」という。
中国人は時の政治権力の要求に合致しているという意味で「正しい」という言葉を使うのであり、歴史の「事実」は現実の政治の必要に応じてどんなにでも変えられるものである。したがって中国人の歴史観は「嘘で固まっている」。そんなものをいちいち本気にしない方がいいのだという。
高濱賛氏の「在米反日団体の背後で見え隠れする中国政府と不可解な財団の影」では、アメリカで「南京大虐殺」を批判するアイリス・チャンらの運動をリポートし、その調査研究費が中国政府や台湾の財団が支援している事実を明らかにする。
東中野修道氏の「笠原十九司論文『日本軍による南京20万人虐殺』を徹底論破する」は、98年12月23日号のサピオ誌上に掲載された笠原十九司論文への反論であり、間接証言の信憑性の低さと、軍服を脱ぎ捨てた中国兵は国際法上「法的資格を満たさない捕虜」であることから、「虐殺」にあたらないという論旨を展開している。
その他、黄文雄氏による、中国政府の少数民族弾圧についてのレポートや、サピオ編集部執筆による、国境周辺海域にみられる中国政府の覇権主義などが取り上げられている。
経済発展のかげで大国化がすすむ中国の危険な姿が、浮き彫りにされている。
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