岡田英弘

『皇帝たちの中国』

原書房 1998.11

著者は中国史や満州史を専門にする東京外語大名誉教授。オビに「小林よしのり氏も絶賛!」というのでちょっといやな予感がしたが、興味のあるところを論じているので読んでみた。

この書で著者が主に説明しているのは、「近代以前には『中国』という『国家』があったわけでもなく、『中国人』という『国民』があったわけでもない(p8)」ということ。そうではなく、まず皇帝が存在し、その皇帝が支配した範囲(=天下)を中国と呼び、支配されていた民を中国人と呼んだのだ。だから書名も「皇帝たちの中国」という。

そして「多くの人々が、この国民国家の観念を、近代以前の『皇帝の天下』にあてはめて、それを『中国人=チャイニーズ』という国民が構成する『中国=チャイナ』という国家だったかのように見なしているわけである」(p9)。

確かに「国民国家」という概念は西洋近代に生まれたもので、それを中国の王朝にそのまま適用して論じるのは正しくない。*1

しかし清代以前の中国思想史を眺めてみると、中国がいわゆる「近代」に移行する以前にすでに近代にはいるための思想的土壌が、中国内部から独自に生まれてきていたという事を忘れてはならないだろう。*2

『皇帝たちの中国』は、そこらへんの思索なしに持論を断言するので、論理の展開に雑な印象を感じるのだ。

「国民国家」に関する持論以外でも、例えば著者が満州語を説明する箇所があって、「満州語は日本語と同じような文法がある。しかし、漢字には品詞の区別も、語形の変化もない。はっきりいって、漢文には文法がない。(p216)」と書かれているが、これ読んで「そうだそうだ」と納得できる人っているのかしらん?

では小林よしりんがどこに感激したのかというと、たぶん以下のところであろう。

多くの人は、一八九四〜一八九五年の日清戦争は、日本が中国と戦った戦争であり、下関講和条約で日本が獲得した台湾は、中国から割譲を受けたものだと思われている。ところが、これはとんでもない誤解である。実は、清朝は中国ではなかった。日清戦争は、文字通り日本と清帝国の戦争で、日本と中国の戦争ではなかった。中国という国家は、そのころはまだ存在しなかった。(p200)

……中華民国が成立して、建前ではいちおう国民国家ということになったが、国家の実体はまったくなかった。宣統帝から譲り受けたはずの帝国のうち、名目だけでも北京の中華民国大統領の地位を承認したのは満州人と漢人だけで、モンゴル人とチベット人は独立を宣言しており、新彊は遠すぎて手がとどかなかった。そればかりではない。中国の内地でさえ、地方の各省にはそれぞれ軍閥が割拠していて、北京政府の支配には及ばなかった。この形勢は、一九二八年、中国国民党の蒋介石が広州から、国民革命軍を率いて北上し、北京政府を倒したあとでさえ、基本的には変わらず、南京にできた中華民国国民政府も、やはり形だけの国民国家だった。(p204)

この論理でいえば、例えば日本が中国の東北三省に、溥儀と組んで「満州国」を建国しても、その場所に「国民国家」がない以上、当時の考えとしては、あながち突拍子もない行動ではないといえるわけで、よしりんとしては何ともうれしい話なのである。

山室信一著『キメラ--満州国の肖像』(中公新書、1993)にも満州国建国前後の詳しい状況が述べられているが、それを読んでも、日本が「侵略」という意識を無意識に抱きつつも、上のような認識を建前にもって東北部に進出していった事実が詳細に述べられており、この持論には説得力を感じる。*3

しかしながらこの『皇帝たちの中国』を読んでいると、著者は中国という「国家」を解説するためというよりも、中国を侮蔑している印象を文章の端々に感じるがために、むしろ日中戦争での日本の悪行に対する反論のためにこの書を著したのではないかと疑ってしまうくらい、何かインチキくさいものを感じてしまう。

「1997年以降、香港は軍港になる!」とのたまった東京外語大の総長・中嶋嶺雄氏もそうだが、東京外語大の、特にエライ先生はなんか偏った人が多いのではないのか?(東京外語支那語部時代からの伝統か?*4)と、ついうがった考え方さえしてしまった。

*1 古田元夫 『アジアのナショナリズム』 山川出版社 1996 参照

*2 溝口雄三 『方法としての中国』 東京大学出版会 1989 参照

*3 山室信一 『キメラ--満州国の肖像』 中公新書 1993 参照

*4 藤井省三 『東京外語支那語学部』 朝日選書 1992 参照