小林よしのり

『新ゴーマニズム宣言 戦争論』

幻冬舎 1998.7

キレる若者、女子高生売春、オウム事件、官僚汚職…。

モラルなき日本の現状にくらべ、あの戦争時代の日本人は「誇り」をもって「公」すなわち国のために自らの命を賭けて戦った。その態度は今の日本人より立派ではないか。それなのに「反省」だの「謝罪」だのと、命を賭けて戦った人に申し訳ないじゃないか! あれは決して侵略戦争ではない。むしろ「公」を守るための正義の戦いだったのである! …というのが『戦争論』の要旨である。

「誇り」「プライド」。最近の不況の反動のせいか、この言葉を耳にする機会は多い。

野田正彰氏が論文「過剰代償と攻撃性」(『世界』12月号)で述べているように、「日本軍の残虐行為を指摘する言論に対し「自虐史観」と批判し、子供たち、若い世代に誇りを持たせなければならないと主張する人々は、歴史を検証しようとする以前にまず誇りを求めている。誇りがなければならないという確信があって、その後に自分の感情に合う出来事の断片を綴りあわせ、侵略戦争ではなく正義の戦争であったという虚構の物語を作ろうとする」。

この『戦争論』もまた同様で、大東亜戦争の肯定的な側面だけを前面に押し出したままで結論づけてしまっているのだ。(ちなみに野田氏は論文の中で小林を「精神分析」しているが、これが的確でおもしろい)

小林は「誇り」を持てというが、人間は「誇り」や「プライド」だけを持っても、結局ろくな事にはならない。人間なんて大したものではない。「人間とはサル以上にサルである」と言ったのはニーチェであったか。

日本人のいいところは、広島・長崎の被爆等の最悪の被害体験と南京大虐殺等の最悪の加害体験を二つ合わせ持っているところだと思う。

たとえば広島の原爆資料館に被害写真と一緒に、アジアでの加害写真も加えれば、見た人はかなり深い人間認識を持つことができるのではないか。

日本人は確かにアホである。おのれをアホと知っているのもやはり日本人である。しかし自分をアホと知っているぶん、日本人は他国人よりもアホじゃないのではあるまいか。けっきょく、日本人のもてる「誇り」というか「矜持」はこれだけじゃないか?

ともあれ、『RONZA』・『世界』・『諸君』等のオピニオン誌で論議の対象となった『戦争論』は、漫画というメディアの可能性をまた一歩広めたという点で革新的なものであった。

しかし、いわゆる言論人たちは漫画の読み方をよく把握していないし、何より漫画への愛がない…。

漫画家の水木しげるは、二等兵として戦争を体験し片腕を失った。その時の体験を、『総員玉砕せよ!』という小林とは180度ちがう戦争の「物語」に昇華させたが、かれがこの『戦争論』をどう考えているのか、知りたいものである。


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右翼絶賛のマンガ? 小林よしのり『戦争論』がアジアで話題に。

漫画書驚見、「皇軍」陰魂 
亜洲週刊 1999.2.8-2.14

 

狂気にまみれた戦中の状況を日本人から聞く。

中国帰還者連絡会編
『私たちは中国でなにをしたか 元日本人戦犯の記録』
三一書房 1987.10

中国帰還者連絡会編集
『新編 三光 中国で日本人はなにをしたか』
光文社1982

先輩から後輩へ、歴史はこう学ぶ

井上ひさし監修慶應義塾大学湘南藤沢
キャンパス・テクニカルライティング教室
『ぼくらの先輩は戦争に行った』
講談社 1999.08