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荒俣宏
『小説 始皇帝暗殺』
角川書店 1998.07
50ページ目あたりで、映画でゴン・リーが演じる「趙姫」が、始皇帝の幼なじみとして登場する。
そこまで読むと、この映画がゴン・リーのために書かれた映画だとわかる。
気高くスマートで、強い意志を持つ。それでいて男女の情にも強いフェロモンを発散しつつ、子どもや弱いものには慈しみを忘れない。芯の強さと聡明さ、優しさと憂いを合わせもった女性。そんな彼女を運命が無情にもて遊ぶ。
これはもう、ゴン・リーにお約束の設定だ。
「紅いコーリャン(紅高梁)」「菊豆」「大紅燈、高高挂」「上海ルージュ(揺呵、揺到外婆橋)」「花の影(風月)」などに共通するパターンだ。
舞台は秦が天下を統一する6年前の、戦国時代末期。楚、韓、魏、趙、燕、周などが入り乱れて領地を奪い合っているころ。
のちに始皇帝となる「政」は、天下統一という先祖代々の宿願と引きかえに、自らの感情を封印し、臣下、母、そして「趙姫」との愛を犠牲にして、恐怖政治の鬼と化していく。
そんな男に愛を捧げた「趙姫」だが、やがて…
さて、そんなストーリーとは別に、ちょっと映画に期待しているところがある。
天井から水平に垂らした丸太に罪人を縛り付け、丸太のはじに顔を壁に向けるよう頭を固定し、壁に丸太を打ち付けて頭部をつぶす処刑、「趙姫」の美しい顔に入れ墨が施されるシーン、麻袋に子どもをつめたまま床にたたきつける処刑、子どもの生き埋め…などなど、残虐シーンが映画ではどうなるのだろうと、怖いやら見たいやら…
とうとう、映画を見た。
本にあって映画にないシーンが多く、たぶん相当カットされたのだと思う。今後、ディレクターズカットだか、完全版だかが出るのでは。とくに敗戦国「韓」が捕虜を献上する式典のシーンがバッサリなかったので、ぜひ見てみたいところ。
いろいろカットされているせいで、展開が唐突なところがあり、映画だけでは背景がつかめないところがあるようにおもう。そうでなくても設定に無理があって感情移入しずらいのに、なおさら通り一遍のストーリー展開になってしまっていたのは残念。
それにしても、大軍勢の戦闘シーンや再現された咸陽宮は、圧巻だった。紀元前2世紀の中国を、リアルな姿で見ることができてうれしかった。中国で観光地にあるような、ろう人形館などとは較べものにならないリアリティで迫力満点だった。
それにゴン・リーが文句なしに美しかった。その一点だけでも見たかいがあったといえる。ああ、彼女に耳元で「とろみ〜ハオ麺〜」っていわれてみたい。
ところで、宰相「呂不韋」にすがって政が最後に一言「パパ!(父親!)」といってるのが字幕で訳されてなかった。大切なところなのに大丈夫かなと心配。そもそも呂不韋と政の親子関係の描写が適当に済まされてるからいいのか…。
ちなみに宰相「呂不韋」を演じているのは、陳凱歌監督。「黄色い大地」やカンヌ映画祭グランプリ作「覇王別姫」の監督として有名であるが、「私の紅衛兵時代」(講談社現代新書、1990.6)という著書もある。
紅衛兵時代、父親をつるしあげた経験があり、いまでもその思い出に胸を締めつけられるという。
「呂不韋の心境はあの時の父に似ている。その心はどんな俳優より私が一番理解している。もし私の演技が見られるものになったとすれば、きっとそういう理由だと思う」(1998.12.13 日経新聞)
呂不韋と政の親子関係に、監督の文革中の親子関係が投影されているとおもうと、また違った見方ができる。
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