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瀬島龍三
『大東亜戦争の実相』
PHP研究所 1998.07
小学2年のときのこと。
学校でセンセイ(当時31歳)に「天皇は戦争の責任があるのに、ひとりだけ生き残った」という話を聞かされた。うちに帰ってその話をすると、父がめずらしく怒ったような口調で「政府に責任があって、天皇に責任はない」などと言い出した。「いい子」のわたしとしては、なにか言ってはいけないことを口にしたんだと大変こわかった。
センセイは1943年生まれ。戦後の「民主主義教育」をうけた世代。かたや父は1934年生まれ。教育勅語を暗唱し、天皇のために死ぬことを夢見て子ども時代を過ごした世代。わたしはそのはざまで、いったいどっちを信じればいいんだか、わからなくなっていた。
そして現在。
「終戦から半世紀を経て、「あの戦争」の意味づけが問い直されようとしているが、論議は深まらない。あまりにも自由な思考を妨げるバリアーが多いからだ。(中略)そのうえ、論争の当事者は戦中派ではなく異なる価値観に立つ次の世代に移っている」(秦 郁彦1998年10月5日読売新聞「20世紀精神史」)
まさしくと思う。
わたしたちの世代にとって海外留学は当たり前だ。それも先進国になって「強い円」を持った留学だったから、貧相なアジア人という劣等感もなし。いまではインターネットで海外のサイトを楽しみ、グローバル経済の環境下で仕事をしている。
こういうわたしたちと、いわゆるオピニオン誌に執筆している「言論人」とは、「日本」についての心象風景が全く異なる。わたしたちにしてみれば、「言論人」がいまさら国の威信をもちあげたり、ふりかざしたがるのが不思議でならない。
さて、そうしたわたしたちの「世代」だからこそ、「あの戦争」はなんだったのか、知りたいと思う。
それにはなにより、戦争遂行の当事者に聞くのがてっとりばやい。
本書の著者、瀬島龍三氏は、陸軍士官学校と陸軍大学校を出て、大本営陸軍参謀、関東軍参謀を務めた。いわば、数少ない「戦争当事者」の生き残りだ。
氏がアメリカの知識人を相手に、戦前戦中の政策決定のようすを語った講演の記録が、本書である。氏は歴史研究に資するためにと、当時の「実相」を(自分自身がどう関わったかという点をのぞけば)虚心に語っている。
氏は、「太平洋戦争は自存自衛の受動戦争」であり、開戦の責任の一端は、そこまで追い込んだアメリカにもあるという。戦後、ロシアに拘留されていなければ東京裁判の被告席にいたであろう氏ならば、これは当然の主張だ。
それよりむしろ一読して驚くのは、どこまでも天皇を擁護しようとする姿勢と、「満洲国」建設への自負心、そして日米間で開戦まで進んだ齟齬への悔恨の深さである。
とくに氏の、「満洲国」の経済発展の成功ぶりや、その国防的な意義への確信は、想像を超えたものがあった。
「もし日本の大陸政策が有終の美を収め得るチャンスがあったとすれば、それは満洲事変から支那事変への移行を絶対に防止し、万やむを得ざるも支那事変から大東亜戦争への発展を絶対に阻止すべきであったということでしょう(p223)」
「満洲の天地に建国の理想たる五族協和のいわゆる王道楽土が名実共に建設されるならば、それはわが大陸政策の成功であったでありましょう(p224)」
戦争遂行当事者の語りかけを聞き、当時の日本人の価値観が、わたしたちの想像を超えたところにあったことをあらためて知る。
後日、映画「プライド」をみて
伊藤俊也監督の映画「プライド 〜運命の瞬間(とき)」を見た。
東条英機が戦犯として投獄され、東京裁判でさばかれるさまを描いたものだ。
劇中、東条英機が主張することは、ほぼ『大東亜戦争の実相』と一致する。
さて、当時の日本人を4分類して
1. 天皇
2. リーダー、つまり東条英機らを中心とする当時の閣僚
3. 粗野な軍人
4. その他の国民
としよう。
これに加えて、重要な登場人物として
5. 中国その他の、アジア諸国
6. アメリカを中心とする欧米諸国(白人社会)
などが状況を構成していた。
これらの人々のあいだの責任のなすりつけあいは今でも続いているが、その基本的な構造は以下のように作られた。
まずアメリカが日本を対共産圏の防波堤ととらえ、「天皇崇拝」が忘れられない日本人を相手に、戦後復興をいそぐ。
そのため天皇の責任は、憲法にはっきりと明文化されていたにもかかわらず不問にする。
日本国民はアメリカにいわれるまま、不幸な多数派になりすまし、責任をすべてリーダーにおしつける。
リーダーは「国民」からも、アメリカからも発言の場を与えられることなく絞首台に送られる。
当然こうした戦後処理にはいくつもの問題の種がばらまかれている。
…と、「プライド」は描いている。
この映画を見て、つくづく「民主主義」の重要性を痛感した。それは多数派につくということではなく、個人がまわりから際立とうとも、自分の歴史観なり善悪の基準なりをもつことだ。
一部のものだけが価値観を持ち、あとがそれに追随しなければならない状況、あるいはよろこんで追随している状況。それがあの戦争と、その後の醜い責任逃れをつくったのだとおもう。
その「追随したこと」への反省をもっとすべきだとおもう。
いいかえれば、ファシズムは扇動した人間にだけ罪があるのではなく、扇動された人間にも責任があるという自省のもとに、民主主義を育てようということだ。
そのためには東条英機らではなく、当時の日本人にもっと悪者になってもらうことになる。
ある世代がある世代を、当時の状況もしらずに責めるのはけしからんといわれるかもしれない。しかし民主主義国家が、国として自省するということは、結局は国民ひとりひとりが、親の世代なり、祖父の世代なりを責めることなのだ。
戦後教育をうけたものとして、戦前の世代とは全く異なった自分でいたい。それが戦前の世代がアジアでおこなったことへの最大の補償になるはずだ。
プライド 〜運命の瞬間(とき)/監督: 伊藤俊也/主演: 津川雅彦、いしだあゆみ/1998年公開、東映
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