久保尚之

『満州の誕生 日米貿易摩擦のはじまり』

丸善ライブラリー 1996

この本は、明治時代、日露戦争に辛勝したころの満州と、その満州を密かに狙うアメリカと日本のかけひきについて書かれたものである。

私はそのなかでも、近代国家に成り立ての日本が、日露戦争でまさかの大勝利をしたために、かえって『国の威権』ということにこだわりはじめ、あげく調子にのりはじめて行くさまに興味を持った。

当時の状況は、今我々が考えるイメージとちょっと違うのである。たとえば、満州にいた娼婦について本書は下のように記している。

ロシアの調査によると、1903年1月、大連・旅順に在住する日本人は985人であった。そのうち女性は353人もいて、殆どが娼婦であった。

明治の農村は織田信長や豊臣秀吉の時代と大きくは変わっていなかった。16世紀に訪日したキリスト教伝導者たち(たとえば『懺悔禄』を残したコリャード)は、男性だけでなく女性の性意識のなさに仰天している*1。

人工過多に加え、当時の農村の性意識、「処女」や「貞操」に価値をおかない社会が、娘達を海外に送りだしたのだといえよう。

さて、明治の満州には密偵・石光真清に代表されるスパイ達が多く活躍していたという。

彼らは、満州で商売している売春婦にずいぶん助けられた。というのは日本の女性は従順で正直で親切であって、外人の女のように悪辣な取引がないので各地から歓迎を受け、明治30年ごろには、バイカル湖以東の都市で彼女等の影を見ないところはないほどになった*2。ロシア兵はそんな女の前ではすこぶる正直で、どこにどれだけの軍隊がいるとか、どこの軍隊が何処へ移動したとか、今度砲が何門送られてきて、その口径がどれくらいだというようなことを寝物語にいくらでも話したという。その情報がスパイを通じて日本の当局へ通報され、対露政策に貢献していたのだ。

しかしながら、1891年(明治24年)の第一回帝国議会貴族院で、政府委員の尾崎三良が、日本の女性が海外で売春を営んでいることが海外で有名になっているとし、「わが国の体面までも穢すことになっている」ことを指摘する。

「サンフランシスコあたりでは、日本の女といえば、ほとんど売女のことで」、このままでは「日本という国は徳義の低い国であって、日本の女といえば少しも道徳心のないものという感覚を与えて、遂にはそれがために我が日本の四千万同胞の名誉に関係し、国の威権にも関係することもたくさんある」と。

だから厳重に取り締まって、なるべくそういう醜業者が海外に出ないよう、『外国における日本婦女保護法案』の制定せよと主張した。

つまり国家の名誉、体面のために、海外の醜業者を取り締まるということである。

その後、英米からの大借金と、ロシア革命という大幸運に支えられ、辛くも勝利した日本は、『国の威権』が実質以上に上昇していく。密偵・石光真清は戦後、軍を離れたあとしばらくして職を求めて満州を渡り、満州の変貌ぶりに落胆している。

「軍政が続けられていた。一市民として旅行して意外に思ったことは戦時中にあれほど満州市民に対して協調的であった日本軍がまるで満州占領軍であるかのように満州市民を戦敗国民扱いしていることであった。軍から身を退き、軍から追われた今の境遇が、このように感じさせるのであろうか。駐屯部隊の傍若無人ぶりを各地で見て心が痛んだ」。

このような流れによって、日本は脱亜入欧をクリアし、アジアの優秀民族としてアジアの覇者たらんという発想が芽生えてゆく。

その後の『国の威権』の成れの果ては述べるまでもないであろう。

こうしてみると、講談社『現代』5月号の吉田司「日本人よ〈兜町の焦土〉を正視せよ」で氏の言う〈道義性〉と〈真の近代化〉が何であるのか、おぼろげながらつかめてくるのではないか。少なくとも、コギャルの「援助交際」というのが必ずしもバブル期の堕落した文化が作り出したものではなく、日本の古来からの伝統の復活と捉えることもできるのだ。

*1 キリスト教伝道者が侵略の先兵としての役割を持っていたのは今となっては常識だ。かれらの「未開民族」に対する偏見(コロニアリズム)が、このように言わせたという可能性は高いが、ここではながしておこう。

*2 これは石光真清の自伝からの言葉だが、ここにも偏見がある。しかしここではながしておこう。めんどくさいから。