秦 郁彦(はた いくひこ)

『南京事件 虐殺の構造』

中公新書 1986

旅行で南京を訪れたとき、地元のタクシーの運転手に「おまえのお祖父さんは戦争中に南京にきたのか」と聞かれてゾッとしたことがある。わたしの祖父の出征先は朝鮮半島だったので、その話題はそこまでですんだ。しかし実際にはわたしの親戚に上海から上陸して帰らなかった者がいる。上海の激闘で死んだ4万の日本兵のうちだったか、ひょっとしたらその後の南京への西進に加わっていたかもしれないのだ。

戦後生まれのわたしたちにとって、日本の戦争責任をかんがえることは、祖父たちの犯した罪をかんがえることだと痛感した。それは被告が血のつながった者たちであることへのリアリティを感じつつ、公平さを失わないで歴史を捉えることだ。

靖国神社の公式参拝の是否、従軍慰安婦や台湾国籍日本兵などアジア諸国の「個人」への補償や謝罪、そして天皇ヒロヒトの戦争責任。

これら賛否両論がせめぎあう議論に、儒教的な祖先信仰やナショナリズム、あるいはいわゆる「知的マゾヒズム」をこえて、いつか答えをみつけなければならないとおもう。

そういった課題のひとつの典型例が、この「南京事件」である。

南京事件はこれまで虐殺の悲惨さを激しく訴える「大虐殺派」と、実体はそれほどひどくないとする「まぼろし派」の論争がくり返されてきた。このこと事体、戦争責任にまつわる日本人の「賛否」の定まらぬ態度を端的にあらわしている。

強奪・強姦をおこなった兵士たちひとりひとりの犯行の立証は、状況からみても、どうみても不可能なことである。また、軍司令官である朝香宮中将が(天皇を戦犯にしない最高方針により)追求の対象から除外された。そのため公的な場で裁かれたのは東京裁判でひとり、南京法廷4人だけだった。

少なくみつもった場合でも数万人の犠牲者をだしたといわれる事件にしては、なんとも規模に不釣り合いな責任追求のされかただった。

軍の無計画さと暴走が原因とされ、ごく一部の指揮官が処罰され、犯行におよんだ兵士たちへの追求はなかった。

まして本土の国民は、自分たちこそ被害者だとおもっていたのだから加害者の意識などさらさらなかった。戦後「二十四の瞳」などをみて、悪い政治家にだまされた清く不幸な国民として自己憐憫に泣いていた。

こうして賠償や責任はあいまいで不自然なままにされた。太平洋戦争全体にみられる典型的な始末のつけかたといえよう。加害者の理屈からいえば済んだことだとおもえるかもしれないが、被害者の気持ちは癒されない清算のしかただった。

この書は南京事件を「先入観や政治的配慮を排し、そのとき南京で何が起きたのかという観点から、事実関係を洗い直し復元することをめざし」書かれている。

とくに第5章と第6章で、加害者である日本側の戦闘詳報や参戦者の日誌などをコラージュして当時の南京のようすを描き出しているのが新鮮だ。そこにわたしたちの祖父たちの姿が、彼ら自身の声でうかびあがってくる。

21世紀に向けて中国と関係を築こうと、20世紀のできごとにヒントを見つけようとするならば、「南京事件」は多くを教えてくれるだろう。


追記:

1998年11月、初めて来日した江沢民国家主席にたいし、日本は、共同声明の中で「戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と表明した。

しかし、文言は慎重に言葉を選び、ついに「おわび」とはしなかった。そして「おわび」は小渕首相の口頭でのみ伝えられた。日本側は、中国側が求めた「謝罪」を拒んだのだ。

先の日韓共同宣言には「痛切な反省と心からのおわび」という言葉を盛り込んだのに、中国に対しては「おわび」としない。これはなんなのだ。

外交は国益を優先させる。その切り札をどう出すかは専門家におまかせしたい。また戦争責任についての日本の世論が複雑であるのもわかる。

とはいえ、異文化間の意思伝達に、腹芸のようなワザを通じさせようとするのはいかがなものか。はっきりとした言葉で、はっきりとした態度を示すべきではないか。そして、もっと海外からわかりやすい日本になってもいいのではないだろうか。

海外の世論より票田での評価に神経質になる政治家。その背後に控える歴史観の定まらない国民。そういった図式が見えて、やりきれない思いがした。