「アジア的」って、
侮蔑用語だったんだ。

植村邦彦

『アジアは<アジア的>か』

ナカニシヤ出版、2006.03

装幀:南琢也

前著『「近代」を支える思想』がよかったので、これも買って読んでみたらおもしろかった。


アジアというのは「専制と停滞」の地域だと、ヨーロッパでは長いことみなされてきた。

それはどうしてなのか。

本書の前半では、それがどういう系譜でできた通念なのか、モンテスキュー(仏)、アダム・ファーガスン(英)、アダム・スミス(英)、ヘーゲル(独)を引き合いに語られている。

そこであきらかになってくるのは、遅れた、民主的でない、家父長的で、野蛮なアジアというイメージは、ヨーロッパ人が自意識を築きあげるために対照物として必要としたものだったということである。

つづいて、本書の後半では、19世紀なかば以降、西洋人がアジアに訪れるようになってから、日本人が西洋人のアジア観(専制・停滞のアジア・イメージ)をどう受け入れたのかが語られる。

日本人は明治の開国で、西洋化を志す。

そのとき、アジアを遅れたものと蔑視するヨーロッパ人の見方まで受け継いでしまう。

ただ、その一方で、なにもかも西洋バンザイという西洋崇拝には抵抗感も生まれた。

また、日本人は、人種主義もヨーロッパ人から学ぶ。

そこから、やっぱり自分たち日本人は白人にはなれないのだ、アジア人なのだ、という意識が生まれる。

つまり、西洋化を全力で志しながら、西洋崇拝に抵抗を感じ、自分たちはアジア人であるという自覚をもち始めた。

しかし、周囲の国をみわたすと、やっぱり実際のところ、西洋人の言うようにアジアは「停滞」していると思いつまされる。

そこから、アジアを復興すべきであるという志向が生まれる。

それで隣国(朝鮮)にも「文明開化」させようとしたのだが、これが失敗に終わってしまう(1884年の甲申事変)。

それで、ならばと、アジアの中でただ一国「アジア的」でない日本が「アジアの盟主」として「遅れたアジア」を先導してやるという独善的な発想が生まれ、それはのちに侵略をも正当化することになる…


植村センセイは、このような歴史的経緯を丹念に語りおえたあと(おそらく、フーッと深いため息でもついて)、こう言う。

アジアという根拠・実体のないものを幻想的に語りつづけることをもうやめようではないか、と。

あなたのいうアジアって、いったいどこですか? と。

いまもそういう語りをする者がいるが、勝手にアジアと括って適当なレッテルを貼りながら、日本の役割を高く唱えるのは、あいかわらずの独善ではないか? と。

だいいち今では、日本はアジアのなかで特別ひいでた存在だなんて、おこがましくて言えなくなってないか、と。

米谷匡史
『アジア/日本』
岩波書店
2006.11

植村邦彦
『アジアは<アジア的>か』
ナカニシヤ出版
2006.03

西川長夫
『<新>植民地主義論』
平凡社
2006.08