
西川長夫
『<新>植民地主義論』
平凡社、2006.08
装幀:金子裕
「植民地主義」というのは、なじみがあるような、ないような言葉である。
で、この本を単純に、過去の帝国主義国がおこなった植民地支配について書かれた書だろうとおもうと、ちょっとちがう。
新しい「<新>植民地主義」は領域的な支配(占領、入植)を必要としない。いわば、「植民地なき植民地主義」です。(50頁)
植民地領有は植民地主義の特定の段階を示すものであって、植民地主義は必ずしも領土としての植民地を必要としない。(267頁)
つまり、この本でいう「<新>植民地主義」というのは、過去のことだけでなく、グローバル化が進む現代に生きるわたしたちの認識や知、あるいは感受性の問題なのである。
西川センセイによれば、15世紀にはじまり現在にいたる近代化、西洋化(欧米化)、文明化、世界全体の資本主義化、国民化というのは、入り組んだひとつの思想のセットとして、ひとびとの感性と思考に影響をおよぼしてきた。
そして、それによって世界は、たえず支配/被支配、差別/被差別というような、経済的文化的な格差構造を生み出しつづけてきた。
いいかえれば、搾取と差別のネットワークを世界中に広げてきた。
しかもそれはやむどころか、グローバル化でいっそう拍車がかかっている。
世界レベルでもそうだし、国内だけとっても、そうなんだそうである。
こうした、「<新>植民地主義」的発想から、わたしたちはどうしたら抜け出せるのか?
そこで西川センセイは、この本で、15世紀以来のグローバル化からこの数年のブッシュ政権の対応までの、さまざまな事象・概念をとりあげつつ批判的に吟味しようとしている。
西川センセイの本は、『国境の越え方』から数冊読んできた。
で、このセンセイがなぜこうも熱心に「国家悪」を告発し続けるのか不思議だった。そのナゾの一端も、この本の冒頭であかされている。
センセイは1934年生まれ。戦時中の愛国教育を受けながら11歳まで植民地(満洲・北朝鮮)で暮らし、敗戦後、米軍占領下の日本に帰国。大学でフランス文学を学んだ。そのあいだ、センセイは植民地という観念への違和感をつのらせてきたのだという。
そして、1990年ごろくらいからか、人びとのアイデンティティに染みこまされる「国民的アイデンティティ」という固定的排他的文化概念の心地悪さは一体なんなんだという疑問(「国民国家論」)にとりくんでいらっしゃる。
そのうちに、センセイは、どうやらそれは「近代=西洋中心的文明観」に原因があり、その本質は、人を領土の境界で区切って支配・差別する植民地主義だという結論にたどり着いた、ということらしい。
議論は体系的・整序的というよりも、マシンガン的なネタの乱射という感がある。そのぶん、センセイの義憤が伝わってくる。