
米谷匡史
よねたに まさふみ
『アジア/日本』
岩波書店、2006.11
本書のタイトルは『アジア/日本』となっている。
このスラッシュ(/)の部分は、アジアと日本のあいだの複雑な絡まり合いを意味しているらしい(15頁)。
著者は本書で、「アジア/日本の絡まり合う近代経験、そこにはらまれた侵略/連帯の二重性」をあきらかにしようとしているとのこと。
ストーリーはおおむね、こういうことである。
19世紀なかばに西洋諸国がやってきて、アジアは世界的な分業・交換のネットワークに組み込まれだす。
そして、各地が開港すると、門戸を開きあったアジア諸国のあいだに、それまでなかった摩擦や抗争が生まれだす。
そうした摩擦・抗争を解決しようとしたところから、日本では、アジア連帯の構想(いわゆる「アジア主義」)が生まれた。
その後日本は、西洋のやり方で、文明を標榜し、国境を区切り、近代化を進め、帝国主義化し、覇権を広げていく。
そこには、停滞したアジアを導くのはじぶんたち先覚者日本人なのだという自負があった。
しかし、一方の周辺国側がそれをどう受け取ったかというと、そうした日本の覇権主義はじぶんたちの主体性や独立性を危ぶませるものだと感じ取り、抵抗感や嫌悪感を強めていった。
そんな感情など気にとめない日本人は、「内鮮一体」「五族協和」「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」といった一見融和的な「広域圏論」をつぎつぎに編み出していった。
そして、日本こそアジア諸民族のナショナリズムを擁護するリーダーであると主張しながら、侵略をおこなった。
そこにみられる日本側の主張は、日本内外で、国家間の対立回避を望む人びとのなかに協力者を生み出し、かれらを複雑な境遇に陥れていった。
しかし、そうした人びとが望んだような、各国の人びとが主体性・独立性を保証された多中心的な世界というのは、ついにかなえられることなく終戦を迎える。
戦後日本は、米国に従属しながらアジアへの経済的進出を再開した。そして、アジア諸国との経済面でのつながりを深めていく。
そのうち、戦前の試みをいつしか肯定・美化し語る動きもみられるようになってきた。
最近では、日本人は連帯の側面を強調する一方で、侵略の側面については忘れがちである。
しかし、侵略を受けたアジア諸国側のほうでは、その記憶が消え去らない…
「アジア共同体」ということばは以前から周期的に新聞に登場していた。だが、昨今とくに目にする機会が増えた。
その一方で、いまでも日本の過去の侵略を責める周辺国の声はなくならない。
わたしたちは、本書がつまびらかにしてくれているような、過去、アジアと日本のあいだにあった侵略と連帯の二重性について心に留めておく必要があるだろう。