著者80歳の刊行、ライフワークの集大成?

南 博

『日本人論』

岩波現代文庫、2006.04
(初版は岩波書店 1994.10)

日本人は「日本人」をどう語ってきたのか…

本書にはその代表的論著500点(!)の要点が紹介されている。

読み通すのは骨が折れるが、読み終えれば日本人論について通覧した気になれる。

これを読んでいて感じるのは…

「日本人」というのは、かな〜り国民的自尊心が強く、っていうよりもう、自意識過剰で、高慢で、夜郎自大で「井の中の蛙」っぽい民族だったんだなぁってこと。

日本人論には、かなりヨタ話の類も多いってこと。

それぞれの著者が「日本人は…」って言ってることのほとんどが、他の国の人たちとの比較などじゃないってこと。

ホントはその著者の生活経験のなかで思いついたうっぷんや不満、あるいはお説教の類であって、要するにどれもウソくさいなってこと。

学者が(有名無名を問わず)それなりに学問的手続きを踏んで書いているものであっても、かなりこじつけっぽいものが多いなぁってこと。

…というように、この本のなかには、日本人がどんな国民なのか、噴飯モノのケッサクも含め異論百出、てんこもりなんである。

どうやら、言ったもの勝ちのなんでもあり、のようだ。

そんななかで、いちばん確かにいえるのは、これだけの量と密度の「日本人論」が書かれ、また読まれてきたというまぎれもない歴史的事実である。

根拠がどうの、妥当性がどうのということより、日本人が日本人のアイデンティティにここまで執拗にこだわる、そのこと自体に、察するべきなにかがあるような気がしてくる。

では、日本人はなぜそうまで「日本人とは?」を問い直し続けなければならなかったのだろう?

いったい、日本人論を語った著者たちは、それぞれの時代に、なにに悩み、その悩みからどのような日本を理想とし、どのような日本を構想しようとしていたのだろうか?

そういう気持ちで、各時代の国内事情や国際政治環境を思い浮かべ、歴史的背景との結びつきを補いながら読むべき本なんだとおもう。

つまり、日本人がどういう国民かをこの本で知ることはできない。

それは、どれも眉ツバなものだし、もう過去のものなのだから。

それより、多くの日本人論に託された折々の熱い想いを、その限界とともに汲み取るのがいいんだろう。

そうやって読むことで、ボクらの世代の、いまこれからの日本人論を構想する糧とするのがいいんだろう。

そこに過去の「日本人論」の価値があるのだとおもう。