日本人は「日本人」をどう語ってきたのか…
本書にはその代表的論著500点(!)の要点が紹介されている。
読み通すのは骨が折れるが、読み終えれば日本人論について通覧した気になれる。
これを読んでいて感じるのは…
「日本人」というのは、かな〜り国民的自尊心が強く、っていうよりもう、自意識過剰で、高慢で、夜郎自大で「井の中の蛙」っぽい民族だったんだなぁってこと。
日本人論には、かなりヨタ話の類も多いってこと。
それぞれの著者が「日本人は…」って言ってることのほとんどが、他の国の人たちとの比較などじゃないってこと。
ホントはその著者の生活経験のなかで思いついたうっぷんや不満、あるいはお説教の類であって、要するにどれもウソくさいなってこと。
学者が(有名無名を問わず)それなりに学問的手続きを踏んで書いているものであっても、かなりこじつけっぽいものが多いなぁってこと。
…というように、この本のなかには、日本人がどんな国民なのか、噴飯モノのケッサクも含め異論百出、てんこもりなんである。
どうやら、言ったもの勝ちのなんでもあり、のようだ。
そんななかで、いちばん確かにいえるのは、これだけの量と密度の「日本人論」が書かれ、また読まれてきたというまぎれもない歴史的事実である。
根拠がどうの、妥当性がどうのということより、日本人が日本人のアイデンティティにここまで執拗にこだわる、そのこと自体に、察するべきなにかがあるような気がしてくる。
では、日本人はなぜそうまで「日本人とは?」を問い直し続けなければならなかったのだろう?
いったい、日本人論を語った著者たちは、それぞれの時代に、なにに悩み、その悩みからどのような日本を理想とし、どのような日本を構想しようとしていたのだろうか?
そういう気持ちで、各時代の国内事情や国際政治環境を思い浮かべ、歴史的背景との結びつきを補いながら読むべき本なんだとおもう。
つまり、日本人がどういう国民かをこの本で知ることはできない。
それは、どれも眉ツバなものだし、もう過去のものなのだから。
それより、多くの日本人論に託された折々の熱い想いを、その限界とともに汲み取るのがいいんだろう。
そうやって読むことで、ボクらの世代の、いまこれからの日本人論を構想する糧とするのがいいんだろう。
そこに過去の「日本人論」の価値があるのだとおもう。