ソフトパワーについてここで以前とりあげたときには、まだ邦訳がなかったけれど、それが2004年の秋にこうして本になって邦訳されて、ぐっと身近でわかりやすくなった。
この本の著者ナイ教授がソフトパワーということばで言おうとしているのは、アメリカが外交政策目標を達成するためには軍事力というハード面だけでなく、文化的な魅力というソフト面も大切だということだ。
その場合の「ソフト面」というのは、
・国のもつ文化
・政治的な理想
・政策の魅力
の3つが含まれている。
ナイ教授はこの本で、アメリカはこれらの点で国際的に圧倒的に有利な立場にあるのだから、そこにいっそう力を入れていかなければならないと政策提言している。
さて、ここでちょっと、日本の話題をしてみたい。
このソフトパワーというキーワードがいわれだした時期というのは、1990年代はじめごろだった。
それは、ちょうど日本の大衆文化がアジアで人気だといわれだした時期と重なった。
そんなもんだから、そうしたアニメやキャラクターグッズなどこそ日本の誇るべきソフトパワーだぁ! とあちこちでいわれるようになった。
ところが、この本を読んでみてあらためて気づいたのだけれど、そこには大きな勘ちがいというか、思いちがいがある。
まず、ひとつめに…
アニメなどの大衆文化は、たしかにソフトパワーのひとつにはちがいない。だけれど、ソフトパワーとは、本来、政治的な理想とか政策の魅力や、それらを伝えるものなのだ。
だから、日本の政治ということでいえば、もっと直接考えなければならない部分がある。
アメリカにとってハリウッド映画はソフトパワーだけれど、それは、自由や民主主義を信奉する国であるということが伝わるから重要なのである。
じゃあ、日本の政治的理想は他国に伝わって、海外の人々を魅了しているだろうか。
たとえば、ODAをばらまいていること。環境問題に取り組んでいること。テロに屈しない態度を表明していること。それらはたしかに日本の政治的理想を伝えているかもしれない。
しかし、平和問題はどうか。平和憲法をもっていることや、戦後非核三原則を貫いていることや、原爆体験国であることを世界に十分伝えているだろうか。
もし伝えているとしたら、なぜ歴史認識や靖国問題などで非難されるのだろうか。
じっさいには、莫大な金をかけた自衛隊があるじゃないか、アメリカが核をもちこんでいるじゃないか、「大東亜戦争」は正しかったと思っているんじゃないか、と思われているからだろう。
そういう部分こそ、本来政府が考えなければならないソフトパワーの問題である。
キティちゃんやポケモンが海外で人気だったもんだから、経済産業省の官僚などがキャラクタービジネスの支援をしようとしているが、それはちょっとした産業育成策としてであって、ソフトパワーの中心的問題ではない。
ふたつめに…
いわゆる「アメリカ文化」には、雑多にいろいろ含まれている。
たとえば、ボブ・ディランやジョン・レノンの歌、オリバー・ストーンやマイケル・ムーアの映画など、反戦・反権威・反体制的なものも含まれている。
しかも、多民族国家だから、多文化共生の発想もある。たとえば、セサミストリートやスターウォーズには、めちゃくちゃバラエティに富んだキャラが登場する。
そのようなアメリカ文化を輸出するということは、国内の民主的で多元的な社会のモデルを、外にも広げようということになる。アメリカの政治的理想がそういうかたちで伝わる。
だからこそ、ほかの国や社会を魅了するソフトパワーになる。
ところが、日本の官僚や政治家や、教授やシンクタンクのジジイたちが、日本のもつ文化的魅力という話を語り出すと、すぐに伝統的な日本文化の固有性のほうに話をもっていってしまう。
しかも、実際に日本の大衆文化をよろこんで見ている人たちの関心というのは、じつは、そんなところじゃない。
宮崎アニメのように、どこの国の話なのか分からない作品だとか、トレンディドラマのように、先進国の都市の生活ぶりがわかる作品が好まれている。
つまり、ジジイたちが考えているような、伝統的日本文化の固有性などではさらさらない。もっとオープンなところで好かれているんだ。
要するに、ジジイたちは、ソフトパワーについて、なんにもわかってない。
わかってないくせにここぞとばかりに、したり顔にニッポン、ニッポンって自慢話にしてしまうジジイが多すぎる。
ジジイたちの議論は、都合の悪いところは避けながら、自国文化の固有性・特殊性を強調したがり、世界での文化的な序列のなかでいかに日本を高くランクづけるかということに熱心になる。
それは単に、日本のエンタテイメント人気にタダ乗りしてるだけなんだ。
オトナなら、日本が政治的にいい国で、世界に好かれ、あの日本だからアニメも好きだわってなるように努力すべきだろう。なのに、アニメで人気をとって日本を好きにさせようなんて。