本書にいわく…
国家は歴史上、いろいろ闘争をつづけてきた。
領土を争うテリトリーゲーム。
東西冷戦というイデオロギー対立。
経済的優劣を競うウエルスゲーム。
そして、東西冷戦がおわり、グローバリゼーションが進むにつれて、それぞれの民族が自分たちの歴史観や価値の特徴を再構成し、それをもとに主張をぶつけあいだした。
それが現在の、ナショナルアイデンティティゲームだ、と。
うまいことおっしゃるな、とおもう。
最近の、日中や日韓の歴史認識をめぐる紛糾だとか、靖国参拝問題だとか、ネット上の保守的な発言なんかを見ていると、ホントなるほど今は、ナショナルアイデンティティゲームの時代だなとおもえる。
でも、読み終えて、ちょっと考えだすと、なんか腑に落ちないものがある。
世界がアイデンティティゲームに向かっているという分析はおもしろいし、確かにそのとおりだとおもう。
しかし、だからといって、日本人も同じように民族性を自覚せよという話にいくところは、なんか違和感がある。
むしろ、国民国家内部に多様なアイデンティティをもった人々がいて、互いの差異を認め合いながら共生し、国際的にも多元的につながっていこうとする。
日本が、そういう理想に進む考え方はありえないのだろうか。
いや、理想というよりも、現実にそっちに備えなければならないような事情が増えてきているんじゃないだろうか。
たとえば、近隣諸国との経済的な依存関係の深化だとか、それにともなう人的な交流の増加だとか。
だとしたら、考えなければならないのは、ナショナルアイデンティティゲームで日本が負けないようにすることじゃなく、どうしたらそうしたゲームを避けられるのか、どうしたらそういうゲームから抜け出すオルタナティブが見つけられるのか、ではないだろうか。
ところが、この著者のしていることといえば、単一文化的な日本像を描き、日本文化の秀逸さを語りながら、読者=日本人の自尊心をくすぐる。そして、歴史的に培われた日本人の集団的文化をしっかり見直せと言う。
人には文化的な遺伝子があり、逃れられないのだから、それを自覚しろなんてことまでいう。
ええ? それは「文化的」ということばをつけたところで、まぬがれない優性種的発想じゃないか?
ほんとに、そんな発想でいいのだろうか?
著者の好きなキーワードのひとつは、愛郷心である。
そこでいう愛郷心(パトリオティズム)とは、先祖から継承された土地に住んでいるがゆえに、その土地やそこに根付いた文化を愛する気持ちという意味である。
そして、愛郷心がなければ人は幸せにはなれないし、精神的に不安定でありつづける、という。
ホントだろうか。
そんな愛郷心をみんながもっているわけではないし、もたなければいけないというものでもないような気がする。
むしろ、生まれと育ちのズレこそ「民族と国家」の根幹の問題であり、多くの人々を悩ませている問題である。「日本人」がその問題に無縁なわけではない。だから、文章を書くのにとくべつ配慮が必要な部分のような気がする。
それを、日本人なら愛郷心が自然に湧き出てこなければ変だと決め付けるかのような物言いは、著者の勝手で狭隘な日本人観でしかないんじゃないか?
それに、この著者は、多民族国家のアメリカ人やシンガポール人のことは、ほとんど笑い者にして語っている。
しかし、アメリカ人やシンガポール人のことを、歴史が浅く日本的な意味での愛郷心が成り立ちにくいからといって、そのことで得意になって見下げて言ってしまっているのは、ちょっと学者として不遜すぎないか。酒飲み話じゃないんだから。
たしかに、1946年群馬県生まれで、上京して国立大学を卒業して、日本思想史の勉強ばかりしてきた著者にとっては、愛郷心こそ帰るべきところなのかもしれない。
けれど、それをナショナルアイデンティティゲームの時代だからといって、ここぞとばかりに一般化してしまったのは、いかにも短絡的すぎでは?
著者の決めつけが、異なるアイデンティティの持ち主に対して暴力的なことばになっていることに、あまりにも無自覚なのではないか?
日本人だって、いろいろいる。
国際結婚しているとか、海外で教育を受けたとか、キリスト教徒であるとか。それでも日本人は日本人だ。
それはなにも最近の傾向ではなくて、大正・昭和初期の有名な「日本人」のなかにだっている。
むしろ、そういう人々が、いまの日本を作ったのではないだろうか。
つまり、日本人とひと言でいってもさまざまで、だからこそさまざまな思想が生まれ、活力になっていた。
それは、本来このセンセイのご専門のはずで、だれよりよくご存じのはず。
なのに、日本人=日本文化=民族の誇り=文化的遺伝子、と一元的・優性種的に集約させてしまう。
その発想の強引さ、むりさは、なんなんだろう?
結局、この本の主張は、通俗ウケするありきたりな日本論・日本人論・日本文化論にすぎないのではないか。
つまり、分析はおもしろかったけど、行きつく先がとても凡庸な国民性論で、がっかりさせる本だった。
団塊の世代のこういう内向きで平板な発想が、日本の社会の、行き詰まり感や停滞感をつくりだしているような気さえしてきた。
ところで…
この手の本というのは、学者や評論家が講演の依頼を集めるには、最高の販促物なのではないだろうか。
まず、「ナショナルアイデンティティゲーム」という、とってもキャッチーなことば。
それに、予備知識がない素人でも、わかったような気になる世界時事の解説。
そして、日本人の自尊心を満足させる日本人論。
そこには、ちゃんと笑いものにする国も入れておく。
だたし、それは慎重に、異論をつけられそうにない国・ネタを選ぶ。
全体的には、とても常識的な範囲でおちつく主張。
わたしが財団職員で予算消化を考えていたら、こういう先生に講演を依頼するだろうなっておもう。