戦前の日本人の常識を知る

文部省

『国体の本義』1937年、『臣民の道』1941年

真珠湾攻撃が成功したって聞いて、胸がスッとしたとか、とびあがってよろこんだ、なんてことが回想録なんかでよく書いてある。

そんなのを読むと、あれっとおもってしまう。

日本人は軍国主義者にだまされて戦争したんじゃなかったの?

一般の日本人はだまされた犠牲者だったんじゃなかったの?

戦時体制にむりやり動員されたんじゃなかったの?

学校ではそう習ったはずなのに。

いったい、真珠湾攻撃のニュースを聞いてよろこんだ日本人って、どんな人たちだったんだろう。

いまのわたしたちにはわからないなにかが、きっとあったにちがいない。

戦前の日本人とわたしたちはどこがちがうのだろう?

そんな疑問から、古本通販で見つけて読んだのが、この2冊。

戦前の日本人が受けた皇民化教育は、教育勅語(1890年)と、この2冊がスタンダード教本である。

この2冊の内容は、まとめるとこういうことだ…

明治以来、日本は西洋思想を吸収してきた。それはそれで必要なものであったが、そこには、ずいぶんとよけいなものも含まれていた。合理主義・実証主義・科学主義・個人主義・国際主義・自由主義・唯物主義などだ。

そのために、日本では、思想上・社会上の混乱がおきた。

いまわたしたち日本人は、そうした西洋かぶれを脱却して、真の日本人に立ち返らなければならない。

真の日本人は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の神話の継承者として、和の精神を尊び、天皇を絶対の神としてあおぎたてまつり、忠孝の精神や君臣長幼の序をつねに胸に抱いていなければならない。

それこそ、日本の肇国(ちょうこく、建国の意)の精神である。

日本という国がなければわたしたちは存在しない。わたしたちの命は短いが、国は永遠である。だから、永遠の国のために、命を捧げることにこそ生きる価値がある。

しかも、それを日本だけにとどめていたのではダメで、アジア全体から欧米勢力を駆逐し、そこに日本の肇国の精神を広めてやらなければならない。

そうして生まれる大東亜共栄圏こそ、英米仏の独占的世界支配をくじく、あらたな、理想的な国際秩序なのだ。

にもかかわらず、となりの「支那」にはそれが理解できず、抗日教育をして、排日侮日にあけくれている。まったくけしからんヤツらだ。だから、戦争で懲らしめて、教えてやらなければならない。

…とまぁ、戦前の日本人が受けた教育は、以上のようなものだったらしい。

要するに、戦前は、これが常識だった

その底流に流れる反英米思想は、黒船による強引な開国要求や、ベルサイユ条約での差別的な軍事力制限、アメリカでの日系人への人種差別、国際連盟による満州返還要求などから、歴史的につもりつもった不満によるものだろう。

英米の帝国主義とおなじことをやっているだけなのに、なんで日本だけ責められるのだという、たまりかねた怒りがあったのだろう。理由がないわけではない。

ともあれ、戦前の日本人は、いまからおもえばびっくりするような、妄想とファンタジーからなる排他的で独善的な思想を常識としていた。

それがこの2冊から、よくわかる。


永遠であるべき「国体」は、命よりも貴い。

この観念にとりつかれていたために、日本は、最後の最後まで徹底抗戦した。

沖縄の住民が殺されたり、自殺に追い込まれたりした。そして、全国の都市が空襲で焼かれた。

学生まで兵隊として出征し、勝ち目のないむだな戦いのなかで家族を思いながら死んでいった。

くりかえしくりかえし、むごくむごく国民が殺され続けた。

それでも、政府はどうすれば「国体」を護持できるか、そればかり考えていた。

その結果、とうとう原爆まで落とされた。

それは、『国体の本義』『臣民の道』の思想に忠実であろうとした結果だった。


西洋中心的な近代主義を批判していたのは、けっして政府だけじゃなかった。

たとえば、大学教授や文学者が集まって1942年におこなわれた座談会では、インテリたちが、この『国体の本義』『臣民の道』をさらに肉付け補強する内容の議論を展開している。

この座談会は、当時、雑誌『文学界』に掲載されたものだが、『近代の超克』という本で読むことができる。

『近代の超克』冨山房百科文庫、1979年。



戦後の再出発にあたって、日本人は、戦前あれほど忌み嫌っていたアメリカ二ズムを受け入れた。

そのときの「教科書」は、これらしい。


ちなみに…

2004年の秋に、台湾の侯孝賢(ホー・シャオシェン)監督作品『珈琲時光』が公開された。この作品は、小津安二郎監督へのオマージュだったらしい。

小津安二郎が描いたのは、「遠慮とつつしみと思いやり」の日本人だった。けっして自分の価値観を人に押しつけたりしない。それぞれが相手をおもんばかって、やさしく人にあたる。

しかし、それぞれに自我がないわけでもないし、関係が疎遠なわけでもない。おたがいに生き方を認め合いながら、できるだけ傷つけ合うことを避けつつ、寄り添い合って生きている。

ドラマというのは、黒沢映画のように、人の自我がはげしくぶつかり合う葛藤を描くものだと思って見ると、肩すかしを食う。

戦前、まだテレビのないころ、日本人はそんな小津映画も好んでみていた。

日本人のそういう部分は、『国体の本義』や『臣民の道』が必死に諭そうとしている、「和を以て尊しとなす」大きな和の精神の、一部なのかもしれない。

しかし、戦後のアメリカナイゼーションで、個人主義がことさら強調されるようになった。

そして、いまでは、それが個人主義なのかどうかわからないが、みんながそれぞれに権利を主張し、意地を張りあって生きるのはしかたないことで、そういう社会なのだから、せめてそのなかで負けないように戦って強く生きていこうねというメッセージのほうばかり、目につく。

小津映画のようなやさしさが理想だね、みたいな映画は、山田洋次監督をのぞけば、あまり見かけない。なんとも、せちがらい日本だこと。

戦前の価値観が、なんもかんもいっしょくたに、まとめてひっくり返されてしまったのだとしたら、惜しいやら、さみしいやら、そんな気もする。

それを台湾の監督に気づかされた。