軍国日本の陰の実力者

角田房子

『甘粕大尉』

中央公論社 1975.07
(中公文庫、1979.5)

甘粕大尉というのは、映画「ラスト・エンペラー」で坂本龍一が演じていたあやしげな男である。映画ではカメラを持ってちょろちょろ現れ、日本軍のかたわらでなにやらしかめっつらで謀略を進めていた。

かれ甘粕正彦は「大杉事件」で悪名高い男である。1923年の関東大震災の混乱のなかで、無政府主義者による国家転覆を防ごうと大杉栄を殺害した。そしてそのとき、大杉の妻と幼い甥までも殺して井戸に投げ込んだ(その井戸は区画整理でいまはもうなく、都営三田線・大手町駅になっている)。

しかし、真相は、軍部の謀略だったらしく、その罪を負った甘粕はわずか数年で刑期を終え、フランスに住んでほとぼりをさましたのち、1929年には「満州」に渡り、「満州国」建国のために暗躍したらしい。

1939年には満州映画協会(いわゆる満映)理事長というおもての役職に就き、満州一帯の映画製作・配給の責任者となった。そして、終戦時に満映の執務室で服毒自殺した。

本書は、「大杉事件」から服毒自殺までの甘粕正彦の行動を多数の関係者の証言から再構成した力作である。

かれ甘粕正彦は、個人のしあわせよりも国家・天皇を尊ぶ人間だった。軍の秩序のために汚れ役もかってでた。また、欧米人の自由平等思想にたいしては敵意をもち、中国人は格下にみていた。

いまからおもえば偏狭な国家主義者である。

しかし、かれは「忠君愛国を日本人の至上の目標として教え込まれた時代の、まっ正直な日本人の典型」でもあった。

そして、カリスマ的な魅力にもあふれていた。それは、かれを知るだれもが認めている。

つまり、かれのような生き方を迫られ、またそういう人物に人望と権力が集中する時代だったのだ。

軍国主義の時代、日本はそういう国だった。


本書の表紙の、写真の選び方がすばらしい。

表紙は、建てられたばかりの「満州国」政府第二庁舎の写真である。

1933年6月竣工の建物で、その写真が雪景色ということは、その年の冬の風景ということか。

新京は現在の吉林省の省都である長春市で、いまその建物は長春市公安局が使用しているらしい。

ともあれ、当時の日本人にとっては、「満州」がなにもないところに国を作るという、夢の舞台に思えたということがよくわかる。


2005年2月に、ちくま文庫から増補改訂版が出ました。

定価840円+税