歴史の i f こそ
考えてみるべし

大杉一雄

『日中十五年戦争史 なぜ戦争は長期化したか 

中公新書、1996.01

太平洋戦争はアメリカの策略にまんまとはまって、日本がパールハーバーを攻撃した…

太平洋戦争のおかげで、アジアの国々は欧米から独立できた…

そういう見方をする「太平洋戦争肯定派」とでもいうような人たちが、ネット上にはたくさんいる。

しかし、そういう人たちは都合よく忘れていないだろうか?

太平洋戦争の前、日本は中国に対し主権蹂躙の侵略行為を繰り返していた。 その日中戦争打開のために南方まで手を伸ばした末にアメリカまで敵に回したのだ。

アジア太平洋の植民地を解放したというけれど、それは敗戦の結果であって、そもそも台湾、朝鮮半島を植民地支配し、中国大陸まで支配を広めようと残虐の限りを尽くしていた日本に、植民地解放を言える道理などない。


さて、では、その日中戦争はなぜ起きたのだろう。なぜ、途中で止められなかったのだろう。いったい、だれに責任があるのだろう。

もちろんそれは、ひとことで体よくまとめて語れる話ではない。

なぜなら、多くの軍、政府関係者、言論人(世論)の、複雑な主張の対立のなかで進んだことだからだ。

満州の権益擁護か、放棄か。

華北五省へは進出か、放棄か。

国際協調主義か、一国ナショナリズム宣揚か。

国際連盟活用か、反英米か。

中国のナショナリズムに、無関心か同情的か。

国際紛争解決のための軍事力行使には、積極的か消極的か。

日本は世界の中の一国か、アジアの盟主か。

ひとそれぞれ立場が異なると、ちがったことを言い、しかも、おなじ人間でも時間がたつとちがったことを言い出した。だから複雑だ。

本書は、そのとてもわかりにくいからまりを、ひとつひとつていねいにほぐし、わかりやすくして語ってくれている。


結果的には、反戦論者の主張はほとんどしりぞけられ、軍部と政府の共犯によって、悲惨な結末をむかえる。日本人にとって近現代史の本を読むということは、かならずこの哀しい結末に行き着く。どれを読んでも何度読んでも、ハッピーエンドに変わってくれたりしない。

日本人にとって歴史を知るということは、人のおろかさを知ることになるのかもしれない。けっして華やかななにかが待っているものではない。どちらかというとブルーになったり、憎しみがわいて、へきえきしたりする。

それにがまんできなくなると、一部の学者のように、いやなところは適当に語りなおして都合のいいところだけひろって、日本人にハッピーな物語として歴史を構成したくなる。

でも、中国の人々は、国民的な記憶として当時の日本の侵略行為を忘れていない。加害者にとって忘れたいことでも、被害者にとっては忘れられない記憶だからだ。そういう隣国の人々とつきあうには、歴史のいやなところも直視して自問しつづけることが必要なんだろう。


日中戦争泥沼化のどこに問題があったのか。どこでだれがどうしたら事態をくいとどめることができたのか。

それは歴史の if (反実仮想、counterfactual)の思考実験である。しかし歴史の if を考えてみることも、歴史家がいうようにムダな遊びではない。

日中15年戦争時代の日本人のオルタナティブを、本書のようなわかりやすい(しかも税別940円で手軽な)新書で考えてみることは、中国人とつきあっていこうという日本人なら、一度はやってみたほうがいいことかもしれない。


なお、この著者の1930年代のキーパーソンたちへの評価を、まとめてみたので、それもご参考までに。


映画「13 days(サーティンデイズ)」をご存じだろうか。キューバミサイル危機のとき、いかにケネディ大統領が軍部の圧力をはねのけて、危機を未然に防いだかをスリリングに描いている。だんぜんオススメの映画だ。

しかし、あれをみていると、日本の戦時中の政府が、近衛文麿・広田弘毅のような優柔不断オトコたちでなく、ケネディたちのような人であったらとおもえてどうしようもない気持ちになる…