東大・田中明彦センセイの
超明解国際関係論

田中明彦
『新しい「中世」』

日本経済新報社、1996.05

田中明彦
『ワード・ポリティクス』

筑摩書房、2000.11

装丁・間村俊一

出版社もタイトルもぜんぜん違うけど、上下モノといっていい2冊。

『新しい「中世」』ってタイトルだけみると、「なんだ、中世ヨーロッパについての最近の研究ってことか」って感じだけど、ぜんぜんそうじゃない。

田中センセイいわく、いまの国際情勢をかんがえると、中世に似ている。そうかんがえるといろいろアナロジーが広がるとおもうんだけど、どうよ、ってこと。

まず、1章から6章までが、19世紀から現在までの国際秩序の分析にあてられる。そこでは、冷戦構造がどのような起源をもったもので、それがどのように終焉に向かっていったかがていねいに語られる。

そしていよいよ第7章で、ポスト冷戦の時代を、ポストなんとかという消極的な言い方ではなく、もっと積極的に捉えようとしたらどう表現したらいいのかという問題提起があって、それに対して<新しい「中世」>という概念が提案される。

<新しい「中世」>とは、主権国家以外の、たとえば企業や国際機関、非政府組織などのさまざまな自律的主体が、重層的かつ多元的に関係を織りなす国際秩序を意味している。

ちょうど、ヨーロッパ中世に、神聖ローマ皇帝、フランス王、イギリス王、あれこれの貴族、ローマ教会、騎士団、ハンザ同盟、大学などが権力関係で百花りょう乱だったように。

もちろん、いま世界が、主体が多様化し関係が複雑化したとはいっても、総体的にはけっして無秩序に向かっているわけではない。むしろ逆で、経済的相互依存関係を深めながら、自由主義的民主制を共通理念とした国家群を形成しようとしている。

そんなようすを田中センセイは、<新しい「中世」>と呼んでいるのだ。

そして、人類の歴史上、「自由主義的民主制の国同士は、お互いに戦争をしない」といわれているから、もし世界がすべて<新しい「中世」>に向かったら、戦争は根絶されるかも…。そんな期待もうっすらしてしまうというわけ。

とはいっても、欧米や日本は着実にそうした国際秩序を形成しかけているけれど、その一方で、いまだ<近代>的な主権国家意識を強調する国もある。中国、北朝鮮など、日本周辺の国々がまさにそれである。かれらは、国家間関係を政治的あるいは軍事的に対立する図式でとらえようとする傾向がいまだ強い。

いや、それどころか、世界には国家としてまとまることさえできていない、破綻をきたしたような国家群もある。

つまり、世界は、<新しい「中世」>的な国ぐに(第1圏域)、<近代>的なところ(第2圏域)、そして、混とんとしたところ(第3圏域)に分けられる。

そして、問題は、わたしたち第1圏域と第2圏域の関係、あるいは第1圏域が第3圏域をどう援助するか。そこにある、というわけだ。

さて、『新しい「中世」』の続編ともいえる『ワード・ポリティクス』では、最初まず、『新しい「中世」』概念のおさらいがある。

(だから、こっちだけ読んでもだいじょうぶ。っていうか、この『ワード・ポリティクス』には『新しい「中世」』のリフレインが多くて、両方読むとときどきちょっとめんどい感じがする。ともあれ…)

で、じゃあ、日本外交は具体的にどうしたらいいのという政策提言的な議論に入っていく。

そこでひときわ重要になってくるのが、「東アジア」という、ほかでもない日本周辺の地域をどうするかという問題である。

日本は、じぶんたちは<新しい「中世」>、いいかえれば第1圏域になっているけれど、まわりを囲んでいるのはとっても近代近代した、第2圏域の国々である。中国しかり、北朝鮮しかり、いや韓国だってまだまだ。

であるから、日本はまずはこの地域が<新しい「中世」>に向かうようにリードすることによって、みずから居心地よい地域にしたらどうだというわけである。

つまりは、東アジアに経済的相互依存を浸透させ、自由主義的な民主制を広めること。そのために、各国を「開放化」して、市場経済を定着させよう、ということ。

しかも、そういうとき、今のご時世では国際的な会議でのアピールがことさら重要になる。そういう席で周囲を説得する能力、すなわち<ワード・ポリティクス>が重要なのだと。

…なんて、2冊をあわててまとめてしまったけれど、そんな骨子よりも、じつは新聞なんかでよく知っている外交の話題のあれこれを<新しい「中世」>とか<ワード・ポリティクス>という概念ですっきり整理してみせてくれる、そういう具体例のところがとってもおもしろい。

たとえば、唯一の「覇権国」となったアメリカについて、その軍事力の「遠方投入能力」は世界の「公共財的側面がある」など。イラク情勢などを思い起こしながら、ふむふむなんて読めてしまうのだ。