旅のお供に、
『地球の歩き方』とこの一冊。

西川長夫

『国境の越え方』

左:筑摩書房、1992.01(副題・比較文化論序説)

右、文庫版:平凡社、2001.02(副題・国民国家論序説)

国境を越えるには、成田から飛行機に乗ればいい。

しかし、わたしたちが子どもの頃から「あなたは日本人なのよ」といわれて植え付けられてしまったものは、そうそうすぐに越えることはできない。そういう「国境」がある。

心の国境は、越えられないどころか、ともすると溝を広げていたりする。年をとったり海外の人と接点を持つごとに「日本人であること」を意識し直して、ますます深く「日本人」になるみたいに。

でも、じゃぁ、日本人であることは、ホントにそんなに確たる根拠を持った価値なんだろうか。

なにかにつけ、あたり前のように「日本人だから」ということで納得してしまっている、その根拠はなんなんだろう。

本書は10の章にわたって、その根拠に迫りながら、そこに疑いをはさんでいく。

そして、わたしたちが日本人であることにこだわることが、かえって他の国の人との間に高い壁を作り出してゆくことに注意を向ける。

そうして気づかされるのは、「日本人」や「日本文化」という観念が、せいぜい明治時代からの歴史的な創作物なんだっていうこと。そんなものよりもっと個を尊び、個から出発する発想のほうが大切だということ。

そういう発想の転換を経てはじめて、わたしたちは国境を越えることができる。

オリンピックやワールドカップで「日本、日本!」と騒ぐのは楽しいけれど、それがいかに知的には怠慢であるか、さとされる一冊。


こちらもオススメします…

テーマ・関心が、とてもよく似た本です。

・「文明」概念を「ヨーロッパ人の自意識」としてみる点

・「近代国民国家」的なものの見方を脱却しようとしている点

・これからはもっと文化的多様性を認めていくべきという結論

骨子となる主張がとてもよく似ていますが、論拠や叙述のスタイルにそれぞれ個性があります。


また西川センセイのほかの著作とかについてもあわせて考えてみた、こちらもどうぞ。


ソフトパワー論やナショナルアイデンティティゲーム論に刺激されて、イエローピープル流「国境の越え方」的映画の見方を考えてみました。こちらもどうぞ。