独立回復五十年目に、
サンキュー、アメリカ。

平野共余子(ひらの きょうこ)

『天皇と接吻 アメリカ占領下の日本映画検閲

草思社、1998.01

なんとも気になるタイトルだ。

え? あの天皇と接吻? マジ?

ネタを明かしてしまうと、このタイトルは、戦後7年にわたる米軍の日本占領政策を象徴するふたつをならべたもので、けっして天皇陛下にチューしようというんじゃない。

でも、このたった五文字の軽妙なタイトルが、占領政策のツボをじつにうまくいい表している。それが読むごとにわかってくる。

理屈はこうだ。

まず、占領軍は日本にアメリカのような民主主義を根づかせようとしていた。それには、戦前の社会通念を変えるべく、あたらしい空気を吹き込む必要があった。

しかし、日本人はまだまだ天皇を慕ってやまなかったから、その反感を買ってはそもそもことがうまく運ばない。そこで、天皇制についてはデリケートな問題として慎重に検閲をおこないつつ、アメリカ流のライフスタイルを魅力的に演出しようと映画にキスシーンを奨励した。

これは公権力の介入ということと表現の自由を認めるということで、矛盾している。そうした矛盾を抱えながら、方向性としてはアメリカ人が理想とする民主的社会を日本で実現しようとしていた。

つまり、民主化に向かってアクセルを踏みながら、保守化に対しては微妙にブレーキを踏む。そういうかじ取りがおこなわれた。

その象徴が、接吻であり、天皇であったわけだ。

ところが、占領が始まってしばらくたつと、状況はいっそう複雑になる。

民主化が進むと、今度は共産主義の主張も自由に行われてくる。これはアメリカにとってまたひとつ困った問題となった。

そうなると、表現の自由などとばかりもういってられない。大筋としてはあくまで自由な創作、自由な表現を認める姿勢をとりながら、アカに対しては締めつけをしなければならない。

ということを、じゃあ占領軍内が一枚岩でやっていたかというと、そうでもなかったというのだから、この本はおもしろい。占領していたアメリカ人のなかには共産主義化の議論さえ認めてこそ民主的なんじゃないかと考えるタイプや、もうはっきりと左翼運動に共感を示すタイプもいたというのだ。

まったく一筋縄ではいかない。それが歴史の実相だ。そこを丹念に明らかにしているところがこの本の魅力といっていいだろう。

戦後の日本のありかたを運命づけた七年間。その内実を、映画の検閲に関わった多彩な人々の証言や行動から再構成してみせてくれる。占領に関わったアメリカ人と、検閲された側の日本人。その関係がどんなもので、みんな、それぞれなにを思っていたのか。それがとてもおもしろく浮かびあがってくる。

ただ、ひとつ難を言えば、占領政策に限って論じているため、あの戦争が日米間の戦争であったかのような印象が残ってしまうこと。

だから、きっと、戦時中に日本映画界が中国でどのような活動をしていたか書かれた本など合わせて読むのがベターかも。