川喜多長政と日中映画「交流」

辻 久一

『中華電影史話』

凱風社 1998.06

日本のポピュラーカルチャーが海を越える現象は、なにも最近のことだけじゃない。

戦時中、日本軍は占領地・中国でエンタテイメントを牛耳ろうと、映画製作・配給網を作ろうとした。

満州では満州映画協会、いわゆる「満映」が作られた(1937年8月)。

上海には、中華電影が作られた(1939年6月)。

この中華電影という会社は、日本が中国に作った「親日的政権(傀儡政権)」と満鉄などの共同出資だから、基本的には国策会社である。

ただ、中華電影を任された川喜多長政という人物は、軍部の言いなりばかりにはならなかったのだという。

かれはわざと中華電影のオフィスを日本軍の占領地でなく、英米共同租界のなかにつくってしまう。そして、中国人プロデューサーと役者らをひきとめ、かれらに製作をまかせてしまう。中国人の見たいものは中国人に作らせればいいという信念にもとづいたのだという。

こうして、戦時下の上海では、日本の国策会社が、中国人監督・役者・スタッフによる映画製作を行っていた。

本書は、終戦までの6年あまりを、現地で中華電影と深く関わった当事者のひとり、辻久一さんが書いたもの。

映画というひとつのポピュラーカルチャーが、戦時下という特殊な状況で国家のはざまにあって、どのように占領に加担し、また逆に友好を育てたかという、関係者の目から見た物語である。

戦時中の上海のようすなどもわかる。

を片手に読むのがオススメ。


この本のオリジナルについて。

映画評論家佐藤忠男さんが中心になって作っていた『映画史研究』という、いまは古本市場でもマニア垂涎の雑誌があって、それに1974年から「中華電影史話」が連載されていた。それが、一冊にまとめられ1987年に出版され、1998年に再版されたもの。

こうして単行本になり再版までされて読みやすくなったのが、ありがたい限りの、貴重な一冊なのである。


奇妙な偶然というのはあるもので…

この本を読んでるとき、なにげで1953年ごろの映画『眠狂四郎』を借りてきて、見ていた。そしたら、画面に「企画 辻久一」ってあった。

あれ!? とおどろいて奥付で著者の経歴を見てみたら、なるほど、たしかに帰国後は大映京都撮影所企画部のプロデューサーになっていらっしゃった。ビックリ。