↑TOPへ戻る
ももすけ日記・in仙台
| 実は高知の余韻に浸っている暇はない。明日は青森の三沢市である三海祭りに出るのだ。ちょうど一週間前は高知の準備を途中でやめ、寝てしまったところだが、高知から帰ってきて二日後の今、また次の祭りの準備をしている。 でも、やっぱり高知を忘れたわけじゃない。さっきも高知に行ったメンバーの名簿を見て、150人全員覚えることはムリだったけど、みんなの顔を思い出していた。 学校という枠から卒業して、社会に出てもうすでに何年か経っているけど、自分でやりたいことを見つけ、そしてその結果なぜだか涙があふれ出てくるほどやり遂げたもの。それが私にとっての高知のよさこいである。 高知のよさこいは、今回三日間踊った。始めの二日は本祭。最終日は全国大会だった。二日目の晩の最終演舞を終えたとき、泣いている友達がいた。私はそれを見て羨ましく思った。私はそのとき、給水所で飲み物を受け取るのを待つほんのわずかな間、思い返してみた。 代表の人が声出しをしていて、いつも演舞が始まる前に言う、あの言葉。「よさこい よさこい 夢を伝える 風になりたい」 今年のテーマ、「郷風(さとかぜ)」に沿ったものだろう。 高知は札幌のYOSAKOIソーランとは違って、パレード会場がほとんど。しかも一回曲が鳴り出すと最低3回は続けて踊る。一日最低5会場は回るので、15回、もしくはそれ以上踊る計算になる。身体はくたくたやけど、曲がなり始めると自然と身体は軽くなってめいいっぱい踊ってしまう・・・。 私はその中で、風になれただろうか。いやきっとなったに違いない。高知の街を踊りながら駆け抜け、そして風になったんだ・・・と思うと泣けてきた。 今思うと、完全に自己陶酔の結果による涙である。でもそれでよし。二日間踊りきったことに対して、周りと時を同じくして感動を分かち合えたのだから・・・。 二日目終了後泣いたから、三日目が終わっても泣かんやろう!と思っていたけど、ところがどっこい。前日を上回るハイペースで三日目は泣いた。なんと最終演舞の最中である。 代表が、「みんな風になったぞ〜〜〜!!!」の一言が私の心を打った。前日は自分の思い込みからだったが、人に言われるとグッときた。 そうなるともう止まらない。もうこれで高知で踊るのが最後という気持ちと一体となって、泣きながら踊った。自然と涙が溢れてくるのだからしょうがない。 演舞が終了しても、もちろん泣いていた。私は高知で踊りきった。高知に来て本当に良かったと心から思った。 高知で踊るいちばん始めの会場で、立ち位置に立ったとたん泣いていた、チームの振付担当した彼。 長い長いアーケード会場で、踊っている途中で足がつってしまい、踊りの列から抜けた学生を、一生懸命マッサージしてくれた見物人の方。 私たちのチームの誰かが落とした鳴子を拾って持っていてくれ、街中でばったり会ったときに私たちに渡してくれた、地元高知チームの踊り子さんたち。 ・・・みんなみんな高知の思い出。 思いで全部、決して良いことばかりじゃない。やっぱり高知の人でもよさこいが嫌いな人がいて、会場付近に住んでいる家の表に、大音量で迷惑!!とかいう張り紙をしてあったり、とある会場の進行役の人に「地震やら台風で大変なときに祭りなんぞに来ていいんか」って言われたり。高知も台風直撃して、亡くなった人もいて大変やったんとちゃうの!って逆に言いたかったけど、言えるわけもなく・・・。 祭りになると急に人が沸いてきて、普通に街に出られへんから嫌っていうのもあるやろうし・・・。 よさこいなんか・・・って思う人のほうが多いかもしれない。されど、よさこいなのだ。 私にとってよさこいとは、私という人生に加えられた、本当に効き目が良すぎるスパイスなのである。 |
2003年8月16日 土曜日 1:02:41
| 5日の晩には七夕祭りの前夜祭として花火が上がり、6日から七夕祭りが始まった。 アーケードにはほんとうに多くの、そして色とりどりの七夕飾りが飾られる。軒を連ねているお店ごとに飾られており、見ていて本当に圧巻だった。中国で生まれた七夕のお話の主人公2人も、まさか仙台でここまで盛り上がるなんて、と夜空から眺めていることに違いない。 七夕飾りは仙台中心部だけではなく、やはり周りのご近所さんにも飾られる。うちの近所のお店の前にも七夕飾りがお目見えし、願い事の短冊ももちろんあった。賽銭を投げ、そして手を合わせて拝み倒す願い事とはちがい、七夕の願い事は短冊にしたためるため、当然世間のさらしものになる。その中の一つに、 「サマージャンボで3億円が当たりますように」 彦星や織姫がここまで願いを叶えてくれるんだったら、他の神様の立場はいったいどうなるのであろう。恵比寿さんも真っ青である。 さて、仙台の七夕は全国版のニュースでも流れるぐらい有名なものだが、もう一つ、仙台の七夕には欠かせないものがある。それをどれぐらいの人が知っているのであろう。 「動く七夕」 え?七夕飾りが動くの???これは素人の考え。というか、普通はそう考えてもおかしくない。実際仕掛けがあって動く七夕飾りもあるそうだ。 でも、仙台で言う動く七夕とは、「七夕の期間に、定禅寺通りをパレードが行われる」というもの。 七夕祭りの6日から8日までの3日間毎日あるらしい。その初日に、お神輿を担がないかと、お誘いを受けた。見るよりやるほうが楽しいよねっ!ってことで参加させてもらった。昨日のことである。 気合を入れて仕事を1時間早退させてもらって集合場所に行き、ハッピに着替える。そして待機場所へと移動をすると、すでに動く七夕は始まっていた。音楽隊によるマーチングが響く。会場に着いてみると、これは一体どういうことか。 自衛隊の車にベニヤ板か何かで飾り付けをし、その上に人が乗って演奏したり、歌ったりしている。そして、韓国の民族衣装を着た人が鳴り物を鳴らして前を横切っていく。そして私の横にはピエロの紛争した人たちが別の待機場所へと移動していた。 混声合唱をしている人もいれば、消防車までもが出てきて、消防の職員が消防車の上でホースで水を出すふりをしている・・・。 動く七夕っていうけど、七夕と関係ないものが次々と道路に現れ、歩いていく・・・。 私たちがせっかく神輿を担いでも、前ではハワイアンが優雅に流れ、赤い衣装をまとった人たちが踊り、出初式のはしごで芸をしているかと思えば、定禅寺通りのの中央部で自衛隊の人たちが音楽にあわせ「そーれそれそれお祭りだ〜」と高らかに歌っている。 よく言えば、何でもあり。悪く言えば節操がない。七夕、という名前を借りた、なんでもありのパレード。それが動く七夕なのである。 終わる時間もとても早く、なんと夜の7時には終わってしまう。アナウンスで、「本日の動く七夕は終わりです」と案内された後、会場中に「ささのはぁさーらさらぁぁぁ」と七夕の歌が流れる。しかも見事にハモっていた。 いつのまにか七夕の歌が終わったなぁと思っていると、会場で流れている音楽は、「青葉城恋歌」だった。仙台が生んだ有名人、さとう宗幸は、ここでも小銭稼ぎをしていた。 動く七夕。ネーミングをかえた方がいいのはもちろんのことやけど、何を目指しているか明確にしたほうが良いんじゃないかなぁ・・・。 |
2003年8月8日 金曜日 1:00:57
| なんか本当に気温が上がらず、雨が多い中7月が終了した。そしてやってきた8月。2日に東北南部は梅雨明けしたとみられます、と仙台管区気象台から発表された。 7月は本当に寒くて、最高気温が18度しかない日もあり、長袖じゃないとやっていけなかった。これが仙台の梅雨か〜と思っていたら、今年は特に寒いほうらしい。あまりにも梅雨明けしないのにも驚いたが、聞くところによると、梅雨明けしない年もあったのだという。ヒマワリが咲いても、木々の葉っぱが黄色くなっても、梅雨明けはしなかったらしい。それもおかしな話だ。 でも、仙台管区気象台のHP上にも、やはり曖昧な記載をされていた。梅雨明けしても、雨はやはり降ることがあるのだ。それはお天とさん次第なんだからしょうがない。でもやはり気象台には梅雨明け宣言したのになんでこれだけ雨が降るんだ!という抗議の電話がかかってくるに違いない。実際に、天気予報が外れただけで抗議の電話がかかってくることが多々あるそうだ。その予防策にも見えるが、気象台のHPを見る人がどれぐらいいるかは謎である。 昨日、高知のよさこい祭りの練習が最後だった。天気にも恵まれたので、練習場所である中学校のグランドを使っていっぱい踊った。高知のよさこいはパレードが主で、札幌のよさこいソーランと違って、会場の端から端までノンストップで曲がかかるのだ。会場を踊りぬけるまで休むことなく、踊り続けることになる。一番長い会場で、なんと1キロにもなるらしい。昨日の練習ですらフラフラになったのに、仙台より暑い高知で踊りぬくことができるのか不安になったけど、お客さんを前にすると不思議にパワーが沸いてくるので、それに期待することにした。でも、祭りは3日間。それだけで持つかはその時になってみないと分からない。 今日は、昼からすずめのほうの練習に参加した。区民祭りに出るために練習。でもそのときはすずめだけではなくよさこいも踊るらしい。なので、今日はすずめの練習はせずに、よさこいの練習だった。今日も天気が良く、練習場所はすごく暑かった。気がつけば汗だくになっていた。ビデオを見ながら総踊りの練習をしたけど、ビデオではやはり微妙・・・。見てる人のペースを考えることなく次々と進んで行ってしまった。 結局よさこいの練習だったが、その練習後少し腹ごなしをしてから、高知よさこいの自主練習をしている人たちの所に行き、一緒に練習させてもらった。実はまだ怪しいところがあったので大変助かった。でもやっぱりまだまだ踊りこみが足りないなぁと思う。 来週の今頃はよさこい祭りの一日目が終了し、ホテルで休んでいるところであろう。何事も無く、無事に終わってますように。 |
2003年8月4日 月曜日 0:04:08
| 先週の金曜日の夜、私は飲んで帰ってきた。その日も日本酒を美味しく飲んで、とてもいい感じに酔っていた。いつものようにテレビにタイマーを付け、酔っているので脱いだ服もそのまま。とりあえず着替えて布団になだれ込む。うつ伏せで、まるでカエルが地面にべたあと広がっているように私は寝ていた。 すると突然、ガガガガガガガガガガガガと激しく揺れた。 私は酔っていたおかげで、もうどうにでもなれ、とある意味冷静だった。慌てて飛び起きることなく、地震が収まるまで広がったカエル状態だった。 収まったらすぐに、テレビのチャンネルをNHKに変える。最近の地震速報は本当に早い。とりあえず、テレビが映っている状態であることが、うちのマンションは問題なしだと判断できた。 早速出た地震速報・・・と思っていたら、北海道の友達から連絡からメールが来た。やはりテレビのニュース速報で知ったらしい。酔っていたなか2回ほどやり取りして、メールをするのがめんどくさくなったので、直接電話をした。 今気がつけば、地震第一波の直後はメールも携帯も問題なく繋がっていた。 とにかく酔っていたので、寝つきも良かった。土曜日の朝。休みやからとことん寝るつもりでいたら・・・朝の7時過ぎ、再びヤツはやってきた。嫌でも目が覚める。家の中で、何かが倒れる音がした。うわぁ、あとで起こすのめんどくさ〜と、昨夜に引き続き私は冷静だった。再びテレビをつけ地震速報を確認し、さらに私は布団に入ったまま、携帯の電源をいれ、メールチェックをしてみると、今度は繋がらない状態になった。それで、今回の地震の規模はそれなりに強いことだと分かった。 でも私は眠たかった。まだ酒が抜けていないのも分かる。めっぽう不快な起こされ方をした私は、テレビはつけっぱなしだが携帯の電源を切り、再び眠りについた。 するとである。再び地震によって起こされた。時間は朝の10時を回っていた。これはいい加減起きなあかんと思って起きてみる。携帯のメールをチェックしてみると、心配してくれた友達からメールがたくさん来ていた。私がいちばん起きるのが遅かったようである。 居間に行くと、何も様子は変わっていない。すでに父が倒れていたものを起こしていてくれていた。倒れたものも一つで、たいした物ではないからまったく問題なかった。 テレビを見てみると、ほんとえらいことになった様子が映し出されていた。仙台は、宮城を北と南に分けると、どっちかというと南の部分にあたる。でも、東北以外のみんなはそんなこと知らない。宮城北部で大地震!って言われても、仙台がどこにあるのか知らない。宮城の地図を見せて仙台の場所を指せ、と言っても答えれる人は少ないであろう。 だからみんな本当に心配してくれてメールをくれるんだと思う。ほんとうにありがたいことである。 でも、うちの兄は違った。カレは5月にたまたま仙台に遊びに来ていたときに地震に遭遇した経験を持つ。そのときの仙台は震度5弱。今回の地震で、仙台は震度4ということを、地震速報の地図でカレは確認できた。オレが経験したときよりも規模が小さいから大丈夫、と兄は連絡せんでもええやろと判断して再び眠りについた、と義姉が後で語ってくれた。 今回の地震は、5月のときより揺れの種類が違い、時間も短い。震源地が違うから、仙台では5月よりも規模が小さく感じたが、やはり被害が出ている地域もある。でも、一人の死亡者がいなくて本当に良かった。 阪神大震災のときは、テレビを見ている時間と比例して、死者があほほど増えていった。あれは本当に恐ろしかった。 夕方になったし、もう地震は来うへんやろう〜と思っていたら、最後にいっぱつでかいのが来やがった。本当にもう勘弁してくれ。 テレビでは、30年以内に宮城県沖地震が来る確立は99%とか言うてるし。そのくせ、地震の予知はでけへんとかぬかしやがる。地震が起きた後はなんとでも分析できるねん。 早くさ、天気予報みたいに、地震予報ができる世の中になってくれへんやろか。 |
2003年7月27日 日曜日 23:34:34
| まだまだみちのく・宮城は梅雨真っ只中。そんなときに、この大会は開催された。 19日、20日の二日間開催される中、私が所属しているすずめ踊りのチームは、日曜日だけの参加だった。でもそれで良かった。土曜日は一日中雨だった。そんな中でもテレビ中継が入り、祭りが行われていたらしい。日曜日は雨こそは降らなかったが、昨日散々降ったあとがあちこちに見られた。少なくとも、足元は良くなかった。 今年が第一回の夏の大会。5月の青葉まつりの中のすずめ踊りと何が違うかというと、踊る場所が街中からちょっと外れた西公園に変わり、有料(1000円)の桟敷席が設けられた。どうやら阿波踊りを意識しているらしい。そして新たに盆踊りみたいに輪になって一般客も一緒になって踊れる会場ができたことだ。 私は日曜日しか参加していないから土曜日の様子は知らないが、少なくとも日曜日もお客さんが少なかった。踊る直前まではいつに無くテンションが低かったが、やはりお客さんの顔を見るとパワーがみなぎった。 祭りなので、やはり屋台が出ている。その中で冷えた日本酒を、タンクから注いでくれるところがあった。ビールはおなかいっぱいになるので、誘われて日本酒の屋台に行ってみた。升にそぞきたての冷たい日本酒を流し込む。・・・ウマい。さらっと身体に染みわたる。なんで東北の日本酒はこんなにもウマいのか。お店で飲むよりも、屋外で、少々踊りつかれた身体に飲む日本酒。なかなか味わえない美味しさを覚えてしまった。酒のパワーを借りてテンションが上がったが、私は燃費が悪いらしく、少し時間が経つと醒めてしまった。 2回ほど桟敷席の前を踊る、やはりお客さんの前で踊るのはいい!すずめ踊りの基本の形を忘れ、ひたすら扇子でお客さんをあおっていた。そのほうがお客さんも笑顔で答えてくれた。でも、同じことを子供にやったらちょっとびびられた。 今回、初めての祭りっちゅうことで、宣伝用ポスターの写真には、やはり5月のすずめ踊りのものやし、盆踊り状態で輪になって踊る会場の様子は今年からやからイメージ図で、そこにはあほほど人が溢れているように描かれているし、メインの進行役「本間ちゃん」もハッピ着て、陽気に踊っている写真が載っていた。 本間ちゃんとは仙台では有名はパーソナリティらしい。実際の本間ちゃんはポスターのように陽気な本間ちゃんじゃなく、サングラスをかけてちょっとかっこつけている感じだった。 輪になって踊る会場も、ぜんぜん人が集まらず、円にならず、せいぜい半円どまりだった。 でも、祭りもラスト30分ぐらいになると、たくさんの祭連(まづら・祭りチームの総称)が集まり、一般客もちらほら混ざって時計回りですずめを踊り続けた。やっぱりイメージ図には程遠い人数だったけど、お囃子にあわせてひたすらぐるぐる回っていた。最後のほうはもう跳ねる元気も無く、ほんとただ雰囲気を楽しみ、一緒になって回っていた。 本当に盛り上がったのは最後だけである。本間ちゃんの「来年もやりたいか〜!!!」の掛け声でみんな「おーーー!!!」とか言ってたけど、それはその場のノリで言っただけで、来年本当にあるかどうか私は少し疑問に思った。 |
2003年7月21日 月曜日 23:27:02
| この前の日曜日、初めて青森に行ってきた。十和田Yosakoi夢まつりに出るためである。先月のYOSAKOIソーランのときの感動が忘れられず、またそのときのチームにお願いして入れてもらった。 祭りは日曜日のみなので、青森まで日帰り。マイクロバスに乗り込み、朝の6時半に仙台を出発した。青森までは仙台〜東京間とほぼ変わらない距離である。それを参加費込みで、3000円で青森まで行って帰ってこれるというのだからすごい。さらに、お弁当まで出るのだからもっとすごい。周りのみんなは私に、「学割使っても普通はここまで安く行けないよぉ」と教えてくれたが、20世紀の時にすでに大学を卒業してしまってる私には、まったく関係のない話だった。そう、踊り子のみんなは、私以外はみんな学生なのだ。 でも、先月札幌で一緒に踊ってる人もいたので、片道5時間の道のりを楽しく過ごせた。お約束の昔見たテレビの話で、少々ジェネレーションギャップを感じずにはいられなかったが、話は合った。でも彼らにとっては、やはり「8時だよ!全員集合」ではなく、「加トちゃんけんちゃんごきげんテレビ」だし、クイズダービーの2枠の回答者は「山崎浩子」ではなく、「井森美幸」だった。 約5時間かかり、まつり会場に到着!ここはパレード会場しかないのだが、その道路は日本の道100選の一つだけあって素晴らしいし、沿道にはお客さんが本当に溢れていた。 でも日本の道100選といっても、都道府県に2つ以上存在するってことだよね〜と誰かが言っていたのを聞くと、有り難味が若干薄れたが、やはりステキな会場であることには変わりない。 このお祭りも、コンテスト形式になっていて、各賞が用意されているのだが、我々のチームは賞を取るのを目的としていないので、YOSAKOIソーランと同じように始めから審査対象外にしてもらっていた。 約30チームが出場する中、われわれは遠くから来たということで、最後から2番目の演舞。私はチーム外の人間やけど、今回人数が少ない分がんばらなっ!という気持ちが大きくなり、ソーランのとき以上に声をいっぱい出して、会場を走り回り、めえいっぱい踊った。 沿道のお客さんの距離が本当に近いため、お客さん一人一人の顔を見て踊ることができた。お客さんもみんないい顔をしていた。 踊った後はふらふらになったが、充実感でいっぱいだった。本当にステキなひと時を過ごすことができた。 すべての演舞が終了した後、表彰式があった。審査対象外とはいえ、われわれもせっかくだからと、表彰式に参加した。ここで、上位10チームが発表され、決勝審査へと進む。次々と予選を勝ち抜いたチームが発表されていった。 10チーム発表し終わっても、まだなんか終わらない。すると、「いちばん遠かったで賞」として、われわれのチームが選ばれたのだ!これはたぶん、急遽作ってくれたに違いない。大会本部の粋な計らいで、他の受賞チームと同様に、額入りの賞状をもらうことができた。十和田の人の温かさを賞状と一緒にもらった気がする。 やはり陸続きなので、高速道路上でいつのまにか青森に入っていたため、あまり青森に来たという実感はなかった。今回は踊っただけで、観光をしたわけでもないから青森についてはほとんど分からないが、私にとっては忘れることのできない、初青森となった。 |
2003年7月15日 火曜日 22:54:58
| 世間では今日は七夕。でも、仙台は旧暦なので、テレビで見るような大掛かりな飾りつけは来月の7日である。 昨日、たまたまNHKのクイズ番組内で、仙台の七夕が紹介されており、あの飾り付けをした大きな竹を差し込むための穴が、各店舗の前にあけてあることをそれで初めて知った。普段は七夕飾りが描かれた鋳型で隠されているらしい。その2、3日の七夕祭りのためだけに、施されているのがすごい。 七夕の思い出といえば、幼稚園のとき、初めて七夕飾りを折り紙で作り、短冊にお願い事を書いた。覚えたてのつたない字で書いた言葉は「ゲームウォッチがほしい」・・・と自分では書いたつもりやけど、4、5歳で「ウォッチ」なんてそんな高度のカタカナをきちんと書けているはずもなく、そんな私の元にゲームウォッチが届くわけがない・・・って、七夕ってサンタさんとちゃうねんから。 もう一つの七夕の思い出は、小学校3年生のとき。これまた短冊に願い事を書こう!というもの。みんなは小学生ながら自分の私利私欲に走った願いが多い中、私はなぜだか分からないけど、そのときに「魔法使いになりたい」と書いた。それが先生の目にとまったらしく、みんなに対して「ももすけさんみたいにもっと夢のあること書きなさい」と言っていた。そこで話が終わっていればいいのだが、その願いを書いたみんなの短冊が、掲示板に張り出されていたのだ。非常に恥ずかしかったのを覚えている。 私の絶対にかなわないこの願いは、全校生徒の目にどのように映ったのであろうか。 |
2003年7月7日 月曜日 23:12:03
| 昨夜、今夜と2夜連続であの名作「タイタニック」を放送していた。今夜から始まったFNSの24時間テレビ対策かと思われる。 私はよさこいの練習から帰ってきて、お風呂に入った後、最後の20分ほどタイタニックを見た。それだけでも泣けてきた。 実はタイタニックが映画館で公開されているとき、それに限りなくはまった自分がいて、2回も映画館に足を運んだのだった。これは私にとっては本当に凄いことである。映画を見に行くことがほとんどないのだ。もちろん、一人で映画を見に行ったことなんかない。絶対誰かと見に行くし、毎回一緒に見に行く人が違うため、見た映画は覚えているが、誰と見たのかまったく思い出せないこともある。 あと、北京の紫禁城に行ったことはあるが、ラストエンペラーは見たことがない。ついでに言っておくと、私はレンタルビデオを借りたことがない。 そんな私が2回も見に行ったタイタニック。豪華客船で出会った身分の違う二人が、船が沈むというアクシデントに見舞われ、それで余計愛の炎が燃え上がるが、最後には死別してしまう。 この分かりやすい甘く切ないストーリーが大変良かった。1回目に見たときは、やはり最後にジャック(主人公の男)が死んでしまい海に沈んでいくシーンで涙を流してしまった。2回目には、その悲しい結末をを知っているだけに、ローズ(主人公の女)とジャックが出会い、仲睦まじくしている序盤のシーンで私は泣けてきた。今は幸せでも、数時間後には悲しい運命が二人を切り裂いてしまうのよ〜〜〜と必要以上に感情移入していた私がいたため、泣かずにはいられなかった。 タイタニック以来、あそこまで大ブームを起こした映画がないような気がする。強いて言えば、千と千尋・・・かな?私が同じ映画を見るために2回も映画館まで足を運ぶことが今後あるだろうか。 |
2003年6月29日 日曜日 0:35:15
| 突然ですが、質問です。 あなたは欲しいものがあって買い物に出かけました。その欲しい物売り場に着くと、たいだい同じようなものがならんでいます。たとえば、家電売り場なんか分かりやすいかもしれません。一つの商品でもいろんなメーカーのものが揃っていますよね? 話を元に戻しましょう。その欲しい物の質に特に差がなく、値段も変わらないとき、あなたは何を決め手に買いますか?! まず第一に挙げられるのが、好きなメーカー(会社)が作っているからというのがあると思います。あとは、コマーシャルでやっていた、というのもあるかもしれません。 けれど、一度ぐらいみなさんあると思います。いや、必ずあるはずです。商品の脇に書かれている、【よく売れています】 ・・・この一言で商品を買ったことはないですか?! 外国では分からないけど、少なくとも日本人はこの言葉に引っかかりやすいと思う。みんなが買ってるんやったら悪くはないだろう、という「みんなと一緒」が大好きな日本人特有のものかもしれない。 私は先日買い物に行ったとき、インスタントの味噌汁売り場の前に立った。ほんまは自分で作ったほうがええんやろうけど、やはり手軽さにはかえられない。たまにお世話になっている。私以外にもそういう人は多いもので、さまざまな種類のインスタントのお味噌汁がずらっと並んでいる。日本各地の味噌を原料としたもの、減塩なもの、具沢山のものなど、商品のウリも様々だ。なのでいろいろ手にとって探していた。 そんななか、私が買う決め手になったものが、やはり【よく売れています】の一言だった。しかも、今思えばおかしいことに、【よく売れています】と書かれていたものは、お店の人が商品の脇に付け足したものではない。最近は、スーパーに運ばれてきた商品の箱を開けて、中身だけを取り出して陳列する手間を省くため、箱の上部を外し、そのまま陳列棚に並べられる商品が多い。その並べる箱そのものに【よく売れています】と書かれたものだったのだ。 私は、メーカーが出荷する前段階の、ほんまによく売れるかどうかも分からん商品の箱自体に印刷されてあったこの一言、【よく売れています】の言葉によって買ってしまったのだ。これではメーカーの思うツボである。 学生の頃、スキーに行った時に、引率の先生からこんな話を聞いた。 「私、スキー場でバイトしたことあってんけど、お土産とかも売らなあかんかってんな。それで、あまり売れんと残ってた商品があってんよ。やっぱ食べ物やから売ってしまわなあかんやん?それでどないしようかなぁ考えてんけど、めっちゃ賢いこと思いついてん!その売れてない商品の脇にな、【よく売れています】って書いて貼っといたら、みるみるうちにその商品売れていってほんまビックリしたわ」 |
2003年6月24日 火曜日 22:41:34
| やっぱり父の日は存在が薄い気がする。2、3日前にようやく何かの拍子に気がついた。なぜ気がついたのかも思い出せない。でも、そのあとやっぱりすぐに忘れてしまったようで、今朝めくった日めくりカレンダーで再び気がついた。 私の日めくりカレンダーは、めくるのを極力忘れないようトイレに貼ってある。それは、去年に中華街に行った時に買ってきた中国の日めくりカレンダーで、どうやら、中国でも父の日というのは浸透していることを初めて知った。 今日は日曜日。先週の今頃は札幌にいてたので、なぜか家にいるのが久しぶりのような気がした。なんかいつもの日曜日とまったく変わらない。朝ご飯を食べた後洗濯をし、ひと寝入り。そして昼ご飯を作って食べ・・・。 今日は午後からすずめ踊りのときのビデオ上映会があるというので出かけた。そして晩は、8月に名古屋であるよさこいの説明会に顔を出してみた。 家に帰ると、荷物が届いていた。私が前から欲しかった、ちょっといい枕である。先月末に遊びに来ていたお兄ちゃんに頼んでおいたもので、もらっていなかった約4ヶ月遅れの私への誕生日プレゼントである。 枕は一つではなく、2つちゃんと入っていた。2、3日前に父の日の存在を気づいた私が慌てて兄に電話し、枕を一つ追加した。そしたら兄は最初から父の日を意識して、2つ送ろうと考えていてくれたらしい。 父に渡すと特にリアクションもなく、まぁ、私が帰ってくる前に荷物を受け取ったのは父やから、もらえるものと予想していたのだろう。それに差出人は兄の名前やし、送り先の名前には私の名前だけではなく、きっちり父の名前まで記載されていた。これでは確実に、父の日のプレゼントだと思われていただろう。 早速箱を開けてみると、枕のほかに、換えの枕カバーが着いていた。父は青で、私はピンク色だった。私が父に「カバーは色違いやねぇ。」と言うと、「それは当たり前やろ」と言われた。別に同じ色でもありやろうと思うけどなぁ。 でもよく考えると、色違いやけど父と同じものを持つのは、今回の枕が初めてだということに気がついた。父もそれに気がついたかは分からないけど、枕を手に取って見ている父の横顔は、少し笑みを浮かべているように私には見えた。 |
2003年6月15日 日曜日 23:13:31
| この前の土日、YOSAKOIソーラン祭に行ってきた。本当に祭の規模がでかいせいか、何年か前の爆破事件せいで変に有名になってしまったのか、はたまた札幌市長再選挙の日と重なったせいか、全国ニュースで取り上げられていた機会も多かったらしい。 私がYOSAKOIソーランに出るのは3回目。札幌に住んでるときに2回。そして今回は仙台からの遠征である。 私が札幌にいたときに所属していたチームは残念ながら解散してしまって、今はもうない。やっぱりYOSAKOIやりたいっ!って他のチームに入った人や、他にやりたいこともあるから今年は見送った人などさまざまだった。 私が踊りに行くよっ!!!って前もって連絡をとったら、本当に多くの人が見に来てくれた。うちのチームが踊った7会場中、なんと6会場に友達が見に来てくれていた。仙台から見に来ていたメンバーを入れると、なんとすべての会場にいたことになる。 私が札幌に住んでいたままだったら、こんなことありえない。札幌での友達は、一緒のチームでYOSAKOIを踊っていたメンバーが多くを占めているからだ。 天気も良かったし、友達もいっぱい見に来てくれたし、演舞は見れなかったけど他チームで出場している友達にも会えたし、お客さんも多かったし、私たちの演舞を見てもらえて本当に良かった。 私が入ったチームの今回のテーマはずばり「THE!!まつり」その祭りの想いを伝えるべく、YOSAKOIソーランに行くぞ〜!!!という代表の想いが、私の心を打った。 YOSAKOIソーランはコンテスト形式になっていて、その審査対象となるための条件の一つとして、曲にソーラン節をいれなければならない。でも、うちらのチームは始めから審査対象外にしてもらったらしい。そんな審査なんかなくても、祭は充分楽しめるはず。お祭って聞いただけで胸がドキドキわくわくするような、まるで遠足の前の日のようなあの気持ちをみんなに伝えたい!!!ってことで、ソーラン節を入れないまま出場した。「THE!!まつり」にかける想いとは、次の歌詞である。 まつり それは人と人 喜び笑顔 夢湧く街 二度と戻れぬこの時 想い響け 届け 踊りも終盤に差し掛かるときに、みんなで一斉に歌いだす。思い出の札幌に地でどうしてもこの想いを伝えたかった。 大通パレードの3回目の演舞でこの歌を歌い始めたとき、目の前には白髪の男性がいた。思わず私はその男性に向かって歌った。視線を外すことなく、ずっと私のほうを見て歌を聴いてくれていた。少し、涙ぐんでいるように見えた。 そこにいる人すべてに、想いを伝えることなんて、できるわけがない。私は、たった一人の人だけでもまつりの想いが伝われば、それで良いと思った。 すべての演舞が終了した後、私は思わず泣いてしまった。今までやってきた練習を始め、たくさんの人に支えられてここまでできたこと、思い出の地札幌で再びYOSAKOIソーランに出れたこと、そして友達が見に来てくれこと・・・いろんな思いが溢れ出てきて、泣かずにはいられなかった。 ・・・このHPを作り始めてもう1年経った。日記を読み返してみると、私は1年前のYOSAKOIソーランも感動していた。でも、今年はまた違った感動を味わうことができた。 でも、これで終わりじゃない。8月はいよいよ高知よさこい祭。そして10月にはみちのくYOSAKOIが待ってるでぇ!!! |
2003年6月10日 火曜日 22:51:47
| 仙石線とは、私が毎日通勤で乗っているJR東日本の沿線名である。仙台市内から石巻を結んでいるから仙石線。ついでだから言うと、仙台〜山形は仙山線って言う。聞きなれないがこっちでは当たり前。 その仙台(始発はあおば通駅)から石巻間で、土日に「マンガッタンライナー」なるものが登場する。石巻出身の漫画家・石ノ森章太郎が描いた、仮面ライダーやサイボーグ009とかあのおなじみの漫画キャラクターたちが、電車に描かれてあるのだ。 今、石巻は漫画の国を前面に出している。道路の案内看板にも表示されてあるぐらいだ。それで、マンガッタンライナーは今年の春から運行し、この近辺じゃ結構有名。全国ネットのニュースにも出ていたと思う。仙台駅では、マンガッタンライナーの乗り場を案内する看板がでかでかとある。もちろん、それにも「ロボコン」のキャラクター入りで、ここぞとばかりにアピールしている。他にもっとアピールすることがあるだろうに・・・。 土日しか運行していないようなので、まず乗る機会がないやろうなぁと思っていたところ、今朝いつもの時間に仙石線仙台駅のホームで電車を待っていると、やってきた電車はなんと「マンガッタンライナー」そのものだった。思わず嬉しくなった。その車両を見て、ゴレンジャーも石ノ森章太郎の作品だと始めて知った。 電車に乗り込むと、壁にもキャラクターがところどころ描かれていた。一色刷りなので、輪郭だけでキャラクターを区別しなければならない。私には残念ながらどれがどれか分からなかった。 でも、通勤時間に走らせるなんて、JRもなかなかナイスである。仮面ライダーは、今もいろいろ進化していっているがが、元を知っているのはまさしく働き盛りの人たち。その人たちが乗る時間に合わせるなんて、乗客は顔には出さないにしろ、心の中で喜んでいた人はきっと多かったと思う。 車両の中には広告はほとんど無く、広告のスペースには、漫画の国をイメージして描かれた小学校低学年の作品が展示されていた。せわしない朝の数分間、少し心が和んだ。 |
2003年6月4日 水曜日 22:14:36
| 来週から札幌で始まるYOSAKOIソーランに再び参加するために、仙台から遠征するチームに入って早2ヶ月。来週の今頃は苫小牧行きのフェリーに乗っているかと思うとワクワクする。 今入ったチームは、去年のみちのくよさこいのときに見て、心が打たれたチーム。彼らの踊りを見て素直に感動した。なので、彼らがYOSAKOIソーランに出るために、他チームからをメンバーを募集すると知って、私は真っ先に入った。 東北大学の学生を中心としたチーム。感動したチームが、たまたま学生チームだったのだ。今回札幌に行くメンバーの中で、なんと私は最年長になった。それはまぁいい。 彼らは練習場所として、市民センターの体育室を借りる場合もあるけど、市内中心部に程近い大きな公園で練習することもある。そんな彼らの練習を見て、自分もやりたい!と入ってきた一人の男の人がいた。 その人が先日、市民センターでの練習に現れた。それで紹介してもらうと、なんとその人は中国人だったのだ。先月の初めに日本語の勉強をするために、日本に来たらしい。 そして話していると、どうやら中国にいるときに、彼らの演舞を中国で放送されていたテレビで見たというのだ!それで、公園で踊っている彼らを見て、思わず入って行ったらしい。 まだ日本語がさほど話せない。なので、私が記憶を振り絞って中国で話していると、やはり喜んでくれた。突然やってきた異国の地で、自分の国の言葉を話せる人に会うとホッとするのだろう。日本語を教えつつ、私も中国語を習いつつ、二人で話した。 今日の練習にも、その彼は来ていた。というか、前回会ったときに教えろと言われたので携帯番号を教えたら、昨日電話をかけてきてくれ、今日の練習に行くかどうか聞かれてたので、彼が来るのは知っていたのだが。 約半月ぶりの再会。どうやら彼の中では私が一番中国語をできる日本人だと思っているのだろう。前回よりもいろいろ話しかけられた。正直言って、分からない部分も多かった。が、やはり話せるのは楽しい。札幌に住んでいたときに、少しでも続けていた中国語が役に立っていると思う。 もともと、YOSAKOIソーランに出たい!と思って入ったチームで、こんな出会いをするなんて思わなかった。踊りもやっぱり楽しいし、そして中国人にも出会えるなんてほんまありがたい限りです。 |
2003年5月30日 金曜日 23:41:43
| 日曜日の昼過ぎに兵庫県からお兄ちゃんと嫁さんが遊びに来て、日曜日の晩は美味しい牛タンを食べ、月曜日は青葉城址に行き、私も初めてあの伊達政宗像とご対面し、そして松島へ行って遊覧船に乗ってかもめにえさをやり、よう遊んだなぁと家に帰ってちょっと休憩して、ぼちぼち晩御飯食べに行く準備せな〜っていう時にヤツはやってきた。 ・・・地震である。 マンションやから少し揺れが強いんだろうと思っていたら、揺れがおさまらない。それどころか勢いを増した。お兄ちゃんは机の下に隠れ、「お前らもすぐに来い!」と叫び、義姉も隠れた。が、私は隠れなかった。そこで私はテレビの上にある鉢植えと、箪笥の上においてある仏壇が倒れてくるんじゃないかと思い、そっちのほうへ行った。鉢植えを床に下ろす。でもそれで精一杯。揺れはおさまらなくて、足がすくんだ。仏壇に手を添えはしたものの、あのとき本当に仏壇が倒れてきていたら本当に支えていられただろうか。 とても長い1分あまりのあと、揺れがやっとおさまりつつあったとき、まだ机の下にいた兄が「テレビつけてみろ!」というのでテレビをつけた。すぐに映ったのがNHKだったが、そのアナウンサーもかなりびびっているのが丸分かりだった。そしてテレビを見ていると各地の震度が発表される。本当に最近の地震情報は迅速になったと思う。 私が住んでいる仙台は、震度5弱だった。私が体験した阪神・淡路大震災のときの震度4よりも数値上では上回っていた。今回の地震は阪神大震災で体感したよりも弱く感じたが、揺れた時間が長かったのでその分恐ろしく思った。 私は余震を恐れるあまり、早く晩御飯食べに家を出よう!と促した。が、よく考えると、電車(JR)は動いているのか?と思い、外を見てみると、案の定近くの駅にちょうどとまっていた電車は動こうともしなかった。 そして待ち合わせをしている父に連絡を取ろうと思っても、携帯は繋がらない。家の電話からかけてみても繋がらない。 ガス・電気・水道は地震直後でも問題なかったが、エレベーターは止まっていた。しょうがないので階段で降りていると、はぁはぁ言いながらあがってくるサラリーマン風の人や、両手に買い物袋を下げた女の人とすれ違った。2階付近まで降りると、なんと壁にひびが入っていたのには驚いた。今回の地震でマンションの耐震力が落ちたのではないかと非常に不安に思った。 JRは動いていなかったが、地下鉄は25キロの徐行運転で動いていた。それに乗って仙台中心部へ。JR仙台駅で父と待ち合わせていたのでそこへ向かうと、なんといつもあほほど待っているタクシーがみんな出払っていた。そんな光景は初めてである。仙台駅も本当に人が溢れていた。 地震の話でもちきりになりながら、目的のお店へ。やはりそこもエレベーターは止まっていた。 地震があったことが嘘みたいに家族揃って晩御飯を食べた。すると、しきりに携帯が鳴った。みんな心配して連絡くれてのことだ。非常にありがたいことである。今まで一番携帯が鳴った日でもあった。 携帯が鳴ったのは私だけではない。わざわざこのときを狙ったわけでもない、たまたま仙台に来ていた兄の携帯も同じだった。でもやはり関西からかかってくる電話は違う。 「なんや無事やったんかいな〜。せっかく霊柩車の手配しておいたのに〜」 |
2003年5月28日 水曜日 23:54:03
| 一週間前の今頃は、疲れがピークで、青葉まつりの前日やってんけど、終わって一週間近く経った今、札幌のYOSAKOIソーラン2週間前なのだ。2週間後の今頃は、苫小牧行きのフェリーの中。それを考えると正直ビックリした。あと、2週間しかない・・・。そのうち一体何回練習に行けるだろう。 ・・・青葉まつりが終わって、張っていた気が抜けたせいか、風邪を引いてしまった。認めたくはないが、風邪の諸症状が出てきている。今日練習に行って、汗かいたら治るかなぁと期待していたけど、そんな簡単には治ってくれなかった。 今日こそは、ナイトスクープ見ないで、本当にもう寝るで!!!明日は公園でYOSAKOIのパレードの練習があるねんから!!!だからほんまに風邪引いてる場合とちゃうねんから。 日曜日には、兄夫婦が来て、1年半ぶりに家族が揃うねんから〜〜〜。 |
2003年5月23日 金曜日 23:04:09
| いやぁ、踊ってるときはさすがに興奮したね。一日目の夜の定禅寺通りの演舞も、ライトアップされていた中で踊るのも良かったけど、私にとっては二日目の流し(パレード形式)のほうが断然良かった。 北海道の大通公園に沿った道路であるYOSAKOIのパレードよりも、広い道を使い、そして沿道にはお客さんがほんと溢れている。観客は確実にみちのくよさこいよりも多い。みちのくよさこいにはパレードがないから余計だろう。そのお客さんが波が途切れることなく流しのスタート地点からゴール地点まである。それをほぼノンストップで踊るのだ。 正直、めっちゃしんどい。でも、そこにお客さんがいるので踊らずにはいられない。私を見ている人なんていないかもしれない。でも、私はやっぱり見てもらいたくて一生懸命踊った。 流しの途中で、舞台踊りをするときもあって、そこでは本当にお客さんは間近。お客さんの目を見て、「それ!」なんて言ったりすると、やはりビックリされる。でもそのあと笑顔がこぼれる。その一コマが見たくて、わざとお客さんをあおったりした。 よさの友達も見に来てくれた。「すごい楽しそうに踊ってたよ」って言ってもらえた。周りから見て楽しそうに見えたって事は、やっぱり私は楽しかったんだ、とより一層思えたし、それが伝わったっていうことが何よりも嬉しかった。 流しで疲れたはずやのに、踊り足りない自分がいた。でも、それぐらいがちょうど良いのかもしれない。そのほうがまた来年もやろうって気にもなるってもんやろな。 |
2003年5月20日 火曜日 0:14:47
| 仙台・青葉まつりが開催。心配されていた天気も、問題なさそうなのでほっとした。 ただ、ほんとやっぱり疲れがきてる。欲張って、すずめとよさと両方行っていたのが原因やろな。疲れているはずやのに、夜、いざ寝ようって布団に入ってもなかなか眠ることができない。今日も仕事してたら眠たくて眠たくて、トイレで座って10分ぐらい寝てしまった。 今日の練習も、最後のほうに顔出した。そして、本番で踊る場所へ行き、立ち居地確認をした。すでにステージが出来上がっていて、ライトアップもされて、のぼりなんかも出てて、やはり祭りムード。 でも、疲れのほうが先行していて、あまり気分が高ぶらない自分がいた。それでも、明日の今頃は、一日目が終わり、飲み屋でさんざんはじけてるんやろな。 今夜こそ明日のために、早く寝るで!!!そんなんナイトスクープなんて見やへんよ!!! |
2003年5月16日 金曜日 23:00:02
| このタイトルを見て、「ちびまる子ちゃん」を思い出した人はきっとおれへんやろな。 まる子は、母の日のために自分のお小遣いでハンカチを買い、自分とおかあさんの似顔絵を添えたメッセージカードを書いた。母の日当日、姉と二人で晩ご飯を作り、プレゼントを渡す。そのプレゼントを見た姉が「お母さん、同じハンカチ持ってたよね?」この一言でまる子は傷つき、泣きながら部屋にこもってしまう。するとお母さんがやってきて、今まで持っていたもらったのと同じハンカチをまる子にあげるのだ。「おかあさんはまる子からもらったのがあるから」って。 前置きが長くなったけど、やはりこの話が忘れられなくて、今日のタイトルは思いっきりそれからパクりました。母の日、じゃなくて「おかあさんの日」という言葉の響きが気に入ってる、というのもあるけど。 今年の母の日当日は、よさこいとすずめの練習のダブルヘッダー。練習日は一緒でも、今回は時間が違ったから良かった。でもさすがに足にきた。・・・ととくに何も変わらず過ぎた。 私は2、3日前に近所のスーパーに食料品を買いに行ったとき、カーネーションが目に付いた。そういや母の日が近いし、それを買うことにした。レジで値段のシールを剥そうとしてくれたけどうまくはがれず、それを気にしてくれたレジの人は「上にシール貼って起きますから」とシールを貼ってくれた。シールと言っても、スーパーの店名が入ったセロテープ状のものやけど、値段が見えたまま手渡すのはちょっと・・・、というのをレジの人は気遣ってくれたのだと思う。 そうやって気を使ってくれてちょっと申し訳なく思った。私の場合は手渡すのではなく、花を切りそろえて仏壇に供えるからだ。 母がいない母の日というものは、やはりほんの少し切ない。 |
2003年5月12日 月曜日 0:36:36
| 今日は、すずめ踊りとYOSAKOIの練習と2つ行ってきた。いわゆるダブルブッキング。しかも、練習場所が違ったので移動が伴った。もちろんヘリコプターで移動したわけではなく、セローちゃんでの移動。一日中曇りという天気予報が的中してほんと良かった。 始めにYOSAKOIのほうに行き、キリのいいところで抜けさせてもらい、すずめの練習へ。すずめの本番まで2週間を切った。あともう少し。でも、YOSAKOIソーランの本祭りもあと1ヶ月だ。 すずめは、曲が2分弱。今日から「流し」(パレード形式)の練習が始まった。YOSAKOIの曲の長さは約4分。まだまだ覚えなきゃいけないところが多すぎる。 今の私には、どっちを優先とかいうではなく、両方大事なのだ。なので、両方の練習に参加する、ということを選んだ。二つの練習時間が微妙にずれていたことがほんと幸いした。 さすがに両方の練習をするとヘロヘロになった。それが顕著に表れたのが、駐輪場にバイクを停めるときだ。エンジンを止めてバイクを動かすと、何回もこかしそうになった。本当に危なかった。 汗だくになって帰宅した私は、やや期待して体重計に乗ったものの、それは私の頑張りを認めてはくれなかった。 |
2003年5月7日 水曜日 23:41:52
| 私のGWは大阪旅行に始まり、YOSAKOIとすずめの練習ももちろん行って、そして昨日はみちのく初ツーリングに行ってきた。 ツーリングは、天気が良かったが、通過点である松島がやっぱり朝から異常に混んでいた。そしてさらに通過点でもある東名の潮干狩り付近もどれだけの人が潮干狩り行くねん!!!っていうぐらい混んでいた。 石巻を抜け、牡鹿半島へ。半島の突端で金華山を眺める。そして女川原子力PRセンターへ。初めて原子力発電所という施設を遠くからだけど見た。 施設をあとにし、しばらく海沿いの道を走る。まだところどころに桜が残っており、はらはらと散っていく中走った。女川へ着き、ツーリングマップルに乗っていた食堂へ。有名だけあって並んでいた。しばらく並んでも人が動かない。周りの人が店を覗いて見ると、手前らへんでは食べている人がいないらしい。結局1時間ぐらい並んで店に入り、うに・はらこ(いくらのこと)丼を頼む。そんなに待たずに出てきた。じゃあなぜあれだけ待たなければならなかったのか。・・・絶対あのとき、ご飯炊けてなかったんやって。そして肝心の味は・・・やっぱり北海道の勝ちかな。 女川から内陸に入り、大郷の道の駅へ。途中、水田が広がる風景の中を走った。いろいろ走っていると、やはり北海道の風景や和歌山の風景を重ねてみてしまうが、田んぼが広がる風景は、やはり米どころ宮城を感じさせた。 みちのくツーリング初めての道の駅おおさとは、地場産業の品が並んでいた。生産者の写真入で紹介された農作物は、ほとんどが売り切れていた。日も長くなったなぁと感じながら、まん丸の夕日を眺めていた。 朝8時過ぎに出て家についたのが19時をとっくに過ぎていた。走行距離220キロぐらいののんびりゆったりツーリングだったのに、疲れが出てきて20時過ぎには布団に入っていた・・・。 そして今日一日ずーーーっと寝てた。大阪の旅の疲れ、普段の疲れ、祭の練習疲れ、昨日のツーリング疲れを癒そうと、今日は一日寝る日と決めた。でも、父が家にいるためご飯を作る必要があるので、朝ご飯を作って食べて寝て、昼ご飯を作って食べて寝て・・・と起きたのは晩御飯の買い物に行くとき。たくさん寝たけど、夢ばかり見て、なんかあまり疲れが取れた感じがしない。 晩御飯を食べ、お風呂に入ってから、大阪旅日記を作り始めたけど・・・あかん。でけへん。終われへん。ここに載せるのではなく、別コンテンツで作り始めたので、まだまだ時間が必要である。 あ〜、明日からまた普段の生活に戻るけど、大阪旅日記はいったいいつ出来るのであろうか。 |
2003年5月6日 火曜日 0:40:30
| 大阪へ。前回大阪に行ったのが去年の7月。9ヶ月ぶりの大阪。季節もあれから3つも変わった。 珍しく準備も終わり、優雅に過ごしている。昨日のうちに準備をほぼ済ませ、先に荷物を送ってしまったのだ。それで余裕をかましてあまりにも優雅に過ごしすぎて気がつけばもうすでに1時。最近疲れを感じて日が変わる前に寝ていたことが多いので、この時間まで起きているのは本当に久しぶりである。 阪神の動向で景気が変わってしまう大阪だが、2連敗して、同率だがまだ首位。ぜひとも熱い大阪に出会いたい。 久しぶりに大阪の食べ物をたらふく食べてこよう。ここに揚げたら本当にきりがないので、帰ってきてから何を食べたが余すとこなく述べたい。増えた体重についてはあらかじめ触れたくない。 昨日たまたま大阪のときの職場の同期から連絡があって、ほんま久しぶりに話していたら「なんかやっぱりイントネーション変わったなぁ」って言われたのがビックリで。そりゃ2年以上も離れたら変わってもしゃあないっちゅうねん。 明日の今頃は、大阪で深い眠りについているかな?あー、めっちゃ楽しみやぁ。私の根っこはやっぱり大阪やでっ!!! |
2003年4月25日 金曜日 1:13:48
| 先週がちょうど仙台では花見が見ごろだった。 まずは火曜日、職場のお花見から始まった。しかも、朝から大鍋でおでんを仕込むという気合の入れよう。そのおでんのおかげで、夜の寒さも少々しのげた。が、やはり食べて飲んで、話すことに夢中であまり桜を見た覚えがない。実際、その様子を写した写真を見てみると、桜の写真は一枚もなかった。 次は木曜日。火曜日の花見とは別の場所へ、今度はちゃんと桜を見に行こう!ということででかけた。もちろん仕事が終わってからなので夜。夜桜見物といこうと思ったら、木曜日にも関らず、人・人・人。とにかく凄い人だった。桜より、人に圧倒された。どの桜を見ても、人が視界に入ってくる。とりあえず一回りして、そうそうに退散した。ついでに少々屋台をのぞいてみたのだが、屋台で売っているキャラクター物のお面。アミノンジャーがあれば間違いなく買っていたが、なんとお面の値段って今は700円もしやがるらしい。私が子供の頃って100円で買えたような気が・・・。 最後は土曜日。これは初めて昼間からのお花見だった。しかも、取っていた場所が非常に良かった。昼間っからお酒を飲めることの幸せ。また満開を少し過ぎ、はらはらと散っている桜が非常にキレイだった。飲んでいるコップにも桜の花びらが混じる。輪になって話しているみんなの頭の上にも何気に花びらがついている。桜の木の下で、楽しい時間を過ごすことができた。 札幌にいたときは、桜の印象が少ない。一回花見にも連れて行ってもらったが、まだあんまり咲いてなかった。本州では、家の木に桜があることが多いが、札幌ではライラックが多い。 この一週間で本州に帰ってきたんだなぁと実感した出来事だった。 |
2003年4月20日 日曜日 16:23:47
| 半年間の冬眠から、ようやく今日目覚めさせました。私のセローちゃん。なぜかちゃんづけで呼んでしまう、私の愛車。 昼間、近所のスーパーに買い物に行ったときに、肌で感じた空気が暖かだった。・・・今日しかない。そう思って、今日セローにエンジンをかけることにした。 が、私はあることに気がついた。・・・バイクのキーがない。そういえば引っ越して以来お目にかかっていないのだ。あわてて部屋を探す。おかしい。ない。ない。見つからない・・・。そこで、私はスペアキーを使うことにした。スペアキーはすぐに見つかったのでこれでOK♪と思っていたら、とんでもない落とし穴があった。もう一つの鍵のスペアキーがない・・・。盗難防止用にもう一つかけてある鍵がないのだ。おいおい、その鍵をはずさないとバイク動かすことできないじゃーん・・・。結局、今まで使っていた鍵を探すことになった。しばらくすると、まだあけていなかったダンボールから見つかった。あぁ本当に良かった。 地下の駐車場に行くと、思いのほかに黒く汚れていた。鍵穴にキーを入れて、右に回す。ニュートラルランプがついた。そして、チョークを最大に引き、セルボタンを押す。キュルキュルキュルキュルキュルキュルキュル・・・・・・思わずセルボタンから手が離れた。やはり半年以上もほったらかしにしていたのが悪いのか。うぅぅぅぅぅ、どうしよう。再びセルボタンを押してみた。キュルキュルキュルキュルキュル・・・・・・やっぱりずっとキュルキュルいっている。頼む!頑張れ!エンジンかかってくれ!!!セルボタンを押しながら、アクセルもふかしてみる・・・ブルッブルッブルッブルブルブルブルブル・・・やったぁ!!!エンジンかかったぁ!!!願いというのは通じるもんだなぁとこういうことで実感した。 しばらくエンジンをかけっぱなしにする。あぁ久しぶりのこの音。やっぱりいいねぇ・・・。アクセルをふかしたときの音もステキ。ただ時間が経つのを待っているのも長く感じるので、私は携帯を出してメールを書いていた。大阪に住んでいたときにめっちゃお世話になっていたバイク屋の店長と、札幌に住んでいたとき、唯一ツーリングに連れて行ってもらったやっちさんと、あと、仙台に来てよさこい繋がりで知り合ったバイク乗りの男の子の3人に書いた。 20分ぐらいエンジンをかけっぱなしにして、エンジンを止めた。とりあえず今はエンジンをかけてみただけで、夕方からのすずめの練習に行くときに乗っていこうと思っていた。 夕方、ヘルメットとグローブとゴーグルと、あと汚れた車体を拭くために雑巾も持った。そしてバイクのもとへ。 また少々緊張してバイクにエンジンをかける。始めはやっぱりキュルキュルいったけど、問題なくかかった。そして暖気する時間を利用してバイクを拭いていた。ちょっと拭いただけですぐに雑巾は真っ黒になった。私は今シーズンもよろしく、という気持ちを込めてバイクを拭いた。 だいたい隅々まで拭けたし、さぁ行こかぁと、ヘルメットをかぶる。ゴーグルをする。グローブをはめようと思ったら・・・片方しかない。くっそう・・・。でも、取りに帰るのは面倒だったので、今回は片手で行くことにした。 乗り始めは、快調だったけど、私はすぐにあることに気がついた。 ・・・ミラーを拭き忘れて、汚くてごっつい見にくい。なんであのとき拭き忘れたんだろう・・・。 |
2003年4月14日 月曜日 0:40:40
| 非常に後ろ向きな私がいた。 4月になって、職場の配置転換があって、私は現状維持だとしても、上司が変わった。北海道のYOSAKOIソーランに出るために、また違うチームに入った。来月のすずめ踊りのチームも、やっぱり知らない人が多い。 私のことを、楽しいことばっかりでいいねぇって言う人もいる。でも、何か新しいことを始めるということは、新しい環境に飛び込んでいくということ。また新しく人間関係を作っていくということはそれなりにしんどいこともある。 そういえば、今日、札幌で一番初めにお友達になった人から手紙が届いていた。嬉しかったんだけど、「ももすけちゃんんことだから、いろいろ活動して友達には困ってないでしょう」の一言。確かにそれはそうなんだけどさ。札幌にいたときよりもいろいろやってて、人との繋がりも増えてんけど・・・。 そんなことも重なって、なんか疲れてしまった自分がいた。後ろ向きになってしまった。なんか、もう二度と会えないであろう小学校のときの同じクラスの友達とかを思い出したりした。私は思い出していても、その思い出した相手には私のことを思い出してもらえなかったりして・・・とか考えてしまって、一人で勝手に切なくなって泣きたくなったりした。 そんな新しい環境になった私が、久しぶりに今私が所属しているよさこいのチームの練習に行って。思っていたよりも人数が集まってビックリして。踊っていたら少しは後ろ向きな自分を忘れることができた。 練習が終わった後、一回も顔を出していなかった「日本酒友の会」の集まりに行ってみた。とりあえず飲みたかった。でも、一人では飲みに行くことができなくて、人との繋がりに疲れていたはずなのに、やっぱり人の輪に入っていってしまった。 その日本酒友の会。知ってる人もいたけど、やはり知らない人もいた。でも、やっぱりみんなよさこい繋がりなので飲みながら適当に(決して悪い意味じゃないけど)話をしてきた。 終電で家に帰ってきて、そういえば、この日記を最近書いていないなぁと思って書き始めていたら、札幌にいてるYOSAKOI友達からメールが来た。そのままメールで返信しても良かったのだけど、電話をしてお話した。私が札幌時代に所属していたYOSAKOIチームはなくなってしまったけど、新しいチームを見つけて頑張ってるって話を聞いて、札幌のみんなに会いたくなった。こんなときだから余計札幌にみんなに会いたくなった。 何もしてなくても、時間は勝手に過ぎていく。明日の日曜日はすずめ踊りの練習。私が望んで始めたことなんだから。 今から寝て、明日起きたら、またいつもの自分に戻ってるといいな。 |
2003年4月13日 日曜日 1:40:56
| 今朝、夢を見て目が覚めた。布団の中で見た夢を必死に思い出した。 ・・・私は、車に乗せてもらって、家までの道を説明していた。そしてたどり着いた家は、大阪のときの家だった。そして、もう亡くなってこの世にはいない母が出てきた。私は夢の中で久しぶりに会えたのにも関らず、生きていたときと変わらないように母に文句ばっかり言っていた。そして、隣に住んでいるおじさんも出てきた。実はそのおじさんも私が大阪から引っ越してそんなに時が経たないうちに亡くなった。 布団の中で、やはり夢の出来事とはいえ少し後悔した。もっと母に優しく接しておけばなぁって。でも、この出来事は本当に夢。もう本当に夢の出来事でしかなくなってしまったのだ。 今朝、夢に出てきた大阪の家。私が生まれ育って、20年以上も過ごしたあの家は、もう別の人のところに渡ってしまったのである。 あれは、2003年が始まって間もない頃。今住んでいるマンションの、とある部屋が売りに出されていた。父はその部屋を気に入った、というより、今住んでいるマンションの立地条件が大変気に入っていたので、その部屋を買うことにした。その資金のために、大阪の家を売ることにしたのだ。 私は特に反対しなかった。お父さんが買った家やし、あと1年も経たないうちに定年してしまう父の考えを否定する理由もなかった。本当に今住んでいるマンションの環境は良い。仙台の人みんなに「良いところすんでるねぇ」と言われるほどである。 そしてその引越しが、先週の末に行われた。めったにないであろう、同じマンション内での引越しである。でも、やはり引越しは引越し。役所に転居届けを提出し、郵便局には転送届けを出し・・・まだ免許証の住所変更はまだしてへんけど。その引越しの関係で、ネットが繋がらなかったのだ。 「2年経ったら戻ってきます〜」と言って離れたあの場所に、私が戻ることはなくなった。待っていてくれた人がもしもいたとしたら、本当にすみません。でも、大阪での生活があって今の私やから。 遊びにはもちろん帰るから、そのときはみなさんよろしくお願いします。 |
2003年4月6日 日曜日 23:32:49
| 忘れられない話がある。 中学2年生の春、クラス替えをして本当に間もない頃。教科ごとの先生も発表され、国語は1年生のときから大好きな女の先生になった。 2年生になって初めての国語の授業。2年の国語の教科書の話はこんな内容だった。 着物を染める、とある染色家。桜のあのピンクを出そうと苦心していた。桜の花びらを大量に使ってもなかなか思うような色出ない。・・・何年か時が過ぎ、染色家はあることに気がついた。 桜が芽吹く前の、あの春の新しい息吹をふきだそうと今か今かとじっとこらえている、桜の木々たち。その状態の桜の木々を遠くから眺めると、茶色のはずの桜の木の枝が、ぼんやりとピンクがかって見えるのだ。染色家はその状態の桜の木の皮を剥ぎ取って使ってみると、見事にあの桜の美しい色が出てきたという。 この話を一通り読んだ後、先生はこう言った。「いつもこの話を1学期が始まってすぐにやるのは残念やと思う。これはほんまにこのように見えるんですよ!でも、今みんなは見れないでしょ。来年の春が来る前まで待たなあかん。だから、この話をもし覚えておいてくれたら、来年は是非見て欲しいと思う。」 私は今でも忘れることなく、この季節になると、桜が芽吹く前の状態の木々を見るようにしている。というか自然に見てしまう。それはあれだけ熱く語ってくれた先生の想いがあったからであろう。先生は私のこと忘れてしまっても、私は先生のことを毎年この時期になると、欠かさず思い出しているんですよ。 |
2003年3月26日 水曜日 22:53:35
| 北海道に行ってきた。ほんまこの人はよう北海道に行ってるよなぁと思われても仕方がない。仙台に引越ししてきてから実に4回も北海道に行った。 本当は、今回は行く予定じゃなかったのよ。太平洋フェリーの何かのアニバーサリーで、4枚つづりのクーポン券が発売されてて、それを使うと仙台〜苫小牧間の2等がなんと5000円!往復でも1万円という安さ!!!それを買って、年末に行ってきて、手元にまだ2枚残っている。本来なら先月のビックエアの時に使おうと思っていたけど、フェリーを使っていくほど時間に余裕がなかったので、旅行会社のパックで行ってきた。 手元に残っているクーポン券、実は今月末までという期限付き。なので、この前の3連休を利用して北海道に行ってきた。年末と同じパターンで、トータルでは3泊4日であるが、フェリーの往復で2泊、札幌で1泊という内訳。仕事が終わってその足でいったので、バイトを休む必要がなかったのが良かった。 行く前にある程度予定は経てるが、札幌に着いた日の夕方までの時間が空いてしまった。まぁたまには適当に一人で時間をつぶすのもいいかも、と思っていた。そんなときに、札幌に来ることないの?ってメールをくれた札幌でのよさこいのときの友達がいた。いや、実はもうすぐ行くんだよね〜って返事をしたら、なんと時間を作って会ってくれた。しかも、苫小牧まで迎えに来てくれた。それに、よさこいのみんなにも声をかけていてくれたのだ。 本当にたまたま彼女は何気ないメールをくれた。その何気ないメールをくれたおかげで、思ってた以上の人と再会できた。それに、行きたかったんだけど行けないから・・・とわざわざお土産を託していてくれた人もいた。本当にいろんなことをべらべらとよく話し、時間が経つのがあっという間だった。 どうやらみんなは6月のYOSAKOIソーラン祭に参加するとのこと。練習も始まっているらしい。そっか〜もうそんな時期やもんねぇ・・・とみんなが今年も参加することを聞いて、私もYOSAKOIソーランに参加したい気持ちが強くなった。 そしてみんなと別れるとき、「次会うときはもちろんYOSAKOIの会場で、お互いのチームの衣装を着て会おう!」と、そうなるといいな、という願望も込めて私は言ってみた。 それを現実にするために、私はYOSAKOIソーランの参加へ向けて動き出した。 |
2003年3月25日 火曜日 23:57:17
| 先に言っておくが、飲みに行ったわけではない。 いつも見ている夕方の情報ワイド番組、OH!バンデス。大阪で言う、「ワイドABCDE〜す」、北海道で言う、「どさんこワイド212」「夕方DONDON」、福岡で言う、「めんたいワイド」・・・言い出したらきりがない。 そのOH!バンデスの司会がさとう宗幸なので、仙台に荷物を運び入れたその日から見ている。さすが地元密着型タレントさん、がんばってるねぇ。仙台では当たり前やけど、宮城を出ると、いや東北を出ると私の同世代の人は知らない人がほとんどじゃないか。2年B組仙八先生っていうのがあったことすら知らないと思う。そして、この仙八先生に出ていた通称「仙八トリオ」が、のちのシブガキ隊であることも。 そんなさとう宗幸がこちらでは「宗さん」と親しげに呼ばれているが、地元の七十七銀行には、白いベンツを乗り付けてくるというちょっと鼻につくところもあるらしいが、宮城でしか放送していないであろうCMに出たりと大忙しである。 そんな大忙しの宗さんだから、昨日も今日も生放送の番組を休まざるをえなかったのだ。きっとどこかでライブがあるのだろう。今でも現役の歌手なんだから。その証拠に、その番組内で毎週水曜日に「一枚の楽譜」というコーナーを設けて、弾き語りしている。でも、今日はお休みだったから、これまた地元東北勢しか知らないであろう、高橋佳生という人が出ていて、宗さんの代わりに歌を歌っていた。この高橋佳生という人も週一回必ずこの番組に出ている。どうやら、宗さんと同じ事務所つながりなので出ているとみた。その宗さんの事務所とはずばり「さとう音楽事務所」。どうりで息がかかっているわけだ。 っていうかねぇ、この二人以外に地元タレントという人を私は知らない。OH!バンデスの毎週月曜日の企画に「お笑いスター育成プロジェクト」というものがある。ここまで番組がお膳立てしないと若手が育たないのか。こういう企画が成り立つこと自体、私はおかしく思える。何回か見たことがあるけど、それに出ていた若手芸人の名前も顔も思い出せない。それだけ印象が薄いのだ。 普通、深夜番組とかでもっと地元タレント(若手)が活躍したりしてもええもんやけど、そんなプログラムもなく。テレビの一日が終わる時間も早い気がするし。もうちょっと頑張ってええんとちゃうかなぁ、仙台。 北海道に行ったときは、周りの人に絶対「水曜どうでしょう」を見ろと言われ、仙台に引っ越して来た今でもその再放送をビデオにまでとってみるほどハマっている。 東北の食べ物や見所を紹介する番組はもちろんあるけど、地元タレント(若手)さんの地元タレント(若手)さんによる地元民(若手)のためのバラエティ番組がない。未来の仙台を支えるであろう若者のために、心から楽しめる番組があったらええねんけどなぁ。 育成も大事かもしれへんけど、思い切って深夜番組の一つでも与えたほうが伸びるんとちゃうかなぁ。だってさ、若い人の多くが夕方の情報番組を見ているとは考えにくいんやもん。 |
2003年3月20日 木曜日 1:17:45
| 月曜日早々飲んで帰ってきた。どうも仙台に来てから飲みに行く回数が増えているような気がする。すでにこれを書いている今も、酔っているなぁと分かるほどだ。 ただの酒好きと私と飲みに行った人は思っているかもしれない。でも、実際私が飲みに行く理由は違うのだ。 みんなと一緒にいたいから。同じ時間を共有したいから私は飲みに行くのだ。大阪から札幌に行き、そして仙台に来ている私にとって、仙台のみんなと一緒にいられる時間が限られたものでしかないと思えてしまう。出会いがあれば、必ず別れがやってくる。それを少なからず経験しているだけに、今、一緒にいれるということがどんなに貴重なもので、二度とはないと思ってしまう。だから誘われると、体調不良とかよっぽどのことがない限り断れないのだ。 学生のときは、お金を払っているんだから、食べな損!っていう考えはあったけど、今は単なる飲み代というよりも、その人たちと一緒にいたいがために払っている。言い方は悪いかもしれないけど、一緒にいる時間を、「飲み」という形で買っているのだ。 学生時代に母親をなくして、今では父と二人暮し。結婚しているわけでもないのに、主婦みたいにやらなければならない毎日から現実逃避のために飲みに行く、というのも少なからずある。でも、一人では飲みに行けない。絶対誰かと二人以上で行くのだ。その二人で飲む、というのも、私にとってはとてもかけがえのないものである。 二人で飲むと腹を割って話せるのがいいけど、やはり大勢で飲むのも好き。動物占いでは一匹狼の私だけれど、一人よりも誰かと一緒にいるほうが断然楽しいと思う。 |
2003年3月18日 火曜日 0:40:09
| 仙台では毎年5月に「仙台・青葉まつり」が開催される。その祭の中ですずめ踊りがあり、むかし伊達政宗公が仙台城を築城した際に、祝いの席で石工達によって即興で踊られたのがはじまりと言われている伝統的なものらしい。 この日記を書くにあたって、青葉まつりのHPを見て初めて知ったのだが、なんとその石工たちとは、泉州・堺(現在の大阪府堺市)から来ていた石工たちだったのだ。いやいや、これは本当に驚いた。私がこのすずめ踊りに参加するというのも、とんでもない偶然の上になりたった運命とでも言えば良いのか、不思議な感覚である。 今まで私がやっていたよさこいは、もともと高知のお祭で全国に飛び火したものだが、この青葉まつりは仙台独自のもの。地元ならではのお祭に参加したいと思うのは当然である。仙台市もこの青葉まつりのほうに力を入れていて、みちのくよさこいではステージしかなかったのに、青葉まつりは主要道路を通行止めにして、パレードもあるというのだから本当に楽しみだ。 そのすずめ踊りの練習に今日から参加した。私が仙台で所属しているよさこいチームとは違って、年齢層も下は小学生から、上は50代の主婦の方まで本当に幅広い。 すずめ踊りは曲が決まっており、そして必ず両手に扇子を持って踊る。今まで鳴子から扇子にかえ、やってみるのだがなかなかうまく行かない。扇子を開いたまま保つことができないのだ。基本のステップをいくつか習ったけど、すずめ踊りだけに、姿勢を低くして飛び跳ねる感じが多いので、結構足にくる。泉州の石工たちよ、どうしてこのような踊りを、伊達政宗公の前で踊ったのか。 |
2003年3月17日 月曜日 0:09:42
| 今日は私の誕生日から一ヶ月記念!と言いたいところだが、実は仙台に来てちょうど半年が経った。 家の車を運ぶべく、フェリーで仙台港に着き、仙台市内へと車を走らせる。とても天気が良かった。たまたまつけていたFMでは、最近の結婚式についての話で、ご祝儀が…との内容に本州に来たことを実感した。 半年前の今頃、何もない部屋に、私一人。テレビもパソコンもない。近くのコンビニで見つけた東北じゃらんが薄くてビックリしていた。 始めは不慣れだったJRの自分でボタンを押してドアをあけて乗り降りする、ということにも当たり前になった。初めて自分でボタンを押してドアを開けようとしたとき、差し出した右手が無駄になったときもあったが、あれはきっと外の人(乗車の人)が先にボタンを押してしまったからであろう。今では地下鉄に乗ると、絶対にないボタンを探してしまう自分がいる。最近乗ったJRの車両は、ボタンがないのに、ドアは自分で開けなければならないというものだった。いったいどういうことか?と思っていたら、引き戸方式で開けるのだ。もちろん、走行中は開かないようになっている。 みちのくYOSAKOIも充分楽しむことができた。先週の土曜日、よさメンバーで飲みに行ったけど、いつものメンバーって言うのがやっぱり居心地が良い。よさの集まりに顔を出したのが一ヶ月ぶりだったので、なおさら嬉しかった。 でもほんとよく言われるのが、まだ仙台に来てそれだけしか経ってないんだねってこと。どうやら私はすっかり馴染んでしまっているらしい。それは私を受け入れてくれた人ならではの感想で、本当にありがたいことである。 半年経った今、札幌の思い出も連れてきたこの部屋で、私は楽しく仙台の日記を書いている。近くのコンビニで売っている東北じゃらんは相変わらず薄いけど、私の仙台生活はとても濃いと思う。 |
2003年3月12日 水曜日 0:36:58
| 掲示板のカキコにレスをつける前、自分の出来事をちょこっと書くようにしてる私。ついさっき思い出して書いたのが、小学生のとき、よく私は土曜日にお昼寝をしていたということだった。 小学校6年生のとき、学校が終わった夕方から晩にかけて私は毎日のように習い事があった。月曜日は公文みたいなやつ(学研が主催している公文版と言ったほうがいいかな)、火曜日は子ども会でやっていたキックベース(あーめっちゃ懐かしい!)と公文みたいなやつの英語、水曜日は習字、木曜日はピアノ。金曜日は公文みたいなやつ。そして、土日はキックベース。 小学生のある日、ふと気がついた。何もない日がない・・・。確実にストレスがたまっていたのを覚えている。私が肩こりを感じたのもこの頃だ。今となっては、やはり親に習わせてもらって良かったと思うけど、その当時はやはりしんどかった。小学生ながらに疲れていて、土曜日の昼間はお昼寝をしていたのだと思う。 一番何が嫌だったか。それはピアノである。ピアノは中学3年生の途中まで続けていたが毎週嫌々ピアノをやっていた。練習もピアノを習いに行く1時間ぐらいしかしない。それで先生に落胆される。だって、練習する気になれないし、好き好んでやっているわけでもないからなおさらだ。学校の音楽の授業では困らなかったことは感謝しているが、とにかく嫌だった。何回か発表会に出たり、音楽の歌のテストの前には歌の練習をしてもらったりとすべてが嫌なことばかりではないけれど、辞めたときは本当に何も後悔がなかった。これからピアノをやらなくて済む!という開放感でいっぱいだったのを覚えている。 一番好きだったのは・・・。その当時は嫌なことももちろん多かったけど、大人になった今となって言えるのはやっぱりキックベースかな。女の子はキックベース、男の子はソフトボールで、その当時はやたらとソフトボールをやっている男子に敵対心を抱いていた。私たちは頑張っても準優勝どまりだったのが、男子は優勝してきやがる。お互いに暴言を浴びせあったりしたが、まぁ小学生にありがちな、いわゆる男子対女子、のやり取りである。 でも、中学生になりそれぞれのクラブ活動をいそしみ(やはりみんなスポーツ系のクラブに所属していた)、それぞれの高校に進み、そして大学へ進学し・・・と生まれ育った町を後にする人ももちろん増えた。そして、盆や正月に帰省すると集まるのが、小学生のときのキックベースとソフトボールのメンバーなのである。全員が全員集まるわけではなく、人数も多くないけど、気がつくとメンバーはそのメンバーなのだ。 先日、一番付き合いが長い友達から連絡があった。「GWの前半に実家に帰るけど、一緒に帰らへん?」私が大阪を後にしてから、みんなと同じ時期に大阪に行くことがなかった私。いつか一緒に帰りたいね、って話していたので私は迷わずOKした。地元を出てしまった人には会えないと思うけど、地元に残っている人ももちろんいる。大阪を離れて2年半近く。地元のみんなと久しぶりに飲みにいけたらいいな。この飲みに行くっていうのが、みんな大人になった証拠やね。 |
2003年3月8日 土曜日 17:27:54
| もうすぐ春やなぁと思って、着メロを冬バージョンから春バージョンに変えた。aikoの桜の時と、やはり3月といえばやっぱり卒業。それにもれなくついてくる別れというテーマに、私はなごり雪をチョイス。決して贈る言葉ではない。 するとどうだ。何なんだ今日の天気は。気温が一気に下がり、すっかり雪が降り、場所によってはうっすら積もった。仙台はやっぱり北のほうだから、3月でも雪が降ってもおかしくないしなぁ〜っていうのもあって、なごり雪を選んだのに、空がどんより雪雲に覆われ、横殴りで雪が降っていた。 バイトの帰りもまだ雪が降っていたので、服の上にかかる雪をじっと見てみた。でも雪の結晶が見つからない。そんな私の姿を見た一緒に歩いてた人は、やはり私が雪の結晶を探していると気がついた。そこで私はこの前北海道に行ったときに、初めて雪の結晶を見た、と告げると、かなり驚いていた。2年近くも北海道に住んでいた私が、降ってくる雪で結晶を見れることを知らないとはあり得ないらしい。 だってさ、そのことを教えてくれる人が誰一人おらへんかってんもん。しゃあないやん。と思ったのと同時に、冬に雪が降る土地ではそんなことは当たり前の事実なので誰も話さない、いわゆる常識ってことに、今日初めて気がついた。 |
2003年3月5日 水曜日 0:22:57
| 2月は本当に予定が盛りだくさんで、今思えば本当によく遊んだ。安比高原のスキー、そして先週の今頃は、ビックエアのオンエアをホテルの部屋で今か今かと待っていた。 楽しかった北海道を後にし、仙台に戻ってきて、そういえば3月は大きな予定が入っていないよなぁ・・・と思っていた矢先に、職場の人に日帰りスキーに誘われ、「行く!行く!行く!」と必要以上に返事をしてしまった。それを楽しみに先週は乗り切った。 行き先は福島県。私にとっては初福島である。東京に行くときの、サービスエリアで福島の地に降り立ったことはあるけども、それはあくまでも通過点。今回のように、目的地が福島というのは初めてであった。 朝6時に仙台を出発し、高速を使って8時過ぎにスキー場へ。規模はもちろん安比にはかなわないが、思っていた以上に雪質はよく、リフトにはすべて雪や風を防ぐカバーがついていたのが良かった。そして、一番上まで上がると、磐梯山と猪苗代湖を望むことができた。磐梯山はその昔、大規模な噴火を起こし、そのために山頂が二つに割れてしまった。そしてその溶岩が川をせきとめてしまい、猪苗代湖ができたという。世界的に有名な医学者、野口英世が生まれた場所もこの辺りである。 午前中は天気が良かったものの、昼からは天気が崩れ、ふもとでは雨になった。帰りに土湯温泉に寄った。露天風呂に入ってみたが、温泉自体は悪くないのだけれど、やっぱり北海道ほどの凍てついた寒さがないため物足りなく感じた。 そんな露天風呂に入りながら、福島にスキーに来たときからの妙な違和感がやっと分かった。高速を使ってスキーに行くのに、出発地点から思いっきり南下しているからだ。 北海道では出発地点から360度どの方向のスキー場に行こうが寒くてスキー場があるのが当然だが、大阪ではそうはいかない。必ず北上しなければスキー場にはたどり着かないのだ。大阪にいたとき、日帰りスキーに行くといえば、夜中の1時2時に出発し、太陽が上る前にスキー場に着いて駐車場でリフトが動くまでひと寝入り。リフトが動き出した頃に滑り始め、道が混みだす前の15時ごろにはスキー場を後にする・・・と行ったパターンだった。目的地は兵庫県か、ちょっと足を伸ばして石川県まで行ったこともあった。 帰りは仙台へ向けて北上する高速道路に乗って帰った。今回のスキーが滑り納めかなぁ…と思いながら、私はあることに気がついた。今シーズンは4回スキーに行ったけど、目的地が4つの県に渡っているのだ。正月の山形、地元宮城、2月は岩手、そして今回の福島である。北海道はどこまで行っても北海道だが、今ではちょっと高速を走るだけで違う県に行ってしまう。私は今、本州に住んでいるんだということを実感した。 |
2003年3月3日 月曜日 0:48:57
| 体重計に乗ってみた。それはあまり多くは語らなかったが、紛れもない事実のみを私に告げてくれた。 初日から、中華プラス夜食にラーメンがまずかったのか、それとも次の日のビックエアの本番が終わったあと、夜中の2時ぐらいからの居酒屋が良くなかったのか、いやいや3日目の回転寿司・クリームぜんざい・ジンギスカンプラスドリンクの食べ飲み放題がきているのか、最終日のスープカレーの後、空港での試食ツアーに、やはり北海道の〆のソフトクリームが応えているのか・・・と思い出が走馬灯のようによみがえった。 今回、北海道に行った第一の目的は、ビックエアの仕事をお手伝いするため。親戚のおっちゃんが勤めている、ここのHPのリンクでもお馴染みのギミックさんが来札。おっちゃんを含め5人の大阪人が札幌に来た。おっっちゃんたちは仕込みがあるので、木曜日に札幌入り。私は金曜日の晩に札幌に行ったので、土曜日の本番のみお手伝いした。その土曜日の本番が無事終われば、次の日はおっちゃんたちと北海道を堪能できる。それを夢見て、土曜日は頑張った。・・・って自分で頑張ったといっても、評価するのは周りのみなさん。来年もお手伝いできるのなら、それなりにお役に立てたってことだろう。 土曜の本番が無事終わったので、日曜日は楽しく過ごさせてもらった。私の北海道に対しての想いより、彼らはやはり雪の北海道に対する想いのほうが新鮮である。ある人は、つららを割って折ったり、氷の板にパンチをかましてみたり、夜遅くコンビニで買ったアイスを店を出た瞬間食べだしたり・・・特に、アイスを外で食べるというのは、いつまでも溶けずに食べられるのだそうだ。それは気がつかなかった。というか、くそ寒い中アイスを食べる気にもなるわけがないので、気がつかなくてもしょうがない。 あと雪の結晶を見に来たと言っていた。降ってきた雪が自分に服に積もったのをよーく目を凝らしてみてみると、それは見事にあの雪印のマークの形のものがはっきりと分かるものがある。本当にそれは小さいものだが、紛れもなく雪の結晶なのだ。これには本当にびっくりした。約2年も札幌に住んでいたのに、まったく知らなかった。教えて頂いて、本当に感謝である。でも、それを教えてくれた彼女は、本当に寒いのが苦手らしく、温泉に行っても、露天風呂には決して近づこうともしなかった。 私が、札幌に住んでいたときによく利用していたスーパーに行くと、お土産屋より海鮮が安いのはもちろんのことだが、それ以外の日常品も非常に安いので、わざわざ切り餅を買って帰った人もいた。餅なんか重いし、別にここで買わんでもと思うけど、やはり値段がびっくりするほど安いので、買わずにはいられなかったらしい。 お土産にカニを買いたいっ!という人がいたので、土産屋に行った。そこはカニを専門的に扱っているところなので、入ったとたん棚に並んでいるゆでられたカニの鮮やかな赤色が目に飛び込んでいた。一面カニである。いろんな水産店が店を並べてカニを売っている。カニを買わせようと、勧め方も気合が入る。試食をさせてもらった後、「どう?このカニ、身がずっしりしてるでしょう?」と言われ、並んであるカニを手に取ったら、確かに見た目の大きさ以上に身がずっしりきた。それには思わず「おぉぉ」と声を出さずにはいられなかった。そして、隣の店に行くと、「うちのカニも食べてみて。隣はカニは重さが大事って言っていたけど、本当は新鮮さが命。ほら、隣と味が違うでしょ?」と確かに試食に出されたカニは、隣のと味が違っていた。でもさ、一番いいのは、新鮮でなお且つ身がずっしりと重いやつとちゃうの???そして、極め付けが「うちはカニ以外にも、こういうのも扱っているのよ」とカタログを差し出した。なんでそこでカタログやねん!!!現物見なわかるわけないやろう!!! そんな感じで、今回も北海道を楽しむことができた。くそ寒いのはしょうがないけど、その寒さこそが北海道である。これで仙台でも残りの冬を余裕で過ごせるわぁと、今朝表に出てみると、仙台もそれなりに寒かった。 |
2003年2月26日 水曜日 1:00:41
| バイトが終わったら直接空港に向かって、北海道に行ってくる。昨年末に行って以来の札幌。仙台に引っ越してきてから5ヶ月。実に3回目である。その間、大阪にはまったく行っていない。 今回北海道に行く目的は、札幌市真駒内である、TOYOTA BIG AIRというスノーボードの大会のため。大阪のおっちゃんがその仕事のために札幌入りするので、私も行ってみたくなった。去年、まだ私が札幌に住んでいるときも当然その仕事で来た。札幌で親戚に会えるというのが実に不思議であり、すごく楽しい。 で、この私が珍しく、昨日の晩から準備をし始めたせいで、今回はこうやってのんびりと日記を書くことができる。というのも、今日の晩飲み会が入っていたので、絶対帰ってきてからの一からの準備はムリッ!!!という判断が実に今、功を奏している。 昨日も睡眠時間が3時間。今日ももう夜中の1時を回っている。いい感じだ。これで、明日飛行機も寝ているうちに札幌へ着いてしまうだろう。いや、そうあって欲しい。 明日の晩は、札幌でのバイト先の人たちと晩御飯を食べ、そして土曜日のビックエアの本番に備えて就寝しているであろう。 ほんとにほんとに、無事に札幌に着きますように。 |
2003年2月21日 金曜日 1:17:52
| 毎週火曜日はダンスの日。もっとよさこいを上手に踊りたいっ!と思い、みちのくよさこい終了後、同じチームの人の紹介でダンスを習いに行き始めた私である。 しかし、火曜日はよさこいの練習日とばっちり重なってしまっている。これがいつも私をどっちに行こうか悩ませるのだ。とにかく激しく、暴れたいのならよさこい。身体をほぐして姿勢からきっちりとやりたいのならばダンス教室。しかし今日は病み上がりということで激しいのはちょっと・・・ということでダンス教室のほうへ行ってきた。 ダンス教室はワンレッスン90分。始めの30分でじっくりと身体をほぐし、15分ぐらいバレエのバーレッスン。あのダンス教室といえば鏡張りの部屋で、バーがあり、それを持って・・・と良くある風景である。これで姿勢をきちんとする。まっすぐの姿勢を保つことは結構しんどいことで、動きに集中すると姿勢がおろそかになるし、姿勢に集中するとがちがちな動きになってしまう。それが終わっていよいよ音楽にのって踊る。私が習っているのはジャズダンスだが、今やってる音楽はゆったりしているので気持ちよく踊れる。そして最後は2人ペアになってマッサージ。これがやっぱり気持ち良い。最後の楽しみである。適度に身体がほぐれる上ダンスも上達するので、私にとっては一粒で二度美味しいグリコ状態である。 昔からお遊戯とか好きで、運動会のダンスもちろん好きだったし、高校の文化祭の盆踊りでも踊り狂っていた私が、北海道でYOSAKOIに出会い、やはり踊る楽しさを再確認した。そして去年の秋、みちのくよさこいを経験し、もっと踊りが上手くなりたい!と思い現在に至る。そして、来月からは仙台青葉まつりで行われる「すずめ踊り」の練習が始まる。それが終わると、高知のよさこいに出るための練習が始まり、夏が来て、高知に行って、それが終わり秋が来るとみちのくよさこい・・・と今年は踊り三昧の年になるだろう。今からとても楽しみである。 せっかく踊るなら上手に踊れたほうが楽しいので、行ける時はダンス教室にも通いたい。パワーアップ、してみせまっせっ!!! |
2003年2月19日 水曜日 0:20:13
| 誕生日の次の日から調子が悪くなった。急に熱が出てきて、胃痛や腹痛を伴った。熱は一晩で治まったけど、胃の痛みがなかなかとれない。 こ、これはひょっとして・・・。誕生日の昼ご飯に、頂き物のレトルト食品の牡蠣カレーを食べた。きっとこれにあたったに違いない・・・。そっか、私は牡蠣にあたったんだ・・・熱が出た以外に風邪の症状もなかったしと・・・そういえば、牡蠣祭のときはまったく平気やったなぁ。こんなんじゃ、牡蠣祭の様子をこのHPにUPする気になんかとても思われへんわ・・・と約二日が過ぎた。 でも、やっぱり胃の痛みが引かないので、金曜日のバイト終了後、病院に行ってみる。すると、医者は牡蠣にあたったものではないという。そして胃薬を処方された。薬を飲んで痛みが治まらなかったら検査が必要になってくるので、病院に来てくださいと言われた。 困る。それは非常に困る。私には、予定が詰まっている。水曜日には飲み会だし、金曜日には札幌に行く。検査なんて受けてられないし、胃が痛いまま飲み会に参加しても楽しくないし、ましてや北海道に行っても食べたい物が食べられない〜〜〜!!! それで、土日の予定をキャンセルして家でゆっくりしていた。今の時点ではまだあまり食べれないものの、胃の痛みは治まったようだ。でもまだ胃に何かあるような気がする。何もないで欲しい。 それにしても、胃の痛みで食べる量が減ってしまっても、まったく痩せないのが不思議である。 |
2003年2月16日 日曜日 20:51:30
| 日付がすでに変わってしまったが、建国記念の日は、私の誕生日である。ニュースでは建国記念を祝い、日の丸を掲げ、君が代を歌う集会もあれば、そんな集会を反対する集会もあった。そんなことより、今日は私の誕生日である。 多くの人は日常変わらない生活の中に、今日は自分の誕生日が組み込まれている感じだが、祝日が誕生日なので、なんか朝起きたときから誕生日を満喫できる。 ・・・っていうのが去年まで。今年は、土曜日から月曜日まで行ってきたスキーツアーの疲れで、とにかく朝起きるのが辛かった。もう若くないので、今日は一日中ほとんど寝てた。 でもそんな中で、誕生日を覚えていてくれた人や、人から聞いて知った人がメールをくれたりしたので嬉しかった。大阪、北海道、やはり仙台、あと埼玉・・・そして中国からも。その中で、やっぱり肉親から来たメールにグッときた。 九州に住んでいるおばあちゃんからは荷物が届いた。「ケーキは贈れないから、代わりにカステラを送ります」スキーに行ったりしてケーキを準備できなかった私には本当にあり難く、美味しく頂いた。 晩御飯は、近くの串揚げを食べに行き、帰ってきてからようやくスキーの写真を整理し始めた。スキー旅行だったはずが、100枚近く撮った写真の中で、スキー場で撮ったのは5枚ぐらいしかなかった。でも、それ以外にソバ打ちや、スノーモービル、クロスカントリーなど盛りだくさんな内容で、本当に行って良かった。 ・・・それらの筋肉痛がまだ来ない。中一日おいて明日に来たら、それはやっぱりそれなりに歳をとった証拠なのだろう。 |
2003年2月12日 水曜日 1:05:10
| 準備が嫌いな私である。明日から職場の人たちと二泊三日でスキーに行ってくるのだが、ようやく準備が終わった感じである。明日は7時半には家を出て行く。今の時間は1時。今日職場で「明日のことが楽しみで興奮して寝れないってことないようにね」って言われた。興奮して寝れないって言うのは、明日の準備が完璧に終わった人が味わえる快感であって、私はそれに達することなく、準備がとりあえず終わったことに安堵して寝てしまうだろう。 今週の始めらへんに少々体調を崩してしまい、早く寝ていたのでちょっとそのくせが定着しつつあった。昨日までは日が変わる前には完全に寝ていた。それが今日はどうしたことか。 まぁ、準備を始めたのがナイトスクープが始まってから、っていうのに根本的に問題があるんやけど。しかも、ナイトスクープを見ながらの準備っていうのには無理があり、完全に手が止まり、大阪を舞台にしたテレビにすっかり夢中だった。 なんでこんなに準備がめんどくさいのだろう。準備が楽しいって言う人の感情を少し分けてもらいたいぐらいだ。私は追い詰められてからするタイプなので、準備がぜんぜん楽しくない。 さてさて、ほんまにもうぼちぼち寝なきゃ・・・。 |
2003年2月8日 土曜日 1:12:21
| 先週の土曜日、いつものようによさこいの練習で集まって、ストレッチをしていたときのこと。私の携帯が鳴った。携帯をとめにいくまで少々距離があったので、しばらく着メロが流れていた。それを聞いたある人が一言。「懐かしい〜」 私がそのとき設定していたのは、カズンの「冬のファンタジー」だった。それをきっかけに、自分にとっての冬の歌って何だろうねぇ、ってしばらく話が盛り上がった。 私はせやなぁ、やっぱりまずはB’zの「いつかのメリークリスマス」 早い話が2人で過ごしたクリスマスも今となっては遠い過去・・・と言う歌。初めて聞いたとき、歌の中に出てくる2人の状況に憧れ、でもなぜ悲しい結末を迎えてんやろう・・・と切なくなったりしたもんだ。歌の中で「彼女が欲しがっていた椅子を買ってきた」という歌詞があるのだが、それに「なんでクリスマスにわざわざ椅子なんか買ってもらうんよなぁ!」熱く語っていた友達がいた。ええがな、別に。この曲を聴くたびに、そんな彼女のことを思い出さずにはいられない。 クリスマスついでに書くと、やはり山下達郎のクリスマス・イブは欠かせない。昨シーズンのクリスマス前に、クリスマス・イブのラップが出た。かなり新鮮だったが、リリースするのが若干早すぎたせいか、肝心のクリスマスが近づくにつれ、ランキングが落ちていたのが忘れられない。 あとクリスマスまでに聞きたいのが、MAXの「一緒に・・・」である。確か何年か前の紅白で歌っていた。歌詞もなんか共感できる部分があって、あまりMAXらしくないのがまた良い感じなのだ。なんでクリスマスまでかって言うと、「クリスマスこの道を手を繋いで歩きたい」っていう歌詞があるため。 そしてクリスマスが終わると一気に年末。っていうかクリスマスの時点ですでに年が終わる一週間前だからしょうがない。クリスマスが終わると聞きたくなるのがユニコーンの「雪が降る街」である。「年末だから〜」という一言があるからだろうが、歌詞をよく思い出してみると、年末の人間模様をよく表現している。 年も明けると冬本番!!!今の私の着メロは、ZOOの「Choo Choo TRAIN」に設定してある。これはだいぶ前に、JR東日本skiskiのイメージソングである。その当時、JR西日本管内に住んでいた私は知ったこっちゃない。globeの「DEPARTURE」も然り。でもこの2曲とも冬って感じというか、スキーに行きたくなる。 SPEEDの冬の歌と言えば「White Love」という人も多いと思うけど、私は「STEADY」のほうが好きだ。そうそう、忘れちゃいけないのが、鈴木あみの「White key」あみちゃん、帰ってこないねぇ・・・。小室繋がりで行くと、華原朋美の「I BELIEVE」かしら。 あと、思いつくのを書けば、槙原敬之の「冬がはじまるよ」と「北風」・・・とここまでいろいろ書いて、そういえば、ある人を思い出した。冬といえばこの人!!!あの季節労働者、広瀬香美である。 ・・・そういえば、今シーズン彼女の存在ないね・・・。 |
2003年2月5日 水曜日 22:36:53
| 今日、北海道から一枚のハガキが届いた。私と歳が近い、伊勢に住んでいた従妹からだった。 彼女は北海道へ農業体験をするために秩父別に行き、そして、いま秩父別で仕事を見つけて住んでいると言う。実は、私が北海道に住んでいるときに彼女は秩父別に渡ったのだが、結局1回も会えないまま私は仙台に来てしまった。 それがちょっと心残りだったため、彼女に年賀状を書いた。「北海道はどうやった?」って。それが今でも住んでいると連絡が来て本当にビックリした。 彼女の携帯番号を、彼女の母親から以前に聞いていたので晩に電話を入れてみた。相変わらず彼女は伊勢弁全開だった。関西弁と言えば関西なのだが、やっぱり独特のイントネーション。やはり、普通に話してて通じないこともあるそうだ。 彼女と前回会ったのは、約2年前に法事で伊勢に行ったとき。なので、今日話したのも2年ぶりということになる。2年前彼女は伊勢、私は北海道に越して間もない頃。それが今では彼女は北海道、私は仙台。ほんと何が起こるかわからない。 彼女が北海道に行った理由は・・・ここに書いてしまって良いものだろうか、彼女の許可なしに・・・。でも、彼女は今働いている職場で初めてパソコンを触り、2?歳になって初めてエンターキーを知ったと言っていた人なのできっと大丈夫だろう。 彼女は結婚する予定でいた。相手の親も挨拶に来て、どこの式場で式を挙げようか、という話まで進んでいたのに、残念ながら別れてしまった。それがやはりこたえた彼女は本州になんか居たくない!!!と伊勢を飛び出して北海道に行ってしまったのだ。 「本州になんか居たくない!」ってその本州っていう単位で物事を見たところが感覚がなんかちゃうなぁと思った。そして、なぜ四国でも九州でもなく北海道なんや?と思ったが、理由は簡単。彼女のお兄さんがもうかれこれ5年以上札幌に住んでいるのだ。 今、私の従兄妹が2人、北海道に住んでいる。お兄さんのほうは家族でもなかなか連絡が取れず、何をやっているかは不明。ただ分かっているのは札幌に住んでいるということのみ。なので、私が札幌にいたときももちろん会うことはなかったし、電話すらもできなかった。 なんか、今後北海道に行く目的が一つ増えた。今年のうちに、札幌で3人で会えたら良いな。 |
2003年1月30日 木曜日 1:06:59
| 仙台にしないにある某百貨店で、今度は博多の物産と観光展が開催されている。実は、先週の金曜日にも行って来たのだが、待ち合わせ時間までのつなぎとして行ってしまったため、全部回りきれなかった。ので、今回はそのリベンジと言っても過言ではない。 やっぱりお目当ては試食、試食、試食。前回行ったときも食べたが、今回はそれに輪をかけて食べた。が、前回ですっかりやられてしまった焼酎は試飲しなかった。 北海道は知っているものが多いが、博多はまだまだ未知なる世界。意外と和菓子が多いんだなぁと思いつつ、食べに食べる。明太子製品の中に、「赤い恋人」と名乗る蒟蒻があったのはビックリした。 実際、博多の製品だけではなく、九州全体の食べ物も扱っていた。長崎の皿うどんやら、カステラ、鹿児島のさつま揚げなどなど本当にバラエティに富んでいた。北海道展のときよりも本当に良く食べた。 金曜日に行ったときは試食オンリーで済ませてしまったが、今日はなぜか財布の紐が柔らかくなってしまっていた。お気に入りは葛湯。小学生以来飲んでみたら、すごく美味しかった。風邪に効きそうな生姜味をはじめ、抹茶やココア、小豆などあり、5種類の味を2個ずつ買ってしまった。 あと、もずくスープのもとやら、豚の角煮饅、皿うどんetc・・・北海道展より私は大いに楽しめた。 博多展に満足してほくほくしたその帰り、最寄の駅を降りて、駅員さんに定期を見せようとしたら、定期がない!!!定期入れのいつも入れている場所に、定期がなかったのだ。 ・・・仙台駅の改札を通るとき、ちょっと急いでいたから定期を取るのを忘れたっ!と瞬時に思い、駅員さんにそのことを告げた。 すると、駅の事務所に通された。めったに入れることのない駅の事務所。利き酒クイズと書かれた紙がソファーの上に置かれていたのに非常に気になったが、歴代の駅長の名前が木の札に記され、ずらっと並んでいる様子に歴史を感じた。その駅は初代から40代ほど続いた後、国鉄よりJRに変わってからまた初代となり、現在は8代目に至る。 その駅長さんは本当に親切に対応してくださった。そして、仙台駅に問い合わせてくれているときに・・・いつもの定期入れの、いつもは絶対入れない場所から定期がなんと見つかったのだ。 そのときすぐに駅長さんにありましたと伝えたらよかったのだろうが、あまりにも丁寧かつ迅速な対応ぶりなので、今さらありましたなんてとても言えない状況だと私は感じてしまった。それと仙台駅が自動改札になってまだ2ヶ月も経ってないだけに、このような事態にどのような対応を取ってくれるか見てみたい気もちが大きかった。 その結果、明日の朝、仙台駅に行って、紛失届けを提出し、仮の定期を発行してもらい、1週間ほどそれを使用している間に見つからなかったら再発行してくれることとなった。払い戻しの手続きは不要とのこと。しかも、仙台駅や通勤先の最寄の駅までこのことをきちんと知らせてくれるとのこと。 明日の朝、自分のこの早とちりを素直に認め、正直に見つかりましたっ!言うべきか。ここまでお膳立てしていただいたJRのご好意に応えるべく、言わないべきか。 さぁ、この状況、他の人ならどうするやろう。 |
2003年1月27日 月曜日 23:22:13
| 朝、バイトに行くときは雪なんか降るんかいなぁと思っていたら、本当に天気予報どおり降ってきた。しかも降り方は激しく、昼過ぎには宮城県の平野部に暴風雪波浪警報まで出ていた。 久しぶりの雪で、心が躍った。北海道みたい〜と一人ワクワクしていた。先日の日記に、雪がなくてもいいかも〜と書いてあったくせに、やっぱり冬らしく感じるのでいいもんだ。このように思えるのは、家の車は地下の駐車場にとめてあるので、雪かきをしなくて済むという精神的、肉体的余裕からくるものなのは間違いない。 窓の外はあんなに激しく降っている雪も、外に出てみると意外と大丈夫だった。すでに雪が積もっているせいか暖かく感じた。雪が降ったら暖かく感じるって言うのは本当で、これは湿度に関係あるらしい。たとえば、2つの部屋が同じ温度でも、湿度が違うと体感気温が変わるのだ。湿度が高いほうが暖かく感じるので、雪があるのとないのでは本当に違うのだ。 外に出て、歩道を少し歩き始めて、やられたと思った。除雪されてない・・・。雪が積もりっぱなしやから歩きにくくてしゃあない。かろうじて誰かが歩いたところと同じところを通る。それでも歩きにくい。いつもより若干視線が高い位置にある感じがして、いつもだったら手が届かない木々の枝も、雪が積もって下にしなり、距離が近くなっていた。車道は車がそこそこ通るのでそれほど積もっていないのだが、歩道は積もりっぱなし。うぅぅぅんやはり北海道より除雪がしっかりしてへんのかなぁ。 ここまで雪が降ると、案の定JRは遅れていた。でも、遅れていた電車が、ちょうど乗りたい時間ぐらいに来て発車するので、いつもより5分程度しか変わらずに家に帰れた。 傘をさしても、風があるので雪は横から降ってくる。傘を斜めにさしても、全身を守ることができない。まぁ、雪をはらったら済むわぁと思っていたけど、雪をはらってもさらっと服の上から雪がなくならない。なくならないどころか、服にとどまって吸収される。うぅぅぅ、やはりここは仙台。北海道よりも南なので雪がべた雪なのだ。どうりで雪の大きさが小粒で、降ってくる速度も速く感じたわけだ・・・。 |
2003年1月24日 金曜日 0:32:43
| っていうほど寒くなかった本日の大寒。やっぱりそれは日めくりカレンダーで知った。 今年使っている日めくりカレンダーは、去年、横浜中華街に行ったときに買ってきた中国製日めくりカレンダー。数字や、曜日の英語以外はすべて中国語で書かれてある。が、季節の暦が日本と一緒というのにはビックリした。というか、日本がそのような暦を輸入したと言った方が正しいのか。 今日は大寒と言うことで、日めくりカレンダーにはいつもみたいに日付がでかでかとでることなく、子供たちが雪だるまを作っていう様子の絵の中に、控えめに「20」と書かれてあった。なんか中国では暦を大事にしているんだなぁとうかがえる。なので、春節に当たる日なんか、それはそれは派手な絵が描いてある。・・・このカレンダーを使っていると、日本の祝日が分からないのがネックだが。 昨日、車で出かけたけど、雪がなくて本当に運転しやすかった。雪があるとないとでは、運転するときの緊張感がまるで違う。でも、この次期、仙台に雪がないのは本当に珍しいことらしい。雪があったら暖かく感じることはあるけども、やはり雪が降る=寒い上に歩きにくくなるので、別になくても良いとも思う。スキー場にさえ雪があればそれでいいかも。 |
2003年1月21日 火曜日 0:42:40
| 今朝のこと。はきたいと思っていた靴下の片方がどうしてもみつからない。なんでやろ〜・・・せやせや、ひょっとしたら、あのかばんにいれっぱなしとちゃうか〜ということを思い出した。 そのかばんを開けて、物を探っていると、モワッと粉が目の前をまった。は?!とか思った次の瞬間、かばんの底から、色がすっかり変わってしまったみかんたちが姿を表した。 お正月に温泉に行くときに、温泉であったまったところで、美味しいみかんを食べよう!温泉宿で食べるみかんの味はきっと格別やわ!と思って、5個ぐらいみかんをかばんの中に直接入れた。そして、結局温泉宿でみかんを食べることなく、そのまま持って帰ってきた。そして家に帰ってきてから、みかんを一つ食べたと記憶している。 残り4つのみかんちゃんたちは、私に食べてもらうのをいまかいまかとかばんの中で仲良く待っていてくれたに違いない。それがなかなかそのときがやってこない。もうそのときはやってこないんじゃねぇか?!とみかんちゃんたちは気づいてしまった。すると彼らはある行動に出た。・・・そう、見た目を変えてしまうんだ、と。 彼らの怒りは相当だったらしく、見た目だけではなく、少しの刺激を与えるだけで、粉塵まで巻上げれる状態までなってしまっていた。ゴメンネ、ほんとゴメンネ・・・。 私の温泉の思い出は、約2週間の時を経て新しく生まれ変わったのだった。 |
2003年1月17日 金曜日 0:36:30
| 何がOKなん?!ってぜんぜんOKなことないねんけど。最近日記を書いていないことを指摘されてしまったので、さぁ、一週間ぶりに日記書こう〜、でも何書こうと思ってネットとかしてたら、タイトルのところにいつの間にか「ok」って入っていたから、それをそのまま採用させていただきました。 あーーー、何書こう。まぁこんなときもあるわいな。思いつくまま適当に書いたろう。 年末フェリーに乗って北海道から帰ってくるときに、その日のテレビ放送でM−1グランプリをやっていたと最近になって知ってちょっとショックやったなぁ。ぜひ再放送やって欲しいわ。 昨日、いつものJRに乗ってバイトに行こうとしたら、やたらホームに人がぎょうさん待ってるなぁと思ったら、案の定電車は遅れてきていた。遅れてきた電車がいつも乗る時間に着いたもんやから特に関係なかったけど、遅れた理由が、車内で傷害事件が起きたかららしい。とんでもない理由やなぁと思っていたら、今朝乗った車両で話していた、あんまり頭良さそうじゃない会話の中で、車内でたばこ吸っていたやつがいて、それを注意した人と殴り合いのけんかになって、次の駅で降ろされて、警察に連れて行かれたという事実を聞くことができた。 先週やったかな、どうしてもスパゲティが食べたい!っていうときにたまたま通りかかった店に、お持ち帰りできるスパゲティがあったからこれはラッキーって思って持ち帰って食べたら、めっちゃまずかった。 今日職場で、全国の市町村の面積を示した本が回覧できて、北海道の212市町村の8割以上読めて嬉しかった。そしてやはり「増毛」という地名は東北ではメジャーじゃないみたいだ。 昨日、どんと祭があった。ご存知去年1年使っていた縁起物を持って行って燃やす行事やけど、私が小学生ぐらいのときに始めて初詣に行って破魔矢を買ってきた。これが嬉しくて、それ以降毎年破魔矢を集めていった。そう、燃やしに行くことなしに・・・。家内安全なんてくそくらえである。そういえば、今年になってまだ初詣に行っていない。 先日メグミルクを飲んでみたら、あぁ、あの味だって、ちょっと久しぶりに牛乳を味わって飲んだ。 それにしても、本当に毎日よくテレビを見る。このテレビを見ている時間を勉強にあてたら、とんでもないぐらいの知識人になっているんだろうなぁ・・・。 そして、今夜もテレビにタイマーをつけて寝るんやろうなぁ・・・。最近はいつもよりちょっと寝る時間が早くなったかも。 |
2003年1月15日 水曜日 22:56:43
| つい先日、フェリーに乗ってきた私にとってはなんだか気になるニュースであった。 今朝のワイドショーでは、乗客の怒りが取り上げられてた。そして、フェリー会社の対応のまずさを指摘していた。印象深いのは、フェリーが遅れたため、パートに出勤することができず、それを理由に解雇された、というものだ。 フェリー会社のHPを開いてみると、お詫び文が載っていた。それ以外には何も変わらない。あの雪印事件のときは、HPがお詫び文のみでそれ以外の情報はまったく閉鎖されていたのを覚えている。 そのフェリー会社のHPには掲示板が用意されているのだが、主旨は船旅の情報交換の場、である。それが今回の事件のことで持ちきりになっていた。 誹謗中傷はもちろんのこと、でも擁護する意見も多数。中には、その事故に見舞われた乗客が書き込んでいるものがあった。その人は、秋田で降りた後、900キロの道のりを自走して帰った、というもの。こんなアクシデントはめったにないと、その状況を楽しんだ感じがその文からは伝わってきた。 あと他にはあんなに騒ぎ立てたのは、ごく一部の人間にすぎないらしい。それを大きく取り上げ報道しているマスコミにも問題だとか。その意見を読んで、私は過去のあの出来事を思い出さずにはいられなかった。 昔、タイ米が輸入されたことがあった。タイ米を日本米を混ぜて売る売り方もどうかと思ったけど、いちばんおかしいなぁと思ったのは、「タイ米は美味しくない」とあらゆるところで言われていたことだ。テレビでも実際に食べてみて、やっぱり美味しくないですねぇなどど言ってるのに非常に疑問に思った。 タイってたしか米の輸出では世界一、と社会の授業で習ってたし、そのタイのお米の食べ方がまったく伝わってこなかったからである。まずいと言っていた番組ではどのようにタイ米を炊いたのであろう。普通に日本の炊飯器で炊いたのであろうか。そんな日本のやり方でやってもしゃあないやん。タイでの食べ方ってどんなんやろう・・・知りたい情報が伝わってこないマスコミにすごく疑問を抱いた覚えがある。 その私の疑問に答えてくれたのは、今でも愛読している「美味しんぼ」だった。タイではお米は炊くというよりも、ぐつぐつと煮るといった感じで、途中で煮え具合を確かめるために実際に食べてみるのだという。煮え終わったらそのお湯を捨て蒸らすというものだった。私が知りたいのまさしくこれやねん!あの衝撃はすごかった。でも、やはりタイでも自動炊飯器が普及してきて、この方法で炊くことは減ってきているらしいが。 話がかーなりそれてしまった。 が、この事件に関しての意見は本当に十人十色。あれだけ激しく抗議をしている姿は醜い。もっと冷静にその状況を受け入れるべきだ、とを言うた人もいるが、あの解雇されたというオバちゃんは、自分の稼ぎで日々の生活がかかってるねん!・・・と勝手に想像してしまうと、あの抗議の力の入りようも納得がいく。 周りから何とでも言える。なぜなら、自分がその状況にあっていないからだ。あっていないからある意味冷静に判断でき、もっともらしい意見も言える。自分が実際にその状況に陥らない限り、自分がどのように思い、行動するかなんて分からないのだ。 1番びっくりしたのは、仕事の先日というギリギリまで予定を入れずに、もっと余裕をもって予定を組むべきだ、というもの。おいおい、じゃああんたは、2連休しかない休みをめいいっぱい使うことはないんやな?一日目だけ楽しんで、二日目は次の日の仕事があるのを理由に、余裕を持って家でスタンバイしておくんかい。 あと、この事件に関して気になっていることは、あの解雇されたオバちゃんの職場はいったいどのようなところか、である。 |
2003年1月8日 水曜日 1:37:53
| 今から寝て起きたらいつもの月曜日。普段の月曜日が何食わぬ顔でやってくる。先週の今頃は、フェリーの中で年賀状も書き終わり、爆睡こいていた。休みの前の「今回の休みは長いけど、サクッて終わってしまうんですよ。」って言う会話も、すでに年が変わってしまった今にとっては遠い過去。何をしてても明日という日はやってきてしまう。そしてまたこうやって意味もなく起きてしまっている自分がいる。 昨日の晩、たまたま呼び出しを食らって、飲みに行った。正月休み中、実家に帰っていた人は、やっぱり言葉が地元の言葉になっていた。それが私にとって初めてまともに聞く東北なまりだったので、すごく新鮮だった。どうやら話している本人はそういう意識がないらしい。そしていつのまにかまた仙台の言葉に戻っていくのだろう。 前にも書いたかもしれないけど、世間では札幌が共通語に近い、と言われているが、私に言わせれば仙台のほうが共通語に近いと思う。近いと言うか、仙台にいて方言をほとんど聞かないのだ。 仙台は東北からいろいろな人が集まっている場所なので、地元の言葉を使うと通じないから、というのが一つの説。あと、東京に憧れを持っているからせめて言葉だけでも・・・という意識もあるとか。それはほんとかどうかは謎やけど、本当に方言を聞かない。みんなバイリンガルであることを仙台では隠しているのだ。 面白いのが、仙台と札幌の共通の方言があること。「いずい」とか「うるかす」。ひょっとしたら、「ちょす」もそうだったかな。でも、確実に仙台にしかないのが、「ジャス」であろう。ジャスは方言っていうか、あるもののことを何故か「ジャス」という。北海道でも、アレをなぜか「ザンギ」と言うのと感覚的には一緒である。コマーシャルで「ザンキ名人」を見たときは衝撃的だった。 私なんか昨日、「とても2年も北海道に住んでた人とは思えない」と言われた。やはりまだまだ大阪弁全開らしい。これでもめっちゃしゃべり変わったんやけどなぁ。 |
2003年1月6日 月曜日 1:32:29
| でも、もうとっくに日付が変わってしまったから、実際は土曜日。寝るまでは金曜日ということにしておこう。 連休もあと土日を残すのみになってしまった。休みボケした身体をいよいよ普段どおりに戻さないといけない。明日は正月休みではなく、いつもどおりの土日なのだ。 正月の三が日は、山形の温泉に行ってきた。温泉につかり、ちょっとリッチに、足つぼマッサージをしてもらう。痛いと思ったポイントが、どうやら寝不足や偏頭痛、あと乗り物酔いしやすいとのこと。寝不足も良くあるし、頭痛もたまぁにある。乗り物酔いはなぁ・・・。この前フェリーに乗ったときも酔えへんかったし・・・。と思っていたら、次の日にスキー場まで行くバスの中で見事に酔ってしまった。あぁ、足つぼって確かなんだぁと実感。この前フェリーで酔わなかったのも、乗船時間14時間中、12時間は寝ていたからである。 私にとっての初山形は、思ってた以上に都会で、雪も降ったこと。温泉に行く途中に立派な国道に出くわし、なか卯でうどんを食べた。これで充分都会だと思った。天気が良かった一日目とはうって変わって二日目は雪。新雪でスキーができるなんてラッキーって思っていたら、ずっと降り続いていて視界は悪い。山形のキレイな景色を一瞬も望むことはなかった。でも、木々にに降り積もった雪の姿が本当に美しかった。山形でもこんな景色に出会えるなんて思ってもみなかった。 三日目の今日は天気が良かった。昨日晴れてくれたらもっと気持ちよくスキーができたのにぃと思いながら、まぁ運転して帰るのにはちょうどいい。昨日あれだけ降ったのに、通った道のほとんどがアスファルトが見えていた。緊張して運転したのは本当にわずかだった。 知らない土地で、天気が悪く、しかも一人でのスキーはなんだか不完全燃焼だ。仙台に戻ってきて、スキーに行きたい熱がふつふつと燃え始めている。 誰か私をスキーに連れてって☆ |
2003年1月4日 土曜日 3:21:39
| 結局昨日はいつもの日曜日みたいに過ごした。紅白は、さだまさし以外でチャンネルを変えることなくずっと見てた。でもいまいちだった。最近の歌番組は、ある意味トーク番組化しているので、こういう純粋に歌を楽しむ番組に物足りなさを感じたのかもしれない。 期待していた中島みゆきも、黒部ダムの壮大な景色をバックに歌うことなく、電気の送電線を通すための通路で歌っていたため、非常にもったいないと思った。でも、前川清が歌った、あの福山雅治が提供した曲に少々ぐっときた私がいた。 結局赤組が勝ったけど、今年末の紅白は、きっと白組が勝つだろう。あの、差が広がらない勝ち負けの数に疑問を抱かれずにはいられない。 結局、そのままNHKをつけており、行く年来る年で年があけた。私はトップページの更新中だった。そんな年明けもアリだろう。なんか世紀をまたいだ、あの年明けに比べればなんかいまいち盛り上がりに欠ける。なんかただカレンダーの日付が1日1日になっただけで、とくに普段と変わりがない。今ではすっかり何曜日が分からなくなっている。 でも、そんな普段と変わらないのがええんやろうね、きっと。・・・気がついたら、いつもの1時になってしまっているし。 |
2003年1月1日 水曜日 1:02:21
| 大晦日という日らしい。我が家の日めくりカレンダーもとうとう最後の一枚になった。あんなに分厚かったのに、いまじゃぺらぺらの紙切れだ。一応、毎月最後の日は「晦日」で、12月最後の日はその年の最後の日でもあるから「大晦日」と言うっていう話を、小学生のときの朝礼で校長先生が話していたのを今でも覚えている。それ以外話はすっかり忘れてしまったが。 日めくりカレンダーに記載されているその日の行事欄で初めて知ったが、秋田のなまはげは大晦日の行事らしい。 昨日の午前中に札幌から帰ってきて、しばらく余韻に浸っていたが、一日経つと仙台でのいつもの休日に戻ってしまった。 北海道は私が行く2、3日前から雪が降り続いたらしい。除雪された雪が道路の脇に積み上げられている。国道はアスファルトが見えていても、ちょっと横道に入ったらあたり一面真っ白。すっかり観光客気分な私はそんな状況に笑い転げていた。とても自分が2年近くもこんな雪国に住んでいたなんて考えられない。 でも、着いたその日の晩は、15人近くも集まって鍋パーティだった。別に私が帰ってくるからわざわざ開いてくれたものではなく、私が行こうと思った日にたまたま鍋パーティの企画があっただけなのだ。でもそんな日に行けた私はラッキーだった。私の希望で石狩鍋を用意してくれ、あと2種類の鍋、計3種類の鍋をみんなで楽しめた。私が北海道の乳製品にけんかを売ろうと持って行った蔵王クリームチーズも大変評判良かった。東北の乳製品も負けてないで、ほんまに。その中に、「なんで小岩井じゃないの?!」と敢えて突っ込んできた彼は、まちがいなく私のファンに違いない(笑) 次の日も、北海道で始めてお友達になった、あの積丹のウニを食べに連れて行ってくれた彼女と会うことができた。私の希望で、トリトン→六花亭→そして今回は森もとのパンというコースを設定したのだが、思いのほかに彼女が楽しんでいた。彼女の家から遠いところだったので、このパターンで行動したのは始めてだったらしい。トリトンのサーモンの厚さに感動し、六花亭の安さ(特に喫茶のコーヒー無料)に驚き、さらに森もとまで行くことができるという、厚別の国道12号沿いの店の多さに驚いていた。北海道人の彼女もビックリするぐらいやねんから、やっぱり北海道のモノは美味しいのだ。 このように多くの人と再会し、普段食べていたものを食べ、私はやっぱり北海道に住んでいたんだと実感した。 帰ってきてから、今私が所属しているよさこいのHPの掲示板を見た。北海道に行ってくる〜とカキコしてから見てなくて、帰ってきて見て驚いた。私が北海道土産にラーメンを買って来ることになっていて、年明けてから誰かの家で酒盛りをしたときに食べる話がすっかりまとまっていた。おいおい、そんな話知らんちゅうねん!!!とりあえず、近所の大型スーパーに、札幌の「てつや」の生ラーメンが売ってたのでそれを持っていけばばれへんやろう。 仙台にも待ってくれている人がいるのが嬉しいなぁと思ったけど、良く考えてみると、私よりも、私が持っていくラーメンのほうを楽しみにしているのではないかと。 昨日、新しく発売されていた仙台タウン情報を買った。今号は、読者アンケート発表があって「あなたが美味しいと思った○○は?」とテーマごとに順位が発表されていた。そこでだ。仙台で美味しいラーメン屋の1位がなんと、旭川本店の「山頭火」だった。2位が地元仙台で生まれた店、「仙台っ子」。そして3位が京都本店の「天下一品」だった。 この3種類、全部食べたことがあったものだったので驚いた。っていうか、地元仙台が2位ってどういうことなんやろう。札幌のラーメンランキングでは考えられない。もっともっと仙台に頑張って欲しいと思った。 でもさすがに、牛タンのお店ランキングがあるのは、仙台独特のものだろう。ちなみに1位は私も良く食べに行っている「利久」だった。 さて、今年もあと12時間。何をしようかな。 |
2002年12月31日 火曜日 12:14:24
| 年賀状も無事終了。やっぱりプリンタがネックだった。始め動けへん!と思っていたら、パソコンと繋いだはずのコードが抜けていた。気を取り直して繋ぎ、プリントアウトしてみると、画面と同じ色が出ない。クリーニングして、ためし刷りをしてみてもうまく行かない。4色必要なインクカートリッジのうち、結局3色交換した。予備があって本当に良かった。 明日から北海道に行くわけやけど、バイトが終わったら家に帰らずそのまま行くつもりなので、今から準備をしないといけない状況である。いったん家に帰ってから行けないこともないのだが、帰ってきて30分も経たないうちにまた家をでる必要があるので、大変慌しい。明日の晩にフェリーに乗り、土曜日は札幌泊、その次の日曜日の晩のフェリー(これが年内最終便)に乗って帰ってくるんやけど、実は3泊4日の旅らしい。それなりの大荷物にはなる。しかも冬やから服がかさばってしょうがない。 さっきから眠たくてしょうがないのに、準備もせずにこうやって日記を書いてしまっている。さっさと準備をしたら早く寝れるのは分かっているんやけど、とっかかりが本当に私は遅い。いつものことだ。 あぁ、もう2時だ。そろそろほんまに準備を始めるとしよう・・・。 |
2002年12月27日 金曜日 1:58:49
| 昨日はクリスマスだったので、久しぶりに丸いケーキを買ってみた。食べるのを楽しみにしていたのに、父が帰ってくるのが遅く、晩御飯を食べ始めたのが22時ぐらいだった。そのあとにとてもケーキを食べる気にはなれず、今日に持ち越し。父は今日から北海道に出張。そんな父に朝ご飯からケーキを出すわけにもいかず、そのままお見送り。私の前に、丸いケーキが一つ残った。そんなわけで、私の今日の朝ご飯は、クリスマスケーキ(4.5号)だった。切り分けることなく、丸いケーキにそのままフォークをさして食べる。いいねぇ、贅沢やねぇ、おいしいねぇ。勢いで全部食べてしまいそうになったけど、半分ぐらい食べたところで少々気持ち悪くなった。ケーキなんかいくらでも食べれていた私が、気持ち悪くなるなんて・・・。これも、きっと生クリームのケーキを一気に食べ過ぎたせいやね。歳のせいなんて、絶対に言わせない。 ・・・残り半分のケーキは、晩御飯に美味しく頂きました。一人で丸いケーキを全部食べた幸せ。でも、体重計に乗るのは嫌だぜぇ。 明日の晩の今頃は、苫小牧行きのフェリーの中。あぁ北海道にも行くし、年賀状書く暇ないわぁと思っていた私は、フェリーで年賀状を書くことを思いついた!あけましておめでとうと差出人をはがきに印刷してフェリーに持ち込み、あとは宛先と一言をくわえれば完成する。我ながらこれはかなりの名案である。年内に出すと消印が入らないから北海道で投函しようがばれへんし。もちろん、年賀状を出す人の中に、北海道で会う友達もいてるが、会ったときについ渡してしまわない限りばれないだろう。 さあ、今からお風呂に入って、年賀状を作成に入ろう。プリンタがうまく動きますように・・・。 |
2002年12月26日 木曜日 21:18:01
| 年賀状をまったく書いていない自分に気がつく。年賀状は張り切って宮城ご当地ものを買ってあるのに、まだ一通も書いていない。っていうか、デザインすら考えていない。この前の3連休中は年賀状を書くための3連休だったのかもしれないけど、私は3連休の最終日、東北に来て始めての温泉に行って来た。秋保温泉というところで、東北内では結構有名。うちからわりかし近いので気軽に行ける。でも、ホテルばっかりあるのでいい温泉に入ろうと思えば、高い料金が必要になってくる。1000円払って入ってきて、まぁそれなりに良かった。でも、雪を見ながらの露天風呂、っていうのには仙台ではまだ時期が早いらしい。 温泉の後、蔵王まで行き、美味しいクリームチーズを試食しまくった。あれはいいところだ。そこからしばらく蔵王をドライブした後今度は松島まで牡蠣を食べに行った。そしてまた仙台市内に戻ってきて、周りと競うように自宅に思いっきりイルミネーションを飾り付けているとある住宅街に行って来た。テレビの取材が来るぐらい、自宅にあほほど飾り付けをしてある。あれはほんとに芸術もん。 あの日は本当に車でいろいろ見てまわることができた。仙台に来てから初めてだらけなので、連れて行ってくれた人には感謝である。 ・・・やっと東北楽しんできたなぁって時に、年末はちょっと北海道へ。フェリーが思ってた以上に安かったもんで。 |
2002年12月26日 木曜日 0:59:37
| クリスマスだし、みんなで集まって楽しく踊ろうよっ!と私は解釈しているクリスマスよさこい。とあるチームが主催してくれ、幾つかのチームが集まって踊りのみせあいっこや総踊りだけではなく、プレゼント交換もあるというなかなか本格的なもの。今年の踊りだけではなく、去年の踊りを披露してくれたチームもあり、いくつのチームに所属してるのよ?っていう人もあり、驚いたのは、本祭のボランティアの人も集まって、今年からみちのくYOSAKOIの総踊りに加わった【よさこいキッズ】を踊ってくれた。ボランティアの人まで参加してくれるなんて、人の繋がりを大切にしている証拠だと思った。 室内だから、大勢の人数がいっせいに踊ると床が揺れる。それがじかに伝わってくるのが面白い。こんなときに地震が起きても、よっぽどの大地震がない限り気づかないであろう。 私のチームが踊るのは最後から2番目。たくさんのチームが踊ったあとでいささか緊張気味。しかも、人数が少ないほうなので少々気が引ける。・・・でも我々のチームのメンズはやってくれた。 途中で見事(?!)に衣装がえ。一人はサンタクロース。一人はわざわざ金髪ロングのかつらをかぶり、女性の姿をしたサンタクロースだった。観客の視線は、完全にやつらに奪われた。私も踊っていてそんな二人の姿が気になってしょうがない。視界の片隅にちらりと入ってくる彼らの姿がおかしくて、私は今まで踊ってきた中で一番に笑顔だったに違いない。チームのメンバーにも内緒にしてまでやったあの行動にはあっぱれである。しかも、女装をした彼は、前日に出張先でわざわざ足の毛を剃ったという気合の入れようだった。 東北も捨てたもんじゃないよ。パワーありまっせ! |
2002年12月22日 日曜日 22:14:32
| 携帯を新機種に変えた。今までは画面が白黒の携帯を使っていた。着信音も4和音で、ファミコンのゲーム音がまさしくぴったりだった。別にこれでもまったく困っていなかったのに、なぜ変えたかと言うと、明らかに壊れてきたからだ。 折りたたみ式で、開いたときに接続がおかしなってて、電源が入らない。思いっきり開くとやっと電源が入る。いきなり圏外になったかと思うと、突然電源まで切れてしまう始末。以前にもまったく同じ症状が出て、結局電源が入らなくなってしまい、すべてのメモリーがパーになってしまったことがあったので、今回もそうならないうちに変えてしまおうと思ったのだ。 一番新しいDOCOMOの機種。今流行のカメラ付き。つい2ヶ月ぐらい前に新しいデジカメを手に入れたばっかりで、そっちのほうが確実に画像はいいはずなのに、携帯片手に無意味に写真を撮ってしまう自分がいた。携帯で写真が撮れるなんて、本当に不思議である。ポケベル世代を知ってるものにとって、携帯でこのようなことができるようになったことがすごいと思う。カメラだけではなく、テレビまで簡単に携帯で見れるようになる日も近いのだろう。 いろいろ機能が増えるだけ増えて、通話機能なんて最後の最後につけるようになってるんやろうな。 |
2002年12月16日 月曜日 23:59:17
| 朝起きて、カーテンを開けると昨日とはうって変わって銀世界だった。自分の部屋のカーテンを開けてもマンションの通路しか見えないため、開けたのはもちろん居間のカーテンである。あぁ、降った降った。仙台でも積もるんだぁと札幌であほほど雪を見てきた私でも、心新たに楽しめた。 というのには実は大きなわけがある。雪かきをしなくてすむからだ。今住んでいるマンションの駐車場は地下にあるため、雪に埋もれる心配はない。あの煩わしい作業から私は開放されたのだ。これはなんとステキなことか。あの憂鬱な作業がないだけで心が本当に軽やかで、雪が積もったことが純粋に嬉しかった。 これで、あのJRも遅れるやろう、と思っていたが、何のことはない。普通に来た。普段は何もなくても遅れることがしばしばあるのにいったいこれはどういうことだろう。 昼ぐらいも雪が降っていたけど、いつの間にかやんでいて、天気も良くなっていた。歩道には雪がもうない。もっとざくざくと踏みたかったけど、そんなかけらすらない。やっぱ仙台、まだまだ甘いなと思ったが、年明けてからもっと降るらしい。そして気温も氷点下の世界にもなるらしい。 ・・・札幌に住んだ経験があって、本当に良かった。 |
2002年12月11日 水曜日 1:14:15
| 今日は朝からニュースで関東甲信越地方は大雪と騒いでおりました。これが一週間前だったらえらいことやった。ちょうど東京から夜行バスに乗って仙台に戻ってきたときだったから。大雪というトラブルに見舞われたほうが旅って感じはするが、あいにく仙台に戻りすぐにバイトがあったので、そんなことは言っていられない。 東京では楽しかった。何が楽しかったかというと、北海道から東京に移り住んだ友達と会えただけではなく、これまた別の北海道の友達も同じ時に東京に来ており、横浜で待ち合わせて中華街を一緒に楽しむことができたのだ。こんなことってめったにない。中華街ではお店2件をはしごしたほか、一つ500円のふかふかの肉まんを食べ(でも私はやっぱり551の豚まんの勝ち)、雑貨屋で物色し、真珠ミルクティーを飲み、ゴマ団子食べた。そしてお土産に買って帰ったお菓子が、なんと仙台にも出店している有名なお店の物だった。 私は今回横浜の中華街に始めていったけど、横浜よりも神戸の南京町の方が好き。規模は断然横浜のほうがでかいけど、屋台の数は南京町のほうが多い。売っている品物の種類も多いのだ。饅頭や水餃子を始め、ラーメンやあと豚足まであった。お店に入ることなく多くの種類を楽しめることができるのだ。 中華街でひとしきり楽しんだ後、横浜みなとみらいへ。なんか名前しか知らない場所で、前情報がなきに等しかったのが良かった。いろいろな建物があって、お店も揃っている。100円の循環バスも通っているので買い物するのにもいろいろと見て回れる。あいにく天気が悪かったので、1000円も払って展望スペースに行くのはやめた。ご丁寧に、展望台入り口に「視界不良」の案内があったからだ。この案内がないと確実に行ってたと思う。そして景色が見えず、金返せ!となっていたに違いない。そういうことを防ぐための案内だと思った。 このときは12月始めの日曜日。もうすっかりクリスマス一色。クリスマスにちなんだイベントも行われいた。この人ら、いったい誰やねんっていうグループも美しい歌声で盛り上げてくれた。しばらくウインドウショッピングを楽しみ疲れてトイレに行くと、イベント会場の方に人が集まっているのに気がついた。まぁ時間もあることだから一般の人たちと混じってイベントを見ることにした。 イベント会場では「・・・降ってくる雪には決して触らないようにお願い致します」というアナウンスが流れた。そして、下から吹き上がるスモーク。・・・ん?イベントはストーリ仕立てになっていて、最後に建物内5階吹き抜けの上空から雪が降ってくるという、とてもロマンティックなものだった。これはもしかして・・・と思い携帯を取り、親戚のおっちゃんに電話。「うちの若い連中が4人ぐらい入ってるわぁ」との返事。このHPにリンクしてある、ギミックさんの演出だった。ほんとたまたま行ったところで、おっちゃんところの仕事を見ることができて嬉しかった。 それから約一週間後。関東甲信越では実際に降った雪で大変だったみたいだ。仙台も夜になってようやくほんまに降り始めた。その雪を見て私は札幌を思い出した。札幌にいた頃は寒いのと、雪が降った後の雪かきがめんどくさくて大嫌いだったが、そこから離れてみて、ほんの少し札幌が恋しい自分に気がついた。 |
2002年12月10日 火曜日 0:55:00
| 昨日、晩御飯が食べ終わってからカニが送られてきた。発泡スチロールに密閉。ふたを開けてみると、口がカッッと開き、思いっきり目があってしまった。あせってふたをそっこう閉じてしまった。あのカニを自分でさばくのかぁ・・・と思ったらちょっと嫌だった。 今夜、おそるおそるふたを開けてみた。箱を蹴ってみるとカニはすでに息絶えていた。もう目が合う心配もない。でも、昨日まで生きていて、今はもう死んでしまっている。一瞬しか見ていないのに情がわいたのかなんか食べるのがカワイソウと思った自分がいた。世の中には科学では説明できないことが山ほどある。幽霊は人だけじゃなくて、動物霊もいる。カニの霊もいてもおかしくはない。でもそんなものいたらそこらじゅう幽霊だらけ??? とあほなことを一瞬思いつつ、迫りくる晩御飯の時間に向け、戦闘開始。なんてったってカニを自分でさばくなんてやったことないもんで大苦戦。もうじゃまくさくなって、途中で全部ゆでたった。適当な時間ゆでて皿に盛る。自分でほじくって食べるのがめんどくさい人のために、ハサミでばっつんばっつんカニを切断し、カニの身を全部皿に出してあげた。かなりめんどくさかった。でもそこまでしないと、その人は絶対に食べない。それが自分の父だからしょうがない。 私は甲羅の部分を独占し、カニを食べた。そういえば、北海道にいてるときも、一回ぐらいしか食べなかった。なぜなら・・・食べるのがめんどくさいから。この親にして、この子アリ。 夏に友達が遊びに来たとき、スーパーで毛がに(一杯680円!)を買ったが、食べたのも友達だけであった。なぜなら・・・食べるのがじゃまくさいから。 だから今日は本当に久しぶりにカニを食べた。うまい!自分で一生懸命カニをほじくった苦労とか関係なく美味しかった。嗚呼、私は北海道で何をしていたんだろう・・・とちょっぴり後悔した。 |
2002年11月29日 金曜日 1:17:05
| 日記やねぇ。なんでやろ。別に書くネタがなかったってことはないねんけどなぁ。先週の水曜日にご飯を食べに行った店で、グルメ検索サイトで検索して、クーポン券をプリントアウトして持っていったら、「それはやっていません」とか言われてさぁ。結局使われへんかってん。店の人とけんかしてもよかってんけど、一緒にいる人の手前・・・。ほんまに腹立ったから、家に帰って、そのサイトに抗議のメール送ったったわ。次の日なんか対処させてもらいます、ってメール来たけどそれ以来何も言うてこうへんのがさらにむかつくねんけどな。あぁ、思い出して腹立ってきたわ。 日曜日は決まって日が変わって寝る。予定がない休みのときはやっぱり寝てしまう。それがかなり眠れる。休みの日に日記を書くと、ほとんど寝たことしか書くネタがない。 あ、そうそう、体重計。無いと思っていたら、おとんが引越しのときに捨てていたらしい。普通、体重計捨てる?それを聞いて、そっこう買ってきてって言うたもん。誰かと違って小さい頃から本当に物をねだらない私が、こればっかりは主張した。 買ってきてもらい、早速乗ってみる・・・。思ってた以上になかったからよかったけど、まだまだである。一日に何回も乗ってみて確認する。前の日の晩と次の日の朝では1キロも違って驚いたが、その日の晩には1キロ以上回復していた。まいった・・・。 |
2002年11月25日 月曜日 0:42:45
| 先日、職場の人たちと話していたときのこと。たまたま原チャの話になった。その会話の中で「原チャの免許持ってないの?じゃあ、高校どうやって通っていたの?」 は?!高校通うのに原チャOKなわけ???なにそれ、と思い聞いてみると、東北の多くの場所では普通に原チャ通学OKだそうだ。交通機関が少なく、あったとしても、1時間に1本くるかどうか。田舎だからだよ、ということ。でも、原チャ通学できるのは、入学してそうそうできることじゃないらしい。2年になってからだとかいろいろあるらしい。でも原チャに学校専用のでっかいステッカーを貼られ、へんな泥除けをつけないといけなかったり、見た目はあまり良くなくなるそうだ。 大阪では、自動二輪車の事故防止及び社会的問題への対応として「二輪車の免許を取らない」「二輪車に乗らない」「二輪車を買わない」をスローガンとした三ない運動が行われているので、原チャ通学なんてありえない。まぁ、実際は免許を取得し、家から最寄の駅まで原チャに乗っているとか、普段は乗っている人も中にはいた。 北海道も東北に負けないぐらい田舎は存在するけど、そのよう話は聞いたことがない。高校でバイクに乗りたかったから、そのような制約のない遠くの私立の高校へ行った、という人が私の周りにいたぐらいである。北海道は約半年雪があるから、新聞配達や郵便配達の人は冬でもカブに乗っている姿を見ることはできるが、原チャに乗っている人は見たことがない。夏に走っている原チャの数も少なかった。 そういうところで生活をしていた私にとって、今回の話は本当に衝撃的だった。そして、昨日、よさこいの練習が終わった後、本祭のビデオを見せてもらうために同じチームの人の家に遊びに行った。その人は、秋田出身ということで、たまたま実家から送ってきたという、お手製のきりたんぽ鍋をご馳走になった。普通きりたんぽと言えば棒状のものだけど、自宅でそういうものは作れないので、自宅で食べるときは米を手で丸めるのだそうだ。たいしたものじゃないよと言っていたが、普段食べているままの秋田名物を食べることができて、私は本当に嬉しかった。そいういえば、きりたんぽで使っているお米は、あきたこまちかどうか聞くのを忘れた・・・。 |
2002年11月17日 日曜日 22:45:29
| この前とある百貨店で行われていた北海道展の出展者が、簡単には北海道に帰らないぞと言わんばかりに、仙台駅前の某百貨店で今日から大北海道展が開催された。職場の新聞の折り込みチラシでどんな店が出店されているかチェックする。なんか先日の北海道展と変わらない気がした。この前買いそびれた洋ナシワインをゲットするために、これまた開催初日に職場の人たちと今日は4人で行って来た。北海道展、大京都展とあじをしめた私たちは、始めから試食目的だった。 じゃがいもやかぼちゃたちに出迎えられ会場に入る。早速お菓子の試食。そして、いくらのしょうゆ漬け、イカの塩辛、たらこなどを食す。どれも塩辛くなくて美味しかった。ラーメンは函館の塩ラーメンと札幌の味噌ラーメン。両方とも試食できた。夕方ちょうどおなかが減っているときにだったから、本当にありがたい。いろんなところで試食しておなかも満たされたところでワイン売り場へ。よく見てみると、昨日買い物に行った大型スーパーにも同じ北海道のワインが売っていた・・・。それに残念なことに私のお目当てのワインはなかった。でも、ほとんど一通りのワインを試食させてもらった。そして、大型スーパーにも売っているマスカットのワインを購入した。 ぐるっと一周回って、内容はやっぱり前回のとある百貨店とは違っていた。でも、店内のいろんなところでいくらしょうゆ漬けとかイカの塩辛とか同じ商品が売っていて、バリエーションはあまり豊富じゃなかった。そういえば、六花亭はなかったし。でも、やっぱりどれも美味しくて、北海道の良さを再確認できた。最後にソフトクリームを買って終了。あぁ、やっぱり北海道のソフトクリームは一味違った。でもまぁ、北海道で買うより30円ほど高かったけど。でもまた行くかどうかは、謎である。 |
2002年11月14日 木曜日 22:42:28
| 夕方家に帰ってきて、いつものようにパソコンを立ち上げて、メールチェック。そして、またいつものようにメッセンジャーが立ち上がる。立ち上がってまもなく、なんと先月の末に仕事で中国に行ったしんふいさんがオンラインになった。 思わず話しかける。あれ?でも中国で日本語のフォント使えたっけ???と思うのもつかの間。ちゃんと日本語で返事がきた。自分のパソコンを持って行ったらしい。あまりにもあっさりした再会だったので、ほんまに中国にいてるか怪しく思った。そんな私の質問に対するしんふいさんの返事は「日本大字中国・・・」大字って何やねん!彼女も相変わらずだった。 画面上の文字での会話だったが、日本語はええなぁと言っていた。すごく分かる気がした。今年の3月に4泊5日で上海に一人で行ってきたとき、周りはもちろん中国人だらけ。向こうで出迎えてくれた人は日本語が堪能とはいえ、ここは中国。私の能力が低いので、言ってることがほとんど分からないことが辛かった。途中で日本人に会い、日本語を話せたことが異常にほっとした記憶がある。しんふいさんの場合は、地方のなまりがきつくて訳分からんらしい。 それにしても、中国で仕事をするといって、本当に行ってしまった彼女の行動力には脱帽である。今の私は中国から縁遠い生活をしている。札幌にいたときは約週一回のペースで続けていたので、やはりまったくやってないのとはぜんぜん違う。忘れる一方だ。前にも書いたけど、心がけ次第だと思う。中国に対するアンテナを自分で張ってるか。少しずつでも何かをやってるか・・・。やってないな。これがまた。 |
2002年11月11日 月曜日 22:17:48
| さてさて、休日も終わりということで。週末は、北海道物産展3回目。どうしても気になるワインがあったので行ってみると、売り切れていた。仕方なく、他のワイン売り場に行き、そこで試飲させてもらったぶどうジュースが信じられないぐらい美味しくて、即購入。アルコール入りではなく、普通のジュースなので、そのまま飲むのもいいけれど、炭酸で割ったり、焼酎で割って飲むと、これまたウマそうだ。お目当てのワインがあったら、出会うことがなかったので、これはこれでよしとしよう。 晩御飯はSS30という、仙台人なら誰でも知っているビルに行って、最上階で食事をしてきた。そこは、飲食店だけではなく、景色を楽しめるスペースもあった。お金を取らずに、ただで景色を楽しめるなんてお得。天気が悪かったけどそれなりに楽しめた。でも、天気がいい昼間とかにもキレイに景色が見れるらしい。そして夜景を見ながらの食事。そこで食べた蔵王クリームチーズっていうのが、すんごく美味しかった。乳製品はやはり北海道が最高!!!というある種の常識が打ち破られた。甘いクリームチーズだけど、甘ったるくなく、あとを引く美味しさだった。もし、他の店で見つけたら、迷うことなく頼むだろう。それぐらいハマる味であった。 土日は、時間があればひたすら寝てた。平日は仕事してないときの名残が、だらだら起きてしまうことが多い。やや寝不足のまま仕事に行き、今日は早く寝ようと思ってもやはり起きてしまう。そうしてだましだまし平日を過ごしてしまうので、特に何もない休日は気が抜けて一気に眠たくなる。土曜日なんか、朝ごはんを食べた後、夕方までずっと寝てた。それで夜は目が冴え、寝たのは3時前。今日も昼間ちょっと出かけたぐらいであとは寝てた。晩はお決まりのテレビ三昧で、現在に至る。あとは特に見たいテレビがないから寝てもいいのだけれど・・・。 |
2002年11月11日 月曜日 0:07:23
| なんか、美味しいものが食べたいと思うけど、何を食べたいか分からないという、飽食の現代にありがちな感情になってしまった。友達から「美味しい焼き芋屋さんを見つけた!」というメールをもらい、私も焼き芋を食べようと思って焼いたのが昨日のこと。買ってきたサツマイモ洗い、を3等分に切ってアルミホイルに包む。フライパンの上に乗せ、ふたを閉めて、弱火で約1時間・・・。ガス代が少々気になるところだが、カレーを作るときもそれなりに使うので気にしないことにした。これで簡単に焼き芋ができる。アッツアツの焼き芋。食物繊維たっぷりかしら。ちょっと味に変化を求め、これににっくき小岩井の発酵バターをのせて食べる・・・。イモ自体の味がいまいちの気がしたが、なかなかのものだった。 最近ジャガイモをあまり食べていないことに今日気づいた。そして無性に食べたいものがあった。札幌から引っ越してくる際にもらった北海道物の一つ、ミルクジャム。そのミルクジャム活用法の一つに、始めは塩水で皮をむいたジャガイモ(煮崩れしないもの)を串が通るぐらい煮て、煮汁を半分捨て、ミルクジャムを加えてジャガイモを汁がなくなるまで煮るというものだ。初めて作るものというのは、不安と期待が入り混じって、なんともいえない気持ちになる。 ドキドキしながら煮崩れた部分を食べてみる。味は、ほんのり甘めで、やさしい味だった。本体を食べてみると、子供ができたときに食べさせたいと思った。 そんなときが来るかどうかも分かれへんけど。 |
2002年11月8日 金曜日 1:19:33
| これまた仙台市内の某百貨店で、こんどは大京都展なるものが開催された。またまたその情報を教えてくれた職場の人と、早速バイト帰りに行ってみた。広い範囲で言うと、関西在住歴は長いが、京都にはあまり縁がなかったので、やっぱり興味があった。 行ってみると、「大」というわりにはこじんまりしていた。人もたいして多くなかった。でもやっぱり試食は欠かせない。八ツ橋は食べれなかったものの、豆腐やら、豆やら、あんこものやらを食べて、お茶でしめた。はずだが、また食べた。 ほかに京都の伝統工芸品とかもあったのだけれども、あまり心奪われるものがなく、あっさりと一通り見終わってしまった。 名残惜しいことなく、おきまりの地下の食料品売り場へ。すると京都展に出店してあったお店があるではないか。なんや、いつでもやってるんやないか・・・。と言いつつそこでもとりあえず試食。さらに、歩いていると、東日本の名産が売っており、当然北海道ものもあった。しかも、先日の北海道展では売っていなかった道内ではそれなりに有名なお菓子がおいてあった。 大京都展よりも地下食料品売り場のほうを楽しんだあと、帰途へ。仙台駅まで歩いている途中、本当にたまたま、とある百貨店の前を通った。ちょっと引き返して、再び北海道の物産と観光展に行ってみた。この前試飲して美味しいと思ったワイン売り場へ。かなりの種類のワインを試飲させてもらった。・・・うぅぅん、今思っても美味しかった。 きっと今週中に、あと一回は北海道展に行くことになるだろう。 |
2002年11月5日 火曜日 23:51:59
| 別に、居酒屋に行って、とんぺい焼きを食べてきたのではない。しかも、とんぺい焼きって関西のものらしく、名前を聞いてもどんなものか分からない人がこっちには多いらしい。 昨日、東北大学の学園祭で、YOSAKOIを踊ってきたのだ。こっちでは普通に、東北大学のことを「トンペー」と言うらしい。マージャンちっくな読み方だか、北京およびその周辺では、通じないであろう。 さて、今が旬の東北大学ってどんな感じだろうとワクワクして行くと、実際は期待するほどでもなかった。私なんかが到底入れない大学とは分かっているのだけど、やはり国公立大学だけあって校舎もいまいちやし、男子学生が多い気がした。私の気を引いたのは、これぞ仙台!牛タンの屋台だった。 よさこいに出演するために、我々のチーム以外にも招待されていたチームももちろんいた。やはり本祭と違って、規模は小さいものの、もう一回間近で見れてラッキーってなもんだ。総踊りの時間もあり、これも所狭しとみんなで踊った。こっちの人たちがよっちょれを踊れるのが本当に不思議である。だって北海道の踊り子で、みちのくYOSAKOIの総踊りを踊れる人はほんの一握りである。それなのに、東北のだいたいの踊り子がよっちょれを踊れるのだ。みちのくYOSAKOIの時に、みんなでよっちょれを踊る時間を設けてあるのがすごい。北海道も開拓精神があふれているよなぁと思っていたが、みちのくの方が一枚上手だった。 さて、その日は柴田淳という人がライブを行った。よさこいに出るよりも、ライブを優先した人がいた。私はそれでいいと思った。祭だけではなく、周りにも目を向けたほうがいいと思う。。 実際、私の周りの人間で、YOSAKOIが嫌いな人がいたのを思い出した。祭だから何でも許されると思ってる人がいて、衣装着たまま我が物顔で電車に乗っているのが許されないそうだ。YOSAKOIやってるときって表に出たくないとまで言っていた。なるほどねぇ、ある意味タバコと一緒やなぁ。 |
2002年11月5日 火曜日 1:39:18
| 仙台市内のとある百貨店で、今日から10日間あるというので、その情報を教えてくれた職場の人と、バイト帰りに行ってみた。私としてはもっと東北について知りたいところだが、北海道に2年近くも長期観光をしていた私にとって、やはり興味がそそられるものではあった。 思ってた以上に会場は広く、初日だとういうのにたくさんの人であふれていた。というより、食べ物のところに群がっていた。ラベンダー製品よりもハスカップ加工食品、木彫り製品よりも、やはり木彫りの熊がいっつもくわえている鮭のほうに人は集まっていた。 白い恋人、ロイズ、六花亭とおなじみの商品を始め、お決まりの昆布やら乳製品やら各地方の特産品まで幅広かった。北海道のスーパーで普通に売っていた十勝産の小豆を使ったあんこが、ここでは一躍スーパースターの仲間入り。でかい顔をして並んでいた。ただ、北海道産、というだけで格がグンとあがるらしい。 まぁ、早い話が、今日はそういうものの集まりだ。北海道というネームバリューは恐ろしい。実際美味しいものが多いからなんだろうけど。 一通り見たあと、今日の晩御飯のおかずを買いに、地下の食品売り場へ。始めに目に飛び込んできたのは、北海道産の昆布や、ビン入りのウニとかだった・・・。 |
2002年11月1日 金曜日 22:37:50
| 北海道との気温差、もしくは疲れからか明らかに体調が悪くなった。よさこいの本祭前の疲れとは違う身体のダルさを感じていた。のども痛かった。これは風邪かも・・・と思った。少し熱っぽかったけど、測らなかった。そんなにないだろうと思ったからだ。あると思って測ってみたら、大したことないっていうのが一番嫌だからだ。今はもう元気だから、実際本当に熱はなかったんだろうと思う。 久しぶりに中途半端な風邪だった。ここ最近、風邪を引いたら熱を出して2日ぐらい寝込んでいた。今回はそこまでなかったからよかったものの、それなりに体調は不良だった。熱が身体にこもった感じで、だるかった。いっそ熱が出てしまったほうが汗をいっぱいかいて楽になるんじゃないかと思った。でも熱がでるまでもなかったようだ。やっぱり、熱はなかったんだろう。 今回食欲だけは落ちなかった。というか、食べようとして食べていた。月曜日バイトをお休みしたので、これ以上休めない!!!というのと、今夜晩御飯を食べに行く約束があり、けっこう楽しみにしていたため、意地でも治そうと思った。そして、実際治ったらしい。 病は気から、と、昔の人はうまいこと言ったものである。でも、風邪を引いて食欲が落ちたほうが、痩せれたかもしれない。結局今夜も脂肪を蓄えてしまった・・・。 |
2002年10月31日 木曜日 0:13:56
| アッと言う間やろうなぁと思っていたら、ほんまにアッと言う間の2泊3日だった。滞在時間48時間。土曜日の11時15分に新千歳空港に着き、月曜日の11時15分発の飛行機に乗って帰ってきた。 YOSAKOIで知り合った友達の結婚式に行ってきたため、たくさんの人に会えた。着いた日も、11人で回転寿司に行った。当然席は別れるけど、来てくれたことが嬉しかった。しかも、次の日は結婚式でまた会えるのに(笑) 結婚式も、新郎新婦2人とも身近な人のため、すごく良かった。初めての、結婚式での円卓体験。私がいたテーブルは全員友達なため、ほんまに和気あいあいと、お互い料理の取りあっこして、お皿に盛ってくれたりもしたけど、知らない人とテーブルを共にすると本当に辛いらしい。来た料理をとりあえず一回取るのは問題ないらしいが、あとであれを取ろうとか思い、円卓に手を伸ばした瞬間違う人に回されて、目的のものが非常に遠い場所に行ってしまったりするのは良くある話。刺身が出たとき、うっかり醤油を自分の手元に置いたままにすると、他の人は醤油の行方が分からず、必要以上にあたりを見回してしまうこともあるのだ。 余興のYOSAKOIも無事(?!)終わり、北海道の結婚式を経験することができた。2次会もサクッと終わった。2時間の飲み放題、とくに余興とかあるわけでもなく、みんなと楽しく飲んで過ごして終わりだった。これも大阪とはえらい違いである。大阪の2次会といえば披露宴に呼べなかった友達を呼んで、どこか広い場所をとってプチ披露宴みたいな感じだが、ここではちょっとしたバーとかで済ます。楽だし、安く済むのはいいのだが、ちょっと物足りない。でも、本州式をそのまま北海道でやると、北海道人は誰も来ないと言っても過言ではない。それほど金額的に差があるのだ。そのへんのことは、いつか別に書いてみようと思う。ほんまに違うんやから。 その後、私は新郎新婦のご厚意で、ホテルの部屋を用意してもらっていた。当然、新郎新婦と同じホテルなので、ホテルに戻った後コンビニに買出しに行き、お酒やつまみを買い込んで2人の部屋を訪れた。結局日をまたいで夜中の1時前までお邪魔してしまった。2人にとっては迷惑なことだったに違いない。 そして寝て起きたらもう帰る時間。新千歳空港に行き、美味しいソフトクリームを食べる。嗚呼、最後の最後までしっかり脂肪を蓄えて、仙台に戻ってきた。いい加減引越し荷物の中から体重計を探し出さなければならない。でも、知らないほうがいいこともある。 明日からまたいつもの仙台での生活が始まる。札幌に行ってきたことが嘘みたいやけど、2次会の後みんなと別れたとき、次いつ札幌に行けるか分からないから、送別会をしてもらったときよりも私は悲しかったのを覚えている。 でも、みんなの記憶の中に残ってるのは、余興でYOSAKOIを踊ったときに、舞台の上から落ちてしまった私の姿であろう・・・。 |
2002年10月28日 月曜日 21:16:59
| 地震である。もう時間も遅いことやし、寝ようと思ってパソコンを閉じたらきやがった。1、2週間の間で3回ぐらい身体に感じる地震があった。勘弁して欲しい。聞くところによると、30年以内に宮城県を直撃する大地震が来るらしい。30年以内というと、それは今日かもしれないし、明日かもしれない。 一応、阪神大震災を経験しているので、地震の恐怖は分かっているつもりだ。あのとき私がいたところでは震度4だったが、それはものすごいものだった。早朝だったので、当然布団の中。目を覚ましたが、すごい揺れと恐怖で身動きが取れなかったのを覚えている。今住んでいるところはマンションの13階。あれほどの地震が起きてしまうと、考えただけでも恐ろしい。助かりはしないと思う。 阪神大震災は1月で、受験シーズン真っ只中。受験勉強で寝たのが遅かったため、地震には気づかず、朝普通に起きてみると「こんなに部屋が散らかっていたっけ?」と思っていたら、なんかすっごい地震起きててびっくりしたわぁ〜と語ってくれた友達がいた。いやいや、あれだけの地震で起きないあなたにビックリやで。 でもほんと、地震だけは避けようがないから、起こらないことを祈るだけである。 |
2002年10月21日 月曜日 1:29:35
| ひっさしぶりに、何も予定がない土曜日だった。先週はちょうどみちよさ。それがもうだいぶ前の気がする。今週の水曜日には、職場の歓迎会があり、結局疲れが取れないまま一週間が終わった。 今日は一歩も外に出なかった。夕方から買い物に行こうと思っていたけど、結局寝てしまい行かなかった。あんなにも昼間寝たのに、まだ眠い。ちょっと前までは夜はなかなか寝れなかったのに。でもこうやってテレビを見ていると、まただらだらと起きていそうだ。どうせ、明日も予定がないから、寝るだけやろうし。 来週の今頃は、札幌にいる。友達の結婚式があるのだ。仙台に来てから初めての札幌。結婚式に出ることは札幌にいるときから決まっていたため、前々から楽しみにしていた。でも、前日の夜遅くにならないと準備をしないんやろうな。引越し前も、まるで他人事のように思っていた私が、準備万端なわけがない。でも、結婚式に着る時の服ぐらい準備しておいたほうが絶対ええのは分かっている。と思いつつ、もう一週間前だ。明日の昼間は寝るよりも、それらの確認をしたほうが良さそうだ。 |
2002年10月20日 日曜日 0:20:35
| 今日はその疲れのせいで、一日中寝てた。帰ってきたのが朝の5時前。それから夕方までずーっと寝てた。途中何回が目が覚め、尿意を感じてはいたが、起きる気力もなく寝続けた。 「みちよさ」についていろいろ書きたいのだが、うまく言葉が見つからない。自分の表現のなさを今ひしひしを感じている。ただ、ただ、本当に楽しかった。この言葉で尽きてしまう。 どうしても札幌のYOSAKOIソーラン祭との比較になってしまうのだが、みちよさの方が祭らしいと思った。メイン会場の周りには屋台が並んでいる姿が、札幌の大通り会場や札幌駅前では見られない光景だからだ。札幌ではわおどりソーランといってやぐらを組んでその周りでみんなで踊る、というのがあるが、みちよさでは各会場で総踊り、という時間を設けて舞台で一般客も含めていっせいに踊る。フィナーレのときなんて圧巻だ。メインの市民広場の舞台の上で所狭しと踊り子が集い、溢れんばかりの笑顔で踊りはじける。 すごくステキな時間を過ごすことができた。みちよさはパレードがないけど、私は充分楽しめた。 仙台に引越しして来てまだ1ヶ月なのに、みちよさに参加することができて本当に良かったと思う。人とのつながりを作ることができたのが何よりの財産だと思う。もっとダンスをうまくなりたいと思っていた私に、ダンス教室を紹介してくれる人もできた。本場高知のよさこい祭にも参加している人がいて、来年そのチームに参加させてもらえそうだし。毎年仙台の春のお祭、あおば祭で踊る「すずめ踊り」にも参加することができそうだ。 まだまだ私の仙台の生活は始まったばかり。これからももっともっと楽しみたいと思う。 |
2002年10月14日 月曜日 21:50:10
| 今週末は、みちのくYOSAKOIまつりが仙台市内で開催される。そういえば、日記ではあまりこのことに触れてなかったよなぁと思いつつ。ちょこちょこっと言葉には出てきてたかもしれないけど。札幌にいたときにはYOSAKOIソーラン祭に出ていたので、札幌の友達にはよく「どう?楽しい?」って聞かれていた。 実際、すごく楽しい。今いてるチームを選んで本当に良かったって思っている。チームもみんなもすごく良くしてくれている。 仙台に来て、まだ一ヶ月も経ってないから、私は人よりも練習量が明らかに少ない。ほかのみんなは8月ごろから練習が始まっている。 この前の土日は、普通の全体の練習時間の前に、自主練の時間が設けてあったので、もちろん参加した。張り切って踊っていたのはいいのだか、全体練習の時には貧血になった。札幌で練習していたときにはありえなかった話だ。別に、札幌のときに練習で手を抜いていたわけじゃないけど。 その疲れが実際今でもたまっていて、とにかく眠くてしょうがない。いっつも昼間は寝てた私が、土日には練習に参加し、平日にはバイトに行っている。起きている時間が明らかに違う。今日は家に帰ってきて、夕方の6時からついさっきまで思いっきり寝てた。 さて、今日は見たいテレビが、12時以降にある。それまで起きてようか、どうしようか・・・。 |
2002年10月07日 月曜日 23:32:56
| 今週は毎朝NHKで好きな人に会えてご機嫌だった。きっと1週間交代なのだろう。札幌のときとは違って、メガネをかけている。今の顔の方が好きだ。 夕方には、毎日さとう宗幸を見る。ワイド情報番組の司会をしているのだ。1978年のヒット曲、「青葉城恋歌」で今まで持っているらしい。大阪で言う、円広志みたいなものだろうか。 さとう宗幸はコマーシャルにも出ているし、最近新しくできた百貨店のテーマソングも歌っているし、見ない日はない。テレビは本当に地方色あふれている。 コマーシャルは特にそう。仙台では萩の月やささかまのCMが毎日やっている。北海道では白い恋人。大阪ではたこ昌のたこやきや餃子の王将、あと忘れてはいけないのが、と〜れとれぴ〜ちぴちカニ料理♪でお馴染みのかに道楽。 東北電力には森久美子。NTTDOCOMO東北には、ケイン・コスギや坂口健二。北海道電力は知らん人。DOCOMO北海道はなぜかモックン。大阪を離れて2年ぐらいになるので、関西電力やDOCOMO関西は謎。余談だが、大阪ガスや北海道ガスは民間企業だが、こっちは仙台市ガス局。どうやら公務員らしい。せやからガス会社のCMはもちろんない。 札幌にいてるときも思ったが、札幌や仙台のテレビ番組に芸人が出ることは少ない。大阪やったら毎日のように芸人が情報番組にでているが、こっちではアナウンサーが主。レポーターにしても然り。そのへんが物足りなく感じる。 北海道では、ある事務所に所属している若手が、ほんまにめっちゃ人気がある。宮城、もしくは東北ローカルでの有名人はいったい誰なのだろうか。 |
2002年10月04日 金曜日 22:25:11
| 外は風でゴウゴウいっている。今晩もよさこいの練習があり、その帰りに傘をさして歩いていたら、傘がくるっっとキレイにひっくり返った。漫画じゃあるまいしと思いつつも傘もさせない状態にまでなった。こんなことは初めてだ。 もちろん朝から雨は降っており、そんな中の初出勤。そういえば、面接のときも雨やったなぁと思いつつ、来週の土曜日の祭本番のときに振らないことを願った。 私の職場は地図や地形に関する仕事をしているところ。今日は初めてということなので、どっさりパンフレットを渡されてお勉強。HPも参考にしながらいろいろ見ていた。ほとんどそれだけで一日は終わった。 仕事の一つに、どこそこの地図をください〜って来る人の対応がある。言われた地名の地図を探さなあかんわけやけど、範囲は東北全域。まだ仙台に来て一ヶ月も経っていない私はどこやねん、そこ?としか思えない。そんな私をなぜ採用したか非常に疑問に思う。それに、来る人って地図マニアかしら、と思っていたら、ちゃんとスーツを着て仕事に使う人たちやったからビックリした。そんなわけで、今日はとりあえず県庁所在地の場所を覚えてみた。 もともと、地図を見るのは嫌いじゃないし、っていうか地図を見ないとバイクに乗れないし、自分のことにも生かせたらええなぁ。 職場で個人個人にメールアドレスがもらえるらしく、バイトの私にももらえるということで、「8文字以内で自分の好きなのに決めてください」と言われた。普通は自分の名前やんなぁって一瞬思ったら、「momosukeはちょっとだめですよ」と言われ、思わず爆笑してしまった。 っていうのも、実は履歴書にこのHPのURLを記載しておいたのだ。一応パソコンは扱えますよ、というアピールのつもりで。やはり採用担当、ちゃんと見ておる。でも、まさか実際に見やしないだろうと思っていたら、他の人に「この前の連休はお墓参りに行ってたんですよね?」とばっちり言われてしまった。見てくれた人は意外と多いのか?! 今後も継続して見てくれる人や私の履歴書をわざわざ引っ張り出して新しく見る人はまずいないだろうとは思う。でも、そればっかりは分からないから、思い切ったことを書くのは控えたほうがよさそうだ。 |
2002年10月02日 水曜日 0:24:38
| 朝からエアコンの取り付けに作業員が来た。昼からは平日の昼間にしか済ませない用事を済ませに行った。ついでに、明日からバイトに行くための定期を買った。3ヶ月と半年やったら割引率がえらい違うので、思い切って半年定期を購入した。カードが使えたから良かった。交通費は月額で支給されるので、だんぜん定期のほうがおトク♪久しぶりに定期を持って、なんか嬉しくなった自分がいた。 明日からお弁当を作るので、その材料を買いに行った。朝の少ない時間を有効に使うためにはやっぱり冷凍食品は欠かせない・・・。お米もあと少しだったので、宮城産のひとめぼれ、別名:フォーリンラブ(ちょっと意訳)の新米を購入。新米を食べるのが楽しみやわ♪牛乳もちょうどなくなっていたので、買わなぁ・・・と思って眺めてみると目に入ったよ、あの小岩井。ほんま製品外に出しすぎやで。ありがたみないやんとか思いつつも、とりあえずちょっと安くなっていたので購入。 家に帰り、あと本番まで2週間を切った「みちのくYOSAKOIまつり」の衣装の作成にテレビを見ながら、チューハイ片手にいそしんでいた。そんな風に過ごしていたら、あっという間に無職最終日は終わった。もう日付が変わって1時間ぐらい経った。今日は見たいテレビがあるから寝るのはやっぱり2時ぐらい・・・。 初出勤、遅刻しないようにしよう・・・。 |
2002年10月01日 火曜日 1:01:48
| 毎日、この時間まで起きているのが当たり前になっている。3時回って寝ることが多い。夜眠れないのだ。朝、いったん起きるのだが、また昼間で寝てしまうか、昼寝をする。そのせいでこの時間になってもまったく眠くない。さっきも一応布団に入ってみたものの、この始末である。ちゃんと夜に寝て、朝に起きたほうが身体のためにもいいのは分かっている。が、しょうがない。ほんまに睡眠薬を手に入れたいと思うときもある。 でも、この生活もあと3日ほど。来月から事務のバイトに行くのでとてもそんな生活をしていられない。嫌でもちゃんと寝るようになるだろう。いや、そうなってもらわないと困る。 |
2002年09月28日 土曜日 2:32:26
| ここ二日、私の好きなNHKのキャスターは登場しない。札幌へ帰ってしまったのだろうか。・・・と思って、今NHK札幌のHPを見てみた。アナウンサー紹介のところに、写真はなかった。そして、NHK仙台のHPを見てみた。・・・あった!!!しかも、プロフィールまで載ってる!!!空手好きで、カラオケでスマップ歌うんだぁ。やっぱり札幌から移動になったんだぁ・・・端から端まで読んでみたけど、既婚かどうかは謎だった。 今の部屋に来て、最近非常に気になることがある。今住んでいるマンションが、ちょうど漢字の『回』の形をしている。真ん中が吹き抜けになっているのだ。で、私の部屋は、吹き抜けのほうに窓がある。日差しがほとんど入ることなく、一日が終わる。そして朝が来ても部屋が真っ暗なのだ。もし、小さいころからこんな部屋で過ごしていたら、確実に陰気な子になっていただろう。 部屋が暗いとどういうことになるか。時間が分からないのだ。夜中にふと目が覚めて今何時かと見てみようにも、まったく見えない。休みの日、たぶんもうちょっと寝れるやろうと思って寝てみると、とんでもない時間やったりする。昼寝のときも然り。豆電球をつけて寝たらええやん、と思っても、豆電球がついていないのだ。寝るときはいつも目覚ましつけたらええやん、って、それもなんかめんどくさいやん・・・。 |
2002年09月27日 金曜日 1:11:11
| 世間一般では3連休。私は毎日休みやから・・・と言ったらかなり顰蹙ものやけど、収入が無いのはイタイで。 まぁ、そんなことはさておき、お彼岸なので伊勢にお墓参りに行ってきました。昨年の12月に行って来て、あのときより季節が3つも変わっている。時がたつのは早いもんやわ。 まずは自分の母親の墓に行く。掃除をして、水をかけて、しきみをお供えして、手を合わせる。・・・滞在時間10分もなかった。あっさりしたもんだ。また来年のお彼岸がお盆に会いに行こう。その後、じいちゃんとばあちゃんのお墓へ。じいちゃんは会ったことが無い。父が生まれる前に戦争に行ってしまい、中国本土で亡くなってしまったのだ。じいちゃんとばあちゃんは八百屋さんを始めようとしていたらしい。それが、戦争によってできなくなってしまった。ばあちゃんが亡くなってもう20年ぐらいになる。でもそんな話を初めて聞いた。なんかすごく切なくなった。 伊勢には親戚が多く、小さいころからよく遊んでもらったいとこはすでに結婚し、子供がいてたりする。身内の子供はかわいいもんだ。前回伊勢に行ったとき、ちょうど保育園の発表会で、それを見に行った。今回はなんと小学校の運動会と重なった。去年は保育園に通っていた子供らが今年はもう小学生になってたんかいな!最近の運動会事情も気になっていたので喜んで私は見に行った。 その日はちょうど天気もよく、運動会日和。保護者席に敷物を敷いて見る、というのはノーマル。グランドの後方にはレジャー用のテーブルをセッティングし見ている家族が多くいた。日差しを防げる傘もあるのでとても快適に見れるのだ。 プログラムを見ていると、なんと「さぁさ、みんなでドッコイショ」と書いてあった。はい?これって、YOSAKOIソーランの・・・?なんでこんなところにあるねん・・・と疑問に思いながらそのときを待つ・・・。すると、小学1、2年生のちびっこたちがハッピを着て両手に鳴子を持っている。これはまさしくそうかぁ、と思っていると、入場の仕方はなんと神輿を担いでいた。YOSAKOIと神輿って関係あったっけ?!とさらに疑問になる。すると、踊りの説明が始まった。「校長先生に教わったYOSAKOIソーラン・・・」やっぱりYOSAKOIソーランやぁと確信に変わった。まもなく聞きなれた、あの角刈りのおっさんが歌っているあのよっちょれの曲がかかった。 曲も踊りもまったく同じだった。こんなところにも飛び火しているとは恐れ入った。しかし、三重県らしさがまったく表れていなかった。それはすごく残念だと思う。三重県としてのプライドは無いのだろうか。 滞在中、中秋の名月だった。あいにく三重県は曇り空で満月を拝むことはできなかった。しかし、観月会というのがあり、そこで雅楽の演奏が聞けるという。無料ということもあり、親戚のおじさんに連れられて行ってきた。いかにも平安絵巻に出てきそうな衣装をした女性や男性が演奏する。・・・お世辞にもうまくない。私はコスプレ好きだけど、そのコスプレにはまったく憧れないほど興味を持たないほど、演奏が衣装について行ってないのだ。プログラムを見てみると、趣味で習っている人たちが演奏しているのだ。なんや、今日はその発表会も兼ねてるのか・・・。ちょっとがっかりだった。 なかなか貴重な体験もさせてもらって、2泊3日の短い滞在は終わった。昨日仙台戻ってきたけど、昨日から埼玉から友達が遊びに来た。二人で遊びに来て、ホテルを取っているとのこと。まだ家がひっくり返っている私には好都合。晩にJR仙台駅の伊達政宗像で待ち合わせをして、晩御飯を食べに行った。まさか、仙台に来て2週間も経っていないのに遊びに来てくれるとは、嬉しい限りである。でも、言葉の端々に私に会うというよりも「牛タンを食べに来た!」という目的のほうがでかいことが見え隠れしていた。また帰る前に会おうねぇということで、昨日は別れた。 そして、今朝。遅めの朝ご飯を済まし、片づけをしていたときに、家の電話が鳴った。出てみると、なんと札幌で一緒によさこいをしていた友達である。「今、二人で仙台にいるんだよね〜」どうやら連休を利用して東北を旅していたらしい。買った周遊券は新幹線も乗れるので、仙台まで来てしまったらしい。しかし、その券は仙台は利用外だったらしく、追加料金を払わされたそうだ。それにしても、よく来てくれたもんだ。予告なしで(笑) 私は急いで仙台駅に行った。彼女らはすでにお土産をいっぱい買っていた。引っ越す前の送別会の時点で仙台に行くなんてまったく決まったなかったのにほんとに不思議だよね〜なんて言いながら。でも、帰りの時間が迫っているらしく、とりあえず、一緒に伊達政宗像の前で写真をとった後、彼女たちは足早に行ってしまった。会った時間、およそ10分・・・。まぁ、いい。少ない時間の中で私のことを思い出してくれて、会ってくれたのが嬉しかった。 11時40分ごろの電車に乗って、札幌に着くのは22時ごろだと言う。無事に着いて欲しい。 昼からみちよさの練習に行ったあと、埼玉の友達と再会。牛タンを食べに行く。駅前の店で、少々混んでおり待たされた。牛タン定食とビンビールを注文。コップで乾杯〜。何せ小学一年生からの一番付き合いが古い友達なので、こうやってビールで乾杯できる歳になってしまっているのが不思議でしょうがない。テールスープと麦飯、そして厚切りで炭火で焼いた牛タン。非常においしゅうございました。友達も大変喜んでくれた。 新幹線まで時間があったから、スタバでお茶。今度は私が会いに行くわぁと約束。そういえば、二人で旅行したことがないから、それもぜひ実現できればなぁと思う。 |
2002年09月23日 月曜日 21:37:18
| 私の家は、朝はNHKを見ている。余計な情報が入ってこないため、テレビにはまることなく、朝の準備ができるから、というのが私なりの理由。 今朝もいつもどおりNHKにチャンネルをあわせていた。6:45からは、全国版から地方のニュースに切り替わる。当然それは宮城県版である。すると、いつも札幌でニュースを読んでいたキャスターが普通に宮城版のニュースを読んでいた。実は私が好きだったキャスターだったから、思わず釘付けになった。ニュースの内容よりもその人のことばかり気になっていた。 15分で地方版のニュースは終わり、7時からはまた全国版のニュースになる。しかし、7時半からはまた地方版になる。30分後にもテレビ越しにご対面。やっぱり私の好きなあの人だ。ぜんぜん違う土地に来て、普通にニュースを読んでいる。天気予報も、石狩空知後志地方なんて言っていた人が、宮城県の平野部では・・・なぁんてあたかもその土地を知っているかのように読み上げる。それがすごいと思った。札幌へ帰らずに、このまま仙台にいてニュースを読んでくれたらと思う。好きな人との再会、と言いたいところやけど、札幌で出会った人との思わぬ再会のほうが正しい。まったく知らない土地で、知っている人と再会できるのは嬉しいことだ。私のことを知らない人であっても。 NHKのニュースキャスターはそこそこ転勤があるらしく、この時間の宮城版のニュースを読んでいるキャスターも以前は東京で全国のニュースを読んでいた人だ。札幌の夕方の女子キャスターも大阪で見たことがある。大阪で読んでいたか全国版の人だったか忘れたが、確かに見覚えがあった。 どんな理由で転勤になるか、少々気になるところである。 |
2002年09月19日 木曜日 18:48:23
| JRのドアのボタンにもようやく慣れてきた今日この頃。今日で仙台に来て一週間!一週間前に今頃は家にな〜んにもなくて、とにかく暇してた覚えがある。あれからまだ一週間しか経ってないのに、昨日は仙台を飛び出して盛岡に行ってきた。 大学時代の先輩がしばらく青森に滞在しているらしく、ほぼ真ん中に位置する盛岡で会おう!ってことになったからである。 お金が無い私は、高速バスで行った。往復で5000円。高速バスはほんと庶民の味方やわ。今、陸続きの土地にいてることがありがたく感じる。東京や大阪だってバスで行ける!寝て起きたら着いているなんてステキ。しかも安い!飛行機嫌いの私にとっては身体さえ持てばほんとうれしい限りである。 盛岡まで3時間弱。先輩はすでに着いていた。3年ぶりの再会!が、しかし二人とも盛岡は初めて。さて、どうしよう。どこ行こう。とりあえず、観光案内所に行って、聞いてみる。先輩は小岩井農場に行きたいらしい。北海道で牛やら馬やら、道東に行けば鹿だって自然に見えるのを精一杯見てきた私にとって、正直なんでまた、という気持ちがあったけど、美味しいソフトクリームが食べたい!という気持ちがあるのも事実なので、賛成した。他にも、宮沢賢治を訪ねる、って言うのもあったのだが、もうすでに昼。時間的に無理なので無理だった。なので、小岩井農場に決定。 お昼ごはんには、もちろん盛岡冷麺。その観光案内所で店を聞いた我々は早速向かう。3連休に最終日というのもあって少々待たされた。席に着き、メニューとにらめっこをする。冷麺にもいろんな種類があるのだ。でもここは盛岡。メニューにきっぱりと盛岡冷麺と書いてある、それにした。 ワクワクしてそれをまつ。本場に来て食べる喜びをかみしめていた。さぁ、来たでぇ!これが本場の盛岡冷麺かぁ・・・パク、モグモグモグ、ゴックン。 「スーパーで売ってる盛岡冷麺と変われへんやんけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」 せっかく盛岡まで来たのに、なんやねん!!!拍子抜けもええところやわ。まじで。先輩はちょっと違った冷麺を頼んでいたけど、麺が春雨みたいで、やたら辛くて、なんやったんやろう、あれは。 それから小岩井農場へ。盛岡駅からバスで30分ほど。小岩井農場って創業者の小野義真、岩崎弥之助、井上勝の三氏の頭文字から名づけられてんて。 着いてすぐに、農園内を案内してくれるバスに乗ることができた。しかも、お客は我々と、発車間際に飛び込んできた怪しい男性。このバスは、一般の人が入れないところまで案内してくれる。すばらしい景色も見れるらしいのだか、この日はあいにく雨だった。 まずは、工場見学。運転はすでに終わっていた。130度で2秒間の殺菌をするらしい。せっかく美味しい牛乳なはずやのに、非常にもったいなく思った。試飲もできたが、言うほど美味しいとは思わなかった。そこで、ソフトクリームとワッフルのセットを食べた。ソフトクリームはヨーグルトソフトで、上にトッピングがかかっていたため、ソフトクリーム本来の味がよく分からなかった。でも、横に添えられているワッフルは久しぶりに食べたせいもあるが美味しかった。 一番良かったのは、法正林というもの。毎年同じ量を伐採し、同じ量を植林しているモデル林である。今年植えられた木、去年植えられた木、おととし植えられた木・・・とえんえん並んでいる。最初は草ぼうぼうのところで、どこが木やねん、って感じやったのが、植えられた年が古くなるにつれだんだん右上がりのグラフのように大きくなって行く木が目の当たりに見れた。私のおなじ歳の木もあった。 一時間ばかりのバスツアーも終わって、お土産を買いに行った。駐車場のすぐ横にある店は、木の製品ばかりで、肝心な乳製品はない。・・・入園料を払って中に入らないとお土産は買えないってこと?どうやらそうらしい。終了時間まであと1時間。我々はお土産を買うために500円の入園料を払って入る。お土産売り場ではお決まりの乳製品しかなく、これと言って目を引くのは無かった。でも、一応日本で始めて小岩井で作られたという発酵バターは買った。あと、美味しいと評判なチーズケーキ。何軒かお土産を売っている店はあったが、扱っているものはほとんど一緒。こんなもんかぁと思い、外に出る。 バス停で盛岡駅行きのバスを待合室で待つ。バスが来て、あれかなぁ・・・と思い待合室の入り口付近に行く。何人かの人も同じように入り口付近へ。我々の前に立ったおっさんも当然乗るもんだと思ってその後ろで待つ。バスは5メーターほど離れた場所に停車した。そのまま立っていると、バスは行ってしまった。私はわけが分からなくなった。なんでバスは速攻行ってしまう?!なんで我々の前のおっさんはバスに乗らない?!バス停に行って、時刻表を確認する。・・・30分バス無いやん・・・。 私は思わず、「なんであのおっさん乗れへんねん!!!」と思いっきり言ってしまった。すると、そのおっさんが待合室から思いっきり振り返ってこっちを見ていた。別に聞こえててもかまわない。あのおっさんが悪いのだ。 しばらくすると従業員専用のバスがやってきて、そのバスに乗っておっさんは行ってしまった。我々以外にも周りはすでに従業員だらけで、我々二人を残しみんな行ってしまった。客より早く帰る従業員ってなんやねん!!! 先輩と話しているうちに30分はあっという間にたった。そして盛岡駅へ。地下がお土産売り場になっている。最後に除いてみると、あちらこちらに小岩井農場の製品が置いてある。やられた・・・。わざわざ500円も払って入ったのはなんだったのか。もう小岩井製品は見たいと思わない。 そうだな、次岩手に来るときがあれば、宮沢賢治を訪ねるよりも、『ムサシの剣』めぐりと、わんこそばを食べに行きたいな。 |
2002年09月18日 水曜日 1:59:28
| 仙台に来て4日目。ちょっと街中まで行ってみようと思い、初めて公共の交通機関に乗った。行きは地下鉄。少々値段が高い気もした。でも、椅子が妙にふかふかして心地よかった。 まずは銀行へ。やはりUFJ銀行は中心部にしかないらしい。実は、ウインドウショッピングをするのは苦手、というか、あまりしない。買う目的がないのにうろうろする、というのができないのだ。だから、しばらく町の様子を楽しんで、帰りはJRで帰ることにした。 ちょうど小腹がすいていて、駅に行く途中で見かけた仙台ラーメンに非常に心を奪われた。でも、無職の私は節約せねば減る一方なんで、ここは我慢した。すると、そんな私に神様からプレゼントが!!!JR仙台駅の入り口前には、たくさんの仙台土産の店があった。牛タン、ささかま、萩の月以外にどんな名物があるんだろうと思って見て回ると、なぁんと、試食があるじゃあないですか!!!ここはまだ未開の土地。知り合いも誰一人いない。さぁ、遠慮なくいただきます。ちょうど食べたかった萩の月の試食もあり、感動。チョコ味は萩の調べ、と名前が変わる。あとは、かまぼこ。一押しは、くるみゆべし。素朴な味わいがなんとも言えません。 ほんの少しだけ仙台を堪能し、お土産売り場を隅々まで歩いていると、お菓子のご当地限定シリーズになんと「うに味プリッツ」があってん。ウニといえば北海道じゃないん?!と目を疑ったけど、やっぱりウニ味。その横にはホタテ味のカールか何かがあった。ホタテも北海道でしょう、と思ったけど、やはり三陸海岸が近いので、海産物も有名なのだ。 切符を買って、JRのホームへ行く。改札で、駅員さんにはんこを押してもらう。少々懐かしく思った。東北一の駅だけあって、ホームがたくさんある。どっち方面に行っていいか少々悩みながらホームへ。こんな緊張は久しぶりだ。ホームに下りていくと、ちょうど通勤帰りのラッシュで、人がめっちゃ並んでた。ホームの端から端まで、それでも足りていないので後ろの人はホームに沿って、ちょうど列が緩やかにL字型になっている。すごい人が多いねんなぁと思ったけど、並び方に明らかにおかしいところがあるのだ。 ホームからはみ出るほど人が並んでいるのに、なんで一列で並んでるねん・・・。 普通は、2列以上で並ぶのが普通であろう。札幌市営地下鉄でも、4列乗車を進めているぐらいだ。仙台の人には、2列以上で並ぶという習慣がないのだろうか。 そんな疑問を抱きながら、来た電車に乗ってみると、並び具合から言ってもっとぎゅーぎゅーになると思っていたが、そんなことはなかった。立っている人が隣の人に触れるということがまずなかった。すぐに降りてしまう私は、ドア付近に立って発車するのを待っていた。すると、後から乗ってきた女の子二人組み。乗ってきてドア付近に立ったかと思うと、あるボタンを押した。すると、ドアが閉まったのだ。 私は一瞬何がおきたか分からなかった。彼女が押したボタンに目をやると、ずばりそれはドア開閉ボタンだった。ボタンの上にはランプがあり、ランプが付いている間はボタンでドアの開け閉めが可能なのだ。改札は機械式じゃないのに、こんなところで機械が活躍しているとは。 彼女たちがドアを閉めても発車する気配はない。それなのに彼女たちはドアを閉めてしまった。まったく謎である。すると、あとからやってきた乗客は、自分で入り口付近にあるボタンを押して、ドアを開けて入ってきた。その人もドアを閉めてしまった。まったく謎である。他のドアを見ると、開いていたままだった。開いていたドアは、発車の合図ともに車掌によってもちろん閉められた。 始めは不思議でしょうがなかったけど、自分でドアを開け閉めする、という行為をとてつもなくやってみたくなった。ドキドキしながら自分の駅に着くのを待った。いよいよ駅に着き、ようやくボタンを押せると思って手を伸ばし、ボタンに手が触れるか触れないかの時に、ドアは開いてしまった。 私は無性に恥ずかしくなり、急いで電車から降りた。きっと周りの乗客に、なんであの人自分であけようとしたんだろうね〜と言われてるに違いない。この町に知り合いが誰一人いないのがまだ救いだった。 あのドアの開閉が何のためについているか疑問に思った私は、駅員さんに質問した。すると、付いてある電車と付いていない電車があるという。付いてあるやつのほとんどは駅に着いたら自分で開け閉めしないといけないらしい。社内のアナウンスでも案内はあったが、いかんせん聞き取れなかった。 きっと、駅によって自分であけなければいけないやつとそうでないところがあるのだろう。そうじゃないと、ボタンを押そうとして伸ばした、このやり場のなくなってしまった右手がかわいそうだ。 |
2002年09月13日 金曜日 22:40:52
| 本日、とりあえず、荷物の搬入終了。運ばれてくる荷物をただ見ているわけには行かない。配置から決めなくてはいけない。昨日、何もない部屋に一足先に着いた私は、一人、これからの新生活に向けて思いふけっていた。テレビも何もないからやることがなかっただけだが。せっかくじゃ○ん東北版も北海道版に比べて確実に薄いので、すぐに読み終わってしまった。土地勘がわからないから余計だ。 荷物が来た。思いのほかに多かった。無理もない。4LDK→3LDKになるのに、大きいものはあまり捨ててこず、そのまま持ってきたからだ。 ダンボールをあけてみると、見たことがないものもたくさんあった。なんで捨ててこなかったんだろう、と思ってもアフターカーニバル。即ゴミ箱へ。父に内緒で抹殺したものも数知れず。 私の部屋は、配置は違うものの、ほぼ思い描いてたものになった。パソコンラックを自分の部屋に持ってこれた。一気にレベルアップした感じだ。これで在宅勤務も可能やん!ってデキル女に勘違いできる自分がいる。それはさておき、今まで地べたにあぐらでもかいてパソコンをしていたので、腰痛持ちの私にはかなり快適になるだろう。まぁ、長時間座りっぱなしだったら同じやけど。 家には、まだまだあけていないダンボールがある。でも、明日からは日常の生活が始まる。私は、できるものならば、ダンボールはそのままでおいておきたい。ずっとあけずにすんだもの=いらないもの。そのまま次回の引越しで捨てれるやん!・・・ほんとはきちんとあけて中身を見て、捨てるのがいいんやろうけど。 昨日は、家に一人。何も気にせず窓やらドアやら開けまくっていたので、風通しが良かった。今日から大量の荷物がやってきて、住むのは私だけではないから、部屋のドアはもちろん閉める。・・・なんだか蒸し暑い。昨夜、札幌の友達に、「そっちとあんまりかわらないよ〜」とメールを送ったころが懐かしい。 風呂上り、あまりにも暑いので、荷物が多く入れるところがなくて外に出たままの扇風機を自分の部屋に持ってきた。札幌に住んでいたころには本当に一度たりとも納戸から出ることなく過ごした。こっちに来て二日目にはすでに必要とされるとは。2年間使っていないもの=いらないもの、の方程式に当てはめなくて良かった。扇風機の風が心地よく感じる。これも、引っ越しして来ないと分からなかったもんだ。 とりあえず、無事引っ越してきたことの、ご報告まで。 |
2002年09月12日 木曜日 0:32:50