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2011年
1月8日 

 
 近ごろは、嫌な呼び名だと眉を顰める人も多いが、僕らの生業は昔で言えばバンドマン。今は、ミュージシャンとかギタリストとかピアニスト、ベーシスト等々、どちらにしてもカタカナ名で、あろうことかアーティストなどと自称したりもする。
 どのように呼ばれたとしても氏素性の怪しさは隠せるものでなく、堅気には見えないらしい。それが証拠に、昔からその筋の方達から仲間のように扱われることも度々。
 冠婚葬祭以外にスーツを着ることもなく、真面目そうな顔つきを装ったとしても、風体からにじみ出るのも自由業の軽々しさ。

 昨年の夏の終わり頃、新宿を歩いていた。靖国通り沿いの店で用を済ませ、高島屋方面に向かうべく、新宿通り紀伊国屋書店前の信号近くまで来た時に、向かい側からやって来る同年代のそいつの顔が見えた。「ふむ、こいつも同類というか、ま、堅気ではないな。」などと、漫画の吹き出しでもあれば記されるところだった。すれ違いざま、そいつは「おっ」と声を出して僕の顔を見た。僕らの年代にありがちなサファリ・ジャケットに身を包んだ様子が、すでに堅気としての認知を放棄していたし、一瞬知り合いかと振り返った。

 そいつは、「やあ、久しぶり」とか言うでもないが、明らかにこちらのことを知っている風に見え、曰くあり気な表情をするだけで要領を得ない。知り合いと思しき雰囲気は醸し出しているが、記憶にはない。さあ、困った。仕事で御一緒したメンバーを覚えていないことは今までにもあった。仕事そのものを覚えていないこともあるから始末が悪い。
 「じゃあな」とでも言って早々に立ち去りたいわけだが、その機は逃した案配だったから、思い切って聞いた。「申しわけない。覚えてないんだけど、どこで御一緒しました?」
 「いやあ、昔のことだから、あれなんだけど、山ちゃんの周りにいてさ」と言う。
 山ちゃんって誰だよ。テナーでそういう人いたけど、その周りって言われてもな、余計むつかしくなったな。
 そうしている間も、こちらの身なりにジロジロと視線を這わせ「フーン」とかつぶやき、「今どうしてんの?」などと聞いてくる。こっちが聞きたかったのに機先を制されて、ああだこうだと適当に答えてる間も「いったい誰だ」と記憶を手繰る。
 今さら何の楽器やってたかも聞けないが、いい頃合いに「今はどうしてんの」と、やっと言えた。

 「某の仕事をね」とか何とか答えてくれれば一件落着、ハイさようならでいい筈だった。
 しかし、展開は思わぬ方に向かった。「それがさ、最近ね、競馬でいいとこ行っちゃってさ。今日も場外に来たんだけどね」
 ここらに場外馬券売り場なんてのがあるらしい。まったく興味のない僕に構わず、そいつは幾分くたびれたサファリパンツのポケットに手を入れた。
 で、腰をかがめて何やらをゴソゴソと取り出すような仕草で、半分ポケットに入ったままのものを見せた。
 それは二つ折りにされた札束だった。二つ折りといっても、数百万ありそうだったから、ちょっとした英語の辞書を丸めたようにも見えた。ピストルなどを見せられたわけじゃないが、怪しさはバンドマン風情の域を超え、退却命令が下るところだ。
 「今から、場外行くんだけど、どう?一緒に」
 「いや、ま、その、あっ、へー」
 委細構わず逃げ出した。

 そのことを聞いた知人は「そいつはさ、君の名前を言った?」と言う。そういえば、名前は呼ばれなかった。
 ま、たぶん、知らないヤツだったに違いない。山ちゃんなんてどこにでもいそうだし、会話は常に浮遊状態で着地はなかった。
 知り合いを装う理由も分からぬまま。
 最後の札束が何らかの意味を持つんだろうけど、ただ見せたかっただけかも知れないし、そうだとしたら付き合わされたのがバカみたいだし、反応がいまいちで失敗したドッキリだったかも知れないし、しかしながら、思うに、あいつもすれ違いざまに「おっと、こいつは同類だな、堅気じゃねえな、どう見ても」と思われたことだけは確からしい。





2010年
12月29日 

 
 今年もあと2日を残すのみ。歳と共に一年が短くなると聞いてはいたが、実にとんでもない速さで日が過ぎた。
 子供の頃から、年頭には某かの目標なり決意じみたことを掲げ、三日もすれば忘れてしまうのが恒例だった。
 しかし、時を経た今は、年頭の与太よりもやり残したことをやろうと考えるようになっった。

 やり残したと自覚することであるから、大体簡単な事ではなく、後回しにせざるを得ない事情があったと言えば聞こえはいいが、目先のことに追われて忘れたふりをしていたような代物だ。
 今年の春ごろになって、やっと向き合うことになった。やり残したことは一つではなく、三つほど見つかった。
 まだ途中でもあるから、何がそうなのかを書くわけにはいかない。
 自分のオリジナル楽曲だけでアルバムを作ろうと思い立ったのが48歳の時だ。そこからライブを始め、アルバムまでに約5年を費やした。今回は5年では無理なような気もするから、ま、最低でも後10年近くやることがあるわけだ。
 18才でこの世界に飛び込み、そこから遠回りをしたのか、そこそこに順当な経緯だったのかは、今となっては判断不能。
 で、これはこれでいいか的に、無理でも納得して続きは来年に持ち越し、頑張ってみようかと企む次第。
 時ここに至っては、最早何かに対しての闘いとかいうレヴェルにはなく、夢を追っていた20才の頃の自分に対する責任というのが最も近い。



12月9日 

 
 先日の夕刻、あるニュース番組でのトピックス。今年は例年になく熊の出没が相次ぐものだから、ある山好きのおっちゃんが熊撃退用の鈴を作ったというものだった。鈴というよりカウベルだったが、これが売れ行き好調だそうだ。それで、スタジオの中に高低2種類のものが用意されていて、女声キャスターが目を輝かせて説明した。
 「これが、その鈴なんですけど。低い方と高い方がありまして、まずこちらが高い方です」と手に取った鈴を振った。「コロンコロン」と案外低い音がした。「へえー、これが高いんだったら、低い方はどんな音なんだ」と期待もするってなもんだ。
 「さて。こちらが低い方です」・・・低いはずが「カランカラン」と高く鳴り響き、「そんなバカな」と呆れ、「先ほどの高いもの、今の低いものと、このように2種類ございます」ってのを「お前はアホか」と言いながら聞いた。
 横にいた男性キャスターもよく分からない風に見えた。

 昔、ずいぶん昔、昼のワイドショー番組の司会を、往年の大女優「高峰三枝子」さんが担当されていたことがあった。ある日、生番組の最中に、起きたばかりの事件の速報が入った。
 詳細は覚えていないが、強盗事件のようなものだったはずだ。速報は、外からの電話をスタジオ内で受ける形で続いた。高峰さんは何とも上品な女優さんだった。立ち振る舞いも言葉遣いも、大女優の名に恥じぬ気品を感じさせる方だった。
 たぶん、突然入った、台本にない展開に焦っておられたのではないかと思われる。いくつかの会話の後で電話に向かって仰った。
 「それで・・・お犯人さまは?」
 それ以来、わが家での高峰さんは「お犯人さま」という名になった。
 ヒステリックに事件を喋る今と違って、番組そのものも大らかだったような気がする。





 このところ煩いほど頻繁に、海老、海老とテレビが言う。何やらその歌舞伎役者が傷害事件に巻き込まれたとか。
 しかしながら、未だ真相は詳らかになることなく、解明は進展しないにもかかわらず、「ああでもない、こうでもない」と憶測まがいのコメントが続く。

 1994年の「松本サリン事件」を扱った映画、「日本の黒い夏─冤罪」(熊井 啓・監督)を見た。
 事件後一週間近くを経て特定された有毒ガス「サリン」は、ほとんどの人が初めて聞くものであった。初動捜査は混乱し、サリンはだれでも作れると曰った大学教授なども現れ、第一通報者の河野さんは、幾つかの薬物を所有していたこともあって、いつの間にか真犯人であるかのごとき扱いを受けることになった。報道は無責任に犯人と断定するかのごとき発言を繰り返した。
  報道番組のメインキャスターだった筑紫哲也氏は、番組の中で「火のないところに煙は立たない」などと発信したらしい。
 
 前述の映画のディスクには、河野氏のインタビューが収録されている。その中の発言にマスコミに対するものがあった。テレビなどの報道を見ていて妙だと思うのは、報道が「制裁しようとする」様子だという。「司法」の役割をマスメディアが担おうとする状況が異常なのではないかと仰っていた。



11月23日 

 やんやの喝采で成し遂げられた政権交代だったが、実のところ単なる素人集団に過ぎなかったのではないかと訝る声も出始め、早くも末期症状などと揶揄される始末。

 政策よりも何よりも、「あいつが、ああしたこうした。してない。いや、したではないか」などと、どうでもいいことで盛り上がる審議を見るにつけ、ま、どっちもどっちの政界のようで、行く末が危ぶまれる展開。

 そんなことには関係なく、日々鍛練に身を費やしておるわけだが、あまり根を詰めるのも体に毒。先週、たまには気分転換で出かけてみるかと画策してみれば、折しも紅葉の季節。紅葉狩り、もしくは観楓などと洒落込み、小田急電鉄の配布するチラシで見かけた大山ケーブルカーを目指すことにした。

 伊勢原から30分ほど車を走らせると、 大山阿夫利神社に至る入り口にたどり着く。入り口といっても、そこからケーブルカーの乗り口までかなり歩く。階段を10段上っては平らな場所を数メートル歩きという具合に、曲がりくねった階段道を延々と歩く。相当歩いて息も上がり、膝はガクガク、あちこちが突っ張ってきたあたりで「中間地点、後半分だ」などという看板を見る。
 道路沿いには多数の情緒ある土産物店が並び、最初は退屈しなくてよかったのだけど、そりゃ、ま、疲れてくると見る余裕もない。
 で、数百段の階段を上って、息も絶え絶えにケーブルカーの改札を通る。




 5分ほどで到着。やっと神社の入り口に立ったのだけど、そこから本社までの距離と階段の勾配を見た瞬間に「ここまで」と即断。

 紅葉もチラシほどではないし、少々ガッカリしていると、「ハイキングコース。見晴らし台まで片道30分」と書かれたものを発見。ハイキングコースだ。僕のデータでは、ハイキングコースが険しいものであるはずはなく、鼻歌交じりで森林浴ってのも悪くないと、この場合も即断。フラフラと歩き始めた。

 これが甘かった。最初はなだらかだった道も、徐々に様相が変わってきた。第一、上から降りてくる人たちの出立ちが本格的。ま、見晴らし台から尾根伝いに神社本社までの登山コースがあるわけだから、本格派が現れてもおかしくないのだけど、この看板あたりで戸惑いは更に膨らむ。そういえば登山者の方達が持った杖には鈴が取り付けられていて、チリンチリンと鳴らしながらすれ違ったよーな気が。


 で、すれ違うたびに「こんにちは、こんにちはぁ、(世界の国からぁー)」と挨拶する登山者のお約束にも応えつつ、悪路になりつつある山道を登り続ける。



 道はいよいよ本格的な山道に変貌を遂げ、渓谷の岩場のような狭い道をよじ登る頃には、ハイキングコースが嘘であることを確信した。登山靴を履いているわけでもなく、すっ転びそうになりながら危ない岩場をよじ登るときにもすれ違う登山者は後を絶たない。
 その都度「こんにちは」と言われてもね、こちとら、「こん・・・・にち・わ」ってな案配で、10人ほどとすれ違うときには「以下同文」的な対処法がないものかと頭をひねる。岩場の写真がないわけだが、そりゃ当然で、写真を撮る余裕がある筈もない。

 出発から30分ほどが経過したのに見晴らし台が見える気配もなく、降りてきたエヴェレストにでも登りそうなおっちゃんに聞いてみる。「さあ、後20分ぐらいかな」などと仰る。
 最初の看板が誰を基準にした片道30分かは謎だが、この場合、まだ20分かかるらしい。ここまで来たのだから、もう少し頑張ってみようと先を急ぐ。狭い山道、足を踏み外せば右は急斜面。いったい何メートル転落するのか予想もつかない。
 それでも歩き続け、いい加減時間も経った。軽々と降りてくる、いかにも慣れた様子の若い女性にもう一度聞いてみる。「えーと、後30分ですね」と事も無げに仰る。
 「ああ、もうすぐそこですよ」と言われれば続けただろうが、30分ってのはいかにも遠過ぎる。なんだか悪質な不動産屋に騙されたような気分でそれ以上登ることを断念した。
 
 よじ登った岩場は降りるのがいっそう難しい。行きはよいよい帰りは怖いとはこの事かと下って行く。



 なんとかほうほうの体で戻ったわけだが、狭い道を歩く僕の頭上に、見下ろす木々から大量の何かが降り注いだらしい。何百年も生きる奴等の精だったかも知れないし、物言わぬ彼等の意思だったかも知れない。疲れているはずなのに、妙に頭がすっきりして、穏やかな気に包まれる。
 イオンだとか何だとかいうけれど、あれはもっと神秘的な力なのではないかと思う。




10月20日 

 昨日は久々のプログラムでのレコーディングに緊張。

 スタジオ・ミュージシャンとしての業務の中で、最も難易度の高いものは、個人的には「童謡」だと感じている。
 目くらましの飾り的尾ひれなどつけ入る隙はなく、色気など言語道断。ただ、ちゃんと吹くことに尽きる。
 それこそがむつかしい。

 40を過ぎてフルートを習うことになった。先生はシュトゥットガルトの音大で学んだ女性だった。クルト・レーデルやオーレル・ニコレに師事した方だ。
 バッハの小曲の後には、いきなりラヴェルの「ハバネラ」
 譜面は読めるわけだが、フィギュアが複雑でいかにもハードルが高い。朝、起きるとすぐにフルートを手にする。そのような1週間が過ぎた。そうでもしないと次のレッスンに間に合わなかった。
 ま、あれは、こちらのやる気を試されたんではないかと今でも思っている。

 「ま、いいか」という具合にクリアして、次にはヴィバルディの無伴奏曲が課題として与えられた。音列そのものは難易度の高いものではなかったし、幾度目かに「こんなものでいかがでしょう」というような演奏を先生の前で披露することになった。
 先生は黙って耳を傾けられ、終わるとコメントを出すこともなく自分のフルートを手に取られた。同じ曲の演奏が始まった。
 最初の2音で圧倒された。頭の中でガラガラと崩れるものさえあった。先生のフルートから聞こえるものには、すべての音にドラマがあった。先生の吹かれた2小節の中に僕の16小節分の表現が聞こえた。まいった。「そういうことか」と反省を余儀なくされた。ちゃんと吹くことの奥は深い。

 さて、昨日のことに戻る。
 ものは演歌だった。これも童謡に次いで難しいものだと思っている。ちゃんと吹くことに加えて、情感だの溜めだの言葉にできない微妙なニュアンスを含む。で、サックスは大体ソロで呼ばれるわけだから緊張度は高い。この世界では、今でも同時録音が基本で、ダビングはほとんどない。
 スタジオに向かう車の中で、すでに緊張し始めている自分に「何だかなぁ」と少々引きつった笑いも出るというもの。
 譜面チェックの演奏の後、ご本人の登場。瀬川瑛子さんだった。
 仮歌という形で歌われる。
 普段、あまり演歌を聴くことはないが、細やかなコブシと艶やかに延びる声に感嘆して聞き入った。
 表現の形態は違えど、先生のフルートから聞こえたものと一緒だった。途中のサックスと歌のユニゾン部分には気合いも入ろうというもの。
 仕事の中で指導いただき、おまけにギャラまで発生する。こんな有難いことがあろうか。





10月7日 

 猛暑真っ盛りの八月初旬、フラフラと入った新宿の書店で、この本を見つけた。

「小暮写眞館」宮部みゆき著・講談社刊

 七百頁ほどで辞書のように太った本。宮部さんのものは、何冊も読んでいて、つまらないものは無かった筈だが、僕の場合案外記憶に残らなかった。
 で、「模倣犯」のようなサスペンスものだったら止めとこうかってなものだけど、今回は少し様子が違う。書店の紹介文には青春ものだとか書かれている。

 
 読み始めると、展開の面白さに引き込まれ、二日で読み終えてしまった。ま、夢中になって読み進んだ。
 久々のヒットだった。このような本に出会うと、読後は満足感よりも喪失感の方が際立つ。あーあ、終わっちゃった。もう少しゆっくり読みゃあよかったなどと後悔する。
 しかしながら、これをまた読み直すかというとそうでもない。
 いわゆる面白いアクション映画をレンタルビデオで借りて見た満足感と似て、再び手にすることはない。

 同時購入したのが「実録 神戸芸能社」山平重樹著・双葉社刊。










 かの広域++団のドンと戦後の芸能史のつながりが書かれていて、何度も「へエー」と声を出すことになった。復興の時代を駆け抜けた人たちが生き生きと描写されている。

 単行本は読み終わるとほとんどを処分する。大事に取っておいた頃もあったが、家中本だらけじゃ猫にも悪いから、処分することにした。古本屋に持っていくと、まだ書店に平積みになっているようなものでも恐ろしく安値で買い叩かれる。
 不愉快だったので、次は区立の図書館に持って行った。喜ばれると思いきや、これがそうでもない。ようするに書架に余裕がないらしい。こちらは手狭な部屋が広くなるわいと、厄介払い的に押し付けたわけだが、あちらでも手狭は同じらしく、何度目かに厄介物を背負い込んだような応対をされた。ま、一度に十冊も二十冊も持ってこられても困るってな案配だった。
 で、それからは古紙回収に協力することになった。

 いつか再読するつもりで捨てるのは躊躇われ、保管している本も手狭ぎりぎりで並んでいる。その中でも、次の4冊あたりはそろそろ読むってのも悪くない。












「ワイルド・スワン・上下」ユン・チアン著/土屋京子訳・講談社刊、「巨怪伝」佐野眞一著・文藝春秋社刊、「帰郷」海老沢泰久著・文藝春秋社刊。

 大体、ドキュメントの部分があるものを残しているが、海老沢氏は「美味礼讚」を読んで以来のお気に入りで、飾らない文体が好きだった。

 正力松太郎の一代記は「巨魁」じゃなくて「巨怪」としたところがミソで、ま、日本の戦後史の一端と考えれば、神戸芸能社といい勝負だ。
 暑かったり寒かったり、秋が秋らしくなく、最早死語に近い「読書の秋」を言おうものなら、即刻冬に変わりそうな気もする今日この頃だが、ま、飽きが来るまで読み進めましょうってな案配で、時間がない時間がないと言いつつ日が暮れる。







8月9日 

 日本のジャズ界を牽引したとかいうジャズ雑誌が廃刊になったらしい。昨日、友人との電話で知った。

 ま、「へえー」と間抜けな声が出た。
 高校生の頃から何年も買っていたが、上京した辺りでプツリと手に取らなくなった。
 結構な値段で中身の大半は広告、ってな具合に進化だか後退だかをし始めたころのある日、広告ページを全部外してみると、ペラペラの中身が残った。
 評論のほとんどが雰囲気論のように見え始め、実は分かってないんじゃなかろうかと疑い始めたのもその時期だ。

 ジャズをレコードだけで語るところに無理もあるような気がした。録音されたものなど演奏されているもののほんの一部。
 評論家の植草甚一さんの本は何冊か読んだ。少し前に、その中の一冊が出てきたので読んでみると、若い頃ほどの感動もなく、ジャズが好きな自分が好きなおじさんの独り言のようだった。本家のダウンビートとかジャズタイムスが面白いのはプレイヤーのインタビューが核になっているからだ。
 ま、ジャズに限らず、音楽を言葉で語るのは難しいというか、無駄に近い。それに、プレイヤーのように理解するのは無理ってなものだ。そりゃあ、プレイヤーのように専門的に理解しなけりゃいけないってことはないのだけど、ただ「いい」とか「よくない」なんて言われても困るわけだ。

 その昔、東中野駅でたまに見かける、同世代でフリージャズ指向のアルトサックス吹きがいた。その彼がアルバムを出した。話したこともなかったけど、内心「おまえ、やったじゃん」と僕は喜んでいた。
 そのアルバム評がかの雑誌に載った。タイトルは「Tidal Wave」
 潮流とかいった意味だ。レコード評は散々こき下ろした揚げ句、「これはTidalどころか、さざ波だろう」と書かれていた。
 ほんと、腹が立った。

 で、廃刊になって、少し喜んでいる自分がいる。




7月28日 

 冬の凍てつく厳しさに比べれば、夏の暑さはいかほどかと、断然夏派を主張していたわけだが、今年の猛暑はさすがに判定も揺らぐ。

 ま、喉元過ぎればなんとやらで、忘れているだけかも知れないが、こんなに長く続いた猛暑日の記憶はない。

 今や国民的な人気を誇るとされるアニメ制作の監督が、iPad発売に伴う騒動を見て、「ネット上の情報など大したものではない。重要な情報は違う場所にある」というようなことを仰ったとか。
 ま、ネットの世界はまだまだ発展途上であって、反論するものではない。例えば、何らかの情報を検索したとして、僕らは音楽的な情報を探していたりするわけだが、だいたい匿名の誰かが作成したサイトがヒットする。で、そのようなものをかき分けた末に、少々の情報にたどり着くわけだ。

 こと音楽に関して言えば、誰でも感想を申し述べたくなるものらしく、夥しい数のページが存在する。そのほとんどは匿名。
 結果的に無責任な情報が氾濫する。かの巨大匿名掲示板は、その匿名性が故に、言いたい放題が時々面白い。
 それは別にしても、日本の匿名個人サイトの多さは世界の中でも突出していると聞く。
 で、デイブ・スペクター氏の言う「この国の文化は素人文化ですから」ってのと関係あるのかどうかは知らないが、専門家は匿名のサイトの多さが望ましくないと苦言を呈する。
 
 頻繁にネット上で目にする言葉。「更新が滞って申しわけない」
 サイトを作ることは流行りであって、将来的には情報を求める側が選択しつつ淘汰されるのだろうけど、やはり情報はプロフェッショナルなものの方がよい。
 


7月15日 

 気の毒なことだが、西日本の豪雨は続き被害は広がる。

 気象状況は、数年前の地球シミュレーターが予想した通りになっている。異常気象は加速する。とは言いつつ、車も一通り売れ、エコエコの連呼は下火になってきた。
 立ち食い蕎麦屋のハシが置き箸に転じたあたりはエコとは無関係のような気もする。

 政権は揺らいでいる。テレビの確信犯的なバッシングも目立ち、厳しいことになると思えたが、ここまで極端な結果になるとは予想もしなかった。結果的に一番避けなければならないチョイスをこの国はしてしまった。ま、政権交代以降、凡ミスもあって順調でなかったのは確かなんだろうが、こんなに早く前政権政党に戻すこたぁない。
 まとまる話もまとまらなくなり、ギクシャクしたままの政治がしばらく続くわけだ。

 選挙運動中も、やれブレただの何だのと、与党に対する批判はトーンダウンすることがなかった。政治の混乱を面白がっているのではないかと思える節もあった。実行力がないとの意見も多いが、2、3年は待つべきだとの話だったように記憶していたのは空耳だったか。
 で、懲らしめることになった結果がこれだ。

 沖縄問題も拙かった。最低でも県外などと余計なことを言って墓穴を掘った。公約は無残に崩れ不信が残った。
 普天間の危険性を除去する手筈は絶えた。
 基地問題に関しては、これまで、何人もの政治家、評論家、学者先生達の意見を聞いたわけだが、誰も解決に至る糸口さえ語れなかった。「難しい問題です」としかめ面で言い、「これからも積極的な論議を」などと閉められるのが落ちだった。
 国内のどの場所でも、基地を移転するなどと言おうものなら住民は真っ赤になって猛反対。
 国全体で考えることだと言いながら、誰が考えたって解決出来るわけなどないことははっきりした。
 
 じゃあ、政権政党には解決できるのか、ってな話になるわけだ。
 米軍が首を振らぬ限り何も進展せず、そもそも米軍は撤退する気などない御様子。与党の政治家とは言えど、そこらのオッチャン、オバチャンと何も変わらぬ人たち。そんなことは見てりゃ分かるものだろうに、打ち出の小槌を持ったスペシャリストであるかのごとく、みんな無理を承知で押し付ける。
 国全体で考えるべきだと言いつつ「がんばれ」もないものだ。

 有事の際に米軍が盾となって戦ってくれるのかといえば、これは相当怪しい。じゃあ、米軍にはお引き取り願って、自国で防衛するために軍備をと曰おうものなら、これも猛反発を受けることになる。

 なんだかね、都合の悪いことは全部他人に押し付け、批判ばかりが目立つ国の様子が、末期症状のように見えないこともない。


7月8日 

 4年ほど続けたブログを閉じた。怠け癖が首をもたげたというか、別のことで忙しくなった。要するに、ライブでやり残している感のある楽曲を、ああだこうだと吟味する時間が恐ろしく長くなった。


 この2ヶ月の間に、チェット・ベイカーとビル・エヴァンスの本を夢中になって読んだ。二人とも相当なジャンキーで、すさまじい生き方だったことを知ってはいたが、詳しく読むにつれ圧倒された。
 歴史に名を刻む天才達にどんな影響を受けたのかなどと言うのもおこがましいが、少なくとも起きている時間の大半を音楽に費やすぐらいの刺激は頂いた。ま、単純なものだ。









(左から。「チェット・ベイカー /その生涯と音楽」J・ドフォルク著/星雲社 2571円、「終わりなき闇/チェット・ベイカーのすべて」ジェイムス・ギャビン著、鈴木玲子訳/河出書房3900円、「ビル・エヴァンス /ジャズピアニストの肖像」ピーター・ペッティンガー著/水星社3000円)

 何年も納得しなかった曲作りが、突然ポンと音を立てて始まった。
 楽曲を吟味するなどと書き、しかしながら、その興味は時代の彼方ほど昔のものに遡ることにもなった。
 ビリー・エクスタイン、チック・ウェッブ、レスター・ヤングなどの曲を復習うようになった。
 複雑化する以前のジャズ楽曲の持つエネルギーに、核があるのではないかと今は思えるわけで、シンプルが故に難しく、いったい今まで何をやってきたんだ的に追い込まれる。
 ってな調子で、時間は足りない。