い つ か 咲 く サ ク ラ の 旋 律

六章
「しっかし、相変わらず暗い顔してるなぁ、君は」
 あれは二度目に会ったときでしたっけ。あの時、僕は迷っていた。自分が甘えていたことを綾波に思い知らされて、戦わなきゃならないのに、逃げ出したくて。逃げちゃダメだってわかってたのに、逃げたら綾波が犠牲になるってわかってたのに。………もう、恐い思いをしたくなかったから。どんなに卑怯でも、逃げ出したかった。
「んー? どうしたんだい?」
「………いえ、何でもありません」
「そうかい?」
 あなたに何がわかるって言うんです。使徒と戦う恐怖の、自分が死ぬかも知れないと言うことの何がわかるって言うんだ。
「………放っておいてくれませんか?」
「………そうはいかないなぁ」
「何故?」
「………君………泣いてるじゃないか」
 慌てて自分の頬に触れても、涙はない。
「そう言う意味の泣いてるじゃないよ」
 軽く笑うあなたが恨めしかった。からかわれるのは御免だ。僕は、こんなに苦しんでいるのに。
「放っておいてください! あなたには関係ないじゃないですか!」
「そう、関係ないかも知れない。………でも、放ってなんかおけないね」
 それなら、僕がここからいなくなればいい。そう思って歩き出した僕の背中にかかったあなたの声。それがなければ………僕は。僕は今頃、後悔だけを引きずって生きていたかも知れない。
「………何を、そんなに怯えているんだい?」
 怯えている………当たり前じゃないか。一時間………もう、四十分後にはエヴァに乗らなくちゃいけない。またあんな恐い思いをしなくちゃならない、今度は死ぬかも知れない! 恐い、恐いんだ。
「僕は………もうすぐ死ぬかも知れないんです」
「死ぬかも知れないってことは、死なないかも知れないってことじゃないのかい?」
「………え?」
「君ね………世界で一番自分が不幸って顔してるけど、ホントにそうなのか考えたことあるかい?」
「それは………」
「少なくても、君は五体満足で生きている。それを体の不自由な方の前で言えるかい? そうして立っている君が、もう二度と立てない人の前で言えるかい? 僕は不幸ですって?」
「そんな………そんなこと………」
「君の両目は世界を映しているじゃないか。言いたかないけど、あたしのこの右目はもう二度と何も映さないんだ。………さあ、あたしを前に言ってご覧よ、僕は世界で一番不幸だってさ?」
 言えるわけ無いじゃないか、そんなこと言えるわけ無い! ………どうしてそんなことを言うんです。どうしてそんなことを言われなきゃならないんです? ………わかっているんだ、逃げているだけだって! だけど、恐いんだ! 死にたくないんです!
「僕は………僕はどうしたらいいんです?」
「君………」
 涙が止まらなかった。泣くつもりなんて無かったけど、どうしても止まらなかった。
「ごめん、ごめんね」
「あ?」
 突然、抱きしめられた。
「きつく言い過ぎたよ。………誰だって恐いものは恐いもんね」
「あの、離してください」
「嫌だね。………大丈夫、君は死んだりしないよ。手術だってきっと上手くいくさ。だから、もう泣かないで」
 手術って………? ここであなたが勘違いしていることに気づいた。死にたくないって、そう言う意味じゃないんだけどな。だけど、それで気が、張りつめていたものがすっととれたような気がしました。
「大丈夫、手術なんて寝てる間に終わっちゃうから恐いことなんて何もないよ」
 優しく僕の背中を叩く手。………暖かかった。こんな温もりなんて………知らなかった。こんな………まるで母さんのような。涙は、もう止まっていた。
「落ち着いたみたいだね」
「はい………ありがとうございます」
「いいって」
 ここまで言って気がついた。あなたの胸に顔を埋めている自分に。
「あ、あの!」
「ん? 何だい」
「離して………くれませんか?」
「え? ………ああ、何だい真っ赤な顔しちゃって。………結構スケベだね、君は」
「やめてください」
「あはは、ごめん」
 あなたの笑顔が眩しかった。その笑顔に背中を押されて、僕はエヴァに乗った。あなたがいなければ、僕は逃げ出して、綾波を失っていた。きっと。


 シンジの母、碇ユイの墓標の前には誰もいなかった。
「ちょっと、誰もいないじゃない?」
「………そうね」
 ここにシンジがいないとなればレイにもアスカにも、もうシンジが何処にいるか見当もつかない。どうすればいいのだろうか。アスカは処置なしと言う顔で辺りを見回すがシンジの姿を見つけることはできない。思わず呟きが漏れた。
「何処行ったのよ、バカシンジ………」
 レイは無言でユイの墓標を見つめる。以前、司令の共で来たことがある。あの時のシンジはこの前にひざまずいて何か祈っているようだった。決して自分では作れない雰囲気。シンジとゲンドウの間にあった空気。何故だかわからないが、見ているのが辛かったことを憶えている。
 今は、シンジの姿が見えないことが辛い。どうしたらいい。どうすればいい。レイにも、それはわからない。
 その時、声が聞こえた。微かな、本当に微かな声。レイは顔を上げ、声が聞こえた方を見る。立ち並ぶ墓標以外、何も見えない。
「………………碇君?」
「え?」
「………………碇君の声がする」
 レイの呟きを聞き咎めたアスカが耳を澄ますが何も聞こえない。
「シンジの? ………………何も聞こえないわよ?」
「聞こえるの………」
「ちょっと、ファースト?」
 何かにとり憑かれたかのように、レイは歩き出す。アスカは不安そうにその後をついていく。
 レイの耳に聞こえる声は徐々に大きくなっている。呼んでいる。シンジが呼んでいる。傷つき、心から血を流し苦しんでいる声が聞こえる。もう、何故そんな声が聞こえるかのなどどうでもよかった。シンジが助けを求めている。それだけで十分。他にどんな理由がいるというのだろう。シンジを護る。心を、心をくれたシンジを護ること。それが綾波レイの唯一の願い。
 レイの歩みに迷いはない。アスカは疑うことをやめた。疑ってもしょうがない。この先にシンジがいるならそれでいい。………それでいいはずなのに、悔しかった。自分にはシンジの声は聞こえなかった。レイには聞こえているというのに。それが悔しくてたまらない。どうして聞こえないのだろう。自分はシンジを大切に思っていないのだろうか? そんなことはない、そんなはずない。しかし現に声は聞こえない。
 ………こう言うときかなわないと思う。レイとシンジの絆の強さに。もし自分の方が先にシンジと出会っていたら………出会っていたら何だというのだろう?
 何もかも、命すら捨ててシンジだけを見つめているレイ。余計なプライドや意地など捨てきれないものを抱える自分。かなわない方が当然なのかも知れない。………そんなはずはない。確かにシンジとレイの絆は強い。しかし、自分とシンジの絆だとて、決して弱いものではないはずだ。だから………負けない。負けるわけにはいかない。何故なら………何故ならシンジを。
「………いたわ」
「シンジ?」
 レイの言葉に顔を上げるアスカ。確かにそこにシンジがいた。真新しい墓標の前にひざまずいて、右手は土を掻いている。痛々しいまでに打ちひしがれた姿。今までシンジの色々な姿を見てきたつもりだった。少なくても自分だけはシンジの本当の姿を知っているつもりだった。………本当につもりだけだったことを、アスカは思い知らされた。
 何を言えばいい? いろいろと言ってやりたい台詞があったはずだ。なのに何も言えない。言葉が出ない。何を言えばいいのか、まるでわからない。だから名前を呼んだ。それしかできないから、呼んだ。爪をかみながら。
「シンジ………………」
 シンジの姿は予想より簡単に見つかった。その姿が見えた途端、聞こえてた声は消えた。それが何だったのかなど、考えもしない。シンジが目の前にいる。それだけが真実。………それだけに、シンジの姿はレイにとってショックだった。傷ついている姿を見たことがないわけではない。それこそ出会ったばかりの頃から、何度となく入院してベットに横たわるシンジを見てきている。
 傷つくのが嫌だと甘えたこと言っていたこともあった。落ち込んでふさぎ込んだシンジの姿も見てきている。………それなのに今のシンジの姿は何だというのだ? 抜け殻のようだ………違う、抜け殻ではない。だけど、何かが欠けている。大切な何かが欠け落ちている。
 それがわからないことが………わからない。胸を締め付けるような………不安? どうすればいい、どうしたらいい? 何度も自問するが答えは出ない。それが、辛い。だから名前を呼ぶ。少しでもシンジの近くにいたいから、名前を呼ぶ。
「………………碇君」
 シンジが顔を上げた。怯えるように。レイとアスカを見て呆然と呟く。
「何で………二人がここにいるのさ」
「何でですって? 決まってるじゃない! あんたが学校サボって何処に行くのか心………気になったからよ!」
 アスカが眉をつり上げて怒鳴る。シンジは首をすくめる。
「ご、ごめん」
 呟くように謝るその姿はいつものシンジと変わることない。それがレイとアスカには辛かった。先ほどの姿を見ているのだ、何が原因だか知らないがシンが酷く傷ついていることなどわかりきっている。………それなのに、シンジの態度はいつもと変わらない。心配かけまいとしているのが、無理をしているのがわかるから、辛い。
 何故、何もかも話してくれないのか。それほど自分たちはシンジにとって頼りない存在なのか? ………確かに話してもらっても何もできないかも知れない。それでも、側にいることぐらいならできるというのに。
「でも、よくここがわかったね」
「それは………そんなことどうでもいいじゃない! それより、お墓参りぐらいでいちいち学校サボらないでよね!」
「ごめん………でも、どうしてもここに来たかったんだ」
「それなら放課後に来ればいいじゃない?」
「………今日、夕方からハーモニクスの訓練があるから放課後じゃ間に合わないから」
「あんたバカぁ? それなら今度の土曜日にでも来ればいいじゃないの」
「………………どうしても、どうしても今日、ここに来たかったんだ」
 唇をかみ、血を吐くように言葉をつづるシンジ。
「………シンジ?」
「勝手なことをしてごめん。………心配かけちゃったみたいだね」
 一瞬、一瞬だけだった。後はいつも通りのシンジ。それがアスカを苦しめる。それを素直に言えるほど、アスカのプライドは低くない。自然、イライラが募り言葉がきつくなる。
「は、誰があんたの心配なんかするって言うのよ? うぬぼれないで欲しいわね」
「………ごめん」
「ばかばかしい! ………さっさと帰るわよ! 訓練に遅刻するなんて御免だからね」
「そうだね………帰ろう」
 アスカの台詞に苦笑しながらシンジが同意する。アスカを先頭に歩き出したシンジにレイが声をかけた。
「………碇君」
「え? ………あ、何、綾波?」
 振り返ると、レイは墓標を見つめたまま問いかけてきた。
「………誰のお墓なの?」
「………え?」
 シンジが言葉に詰まる。同時にアスカも振り返った。確かにそれは気になる。シンジがエスケープまでして会いに来たのは誰なのか?
 シンジは少し考えた後、弱く微笑みながら爆弾を落とした。
「………僕の………婚約者さ………」
 瞬間、時が凍り付いた。
「さ、帰ろう」
 シンジは自分がどれ程ものすごい発言をしたのか欠片も理解せずに歩き出す。アスカはその後に続くように二、三歩歩いてその場にガックリとひざまずいた。レイはギギィと音がしそうな感じで首を回しシンジを見る。その眼は限界まで見開かれていた。

後 書

ヤヨイ「ハロー! 後書進行の茅野ヤヨイと」
ユ カ「同じく、堂島ユカです」
水 晶「そいでもって、水晶で………へぶぅ!」
ヤヨイ「思い知ったか!」
ユ カ「これは、伝説の新聞メリケン装着の燕返し………今回も手加減なしだね、ヤヨイちゃん」
水 晶「うぅ………何故だぁ………今回は最初から進行も任せているというのにぃ………」
ヤヨイ「何故だぁ? ………わからないなら、教えたげるわ! ………あんな非道い所で、堂々とひくなぁ!!」
ユ カ「あ、それはその通りだよね」
水 晶「い、いや………だって、そりは………」
ヤヨイ「なぁによ、言い訳があるなら言ったんさい?」
ユ カ「聞くだけなら、聞いてあげるよ?」
水 晶「その………ほら、このSSって一応週一だし、週間連載みたいじゃん?」
ヤヨイ「それで?」
水 晶「だから、こう………次回への引きってもんが必要で………」
ユ カ「だから?」
水 晶「………ごめんさい………全て、その場のノリと思いつきです」
ヤ&ユ「………死ね!」がすぅ!!
水 晶「ではあぁぁぁ!!」がく
ヤヨイ「まったく、無責任というか、何というか」
ユ カ「単に何にも考えてないだけだと思う」
ヤヨイ「そだな」
ユ カ「だいたい、今回だって全然話が進んでないしね」
ヤヨイ「そだよな、確か当初のもくろみだと、八回完結予定なのに、絶対無理になってるしね」
ユ カ「そうそう、今回はタイトルの付け方が、前編とかじゃないでしょ?」
ヤヨイ「そういや、そだね?」
ユ カ「それはね、話がどれだけ延びても良いようになんだってさ」
ヤヨイ「………多少の学習能力はあったみたいね」
ユ カ「一応、ピテカントロプス=エレクトゥスよりはましな知能を持ってるからね」
ヤヨイ「しかし………碇君の婚約者ねぇ………」
ユ カ「状況が、一気にギャグ化したような気がするよね」
ヤヨイ「このまま、お笑い物になるのか? それともシリアスのままで続くのか?」
ユ カ「全ては読んでくださった方からの、レス次第かな?」
ヤヨイ「ま、どうせ末はラブ米よね」

                              水晶でした


五章へ戻る          七章へ進む          メニューへ