い つ か 咲 く サ ク ラ の 旋 律

三章
「………危ない!」
「おっと!」
「………大丈夫ですか?」
「ありゃりゃ、格好悪いとこ見せちゃったね」
「いえ、怪我が無くてよかったです」
「ははは、何にもないところでつまずくなんて君のおっちょこちょいが移ったかな?」
「………そんなことある訳無いですよ」
 今思うと、あの時あなたはつまずいたんじゃなくてふらついたんですね。なのにそんな素振りは少しも見せないで。あなたが笑顔の下でどれほどの苦痛と戦っていたのか、僕は知らなかった。………気づけなかった。あなたをその苦痛に追い込んだのは僕だと言うのに。
「わかんないよ、ドジとかって結構伝染するもんだから」
「そう言うものでしょうか?」
「そうだよ………所でいつまであたしを抱きしめてるつもりだい、君は?」
「え? ………あっ! ご、ごめんなさい!」
「ぷっ………ホントに変わってるよ、君は」
「ごめんなさい………」
「謝ること無いって………それよりどうだった、こんな美人を抱きしめた感想は?」
「そっ、抱きしめたなんて……………」
「あらら、赤くなって………まんざらでもないなぁ?」
「知りません!」
 他愛ない、本当に他愛ない会話。でも、その裏であなたはどんな思いだったんでしょう? ………どれだけ考えてもわからない。わからないんです。
「あ、怒った?」
「………別に」
「…………………シンジちゃん」
「はい?」
「………ありがとう」
 あなたは微笑む。それが忘れられない。………教えて欲しかった。その微笑みの意味を。感謝の言葉の意味を。


「なんや、シンジ。今日の弁当はヤケに貧相やないか」
「………え?」
「………なんでもあらへん」
 昼休み。弁当を頬張る、学校で一番楽しい時間(鈴原トウジ談)にもかかわらず、シンジの様子は変わらない。
「ちょっと、鈴原」
「なんや惣流?」
「………今日のお弁当がなんだって?」
「ん? せやからいつもと違っておかずの数は少ないできは悪い。とてもシンジが作ったとは思えへん。やっぱ、センセどこか調子悪いんとちゃうか?」
 アスカの右手が箸を握りしめてることに気づかず、トウジは続ける。彼の視界の端でケンスケとヒカリが必死に「それ以上言うな」のジェスチャーをしているが、悲しいかな気づいていない。
「………………のよ」
「なんやて? よう聞こえんかったぞ」
「………わたしが作ったのよ」
「………なにを?」
「お弁当、わたしが作ったのよ!!」
 言葉と共に、アスカの右ストレートが炸裂した。そのまま繰り広げられるバイオレンスアクションをしりめにケンスケが肩をすくめる。
「………トウジの奴、もう少し考えて行動すればいいのに」
「自業自得ね」
 さすがのヒカリもフォローのしようがない。そんな騒ぎの中でも、シンジは心ここに在らずと言う風情である。その様子に、ケンスケがため息をつく。
「なぁ、シンジ」
「え………何、ケンスケ?」
「何を悩んでるか知らないけどさ、何か助けが必要だったら言ってくれよ」
「ケンスケ………」
「友達…………だろ」
「うん、ありがとう」
「それにしても………非道いありさまだな、その………ベントウ」
 アスカを気にしてか、語尾が小さくなるケンスケ。
「そうでもないよ、ちゃんと食べられるから」
「そんなもんですかね」
 肩をすくませて皮肉っぽく言う。少し戯けたその態度にシンジが笑みをもらす。だが、その笑みはいつもと比べるべくもなく曇っていた。


「………それで、食事の仕度から後片づけに掃除洗濯まで、君がやっているわけかい?」
「はい」
「ぷっ………あはははははははははははははははははは!!」
「…………………」
「ははははは、く、苦しい………ははははははは!!」
「そんなに笑うことないじゃないですか」
「こ、これは笑わずにいられないよぉ………ははははは!!」
「………どうせ僕なんて体のいいお手伝いさんですよ」
 でも、反論できない。それは今でも変わってません。きっと僕はそう言う星の下に生まれついたんでしょうね。………あなたはこういう考え方は嫌いでしたね。
「………あー、笑った。………ごめん、ちょっと調子に乗りすぎたよ」
「いいえ、いいです」
「………あたしなら………」
「はい?」
「あたしなら君をお手伝いさんにしないよ………」
「え?」
「これでも結構料理には自信あるしね………好きな人に………君に喜んでもらえるくらいの腕はあるよ」
「………からかわないでください」
「ばれた? ………ごめんね、からかって」
「いいんです」
 ………本当にからかっていたんでしょうか? あんな風に謝るなんて、一度もなかったことだった。………本気だったら。あなたが本気だったとしたら、僕は。………本気だったらどうだって言うんだろう? あなたはもういないというのに。二度と会うことはできないというのに。


 窓から見える景色はいつもと変わることない。以前はその変化のなさが気に入っていた。自分が存在しても、しなくても変わることないところが。変化のなさに、無感動でいられる自分。感情の波がないところが気に入っていた。
 なのに、いつの頃からか、レイは窓の風景が嫌いになっていた。
 教室の中で何が起ころうとも窓の景色は変わることなく、だからこそ、自分がこの場にいることが間違っている気がするからだ。………否応なく、自分が違う存在であることを思い知らされるからだ。
 違う存在………誰と? ………少女は自問する。自分と同じ存在は決してあり得ない。代わりのある存在などこの世界に自分だけだ。それは初めから変わることはない。ならば何故、気になるのか。レイには判断できない。
 違う存在であることが嫌だ。共にいたい、一つになりたい。………誰と? そう、少女は少年と出会ってから変わり始めた自分に戸惑っていた。
 あの日、死を覚悟していたあの日。まるで風のように現れて抱きしめてくれた少年。自分の代わりに初号機に乗り、使徒を倒した少年。
 一度逃げ出して戻ってきた初号機パイロット。逃げ出すことなど自分には考えもつかなかったことをいとも簡単に成し遂げ、その全てを放棄して戻ってきた初号機パイロット。
 暗い淵に落ちかけた意識に響いた、声。生まれて初めて見た、自分のために流された涙。そして、笑顔。笑うことを教えてくれた、碇君。………心をくれた、碇君。
 命をくれた人、碇司令の息子。初号機パイロット。レイにとってシンジはそれだけの存在だった。それだけの存在だったはずなのに、気がつくと眼がシンジを追っている。優しげな微笑みを、儚げな泣き顔も、辛そうに怒った顔も、ずっと眼が追っていた。
 シンジに会えないことは、レイにとって身を切られるより辛い。これは比喩ではない。「感情」と言う物に馴れていない少女にとって胸の切なさは、物理的な痛みと比較することでしか理解できない物だから。
 そのシンジが悩んでいる。それが何かはわからない。悩みを聞いたところで自分に何ができるわけでもない。それでも、何かがしたかった。
「………何を望むの、碇君………」
 レイの声にならない声が呼んだのだろうか? その時、窓の下にシンジの後ろ姿が見えた。目を疑って、もう一度見る。間違いない、シンジだ。レイは立ち上がると教室の出口へ向かう。具体的に何をするつもりもない。何をしていいかわからない。ただ、レイはシンジの側にいたかった。いなくてはならないと思った。今はただシンジの後をついていくことしか考えられなかった。
 レイが教室を出た直後に声がかかった。アスカである。
「ファースト? あんたなにしてんの、もう昼休みは終わりよ?」
 レイは答えない。いつもと同じ反応だが、どこか違う。その微妙な差にアスカは気づいた。多少なりとも共に戦い抜いてきた戦友と言うべきか。
 だがアスカの興味はすぐにレイから離れた。軽く鼻を鳴らすと、教室に入ろうとする。いない。シンジがいない。机にはバックすらない。レイの様子が脳裏に映った。振り返ればレイはもう教室を出ようとしている。
「待ちなさい、ファースト!」
 だがレイは振り返らない。足早に廊下を進む。アスカは慌てて後を追いかけた。腕を掴んで、強引に引き留める。
「待てって言ってるでしょう!」
「………何?」
 レイは無表情に答える。しかしアスカにはどこか焦っているように見えた。
「シンジはどこ? 知ってるんでしょ?」
「……………………」
「何処に行ったの! 答えなさい!」
「………外、校庭に」
「………え?」
「何処かへ行くみたいだった………」
 淡々と答えるレイに対し、アスカは混乱した。あの真面目なだけが取り柄のようなシンジがエスケイプをするなどよほどのことに違いない。それは昨日から様子がおかしいことに関係があるのか。
 混乱したアスカの頭でもこのままシンジをほおっておいてはいけないと感じる。
「手を離して」
 レイの言葉にアスカは我に帰る。レイはアスカの手を振り払って、歩き出す。アスカは一つうなずくと再びレイを呼び止める
「ちょっと、ファースト!」
「………まだ何かあるの?」
 さらに冷たい声でレイが振り返る。
「追うわよ、シンジを!」
 一声かけて走り出すアスカ。レイはうなずくと後を追いかけて走り出した。


「いい娘たちだね」
「え?」
「ほら、アスカちゃんと綾波ちゃん………だったっけ」
「え、ええ。………二人がどうかしたんですか?」
「とぼけちゃって、このこの」
「な、何がですか」
「今時いないよ? 君が目覚めるまでずっと側にいたり、ドアの外で様子をうかがっているなんてさ」
「………ええ。二人には感謝しています」
「感謝ねぇ」
「そう言えば、どうしてあの二人がずっとついていてくれたこと知っているんですか?」
「え? ………それは、その………どうでもいいじゃないか、そんなこと」
「はぁ」
 どうでもいい訳ないです。簡単な、とても簡単な答しかないんだから。つまり、あなたも二人のようにずっと僕を心配して、どこかで様子を見ていてくれていたんですね。
 知らなかった。気づけなかった。………今になって気づく僕は、僕はバカだ。
 どうしてあの時に気づけなかったんだ。今になって、今頃になって気づいて、何もかもが手遅れになっているなんて! ………僕はバカだ。


 シンジの歩く速度は遅い。考え事をしているせいなのだろう。尾行(それほど大したものではないが)している二人にはありがたいことだが、見ていて危なっかしくてしょうがない。
「何やってんのよ、あのバカは」
 フラフラと歩いてるシンジにアスカがいらついた声を出す。レイは無言だが、シンジがふらつく度に、右手を握りしめている。アスカなど何度飛び出して行きそうになったかわからない。
 それでもシンジは何かに憑かれたかのように歩き続ける。平日の昼下がり、人道りはほとんどなく、気怠い夏の日差しだけが少年たちを照らす。
 程なくしてシンジはリニアの駅に到着した。何度か料金表を確認して切符を買う。シンジが改札の中に消えることを確認し、アスカとレイは券売機の前に移動した。
「あいつ、何処までの切符を買ったのかしら?」
 アスカが少々焦り気味に言う。早くしなければシンジがリニアに乗ってしまう。そうなっては追いかけることはまず不可能だ。悩むアスカを後目にレイは迷うことなく切符を買う。
「あんた、シンジが何処に向かってるか知ってるの」
「私、知らない」
「じゃぁ、何で切符買えたのよ?」
「見えたから………」
「見えたって、シンジがいくらの切符を買ったか見えたの? あの距離で?」
「………そう」
 この女だけは侮れないと、戦慄を憶えながらもアスカはレイと同じ切符を買い改札を通り抜けた。リニアがまだ到着していないことを祈りながら。

後 書

はい、こんばんわ! 水晶です。
いや、今回は、レイ&アスカが動いてくれたんで助かりました。まったく、あの二人…………

?のA「ふがぁーーー!」
?のB「ふんがふんがぁ!」

お?なんだ、もう目が覚めたのか? ………ちっ、頑丈な奴等だ。
後ろから鉄杭で48発たたき込んでから簀巻きにして猿ぐつわかましていたのに。

?のA「っふんふぁががが………ぷはぁ! ………水晶ぉあんたぁ!」
?のB「ふぁひょひひゃん、ふぁふふぇへ」
?のA「まってな、ユカ。猿ぐつわくらい噛みきってやる………どうだ!」
ユ カ「ぷっは! ありがと、ヤヨイちゃん」

どーでもいいけどさ、よくそれでコミュニケーションが成り立つよな。

ヤヨイ「そんなことぁ、どうだっていい! あんたよくもぉ」
ユ カ「簀巻きだけはやめて欲しかった………」

うるさい! 最近、おまえらのせいで、後書がまともに進まんではないか!
しばらく、そこで大人しくしてろ。くらえ! リツコ博士特注の催眠ガス!
ぷしゅー!

ヤヨイ「うぐぅ………き、汚いぞぉ………ぐぅ」
ユ カ「あぁ………簀巻きはいやぁ………すぅ」

ははは、どうだ、この妖しいまでの威力!これで落ち着いて後書ができるってもんだ。
………あれ?………なんか………眠くなってきた………ぞ? ………ぐぅ。


                          目を開けたまま眠る水晶でした

ヤヨイ「ぅぅん………次の後書………覚悟しときなさいよぉ………むにゃ」
ユ カ「………………すぅすぅ」


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