Domaine Bruno CLAVELIER 〜テロワールのモザイクを愛して〜

(ドメーヌ・ブリュノ・クラヴリエ:ブルゴーニュ)

(Vosne−Romané 2003.9.23)

 





 

1873年に建てられた、美しいセラー。

 コート・ドールの丘をルート・ナショナル沿いに車を走らせる時、ヴォーヌ・ロマネはその知名度とは裏腹に、余りにもあっけなく通り過ぎてしまう村である。よってルート・ナショナル沿いに位置するドメーヌの前にピタリと車を付ける為には、スピードを落としつつ、後続車を気にしながら番地を見極める必要があり、これは結構難しい(私が運転しているわけではないが)。ドメーヌ・ブリュノ・クラヴリエもまさにこのルート沿いに位置するのだが、村の入り口(6番地)付近にあるせいか毎度走り飛ばしていたのだろう、今まで気付かなかったのが不思議なほど美しい建物である。

 そしてそのワインも然りだ。

 

ビオディナミへの推移

 

 ワイン生産者としてのクラヴリエ家の歴史は1860年に遡る。現当主であるブリュノ・クラヴリエ氏は5代目であるが、ヴォーヌ・ロマネを中心に6,5haの畑を所有し、その90%が樹齢50年を超えているというから非常に恵まれた生産者と言えるだろう(ブリュノさん曰く「とてつもなく勤勉だった祖父が地道に植えてくれたお陰」)。

 ブリュノさんがドメーヌを引き継いだのは1987年(全てがドメーヌ元詰めとなったのは1992年)。まさにブルゴーニュで畑への「有機的アプローチ第一波」がうねりを見せ始めた頃である。彼もこのうねりに自ら乗ることを決意するのだが(彼の従姉妹がブルゴーニュにおけるビオディナミの先駆者の一人、モンショヴェ氏と結婚していたことも影響しているかもしれない)、多くの生産者がビオに完璧に推移するのには3−4年は必要であると語っているように、60年代以降化学薬品と共に歩んできた畑を元に戻すことは、彼にとっても勿論容易ではなかったようだ。

 彼がまず始めたことは畑の観察、すなわち自分の畑には生息していない動植物を知り、それらを呼び戻すためにリュット・レゾネに農法を切り替えた。また彼はこの「有機農法お試し期間」中にI...(Institu Technique de la Vigne et Vin:ボーヌにあるワイン研究所)やビオディナミの研究者であるピール・マッソン氏(「Guide Pratique de la Bio−dynamie:ビオの実践法」の著者)の元で実践に必要な知識を習得し続ける。最終的に彼が殺虫剤という壁を乗り越え(3年間に渡りコンフュージョン・セクシュエル注1の効果を観察)、完全にビオディナミに推移したのは1999年。つまり12年を費やした、ということである。

 一体彼をここまで駆り立てたものは何なのであろう?

ブルゴーニュの優位性とは、ピノ・ノワールという繊細なモノ・セパージュに応えるに相応しい適した土壌があり、かつその土壌や微気候、すなわちテロワールがまるでモザイクのように多様性に富んでいること。私はこの多様性を本当に尊敬している。ただ土壌の違いをモノ・セパージュで表現するためにはミネラルを根が吸収できる形に変換できる微生物の存在が必要だ。勿論醸造における過剰なテクニックでこの優位性を隠してしまうことは簡単だが、私は醸造を駆使するよりも、80%以上はブドウのポテンシャルに任せることを望むし、任せられるだけのブドウを得たい」。

 ブリュノさんの言葉は「土に帰る」ブルゴーニュの多くの生産者の言葉と一致するが、これはそれぞれの土壌から生まれるワインの味わいをクロ(石垣)で識別してきた12世紀の修道僧達から脈々と受け継がれてきたブルギニョンの原点なのであろう。しかし12世紀のそれが献上する美味しいワインを区別するためのものであったとすれば(非常に大雑把な言い方ではあるが)、現代のブルギニョンには世界市場での生き残りをかけた凄みがある。

「コマーシャルでビオを実践しているわけではない。必要だからだ。ビオを始めた頃にはブルゴーニュでも完全にアウトサイダーだったが、流れは確実に変わってきている。

ただし過去50年で農業における手段も大きく変化した。化学薬品にヴァージンだった畑を通して何が問題だったのかも見え、同時にその間にトラクターなど作業効率を上げるテクノロジーも驚異的に進化している。単に『古き良き時代』に回帰するのではなく、現代の英知を持って見通しの確かさや安全性・効率性を高めながらも、土に帰ることだけは避けられないことだったんだ」。

現在彼はDRC、メオ・カミュゼ、ルロワ、ルフレーヴ等との交流も欠かさないが、その理由は「お互いの意見を交わすことによって、一人で模索するよりもずっと時間の節約になる」。過去の手段が現代に「新しい手段」として再生される時には、更なる意味を持たなければならないのだ。

「ブドウ栽培において、各個人が持つ区画にまではルセット(レシピ)は無い。結局はいかに頻繁に自分の区画に足を踏み入れ、『畑のリズム』、そしてブドウ樹達の『どの瞬間に』『何を欲しているのか』を個人で強く感じ取る必要がある。そういう意味では、『個人の強烈なパーソナリティ』というものは畑仕事の段階で既にあり、『標準化』とは対極にあるものだと思う」。

ブリュノさんの言葉はアイソパシーIsothérapie:注2)論にまで及び、許された時間の中でここでは書ききれないほどに熱く続く。

 

(注1)コンフュージョン・セクシュエル:

直訳すると「性的混乱」。春先に孵化する蛾の生殖活動を阻止するために、カプセルに雌のフェロモンを入れ(時々畑の針金などに引っかかっている、数センチほどの茶色いカプセルがこれである)、雄を文字通りに「混乱させ」生殖活動を妨げる。殺虫剤に変わり、1995年以降有機的アプローチを試みる生産者の畑で活躍している。

 またその他の病害(ウドンコ病、ベト病など)に関する対策は、当HP「ブルゴーニュにおけるビオの動向」を参照してください(彼も有機的アプローチを試みる多くの生産者同様、ボルドー液使用時の銅の残存問題に取り組み、その使用量を減らすことに成功している)。

 

(注2)ホメオパシー(当HP「ブルゴーニュにおけるビオの動向」を参照)から派生したもので、考え方は似ているが、ホメオパシーが起きている症状と「同種」(この場合、症状の「同種」が重要であって、その症状を引き起こした原因に直接的な関係は無い)の症状を起こすものを希釈振とうして用いるのに対し、アイソパシーは、その症状の原因物質を希釈振とうして用いることによって抗体を形成しその症状を取り除くもの。

 

テイスティング

 

今回のテイスティング銘柄は以下(全てボトル・テイスティング)

     ブルゴーニュ・アリゴテ 2002(樹齢70年)

     ヴァン・ド・ターブル シャルドネ キュヴェ・グラピニィ 2002 (Cuvée Glapigny。樹齢50年)

     ブルゴーニュ・パストゥグラン 2002(樹齢50年と70年)

     ヴォーヌ・ロマネ コンブ・ブリュレ 2001(Combe Brûée。珪素に富んだシレックスに近い石灰質が豊富。高台で表土が薄い)

     ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・オー・ボーモン  2001(風食された石灰質が豊富で保水性が良い。高台で表土が薄い)

     ヴォーヌ・ロマネ オート・マジエール 2001(粘土を多く含む)

     ヴォーヌ・ロマネ ラ・モンターニュ 2001(モノポール。オー・ブリュレの斜面上部に位置し日射量が多く、粘土を多く含む)

     ジュヴレイ・シャンベルタン プルミエ・クリュ レ・コルボー 2001 (Les Corbeaux) 

     シャンボール・ミュジニィ プルミエ・クリュ ラ・コンブ・ドルヴォー 2001(La Combe dOrveau。ミュジニィ、エシェゾーに接し特級に匹敵と言われるパーセル。あのペロ・ミノ同様クラヴリエ家も70年代に1級として申請)

     ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ オー・ブリュレ 2001(岩が多く、斜面は南向きかつ北風に恵まれている)

     ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・ボーモン 2001

     ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ オー・クラ(Aux Cras) 2000

     コルトン ル・ロニュ(Le Rognet) 2001

 

テイスティング・ルームには、彼が畑から持ち帰った鉱物が。左が珪素に富んだ石灰質。右が風食された石灰質。

一度に6種類ものヴォーヌ・ロマネを比較試飲できることも貴重であるが、当然ながらセパージュは同じピノ・ノワールであり、かつそれぞれがヴォーヌ・ロマネのイメージを持ちながらも味わいの相違がはっきりと感じられることは、ブリュノさんの言葉を借りれば「まさにテロワールのモザイク」である。

 全体的に少し心地よいオリエンタルなスパイスのトーンがあり、土壌の違いが様々な花の違いに昇華している様がとても印象深い。特にレ・ボーモンはバラやユリ、白檀のニュアンスが豊富でよりエキゾティックである。2001年という困難なミレジムでありながら、深いミネラルや熟した絹様のタンニンが綺麗にワインに溶け込んでおり、力(骨格)とフィネスのバランスが非常に良い。またシャンボール・ミュジニィ プルミエ・クリュ ラ・コンブ・ドルヴォーの羽根のような軽さには、まさにこのアペラシオンの中でも上質なクリュから表現されるエレガンスがあり、細く長い熟成のポテンシャルがある。

 ところでブリュノさんご自身に、ビオに推移してから自信が感じる味わいの変化はあるのだろうか?この問いに対しては、「Cest énorme(すっごく)!」という力強い答えが返ってきた。

「土壌構成のバランスの向上と共に、ワインの中のバランス感もより良いものになっていったが、その変化を確信したのは1997年。一般的に酸に欠けるミレジムと言われているけれど、私のワインをI.T.V.(前述)での分析したところ糖度が十分に乗っていながらも、美しい酸が十分に存在していることが見事に数値に現れた」。

畑仕事において有機的アプローチを試みればおのずと醸造手段にも変化はあると察せられ、味わいの変化とは畑仕事と醸造の総合的な結果であろうが、有機的アプローチを試みている多くの生産者が「酸の質の向上」を挙げることは興味深い。これはやはりミネラルをいかに取り込めるかに起因しているのではないだろうか。

 

畑とスクラム

 

テイスティング中のブリュノ・クラヴリエ氏。2003年の酷暑に関しては、「人生の全ての経験をフル活動させた」とのこと。ちなみに2003年の平均収量は15−20hl/ha。例年の半分である。

 

  「納得が行かないのは、ボルドーを比較してブルゴーニュが『薄い』で片付けられてしまうこと。確かにボルドーを飲んだ直後にブルゴーニュを飲んだら薄く感じるかもしれない。色も味わいもね。でもボルドーとブルゴーニュではそもそも求めるスタイルが違うんだ。ブルゴーニュにはブルゴーニュの『フィネス』や『緻密さ』があって、ブルゴーニュのそれを表現するためには過剰なテクノロジー、つまり人為的な色素抽出や濃縮は不要だと思うんだ」。

彼が口調を荒げることは決してなかったが、彼自身にもそのワインにも、言いたいことや、そしてブルゴーニュへの愛情がぎっしりと詰まっていることが短時間にもひしひしと伝わってくる。

  テイスティング・ルームの壁には、最近ブリュノさんが掲載された記事が数枚貼られてある。その中の1枚は「ラガーマン、今は畑とスクラムを組む」と言う見出しである(彼に関して海外で記載されているものに目を通すとこの「元ラガーマン」という言葉が頻繁に出てくる。聞きそびれたがもしかするとかなり優秀なラグビー選手だったのかもしれない)。

この見出しを付けた書き手の気持ちが何となく分かる気がする。なぜなら彼から出るオーラには暗さというものが微塵も無く(彼のワインも心地よい外向的な性格だ)、正々堂々とした嫌味でない熱さに満ちていて、「ラガーマン」と言われると妙に合点が行くからだ。なので私がこのレポートに付けた少々歯がゆい題名が彼のお気に召すかどうかは「?」であるが(基本的にレポートは生産者の元に送付し、希望と機会があれば簡単に翻訳している)、まずは彼のこの地に対する愛情と、愛情を注がれたワイン達を伝われば、と思う次第である。