『神戸からの祈り (最終回)』

平成10年10月10日。
『神戸からの祈り・東京おひらき祭り』が鎌倉の大仏様の前で繰り広げられた。

民族、国境、宗教を超えた祈りの祭りは、この時大輪が咲いたといっても過言
ではないだろう。
様々な宗派のお坊様や天河神社の宮司さん、アラスカ先住民族のボブ・サムや
アイヌのアシリ・レラさん、アメリカ先住民族のデニス・バンクスやクロウ・
ドッグなどが様々に祈りをあげた。また細野晴臣氏をはじめ、本当に多くのア
ーティストたちが、この時一同に平和を祈り参加した。

神戸事務局長である私は、この日、最初のセレモニーに少し登場したくらいで、
後はとても気楽なポジションにつかせてもらっていた。
神戸の時とは大違いで、次々と展開される舞台をほぼお客さんと同じ様に楽し
むことができる。東京のスタッフが大忙しで動いている中、私はその時間を十
分に堪能することができた。

そして、神戸の時とは比べものにならない程のスタッフの手際の良さに、ただ
ただ感心するばかりだった。


神戸の実行委員、ヨリちゃんが提案して始まった「五色の布」(赤・青・緑・
黄色・白色のリボン状の布に、それぞれの祈りを書いて結び合わせたもの)が、
大きな大仏様の胸にかけられる。
私の目には、大仏様がちょっぴり恥ずかしげに照れ笑いしているように見える。

神戸メリケンパークで行われた満月祭からおよそ2ヶ月。自分の中で、少しず
つ「祈りの祭り」について整理ができ始めていた。

鎌倉は、その日爽やかに晴れ渡っていた。

あれは…午後2時ごろだっただろうか。
秋だというのに、まるで真夏のように暑い日差しが照りつけていた頃、人であ
ふれ返っていた会場の中を、私は友人を探して歩いていた。
ふと目の前を見ると、ゲストで来ていたアラスカ・クリンギット族の語り部、
ボブ・サムが立っている。

映画「地球交響曲 第3番」の中で彼が語るワタリガラスの神話を聴いて、私
の魂の扉が開いたとも言って過言ではない。
そのボブ・サムが真っ直ぐこっちを見ているのだ。

「やっと会えた…」

そう思った瞬間、ボブは私の瞳をじっと見たかと思うと、おおもむろに両手を
広げて、優しく、そしてしっかりと抱きしめてくれた。全く一言も語っていな
いのに、なぜ心が通じるのだろう…。私はそれまでの様々な思いが一気に込み
上げてきて、涙が自然とこぼれ落ちた。

そして、夕方控え室の畳の上で、五色の布を更に繋げる作業をしていた時、隣
の部屋にいた外国女性が入ってきた。
互いに見つめあい微笑みあっているうちに、どういう訳か、くすぐり合いっこ
が始まり、私たちは、まるで幼い少女のようにシャレながらしばらく遊んだ。
しばらく経って、彼女はボブの奥さんドーだと知った。

会場では、様々なパフォーマンスが繰り広げられ『神戸からの祈り・東京お
ひらき祭り』は、全てがひとつの「祈り」となっていた。


それから1週間後、記録的な台風が日本列島を襲った。

ボブがその日、神話を奉納すると聞いて私は家族と共に、奈良県の天河神社へ
向かった。あれは、台風の目の中だったのだろうか…
天河神社に着いた時には、ピッタリと風が止まっていた。

車から降りたその時だった。
偶然、宮司さんが目の前に現れ「彩さん、これからボブ・サム達と一緒に洞川
に行くのですが、一緒に行きますか?」と誘ってくれた。
見ると、ボブやドーが横に立ってニコニコとしているではないか。
洞川といえば天河神社が本宮にあたる大峰の麓。

私達は、その日天河の宮司さん、ボブ・サムやドーそして家族らと共に、大峰
山の麓で静かに静かに、祈りを捧げた。


神戸の震災から始まった私の中の小さな祈り。
それは、やがて私の意志を大きく超えた平和の祈りとなり、様々な繋がりと多
くの学びを与えてくれるものとなっていった。

そしてそれは、これからも私の魂の指針となっていくことだろう。


                             完