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Antonov 225
An-225アントノフ225はAn-124をベースに、大規模な宇宙システム、とりわけソ連版スペースシャトルのブランБуранやスペースシャトル打ち上げロケット(固体ロケットブースター?)のエネルギヤЭнергияのコンポーネントを輸送する手段として、1985年に開発が始まった。キエフで製造された初号機は1988年12月21日に初飛行に成功した。1989年5月13日には、ブランをジューコフスキーからバイコヌールへ2,700km、4時間25分で輸送した。しかし1990年代初頭にブランの打ち上げ計画が凍結されたことにより、本来の目的を達成することはなくなってしまった。愛称のムリヤ(Mriya/Мрiя)は、ウクライナ語で「夢」を意味するが、ブラン輸送計画は夢となってしまったのは皮肉である。

An-225An-225はAn-124の胴体を15m延長し、各部分もAn-124との共通化を測っている。貨物は機種部分の扉から出し入れされ、その時には前脚が縮み、機体は若干前屈みの状態になる。An-124にある後部のランプは、機体を軽くするために設けられていない。ブランを空輸する際は機体主翼上部に搭載するため、固定する突起物が2つ付いており、2枚の垂直尾翼は、機体上部に搭載されたブランによって作られる乱気流を避けるために、幅32.65mの水平尾翼の両端に付けられている。前脚はAn-124と同じダブルタイヤの脚が2本(タイヤ計4個)、主脚はダブルタイヤ脚7本が2列(タイヤ計28個)で、各々後ろの2本は操舵可能なために、幅60mの滑走路で方向転換できる。エンジンもAn-124と同型のプログレスD-18Tを6基装備している。

An-225ブラン計画の頓挫から、ムリヤの2号機が完成することはなかった。キエフの工場には2号機が組み立て途中の段階で保存されている。ウクライナがソ連から独立してからアントノフは資金難に陥り、1号機でさえも長らく放置され、エンジンやナビゲーションシステムはAn-124のスペアとして取り去られ、着陸灯は開発中のAn-70の試作機に使用された。転機が訪れたのは1999年9月、アントノフとモトール・シチMoтop Ciч(ウクライナのエンジンメーカー)は、An-225にICAOの基準に適合するように改良されたエンジンを搭載して修復する契約が結ばれた。2001年2月には、ひどい状態だった1号機が飛行可能な状態に戻され、5月7日に試験飛行をし、6月にはパリ航空ショー、8月にはモスクワ航空ショーで一般公開された。

 

緒元

  An-225
全幅 88.4m
全長  84m
全高  18.1m
最大離陸重量 600,000kg
機体重量 250,000kg
最大巡航速度 850km/h
最大航続距離 15,000km
最大定員数 -
運行乗員数 6人
エンジン形式 ZMKB Progress D-18T(23,400kg) x6

 

その他のモデル

An-225-100 今後生産される可能性のある民間向けタイプ。