杉並区の地名と歴史
杉並の歴史   歴史年表   村町名の変遷

高円寺   阿佐谷   荻窪   西荻


杉並の歴史
江戸時代以前
現在の杉並区の地域は、奈良時代は武蔵国多下郡、平安時代は多摩郡海田郷に属していたと言われますが、明確ではありません。 宝徳3年(1451年)5月25日付の「上杉家文書」には、和田、堀之内、泉(今の和泉)の3つの村が武蔵国中野郷に所属していると記されています。  また、貞治元年(1362年)12月17日付の「武蔵国願文」では大宮八幡宮も中野郷にあったことを示唆する箇所があり、永禄2年(1559年)の「小田原衆所領役帳」では高井堂(今の高井戸)、永福寺(今の永福町)の2つの村が中野郷に所属していたと推測できる箇所がある事などから平安時代までには、和田、阿佐谷、和泉、堀之内、永福寺、高井戸村は成立していた事になります。


江戸時代
江戸時代には、20村になっていました。 阿佐ヶ谷、天沼、下荻窪、堀之内の4つの村は麹町山王日枝神社の領地、上井草、下井草の2つの村は旗本今川氏の領地、和田村の全部と和泉、永福寺村の大部分は旗本内田氏の領地、残りの11の村は幕府直轄の天領でした。 五代将軍徳川綱吉の時代には、中野から天沼にかけての約29万坪に「お犬様」の犬小屋が作られ、約10万頭の犬が養われていました。
江戸時代、江戸日本橋を起点にして5つの街道を道幅5間にして宿場制度を設けましたが、甲州街道はその街道の一つで、甲州街道沿いには上高井戸宿、下高井戸宿と両方あわせて普通旅館と飲食兼業の旅館が24軒ありました。
しかし、他の街道と比べ寒村地帯を通り、参勤交代の甲州道中をするのは3大名8万6千石に過ぎなかったので、交通量も少なく宿の設備も劣っていたそうです。 一方、青梅街道は関所が無い上に、江戸−甲州間を甲州街道を利用するのに比べ8キロ短縮できる事などから別名「甲州裏路」と言われ、庶民的な街道でした。


明治時代
馬車による街道交通が主だった明治16年当時、人口は甲州街道、青梅街道沿いに集中していました。 府中町、調布町、田無町、石灰岩を産する青梅町などで、特に甲州街道の重要な宿場にして織物の町だった八王子の人口は二万人でした。  その年、私鉄の甲武鉄道は甲州街道沿いに鉄道を敷設する事を計画しましたが、地元住民から宿場の客が減り、桑が枯れるという理由で強く反対されました。 青梅街道沿いに計画変更しましたが、この計画も同じ理由で反対された結果、中野・立川間を24キロにも及ぶ長い直線区間とする現路線になりました。
明治22年(1889年)4月1日、新宿−立川間が開通し、新宿・中野・境(今の武蔵境駅)・立川の四駅が開業しました。 四ヶ月後の8月11日には新宿−八王子間が開通し、国分寺・八王子の二駅が開業しました。 中野駅と境駅の中間にある下荻窪村に荻窪駅が開業されたのは、二年後の明治24年(1891年)12月でした。
当時、街道から離れていた中野・立川間は広い武蔵野の原野と林と畑ばかりが続く寒村地帯で、荻窪駅の一日の乗降客は三百人でした。 畑の中の住宅地は人家がまばらで、人通りの少ない道には草が生い茂り、街路灯は少なくて月明りが頼りでした。
明治25年12月7日、正岡子規が俳句の同人内藤鳴雪を伴い、新宿から汽車に乗って高尾へ一泊の旅に出て、荻窪駅に停車した時、あたりの風景に感じて一句詠んでいます。
荻窪や 野は枯れ果てて 牛の声内藤鳴雪
汽車道の ひとすじ長し 冬木立正岡子規


大正時代
荻窪駅開業から三十年後の大正11年には、区内の他の中央線三駅(高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪)が同時に開業しました。 当初、地元の新駅設置の要望に対して鉄道省は、中野駅−荻窪駅間には一駅を設置する考えを示しましたが、地元の強い要求で高円寺駅と阿佐ヶ谷駅の二駅が出来ました。 その結果、中野駅−高円寺駅−阿佐ヶ谷駅−荻窪駅のそれぞれの駅間隔は1.4km、1.2km、1.4kmとなり、他と比べて短くなってしまいました。

大正12年に起きた関東大震災と太平洋戦争によって、下町の住宅の多くは壊滅しました。 そうした多くの住民が移住先として、貸家が多くて家賃も物価も安い杉並区の中央線沿線に移住して来ました。 戦争後は、原っぱの中にバラックが建ち並び、荻窪駅北口には闇市ができました。
大正の末に荻窪に土地を買い、別荘風のしゃれた家を建てて昭和2年に移り住み、創作活動を続けて、この地で没した与謝野寛・晶子夫妻は詠みました。
大いなる 炉の間のごとく 武蔵野の 冬あたたかに 暮るる一日与謝野寛
井荻村 一人歩みて 蓬生に 断たるる路の 夕月夜かな与謝野晶子


昭和時代
昭和30年代になると、郊外に建設された団地などからの通勤者が急増した結果、中央線の混雑度は300%になり、パンク寸前になりました。 オレンジ色の車両が登場したのは昭和32年でした。 混雑を緩和させる為に投入された新型車両でしたが、その後も団地などの建設が続けられた為に、混雑度が緩和されたのは一時的でした。
一方、国鉄のターミナル駅は、国鉄が山手線の内側への私鉄乗り入れをさせなかった為にさらにひどい混雑でした。 そこで、中野駅−三鷹駅間の高架複々線化と山手線内側を通る地下鉄の建設が始まりました。
高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪は同じ形の高架駅になりましたが、荻窪駅は昭和30年代まで荻窪駅にあった貨物線の跡地にホームを増設して地上のままで複々線化され、残りの土地を生かして駅ビルが建設されました。


歴史年表
年代できごと
和銅6年(713年)武蔵国となる。
建久3年(1192年)源頼朝、征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開く。
宝徳3年5月(1451年)武蔵国多東郡中野郷の堀之内、和田、泉村が鎌倉円覚寺の領地となる。
天正19年頃(1591年)神田上水が整備される。
慶長8年(1603年)8月徳川家康、征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開く。
慶長9年(1604年)頃甲州道中(甲州街道)を整備する。
同11年(1606年)江戸城築城の為、青梅成木村の石灰運搬路として、成木街道(青梅街道)が開かれる。
正保年間(1645年頃)武州多摩郡井草村を2分し、京都に近い西側を上井草、遠い東側を下井草と名付ける。
承応3年(1654年)玉川上水が完成する。
貞享4年1月(1687年)将軍綱吉、生類憐みの令出す。
元禄8年(1695年)中野に野犬を収容する犬小屋を作る。
同9年(1696年)玉川上水から千川用水が分水される。
同11年(1698年)中野犬小屋が手狭になった為、高円寺村に拡張する。
宝永6年(1709年)生類憐みの令を停止し、中野犬小屋は廃止される。
慶応4年(1868年)7月明治維新政府が江戸を東京と改める。
明治元年(1868年)9月明治維新政府が明治元年と改元する。 武蔵野県多摩郡の所属になる。
同2年(1869年)2月品川県が新設され、品川県多摩郡の所属になる。
同4年(1871年)7月廃藩置県によって全国が3府72県に分けられる。
同4年(1871年)12月品川県が廃され、東京府に編入され、東京府多摩郡の所属になる。
同5年(1872年)1月神奈川県に所属が移され、神奈川県多摩郡の所属になる。
同5年(1872年)9月再び所属が東京府に戻され、東京府多摩郡の所属になる。
同6年(1873年)3月東京府が11の大区と66の小区に分けられる。 旧20村第8大区の5小区と6小区に属する。
同11年(1878年)7月公布された郡区町村編制法によって、東京府東多摩郡の所属になる。
同12年(1879年)大区小区制が廃止されて、旧20村は編成されて6連合村ができる。
同22年(1889年)5月公布された市町村制によって、旧20村は合併により4ヶ村になる。
同29年(1896年)東多摩郡と豊島郡が合併されて豊多摩郡が誕生し、東京府豊多摩郡の所属となる。
同39年(1906年)8月鉄道国有化で、甲武鉄道は国鉄中央線となる。
大正2年(1913年)4月京王電気軌道京王線、笹塚−調布間開通。
同10年(1921年)8月荻窪・淀橋(現在の新宿)間の青梅街道に路面電車の西武新宿荻窪線が開通。 後に都電杉並線となる。 都電としては唯一の狭軌区間として知られていた。
同13年(1924年)6月杉並村が杉並町と改称する。
同15年(1926年)7月和田堀之内村が和田堀町に、高井戸村が高井戸町に、井荻村が井荻町に改称する。
昭和2年(1927年)4月現在の西武鉄道新宿線開設。
同7年(1932年)10月全35区、人口566万人の大東京市が誕生する。 旧4ヶ村の4つの町が合併し、東京市杉並区が誕生する。 人口は、14万6560人。
同8年(1933年)1月帝都電鉄井の頭線、渋谷−吉祥寺間開設。
同12年(1937年)水道道路(渋谷−吉祥寺)が開通。
同18年(1943年)東京府と東京市との合併で東京都が誕生し、東京都杉並区になる。
同34年(1959年)3月営団地下鉄丸の内線(新宿駅−池袋駅)開通
同36年(1961年)2月営団地下鉄荻窪線(新宿駅−新中野駅、中野坂上駅−中野富士見町駅)開通。
同36年(1961年)11月営団地下鉄荻窪線(新中野駅−南阿佐ヶ谷駅)開通。
同37年(1962年)1月営団地下鉄荻窪線(南阿佐ヶ谷駅−荻窪駅)開通。
同37年(1962年)3月営団地下鉄荻窪線方南支線開通。
同38年(1963年)12月環状7号線開通。 都電杉並線廃止。
同41年(1966年)4月国鉄中央線の中野駅−荻窪駅間の高架複々線化完成。 初めての試みとして、営団地下鉄東西線の中野駅−荻窪駅間乗り入れ開始。
同44年(1969年)4月国鉄中央線の荻窪駅−三鷹駅間の高架複々線化完成。 地下鉄東西線の乗り入れ区間は中野駅−三鷹駅間に延長。


村町名の変遷
〜明治6年
(20村時代)
明治6〜12年
(大区小区時代)
明治12〜22年
(6連合村時代)
明治22〜昭和7年
(4ヶ村時代)
上高井戸村(宿)第8大区5小区連合村(2)高井戸村

高井戸町
下高井戸村(宿)
中高井戸村連合村(4)
大宮前新田
松庵村
久ヶ山村
高円寺村第8大区6小区連合村(4)杉並村

杉並町
馬橋村
阿佐ヶ谷村
天沼村
成宗村連合村(4)
田端村
下荻窪村井荻村

井荻町
上荻窪村
上井草村連合村(2)
下井草村
和田村連合村(4)和田堀之内村

和田堀町
和泉村
堀之内村
永福寺村


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