阿佐谷の地名と歴史
「阿佐ヶ谷」の地名の由来
昭和の始め頃までは狸や狐もすむ農村地帯だった「阿佐ヶ谷」は、桃園川の浅い谷地だったので最初は「浅い谷」と呼ばれていたのが「浅が谷」(仮名で「あさかや」)に変わりました。 14世紀頃より、阿佐ヶ谷氏という家人が支配していたという記録が残っており、1932年まで阿佐ヶ谷村と呼ばれていました。
現在、「阿佐ヶ谷」と「阿佐谷」の両方が使われていますが、古来この地は「阿佐ヶ谷」でしたが、昭和38年9月より住居法により「阿佐谷」に統一されました。 その為, 住所や公文書には「阿佐谷」が用いられていますが、固有名詞や駅名は伝統的な「阿佐ヶ谷」が用いられています。
阿佐ヶ谷文士村
1923年の関東大震災を機に、東京の下町からたくさんの人が移動してきました。 そんな中には、文士の人々もいました。 家賃がやすかった事が唯一の理由の様です。
阿佐谷界隈には、与謝野鉄寛、晶子夫妻、田宮虎彦、太宰治、火野葦平、井伏鱒二等が住んでいました。 今では歴史に残る文士達ですが、その頃は貧乏で、まだ世間にも認められてはいなかったようです。
文士の宴会
文士の宴会
阿佐谷と相撲
昭和33年に初優勝した初代若乃花が属する花籠部屋が、両国を遠く離れた阿佐谷にありました。 現在の日大相撲部に間借りし小部屋で苦労していた様です。 阿佐谷が一つにまとまって大いに盛り上がった時期でした。
また、成田東にあった二子山部屋は現在中野の藤島部屋に合併されました。
現在、阿佐谷南2丁目の放駒部屋と阿佐谷南3丁目に日大相撲部があり、駅界隈で時々お相撲さんを見かけます。 阿佐谷センターまつりでの餅つきには放駒部屋の若手力士が大活躍し、皆大喜びです。
阿佐谷南3丁目相撲部屋
阿佐谷南3丁目相撲部屋
「馬橋」の地名の由来
かつて、阿佐ヶ谷駅−高円寺駅間あたりは馬橋村と呼ばれていました。
青梅街道を横切る小川にかけてあった橋が馬でひとまたぎ出来るほど小さいので馬橋と呼ばれ、それが村名となりました。
阿佐谷の歴史年表
年代できごと
1869年新宿−田無間に馬車道が開通。
1875年杉並第一小学校設立。 1996年に開校120周年記念を祝う。
1889年甲武鉄道(現在の中央線)、新宿・立川間に汽車が通る。 甲州街道筋に敷設のはずが、宿場の猛反対にあい、人家のすくなかった現在地に敷設された。 当時は火の粉を吹き出し通過する汽車による火災もあり農作物家畜などの被害もあり鉄道は敬遠された。
1891年荻窪駅新設
1922年阿佐ヶ谷駅新設
1952年阿佐ヶ谷駅南より青梅街道まで中杉通り開通する。 その直後に中杉通り沿いにケヤキ並木が地元商店街の人々により植樹された。
1954年阿佐ヶ谷名物パールセンターの七夕祭り始まる。
1962年地下鉄南阿佐ヶ谷駅新設。
1966年中野・荻窪間の複々線高架開通、地下鉄東西線乗り入れる。
1971年3月阿佐ヶ谷駅北口の中杉通り拡張される。旧中杉通りを電信柱を削るように走っていた悪評高い名物バス路線も改善された。
1981年3月中杉通り開通式。
1985年6月阿佐谷地域区民センターオープンする。
1993年2月阿佐谷図書館オープン
1993年8月阿佐谷出帳所現地点に移転してオープン。


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