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ニュースコラム
川崎元気、現役。

by ETO Takashi 2006.10.9

川崎元気と書いて(かわさきもとき)と読む。元気なフロンターレという意味ではない。現役のサッカー選手だ。

先日、全国各地で天皇杯三回戦が行われたが、三ツ沢では横浜FCとバンディオンセ神戸が対戦し、神戸が横浜FCを下した。そのピッチにモトキは立っていた。

モトキは大分高校を卒業後、97年に当時JFLの大分トリニティに入団。地元出身選手として人気の選手だったが、大分がJ2へと加入した99年のプレシーズンに、鳥栖との間で行われた練習試合で骨折。当時を知る大分サポーターからは愛される存在だったが、順風満帆のサッカー人生とは言えなかった。

当時の監督である石崎信弘をして「いいチームだった」と言わしめた2000年に準備万端で臨むと、10節に行われた駒場の浦和戦で1ゴール。また、21節のホームでの浦和戦でトップ下で出場。ウイルとのコンビであの浦和を追いつめたプレーは、ものすごくコアなサポーターの間では語りぐさになっている、ような気がする。

そんなモトキだが、2001年のシーズン中にG大阪へレンタル移籍。このシーズンを最後に大分には復帰しておらず、大分創生期の功労者でありながらJ1昇格の興奮も、J1での戦いの日々も体感していない選手だ。

現在モトキがプレーを続けるバンディオンセ神戸というチームは、関西リーグ1部を舞台に戦いを続けるチームだが、まだまだチームとしての体裁は整っておらず、所属選手たちは下部組織として編成されるスクールの子供たちにサッカーを教えながら報酬を得るという生活をしているという。監督の橋本雄二氏によると、練習は午前9時から2時間。スクールには150人ほどの子供たちが通っており、モトキもその子供たちを教えているのだという。

横浜FCは小山健二が先発。その小山を脅かすロングシュートを放ち、三ツ沢に足を運んだ推定1名の大分出身者を興奮させ、悩殺させかけたモトキと何年かぶりに再会。立ち話ながら話を聞いた。

「おれ、上げたこと無いんで」とモトキはつぶやくように語った。

バンディオンセ神戸は関西リーグ1部で2年連続で優勝。JFLへの昇格をかけて第30回全国地域リーグ決勝大会への出場権を手にしている。モトキにとっての目の前の目標は、チームを上げること。そしてそれが彼のプレーヤーとしてのサッカー人生の最後になるのかもしれないという。

「現役にこだわってきたんですけどね。まだ先のことはわからないですが、まずはチームを上げたいです」

モトキがサッカー人生をかける、と言ってもいい全国地域リーグ決勝大会は、1次ラウンドが11月24日(金)〜11月26日(日)の間に行われる。
会場は3カ所。13チームを4つのグループに分け、島原市営陸上競技場、高知県立春野総合運動公園球技場、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場の3会場で行われ、各グループの首位が12月1日(金)〜12月3日(日)の日程で行われる決勝ラウンドに進出し、順位を決定。JFL昇格チームが決まる。ちなみに佐川東京と佐川大阪の統合により、優勝チームは自動昇格。ロッソ熊本がJ2へと参入した場合、2位チームまでが自動昇格することになります。

ところで必然か、偶然か。決勝ラウンドは、トリニータのクラブハウス隣にある大分スポーツ公園総合競技場サッカーラグビー場で行われる。川崎元気ラストマッチになる可能性もあるこの大会に彼の大分時代を知る往年の大分サポーターは集まってほしいところである。

全国地域リーグ決勝大会JFA公式サイト
地域リーグ決勝大会週刊JFL NEWS
バンディオンセ神戸
川崎元気Wikipedia


ニュースコラム
サッカーをやっているんだ!

by ETO Takashi 2006.10.4

3日に日産スタジアムで行われた前日練習を取材した。ジーコ監督時代であれば軽めの練習で終わるところだし、Jリーグの監督でも試合前日の練習は落とし気味にするところ。ところがオシム監督は密度の濃い戦術練習を繰り返した。やるべき事の複雑さを考えれば、1日たりともおろそかにはできない、という気持ちの表れなのだろう。そんな練習中、通訳を通して激しい言葉を投げかけるオシム監督の言葉の中にこんなものがあった。

「ガーナは1トップと2トップを状況に応じて切り替えてくるぞ。4-4-2とかは関係ない。システムと戦うんじゃない。サッカーをやっているんだ!」

なるほどなぁと。そんなやりとりの中で、FWの選手を走らせてサイドバックのオーバーラップを制限し、CBを前に出させるようなプレッシングの練習をやっていた。今日の試合でそういう場面が見られるのか、ちょっと期待しているところである。


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周作、日帰り大分。

by ETO Takashi 2006.10.1

ガーナ戦に向けた日本代表に招集された周作だが、このタイミングで発表されることを知らなかったとのことで、関東から大分への往復を余儀なくされたという。

ちなみに代表招集の連絡を受けたのは「スーパーサッカーを見る前」(周作)。ところが手持ちだったのがスパイクとグローブのみだったとのことで急遽翌朝、チームが利用する便よりも一便早い飛行機に乗り込んで大分へ向かったという。

大分が千葉戦に向けて宿泊していた宿舎から代表の集合場所まではほんの30分程度の距離。ところが荷物を用意するために、朝6時15分に起床して大分へ移動。食事は大分空港でとって再び東京へ。集合場所となる宿舎には16時半に着いたという。

ちなみに設定されていた集合時間は13時半。大分の宿舎のチェックアウトを伸ばしてもらい、余裕で12時過ぎに出ても間に合う位置関係にありながらとんでもない移動を経験してしまった。そんな周作だが「今日は意外と動けました」と発言し、取材していた記者の笑いを誘っていた。

そんなわけで、意図しない形ではありつつも大幅な遅刻となってしまったが、それについてオシム監督からは「何も言われなかった」という。明るく笑顔で報道陣に話す周作だったが「オシムさんって会見しないんだけど、それの弊害みたいな感じ?」という質問が出ていたから明日の朝刊には「オシム流招集の被害者」みたいな扱いで掲載されるのかも。ちなみにこの質問に対する周作の答えは、監督の代表の発表のやり方に原因を求めるのではなく「自分も準備してなかったんですがこれから気をつけないとダメですね」と自らを戒めるものだった。そこらへんが周作っぽいところである。

まあ、これからはA代表に一番近いU21日本代表として、気を引き締めてほしいところである。オシム監督も新しい選手を使いたいと発言していたようだしね、いつ出番をもらっても、問題なく出られるよう、いい準備をしてもらいたいところだ。


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そうやるか。

by ETOH Takashi 2006.9.28

ちなみに大分の27日の練習を見させてもらったのだが、これが非常に興味深いものだった。6対6をやっているのだが、その中で決めたルールがおもしろかった。具体的には書かないが、要するに千葉との戦いにおける意識付をどうするのか、という練習で、まずは6対6でその意識を徹底。その感覚とルールをそのまま紅白戦で実践するというものだった。その成果がどう出るのかは千葉戦ではっきりするが、興味深かったのは千葉のサッカーを分析し、それをどう攻略するのかという一連の流れが練習にきっちりと反映され、それを選手がはっきりと理解している所にある。千葉戦で大分がどんな戦いをするのか、非常に楽しみである。


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深谷騒動。

by ETOH Takashi 2006.9.27

代表未経験深谷“サプライズ招集”
日本代表のイビチャ・オシム監督(65)が10月4日のガーナ戦(日産)、同11日のアジア杯予選インド戦(バンガロール)の招集メンバーに代表未経験の大分DF深谷友基(24)をリストアップしていることが26日、分かった。既にインド渡航の手続きで必要なパスポートを日本協会に提出している。現在6位と健闘している大分の守備の柱に“サプライズ招集”の可能性が膨らんできた。
とのことで、27日に大分市営陸上競技場で行われた練習には、大分の各社のカメラが集まった。ところが原強化部長はこの記事の内容を否定。リストアップはされているとの事だが、そこまで話は進んでいないとの事だった。

というわけで、練習を終えていざ深谷の共同会見が行われるというタイミングで報道陣にさりげなく、微妙に「誤報ですよ〜」と声をかけていた。つーか、各社さんも取材に来る前に一発確認入れればいいのに。

ちなみに本人に聞いてみたが「パスポートは手元にありますよ。代表に招集されたら大学選抜以来ですかね。ちなみに有効期限切れてます」と笑っていた。それってパスポート持っていることにならないし。

ただ、聞いた話によるとスポニチのこの話自体は「オシムに近い関係者からの話」ということで原氏に説明があった旨伝えると「それで、もし、いざ呼ばれてパスポート切れてたら笑えないですね」と急に目を光らせていた。「この後申請に行こうかな」と話していたので「来年は1時キャンプがグアム(シャムスカ監督との契約がまとまれば)だって言うし取っておいても使えるよ」というとすかさず「ですね」とマジモードに。とはいえ、パスポートの申請には戸籍謄本とかいろいろ書類が必要なので、おそらく役所でorzな姿を見せているんじゃないかと思っている所である。

ちなみに現在大分からリストアップされているA代表候補は、高松、松橋、三木、深谷、高橋の5名だとの事です。

みなさんわかっていると思いますが、騒ぐのは選ばれてから。選ばれても、出てナンボですから。


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梅崎、大器の片鱗を見せた試合のプレイバック

by ETOH Takashi 2006.9.5

今さらなんですが、梅崎が関東のJクラブサポーターに最初に認識された試合のレポートをまとめてみました。大分系関東サポータークラブにあったリンク集を参考にしました。

この試合の様子しかわからないですが、当時から目立ちまくっていたことがわかります。これ、2年前の話。10代の選手は本当に伸びるのが早い。

ちなみに梅崎のプレーを始めて生で見たのは、去年の新潟ユースの時。試合中ヘロヘロになっていてスタミナのない選手なのかなと思っていたんですが、本人はペース配分が下手だと言ってました。彼は常に全力でプレーしてきたということですね。ただ、ぼくが監督ならスタミナ不足を理由に外してたかもしれません。吉田監督は起用し続けましたが。思い切りの良さを評価していたんだと思います。

大分はお金が無くて(というのは語弊があるか。お金を稼ぐのが極端に下手だった)経営サイドから現場に対し25人枠というものを設定されて今季を迎えました。そのため主力2選手を放出せざるを得なかったのですが、今にしてみればその穴を若手が埋めています。若い選手を使い続ければいいってものでもないですが、監督を中心に方針がぶれないチームの強みということでしょう。

代表招集された先日のサウジ戦では登録メンバー入りはできませんでしたが、程度の大小は不明ながら巻と小林が負傷したとの情報もあります。メンバー外4選手のうち、伊野波が亜脱臼しているとのことで、フィールドプレーヤーとしては二川と共にイエメン戦のメンバーリストに名前を連ねる可能性もありそうです。あまり選手のケガの話は書きたくないのですがそういう可能性があるということで。

大分ユースはなかなか元気!特に7番は目立っていたぞ!うちの早川君が何度もかわされてたぞ〜(^^;

こういう光景はユースの試合を見に行けば理解できるぞ!大分ユースの若者達よ、よく頑張った!会場からは彼らに惜しみない拍手が贈られた。恐るべし高校生!将来が楽しみな若者達だった!奥寺社長さまあ〜、7番君が欲しいなあ〜!

そうこうしているうちに、再び大ピンチ。 19分またも右サイド早川選手が相手との1対1をあっさり抜かれてゴール前へ。 狙いすまされたシュートが横浜FCゴールを襲いますが、これを菅野選手が横っ飛びでファンセーブ、ピンチを救います。
このプレー、早川選手の連続チョンボ・・・という見方も出来ますが、相手大分の背番号7番梅崎選手の個人技は素晴らしいものがあったのも確かです。・・・と言ってもあんまりにもあっさり抜かれ過ぎなんですが・・・。

 一方、大分も2分に左MF梅崎がサイドを突破、シュートを打ちます。大分では彼が目立っていて、ボールを持ったらプロ相手にがんがん仕掛けてきます。もちろん他の選手も基本的な技術は十分あって、プロ相手でもそれぞれ攻撃守備の局面できっちり渡り合って、高校生だからといって簡単に勝てる相手ではないとは思わせてくれるチームでした。

 大分は7番の梅崎が小柄な体格ながらスピードのあるシンプルなドリブルで攻めてきた。
体を低く折り曲げボールを常に足元に置いて走るその姿は全盛期のリトバルスキーを見るようで、見ていて楽しい。しかも彼は横浜FCのディフェンダー(早川)を何度も置き去りにしたものだから大分にも多くのチャンスが生まれていた。惜しむらくはそのスピードの乗ったドリブルを受けることができるフォワードがいなかった。もし梅崎と同レベルのフォワードがもうひとりいれば大分にも勝機があっただろう。そういう意味では敵ながら非常にいい選手だったともう。正直言って横浜に欲しい。

ヘアバンドの子が目立つなぁ、と思っていらら。。。

ウチの右サイドを突破して見事なシュート!^^;
スゲにわずかに弾かれるFKなど、大分ユース7番クンは三ッ沢の観客の目を釘付けに。

横浜ベンチに一礼。
なんとも爽やかですなぁ。。。
泣いている選手もいて、僕ももらい泣きしそうに……^^;。
リティは7番クンと握手していましたが、スカウト活動?^^;;;

それと、試合終了後大分の選手たちが横浜FCベンチに挨拶に来ました。
こういう風景はやっぱり良いな〜。私も素直に拍手しましたよ。
G裏からも大分コールが何度も出ていたし、天皇杯ながらだよね。
今日の試合で特に目立っていたのが7番の梅崎選手。
横浜側からあがった「梅崎ぃ〜良かったぞ!」の声援に、スタンドを見て頷いていたと思います。
頑張って上に上がって来てください!

 第84回天皇杯サッカー選手権大会、横浜FCは、大分トリニータU−18(大分県)と三ツ沢公園球技場で対戦、4−0(前半:2−0、後半:2−0)で勝利しました。相手右サイドの梅崎#7の突破を許したり再三のチャンスをフイにするなど、内容としては素晴らしいものではありませんでしたが、後半、大分の運動量が落ちたこともあり、4得点無失点で初戦を突破しました。

んで、おーいたU-18の左SHの7番 梅崎くん。突破力すごい。オーイタがトップ昇格させへんのやったら大阪にこんかな?

その後も何度となく左サイド梅崎が良い飛び出しでカウンターを狙いますが、いかんせん1枚では厳しく、圧倒的に横浜が支配します。

後半は同じメンバーで始まりますが、あいかわらず早川が梅崎に完全に負けてます。

試合終了間際うちが攻めるシーンが続くと大分4番・福元の堅実なDF、GK河野のシュアなゴールキーピングが光ました。さすがU-17日本代表&あの西川の控えだ。

開始早々、早川が奪われて危ない場面を作る。

これをひきずったのか今日の早川はまったくひどい出来。似たような奪われ方でピンチを招いたり、らしくないロングフィードのミスを連発していた。マッチアップしていた大分の7番梅崎はこれを見て自信を持ったのか、再三積極的な攻め上がりを見せた。いい選手だねえ。

試合展開は「ボール支配率で上回る横浜FCとカウンター狙いの大分U−18」という構図。大分U−18は左サイドの選手(#7)が右SB早川(#5)を何度も交わしチャンスを作る。前半開始早々のシュートが決まっていたら試合は分からなかったかもしれない。FW北村(#17)が先制点を入れた後は落ち着きを取り戻し、ピッチを広く使い大分U−18を揺さぶる。前半終了間際にMF臼井(#3)の見事なミドルシュートが決まり2−0で前半終了。



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大熊コーチ叫びすぎ。

by ETOH Takashi 2006.9.4

日本vsサウジを見ましたが、大熊コーチの叫び声がずっと聞こえてました。フル代表の試合でアレはないですよね。彼らは子供じゃないし、子供に対してもやるべきじゃない。

ついでにナビスコカップ準決勝第一戦の佐原の退場について。

一部サイトでは佐原が殴り、蹴りを入れていたと確定的に書かれていますがそんなことはない。確かにメインスタンド側からのアングルで映し出されたTV画面では、左右のフックを繰り出しているようにも見えているが、一連の混乱を終えてゴール脇から撮影した映像では、殴っていないことがわかる。ついでに言うと、佐原がキレたのはストヤノフが体をぶつけてきた後。
激しさの程度の違いはあるにせよお互いにもみ合っていたという場面で、この試合中の別の時間に山岸→谷口にショルダータックル、で両者にイエローカードという判定があったことからもわかるようにケンカ両成敗で終えるべき場面だろうと思う。ただ、審判の見る角度を考えれば、ストヤノフの最初の一撃は見えておらず、その後の佐原の左右のフックらしき仕草のみが視界にとらえられていたと考えられる場面でもあり、吉田主審のレッドの判定は理解の範囲内ではある。判定には運もある。
あと、倒れ込んだストヤノフを蹴ろうとしていた、というのも間違い。そこまでの悪意は彼にはない。

ついでに言うと、この場面、両者の置かれた立場も考えないと見えてこない。

佐原とストヤノフはガチバトルをしていたのであって、ストヤノフ的にはアウェイゴール2点+引き分けでOKだから倒れ込んだだけ。実際、彼はそのまま試合を終えようと時間稼ぎとも思えるプレーをしていた。もし仮に2-0川崎Fリードで同じ時間帯だったら被害者を装って佐原がうずくまっていてもおかしくなかった。

いずれにしても、試合この試合の全ての結果は確定しており、今からさかのぼって両チームの当事者にカードが提示されることはない。ただ、規律委員会によって当事者が出場停止を科せられることになる可能性は残っている。

佐原に対して一方的に悪者扱いされている気がするので書いておこうと思う。

まあそんなことはさておき、なんだろうね、この原稿は。おもしろければいいんですかね…。もちろん需要があるから記事も成り立っているんだろうけど、それにしてもなぁ…。もっとサッカーを伝えてほしいよなぁ。

試合最後のプレーが“ゴング”となった。後半ロスタイム、川崎がゴール前に、ボールを蹴りこみ、空中で川崎のDF佐原と千葉のDFストヤノフが交錯。佐原はノア・三沢光晴ばりにエルボーを相手に繰り出すと、そのまま首投げ。E難度の連続技で、ストヤノフを地面にひれ伏させた。

 このボールをGK立石がクリアし、試合は2-2で引き分けたが、選手の耳にはホイッスルなど届かない。佐原はストヤノフに天龍源一郎ばりにサッカーボールキックの態勢を取り、それを立石が後ろから小突いて阻止。両軍入り乱れての大乱闘となり、ピッチをリングに壮絶なバトルロイヤルが繰り広げられた。



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高松、リストアップされていた。

by ETOH Takashi 2006.8.10

九州ダービーを12日に控えた10日の練習後、記者団の質問に答えたシャムスカ監督は「トリニダード・トバゴ戦はほかの仕事のため見ることができなかったが、(高松)大樹が(オシム監督の)代表の候補に入っており、クラブ側に招集の打診が来ていた。しかし彼はケガのため見送る事になった。残念な事ではあるが、大分のサッカーが認められた事にもなり、誇らしい事だと思います」と明かした。

ケガさえなければ大分初のA代表入りもあった高松には、しっかりとケガを治してもらい、再び招集されるよう活躍をしてもらいたいところ。そして実際にオシム監督の下でプレーし、さらなる経験を積んでほしいと思う。ちなみに16日に新潟で行われるアジアカップ予選、対イエメン戦のメンバー発表は13日になるという。そういう意味でも12日の九州ダービーが楽しみである。


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中津少年サッカーリーグ

by ETOH Takashi 2006.8.1

平成18年度、第30回の大会が行われるそうなので簡単に日程を。

第1節 7月9日

第2節1日目 8月29日(火)永添G
第一試合 18:30 はやぶさvs今津、三保vs和田
第二試合 19:30 北部vs小楠、鶴居vs豊田南部
第三試合 20:30 沖代vs如水、YSSvsはやぶさ

第2節2日目 9月1日(金)永添G
第一試合 18:30 今津vs三保、和田vs北部
第二試合 19:30 鶴居vs小楠、豊田南部vs沖代
第三試合 20:30 如水vsYSS

第3節 9月10日(日)小祝G
第一試合 9:30 如水vs和田、沖代vs三保
第二試合 10:30 豊田南部vs今津、鶴居vsはやぶさ
第三試合 11:30 小楠vsYSS、北部vs如水
第四試合 12:30 和田vs沖代、三保vs豊田南部
第五試合 13:30 今津vs鶴居、はやぶさvs小楠
第六試合 14:30 YSSvs北部

第4節 11月12日(日)永添G
第一試合 9:30 和田vsはやぶさ、沖代vs小楠
第二試合 10:30 三保vsYSS、豊田南部vs北部
第三試合 11:30 今津vs如水、鶴居vs和田
第四試合 12:30 はやぶさvs沖代、小楠vs三保
第五試合 13:30 YSSvs豊田南部、北部vs今津
第六試合 14:30 如水vs鶴居

第5節 12月3日(日)永添G
第一試合 9:30 和田vs豊田南部、はやぶさvs北部
第二試合 10:30 沖代vs今津、小楠vs如水
第三試合 11:30 三保vs鶴居、YSSvs和田
第四試合 12:30 豊田南部vsはやぶさ、北部vs沖代
第五試合 13:30 今津vs小楠、如水vs三保
第六試合 14:30 鶴居vsYSS

ちなみに前年優勝は鶴居でした。今年はどこが優勝するでしょうか。


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中津祇園

by ETOH Takashi 2006.8.1

中津祇園 たまたま川崎戦を取材に帰っていた事もあって、10年ぶりに中津祇園のタイミングで中津に帰る事ができた。まあ、昼間は急な仕事が入って家に張り付いていたし、夜は夜で沖代小学校の高橋監督と食事してたので、闇無浜神社(くらなしはまじんじゃ)にたどり着いたときは、祇園はまさに終わろうというタイミングだった訳なんですが。

ちなみにこの写真は、全ての行事を終え、最後に祇園祭を締めるための舞だとの事。もうちょっとじっくりと見たかったなぁと少々心残りでした。

まあ、そんな事はさておき、中津市ってもう少し観光に力を入れればいいのになぁと思いますね。意外とおもしろいものがたくさんあるしね。市当局は道路ばっか作ってないで、ソフトの宣伝にも力を入れた方がいいような気がします。

追記 8月1日

中津祇園保存協議会公式サイト(http://www.nakatsu-gion.com/)に記載されている連絡先に問い合わせていくつか話を聞かせてもらった。

まずひとつめが、写真の舞である。これはご神体が神社に戻り、滞りなくお祭りが終わった事を年番(参加する町内が持ち回りで番をする)がお礼するという意味の踊りだとの事。

来年の日程だが、カレンダーを見れば7月27日、28日、29日になるのではないかとのこと。ちなみに中津祇園は570年を超える伝統のあるお祭りなのだが、もともとは7月の第三週の金土日に行われており、祭りを行うサイドとしてはこちらの日程を優先させたいとの事。つまり来年であれば7月22日からスタートさせたいとのことだが学校関係者から子供たちが終業式に出られないという話が出て日程をずらしているという。
「もちろんそれもわかるんですが、学校では学べないもっと大事な事がお祭りにはあるんです」と話を聞かせてくださった方。ちなみに昔は伝統を優先させていたとの事です。

最後に聞いた事はよくわからないといわれた。それというのは、夜12時過ぎに闇無浜神社を訪れたときに、本殿の裏手に回った一団がお参りをしていた事について。参拝するその一団の中から「電気を消せ」という言葉が聞こえてきて、実際に電気が消えたタイミングで見物人から「おわりやなぁ」という言葉が漏れていた。なにかいわれのある事なのだとは思うが、ちょっと確認できず。これについては改めて調べてみようかと思っています。

追記 8月7日

中津の方からメールを頂きまして、電気を消す事の意味を教えて頂きました。

以下、メールを引用しますと

中津祇園のフィナーレに、神様が祇園車や御神輿から本殿に帰る際は、闇無浜神社の照明をすべて消します。
たぶんそのシーンに立ち会われたのではないでしょうか?

むかし町内のおっさんに「平民が尊い神様の姿を見ては失礼!」

と聞かされた記憶はありますが、由来の真意の程は定かではありません。

ちなみに土日の祇園開催中には下祇園の祇園車にはすべて御神体が乗っています。

という事だそうです。なるほど、あの瞬間というのはまさに中津祇園の最も重要なパートだったわけですね。情報提供してくださった方、ありがとうございました。

ちなみに中津市当局は10年前に比べればずいぶんと観光開発に力を入れてきているとの事でした。確かに中津城の城壁再現事業などは今後の取り組みが楽しみなところです。実際に黒田孝高時代の城壁が出てきてたりしてました。これからにも期待したいところです。


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相乗効果

by ETOH Takashi 2006.7.31

試合開始前にスタジアム前を歩いていたサポーターが「今日は主審が家本じゃなきゃいいや」と話していた。J1第16節の大分対川崎の一戦は、家本主審が裁く試合となった。

試合開始直後から気になったのは、大分の選手の判定に対する過剰反応である。いや、もしかしたらアレは過剰な反応などではなく、正当な判定を下してもらえない事に対する正当な抗議行動なのかもしれないが、それにしても川崎の選手が犯したファールに対し、執拗に抗議する場面が目立った。

そうした行動が、家本主審に対する先入観と重なって、スタジアム内を変な空気にしたという事も言えると考える。

隣同士で座って取材していた専門誌の記者とも話したが、九石ドームの高くて遠い記者席から見る限りにおいては、家本主審の前半のレフリングにさしたる過失はなかったように思う。

ただ、それにしても後半の上本とジュニーニョの1対1に端を発する混乱に関しては弁解の余地はない。上本がジュニーニョに肘打ちしたとアピールした関塚監督が退席処分を受けるところまではあり得ると考える。もちろんベンチの目の前でのプレーに対し、はっきりと見た確信があるからこそ川崎ベンチは猛烈な抗議をし、関塚監督はベンチを蹴り飛ばしたのだから、彼らにしてみれば退席処分は決して受け入れられるべきものではないという彼らの立場も明記しておく必要があるだろう。

ただあり得ないのが、監督を激高させておいて退席に追い込み、退席したその監督がアピールしていたイエローカードを、副審に確認を取った上で提示するという一連の混乱である。

はっきり言って順番が違うし、試合を見る側とすれば余計な退席処分だったとしか言えない。そもそも判定を巡る混乱など観客は見たくもない。もっとスマートにやれる事はなかったのか、残念である。

もう一つ気になったのは、試合終了間際に大分のスタッフが川崎ベンチがやったらしい事を執拗にアピールしていた事。なにをやらかしたのかはわからないが、大分ベンチが4thレフリーにかなりアピールしていた。それだけならまだいいのだが、試合を終えて下がってきた審判団に対し、嘲笑を浮かべながら拍手を送っていたのには閉口した。ちょっとあれはぼくの感覚ではあり得ない。サポーターが「ヤメロ」コールをするのとは次元が違うように思う。

まあ、いずれにしても家本さん、このまま審判を辞めちゃうんじゃなかろうか、と思うような試合だった。試合の立ち上がりの冷静な笛を選手とサポーターが混乱させたという意味でね。Jリーグって、選手もサポーターも審判に対しての期待が強いのか過剰に反応しているような気がする。審判は人間で、人間が裁く以上、ミスはあり得るというものすごくリアルな現実をもっと受け止めてほしいと思う。


ニュースコラム
ドイツ取材報告会開催

by ETOH Takashi 2006.7.31

ドイツW杯報告会 28日に大分市内で行った報告会はおよそ30名の方が参加してくれました。

ちなみに写真総数は473枚。これを2時間半かけて説明していきました。ムダな写真も多々ありましたし、次回以降、見直しをかける事でもう少しスリムにやれるのかなと思っております。

いずれにしても参加されたみなさん、ありがとうございました。


ニュースコラム
ドイツ取材報告会開催のお知らせ

by ETOH Takashi 2006.7.27

いきなりで恐縮ですが、明日28日の19時〜21時半にかけて大分市内でドイツW杯取材報告会というものを開催します。

ドイツでの取材で取りためた写真を見てもらいながら説明し、その都度質問を受け付けるという形式で行う予定です。

詳細についてはこちらをご覧ください。

開催にご尽力頂いたかぼすさん、ありがとうございます。


ニュースコラム
ボンへ

by ETOH Takashi 2006.6.6

5月29日

今回のワールドカップにおいて、大会組織委員会は頑張った。アクレディテーションパスを取得したメディア関係者全員(6000人くらいらしい)に国内の鉄道のフリーパスの権利を付与。これによってドイツ国内の鉄道による移動には経費がかからない事になった。これはフリーにとっては非常に大きい特権である。

ちなみにこのBahn Cardの効力が発効するのが29日からということで、ボンへと移動する前にフランクフルトのスタジアムまでパスの受け取りに行った。

駅からかなり歩いてアクレディテーションセンターの入り口に着くと、すれ違いざまにドイツ人男性から「日本人だよね。日本でやるバスケの世界大会で仕事をしたいんだけど、ADR(ドイツ国内の放送局)の日本支社の人間を知らないか」と聞かれた。なるほど、そうやって仕事を探すってのもアリなんだなぁと。

そんなわけで、受付カウンターで事前に大会組織委員会から送られてきていた指定のメールを印刷したものとパスポートを提出すると、受付の人から「エトーさんですね」と名前を呼ばれる。さすがオンライン。その後、身だしなみを整えるまもなくあっという間に写真を撮られ、別ブースに移動してパスの発行を受けた。システマチックでスムース。イランの時とは大違いである。

フランクフルトに戻りホテルに預けてあった荷物をピックアップして、IC 2028便でボンへ。運良く空席を見つけたので座っての移動となる。この便はライン川沿いの線路を走るものだったが、川沿いの小山の上に古い城が並んでいる風景は結構きれいで、一見の価値がある。

ボンに到着すると、まずはG-JAMPSへ。駅からほど近い場所にある近代的な建物をまるまる借り上げたG-JAMPSは、サポーター向けのカフェのほかに報道関係者用のメディアセンターまでもが入ったいわば日本のドイツ国内前線基地ともいえる存在になっている。日本代表チームの練習見学もできる事だし、日程に余裕がある方は一度ボンに立ち寄って見てはいかがでしょうか。

G-JAMPS内の知り合いのライターさんたちとタクシーで練習会場へと移動。駅前からだと7ユーロ程度。ドイツ戦の前日練習という事でTV各社の放送も行われていたが練習内容はジーコ監督の過去の代表合宿と寸分違わない内容。ここにきてさすがに内容を変えるような事は意味がない。

試合後にジーコ監督の監督会見に出席したが、「このタイミングでのドイツとの対戦が恐いようならはじめからW杯にでなければいい」と強気の発言。まあ、大敗したときの事を考えての質問に対する答えだったわけだが、それは確かに正論である。

ちなみにボンでの宿泊は、知り合いのライター君の部屋に潜り込む事に。ありがとうFくん。

ということで夜ご飯である。駅売りのチキンのあぶり焼きがおいしそうだったので1本1.65ユーロ、少々塩味きつめと、ビール三種類を2本ずつ購入。ホテルの部屋でFくんと食して就寝。明日から頑張ります。

なお、ブログの続きは以下のサイトでご覧になれます。

W杯熱闘街道コラム


ニュースコラム
出国

by ETOH Takashi 2006.6.6

5月28日

成田空港を12時に出発。モスクワへは9時間55分ほどのフライトで、現地時間の17時半に着陸した。

トランジットカウンターは大渋滞だったが、18時10分ごろに突破。空港会社のカウンターとは思えないカウンターで「Window or Aisle?」と聞かれ、しばらく何を言っているのかわからなかった。

ちなみに成田→モスクワ間ではアルコールは出ず。そのまま禁酒しようかとも思ったが、4時間の乗り換え時間があるため、結局空港のバーで一杯飲む事に。ルーブルへの両替が終わっていなかったので、クレジットカードで支払ったが、領収書には207.29ルーブルの表記が。これっていくらなんだろう?

フランクフルトには定刻通りに到着。粛々と入国審査ゲートを通過してドイツへ入国。さあ、用意しておいた日本円をユーロに両替、と思っていたら軒並み店舗が閉まっている。日曜の深夜というハードな条件ではやはりきつかった。

ただ、今回は事前にリサーチを進め、新生銀行の口座を開設し入金まで済ませていた。このおかげで、普通にユーロを引き出す事ができるようになった。まあ、多少の手数料は取られているんですが。

毎度のごとく、電車のキップ購入に手間取り、フランクフルト市街へ。予約してあったIBISにチェックイン。知り合いのカメラマンにコンタクトを取って明日のスケジュールを確認して部屋に戻る。疲れているはずなのになぜか眠くない。
深夜、典型的な日本の幽霊の出囃子(ヒュ〜ドロドロドロドロドロ〜ヒュ〜ってやつ)と共に金縛りに。一瞬恐かったが、ドイツだと言う事を思い出したら気のせいだろうという結論に達しそのまま寝た。あれはきっと気のせいだ。うん。

iPodの目覚ましが貧弱で困った。


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抜歯

by ETOH Takashi 2006.5.28

先日、親知らずを抜いた。

そもそも数年ぶりの歯医者には、違う歯を治療するつもりで訪れていた。もともとぼくは知覚過敏気味なのだが、両方の上の奥歯の根本が削れてしまっていてキンキンにしみていて、それを治してもらおうと思っていた。ドイツでビールを飲むたびにキンキン来るのはなんともストレスである。

無計画が常だったぼくには珍しく、ドイツへの出発を見越してGWの連休前から自発的に歯医者に通っていたのだが、口を開くたびに「親知らずが気になるなぁ」と言われてきた。別に歯自体は悪くはないという。

ただ、親知らずもしみてるような気がしていたという事と、勝手に伸び上がってジャマになってきたという事もあって抜いてもらう事にした。

抜歯自体はそれほど難しいものではなかったのだが、抜いた後にもらった歯には虫歯ができていた。危なかった。

たかが抜歯だが、されど抜歯でもある。

表面がうまく進んでいるように思えても、実は裏で重大な事態が進行しているという事がある。その一方で、全く想定していなかった行動が、意外に大きな成果を残す事もある。ワールドカップもおそらくはそういう舞台になるのだろう。どれだけ準備していてもつまづくチームはつまづくし、あれよあれよと快進撃を果たすチームもあるだろう。

国レベルの準備はさておき、確信犯的無計画で今回の取材を敢行するぼくにはどんな事態が待ち受けるのだろうか。虫歯のような見えない問題が発生するのか(発生するのは間違いないが)それとも、万事うまく行くのか。

まあ、そんなこんなで、ぼくの06年の最大のイベントになるのは間違いないドイツ取材に今から行ってきます。

生存確認はスポニチのワールドサッカープラスにて連載予定のブログか、携帯サイトが確実のようです。


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もろもろ

by ETOH Takashi 2006.5.13

書きたいことが山ほどある。

甲府で見た横浜戦での熱狂。柏での石崎監督。首位を行く川崎のこと。茂原について無力だったこと。代表の話。大分の話。吉田孝行の今。

書きたいことは山ほどある。

ここのサイトはずいぶんと放置してしまったわけですが、とりあえず今は精一杯という感じです。

ちなみにワールドカップでの仕事が大体まとまってきました。

現時点で決定しているのがスポニチのワールドサッカープラスにて連載予定のブログ。

それから大会期間中日刊になるエルゴラッソにて、週一回のコラム。

あとは大分県サッカー協会のHPにてちょっとした書き原稿を書かせてもらう予定です。

スポニチ、エルゴラに関してはもう少し仕事が増えるかもしれません。詳細が決まりましたら改めて報告します。


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サポーターのファインプレー。

by ETOH Takashi 2006.4.27

4月22日のJ1第9節の大宮対大分戦でのこと。
前半の15分。大分が最終ラインでボールを回しはじめると、大宮サポーターからブーイング。ただし中盤以降のパスコースは大宮守備陣がきっちり消しており、出し所はない。そういう中で深谷がガマンしきれずにロングフィード。高松をターゲットにしたボールはこぼれてGKの手元に。その時点でボール保持者は大宮に移ったことになり、つまりそれは大宮サポーターがブーイングによってターンオーバーを促したという言い方ができるわけだ。

さらにいうと、大宮はここからの速攻で先制点を生み出したのである。突き詰めていけば大宮サポーターのブーイングにたどり着くのだが、そういう意味で素晴らしいサポートだったと言える。


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御殿場、時の栖。

by ETOH Takashi 2006.4.27

随分前の話になるが、Jリーグアカデミーの取材に御殿場へ向かったがやはり現場での取材はいい。新鮮な刺激に満ちあふれている。

その時に「Jリーグの専門性」を強く感じた。プロサッカー集団としての矜持を強く感じさせてくれる経験だった。彼らがどのような育成方針を展開させていくのかには今後も注目していきたいと思っている。


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ちばぎんカップ。

by ETOH Takashi 2006.3.3

静岡まで出て泊まったのは、ちばぎんカップの取材に行くため。本気の柏と両チームサポーターの取材をしにフクアリへ。

たまたま試合前の柏ゴール裏の集会に遭遇したが、なんかシーズンの始まりって感じでいい雰囲気でした。

この場で一人のライターさんをナンパ。定食に誘い込んだ。彼とはキャンプ取材中に仲良くなって話すようになったけど、芯がある人なのでこれからの展開が楽しみ。

試合は柏が押し気味の試合を落とす、という内容。まあ、石崎さんの典型的な負け方。でも内容はおもしろいからサポーターは付いていくんじゃないかな。サッカーもできてるしね。


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なでしこ→A代表。

by ETOH Takashi 2006.3.3

エコパ。

個人的に荒川ガンちゃんが気になるなでしこだが、この日はイマイチかなぁ。Lが始まれば試合感は掴めてくるんだろうけど。

ガンちゃんは解放骨折したときに埋め込んだプレートを昨年手術で除去。ボルトが埋まってしまってて取れないヤツもあったとか話してくれた。なでしこっていうとけなげな印象があるが、明治の人並みに強い。

A代表の方は、まあ調整試合という趣。この試合の後に、大事な大事なアジアカップ予選が待っているんだが、そういう緊張感というのは感じられない。

試合後に、大先輩のIさんと駅まで歩く。富樫さんの話をきっかけに国際大会での心構えを教えてもらった。Iさんにはイランに取材で行ったときに、こっぴどく怒られて、それで名刺交換させてもらったという思い出がある。とにかく熱い方だ。

電車内では変な人に絡まれた。わざと人に体重をかけてぶつかって「わざとじゃないんです」と口走りながら前進。で突然座席に座っていたぼくらにも倒れかかってきた。隣の人が「なにやってんだよ」って怒ったら「わざとじゃないし、変な風にいわないでください」と逆切れされた。ちょっとイってる方だった。

で、しばらくすると、「死んでもおりねーぞ」とおじさんがわめきながらま隣に乗り込んできた。なんかでっかい木組みの応援グッズを持ち込もうとしてたが、それがまずいらしい。まあ、まずいなぁ。「警察呼べ」と息巻いてたが、実際に警察が来たら死んでもないのに電車を降りていった。

夜は静岡で一泊。泊まったホテルが繁華街の中にあって見つけるのに一苦労。晩ご飯で食べに入ったラーメン屋のおねーちゃんの悪気のない変な言葉遣いが受けた。

全然サッカーの話じゃないな、こりゃ。


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2月6日〜10日。

by ETOH Takashi 2006.2.28

2月6日から川崎の宮崎県綾町のキャンプを取材。この日は午前練がキャンセルされていて、午後のみ。宮崎駅構内にある観光案内所で綾町行きのバスについて尋ねて停留所の場所を確認。バスにて綾町へ向かう。

綾待合所で下車。バス停の目の前がタクシー乗り場だったりするわけだが、道案内も出ており、また時間も余っていたので歩いていくことにする。
道案内の看板の数はそれほど多いわけではないが、不安になると新しい案内板が出てくる感じ。バス通りをすぐに右折して直進。左折して鳥居をくぐってあとは坂を上るだけである。

時間的にまだまだ余裕があったので、隣接する綾城を見物することにした。最近になって再建されたものではあるが、木組みのしっかりとした作りだった。

綾城を見物後、吊り橋を渡って練習グラウンドへ。雨が激しく降っており、ピッチに一部水がたまっていたのが気になったが、芝自体は非常にいいコンディションを維持していた。

翌日も綾町で川崎対札幌の練習試合を取材。カメラマンのHさんが車を花壇に乗り上げた所まではあり得る話なのだが、ちょうどそこに巨大な石が置いてあったから一騒動に。川崎と札幌の広報さんが出てきて心配してもらったりしたのだが、ジャッキアップして穴を掘り、借りたロープで引きずり出してなんとかなった。良かったですよ、ホントに。

ちなみに練習試合なのだが、札幌の仕上がりの良さが非常に印象的だった。組織としてのまとまりにプラスして、川崎からレンタルで獲得したフッキがとにかく利いていた。もちろん開幕までまだまだ時間のあるこのタイミングでチームができていたとしても、それはJ1昇格レースにおいて精神的な支えにはなるかもしれないが、勝ち点を手にできる公式戦ではないという意味で、油断できないということはわりと賛同してもらえる事ではないかと思うが。

髭まで白くなった石崎監督 2月8日。
柏が愛媛と練習試合をした。石崎監督は川崎時代から暖めてきた4バックにトライしていたが、まずはプレスの部分ではいい仕上がりだと言える。北嶋のスーパーゴールもあって快勝したが、まだ攻撃のところでの完成度に物足りなさを感じる。
山根は「中盤が4枚になるから疲れる」と、激しい動きを強いられる新システムについて話していたが、「おれは優勝と3位しかない。ただ、とにかく(石さんのために)上に行きたい」と前向きだった。
さて、石崎監督は男になれるだろうか。

2月9日。
甲府対札幌の取材。甲府はフロントスタッフがことごとく本社に。新シーズンに向けて年間チケットの配送や、Jリーグプレスカンファレンスにイヤーブックを間に合わせるために職員総出で作業を続けていたとのこと。人出は足りてないけれども、それをいい訳にしない熱意があるクラブだなぁと。

ちなみに札幌、やっぱりいいですね。連動性の高さはすさまじいです。年間を通して、上位につける可能性は高いんじゃないかと思います。

甲府は藤田が別メニューだったんですが、かかとを痛めているとのこと。聞いたら入れ替え戦の時から痛かったそうです。彼は感情をほとんど前に出さない人なんですが、痛みをこらえて戦っていたんですね。男気を感じました。

試合後に地域の名店だといううなぎの入船という店に行ったんですが、まんまと営業時間外でした。後日食べに行った人の話によると、すさまじくうまいらしいです。来年こそは。

2月10日。
熊本に移動して大分のキャンプ取材に。午後練習がキャンセルになったので横浜FC対長崎を取材できた、という話です。


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惜別。

by ETOH Takashi 2006.2.17

荷物を運び出した部屋 積み上がっていた本の山が消え失せ、がらんとした部屋を何気なく眺めていた。

14年前。居候していた四谷の、寝るだけのスペースしかない部屋から引っ越してきた時の思い出がよみがえってきた。とにかく東京での一人暮らしがうれしかった。6畳と3畳ほどの台所が付いていてそれなりに広い部屋だった。まだ荷物も少なくて、のびのびと使えた。

家賃も安く、大家さんもいい方で(フリーになりたてで収入が無い時期に、家賃を半年滞納しても待ってくれた。もちろん大家さんにしてみれば迷惑極まりない住人だっただろうけど)、当面引っ越すつもりはなかった。

屋根崩落 ある日部屋を出ると大家さんが屋根を見上げて誰かと話し込んでいた。見ると屋根に穴が空いていた。補修ではなく取り壊し。引っ越しが決定した。ぼくの場合、引っ越しの条件はシンプルで本が置けるスペースとスカパー!のチューナーが取り付けられる日当たりの良さ。その条件で探してもらったが、大家さんが管理する物件にその条件を満たすものはなく、昨年中に引っ越してほしいという大家さんからの要請はズルズルと延びて、結局2月までずれ込んだのである。

そんな中で引っ越しが14日になったのは本当に偶然だった。アメリカに行く気満々だったので帰国便のことを考えれば12日以降でなければ引っ越しはできないという状況であり、さらには大安だったということでちょうどよかったのである。1ヶ月以上前にこの日は確定できていた。

諸事情でアメリカ行きをキャンセルし、宮崎合宿取材中に富樫さんの訃報を目にする。目が点、とはこのことだと思った。しばし呆然。その後、お通夜は15日で告別式は16日だと発表された。偶然というか、必然というか。それもこれも運命なのだろうけど。

葬儀会場 たぶんその他のライターさんだったらそうは思わないのだろうが、いつも笑顔だった富樫さんを見送るその場の空気に触れたくて、斎場に足を運んだ。サポーターにも告知されたこともあって多くの方が弔問に訪れていたが、知り合いの横浜FCライターさんを見かけて話しかけたら、声を押し殺して泣いていた。

「富樫さんは横浜FCの株主さんでね。J2のクラブなのによく見に来てくれました」と言葉を絞り出した。

いつだったか、いつも三ツ沢で見かける富樫さんに聞いたことがあった。

「よく来られてますね」

その時の答えを、ふと思い出した。横浜FCというクラブがフリューゲルス消滅という悲劇から生まれたクラブなのは周知の事実だが、日本中の多くのサッカーファンが、クラブの立ち上げに賛同し、手をさしのべた。そして富樫さんもその中の一人だったのである。自分が関わったクラブの成長を見るのはさぞかし楽しかった事だろう。ただ、それはもうかなわない事になってしまった。そんな事を思っていたら切なくなってちょっとだけ泣いた。

帰りがけにアフリカ選手権を取材してきたという知り合いのライターに話を聞いたが、決勝戦の試合前に、選手が整列した場面で30秒くらいの何もしない空白の時間があったという。記者に対して配られたペーパーによると、取材中に亡くなった日本のジャーナリストのために黙祷を捧げる、との記述があったらしい。アフリカ的おおらかさによって、決してそれは周知徹底されていたわけではなかったと言うが、そこまでしてもらえれば富樫さんも悪い気はしなかったんじゃないかと思う。知り合いにそういう事も含めて富樫さんとの思い出を書き残すべきだと話したが、いろいろあって難しいようだ。

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以下余談。

供花者名にはそうそうたる名前が並んでいたが、その中に大分FCの職員一同と、それとは別にHさんの個人名も掲げられていた。前にも書いたが、富樫さんはまだ大分ができたての頃に深く関わってくれた方だった。大分というクラブは、経営に関しては素人に毛が生えた程度だが、人の生き死にには特別敏感な気がする。

昨年、難病を患っていた彩花ちゃんという女の子を救おう、という動きがサッカー界に広がった事があった。あの運動の事務局で広報をされていた方が、ある日の埼玉スタジアムで、ぼくを見つけるなり「大分は本当にありがたいね」と話しかけてきてくれた。話を詳しく聞くと、彩花ちゃんの一件を公表すると、どこのクラブよりも早く「協力したい」旨の連絡を入れてきたのだという。

「大分には加藤くんという前例があるからなのかな」とその方は言われていたが、もし雅也の一件が大分のそうした姿勢の背景にあるのであれば、彼の死はムダではなかった事になる。その勢いで、経営も、仕事ももっとがんばってほしいところ。現場はずいぶんと良くなってきたようだし、天国の富樫さんに佐伯で1000人くらいでサッカーやってたチームが優勝する姿を見せたいじゃない。


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横浜FCの成長過程。長崎の熱狂。

by ETOH Takashi 2006.2.10

長崎の積極的なプレスは横浜FCに自由にプレーさせる時間を与えなかった。ただ、組織的な長崎の動きに対し、個々の能力で上回る横浜FCは、ポゼッション率を高める。だからこそ、攻めあぐねているという印象を受けた。ただ、それは予定調和の中の手詰まり感でもあったようだ。

トップ下に入った内田智也は、「まだ2試合目ですし、コンビネーションはこれから。(戦術を)確認しながらプレーしてます。開幕に向けて1つ1つやればいいと思う。昨日の試合(大津高校戦・おおづ)よりはよくなってると思います。トップ下をやるのは3〜4年ぶりでとまどいもありますが、FWを追い越して飛び出していくスタイルが好きなので、がんばりたい」と述べていた。

足達勇輔監督に話を聞いたが「前線のコンビネーションを1つの課題にした。崩す形にこだわった。昨日に比べると格段によくなった」と話してくれた。ちなみに内田のトップ下での起用については「彼のモビリティ(機動性)を生かしたい」とその意図を述べている。「開幕まではまだある。今は人の組み合わせを見つつチームを仕上げている段階です。もう少しかかるでしょうね」と今後の展望について口にしていた。

熱狂的なサポーターが詰めかけていた長崎には、原田武男がプレーしていた。その原田は、残念ながら開始直後にふくらはぎに違和感を感じてピッチを後にしたが、試合後に話しかけると覚えていてくれた。

「プロでやっているのはぼくを含めて5人だけで、残りのみんなは職を持っています。だから練習は夜しかできませんね。大体夜の7時半から10時くらいまでです。今日は平日なので選手たちは休みをもらって来てます。厳しい環境にはありますが、去年は九州リーグ初年度で3位になりましたし、さらに上位(全国地域リーグ決勝大会出場とJFL昇格)を目指したいですね」と原田。戦いの舞台は違うが、ともに目指すべき夢がある。

試合後、横浜FCのコーチに就任した高木琢也さんと話をした。解説者としても評価の高かった高木さんは、おそらくはそのまま解説者を続けていれば確実にワールドカップの解説を任されていたはず。ところが「現場の方がいいよ」と一蹴されてしまった。的確な解説で見せていた分析能力は、おそらくは現場でもその威力を発揮することだろう。試合中に一度だけ指示を出していたが、監督との試合中の話し合いの中でその分析力が威力を発揮することもあるだろう。今年の横浜FCはひと味違うかもしれない。

この日の練習試合は30分4本で行われたが、4本目の前にカズが菅野を相手にシュート練習を始めた。力強さというよりは、コースを狙ったコントロールシュートだったが、それがおもしろいようにネットを揺らした。何本目かのゴールが気に入ったようで、ボールボーイの大津高校の生徒に両手をあげて喜びを表現するその姿はまさにサッカー少年そのもの。ダンディーでありながらも、ピッチ上では無邪気な少年の姿を忘れない。キング、マジでかっこいい。

ファン一人一人にサインをするカズ 試合後、カズが集まった大勢のファン一人一人にサインをしていた。その数、50人はいただろうか。ただ、カズの体調を気遣った広報担当者はまだまだ半数以上が残っている段階で「あと3分で切り上げます」と口にしていた。しかし、キングは求めるサポーター全員にサインをやり遂げた。さすがキング。マジでかっこいい。


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沖代小学校、代替わり。

by ETOH Takashi 2006.2.10

箱庭の中の夢。を書いて以来、およそ3ヶ月ぶりに沖代(おきだい)小学校に顔を出した。グラウンドには学年ではなく、能力に合わせてAチームとBチームとに分けられた子供たちが元気にボールを追いかけていた。

日中の用事が思いがけず長引いてしまいすでにグラウンドは薄暗かった。ただ、そんなことお構いなしの子供たちは声を上げてサッカーを楽しんでいた。明るかった青空がその色を失って行く中、高橋監督は手際よく投光器を設置していた。

投光器をセットする高橋監督 「電源のリールを変えたら3つに増やせたよ」と高橋監督は笑顔でぼくの質問に答えてくれた。3ヶ月前に2つしかなかった投光器は3つに増えていた。

 この日の昼間、中津市サッカー協会の職員に話を聞いたのだが、照明灯の必要性については理解しており、設置に向けて「野球部とともに提案」することを指導しているという。現場と指導する立場の差はあるが、子供の将来のためにもなんとか照明灯を設置できないものかと思っている所なのだが、この件は費用の問題とともに近隣住人の苦情という問題が付いてくるだけに解決は難しそうだ。

 ライトの光がその意味を増していく中、Bチームの子供たちが3対3をはじめた。指示を出すのはコーチの石川慎也さん。北部小学校出身の石川さんが他校の沖代小学校でコーチをするのには訳がある。中津の小学生年代で編成するFC中津に選抜されたとき、高橋監督に声をかけられたのが縁だという。

石川コーチ 「高橋さんとはほとんど関わりはないんですけどね。もう7年になるのかな」

 そんな石川さんは、好きな子供とサッカーを通じて関われるコーチという仕事が楽しくて仕方なさそうだった。

「スペースを見てスペース。じゅんな、その場所でコーチからのパスが受けられる?周りを見て!」

 口調はぶっきらぼうだが、そうやってボールのないところでの位置取りを意識する事を教えられた子供がしっかりとした動き出しを見せると「今のよかったでしょ」と笑顔になった。コーチの一言一言に反応し、一瞬で成長を見せる子供たち。それが若年層の育成に関わる現場の人たちの醍醐味なのだろう。

みくちゃん(左)とじゅんなちゃん  目の前で見ていたBチームに二人の女の子が混じっていた。ベッカムが好きだという4年生の小木戸じゅんなちゃん(右)は、小柄ながらボールの置き方がうまく、またボディーバランスもよく、男の子の中でちゃんとボールをキープしていた。練習後に話を聞いたが「コーチのポジションの話は難しかった」と言いながらも、「でもサッカーは楽しい」と笑顔になった。一緒に話を聞いた東山みくちゃんは、みんなとボールを蹴ることが好きな様子。話す内容からは、集まれるものであればそれはサッカーである必然性はないのかもしれないとも感じた。ただ、そんな中でもプレーを続けることでサッカーのおもしろさに開眼する事もあるはずで、だからこそ若年層は楽しませてボールを蹴らせることが重要になってくる。脳神経の発達過程を根拠にした、いわゆるゴールデンエイジという年代は、彼女たちの年代を指すのはかなり広く知られた事実だろう。

 後日、大分大学の谷口研究室(教育福祉科学部人間福祉科科学過程、心理健康福祉コース スポーツ・健康分野)の卒業論文発表に同席させてもらったのだが、その会場で3年生が発表した卒業論文の課題の中の一つに女子サッカーについてのものがあったが、大分県下にはJFAに登録する女子チームが11しかない現状がある(136万人の沖縄県は28チーム。大分県の人口は120万人)という話を聞いて少しばかり驚いた。

 ちなみに今後もサッカーを続けたいというじゅんなちゃんは「ポマト(中津FCポマト)というチームがあるけどちょっと遠い」とつぶやいた。中津市の男子サッカーを巡る環境はもちろん、女子を巡るサッカー環境はさらに厳しい。子供たちのサッカーをしたいという希望は叶えてあげたいものだが、今現在それは誰かの100%の善意とプレーする本人たちの熱意に支えられるものだ。そう考えると裾野を広げる難しさを感じる。


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さようなら、富樫さん。

by ETOH Takashi 2006.2.9

創生期の大分をレポートしていましたね。あの佐伯での公式戦にも足を運んだ事がありました。地方が故に全く報道されない大分のことを取り上げてくれていましたから、多少なりとも親近感を持っていました。

そんな富樫さんと知り合えたのは、Kさんという方の橋渡しがあったからでした。ぼくにJ2太郎というニックネームを付け、スカパーへの出演のきっかけを作ってくれたKさんが富樫さんを紹介してくれて以来、スタジアムで顔を合わせたときには雑談をする、程度のつきあいを持つことができるようになりました。直接的に仕事で関わっていたわけではありませんでしたが、ぼくみたいな駆け出しのライターに優しく接してくれて感謝してます。

第一報に接したときの衝撃と、どうしようにもないやりきれなさを覚えています。いてもたってもいられなくて、でもこの感情を共有できる人がいなくてKさんにメールしました。電話すると、落ちそうだったんですよね。かなり凹んでました。その文面を読んで、なぜだかちょっとだけ気が楽になりました。

どれだけ元気にしていても、人って必ず死ぬんだなぁと改めて思い知らされました。がんばろうと思いました。


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大分、必勝祈願。

by ETOH Takashi 2006.2.2

シャムスカ監督 春日神社での必勝祈願を取材。シャムスカ監督にとっては、神社でのこうした形での必勝祈願ははじめてのこと。物珍しそうに祈願を行っていた。

その後場所を松岡に移して練習となったが、フィジカルメニュー中心の簡単なものになった。トレーニングの主体はキャンプで、ということでしょう。

8日に行われた柏対愛媛を取材しましたが、その際に石崎監督が「ブラジル人はいつも遅いよ。鹿島もそうでしょ。開幕までには仕上げてくるんじゃないかな。もちろんわからないけど」と話してました。

なるほど、日本人とは違って流れる時間が違うみたいです。ちょっとだけ不安が消えました。


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地域振興と人材育成。

by ETOH Takashi 2006.1.31

今年の高校選手権を制した野洲高校は、優秀な人材を輩出する下部組織ともいえるクラブチームが近隣にあるという。また熊本の大津は、町全体でサッカー少年を育てているという。長期的な視野に立ち、子供の頃から結果を求めるのではなく、そのゴールを高校年代やそれ以降に定めた育成の重要性は議論の余地がないものだろうし、その方向の正しさはそうすることで結果を出す地域が出てきつつあることで証明されつつある。

先日、20年ぶりに母校の指導者と再会した。実家のすぐ近所に住んでいる高校選手権に初出場した柳ヶ浦高校の野口監督とも20年ぶりくらいに言葉を交わした。おそらくはこれは偶然ではないのだろうと思う。

まだアイディアを温める段階ではあるのだが、中津市を舞台にサッカー少年を育成する場を作れないかと思っているところだ。無駄に道路整備ばかりするのではなく、芝生(天然がベストだが複数面を整備できないのであれば人工芝でも)のグラウンドを造成し、そこで子供たちに高度な指導を与えるのである。インフラ整備は公共事業で、それを使うのは子供たち。指導者はJFAOFAから派遣してもらい彼らへの給料は地場の企業から負担してもらう。

そういう方向でプランをまとめようと思っているのだが、実現の可能性も含めてアイディアを提供してもらえたら幸いだ。


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セピア色の吉田孝行。

by ETOH Takashi 2006.1.18

 つい最近、ようやく引っ越し先が決まった。数ある物件の中から条件にあうものをピックアップして内見し、部屋の内部を確認しつつ騒音やら日当たりといった周辺の環境も考慮する。本当に面倒な作業だった。ただ、決まったのは部屋であり、引越しそのものはこれから始まる。業者の選定に始まり、引越し本番。そして住所変更に伴う諸手続きが控えている。引越し程度のイベントであったとしても、生活環境を変えるということの負荷は高い。そう考えると、プロサッカー選手が職場を変えることの負荷の高さは尋常ではないだろうということは容易に想像がつく。

 われらが吉田孝行が、古巣への復帰を決断した。その昔、大分に来た理由を聞いたとき、こんなことを話してくれたことがあった。

「(2000年に)ファーストステージで優勝した時、試合後にチームメイトとスーツ姿で記念撮影したんですがそのときに『なにやってるんだろう』って思った」と。

 すでに試合のメンバーから外されて久しく、ステージ優勝によって現監督の残留は決定的になっていた。もちろん試合に出るための努力は重ねていた。ただ、それでも試合出場のための壁は高かった。フリューゲルスの消滅によって移籍して2年目。とにかく「試合に出たかった」のだ。

 大分へ移籍すると、瞬く間に輝きを見せた吉田だったが、そんな吉田が犬飼の、スターレンスハウスができる以前の、水道しかない練習場で練習する姿はある意味衝撃的なものだった。ただ、彼はその環境を受け入れていた。目指すべき夢があったから。

「何もないのはわかっている。ただ、ここで成績を残すことで新しい物を手に入れる喜びがある」

 そんな言葉を体現するように 端正な顔立ちには似合わない泥臭い仕事を黙々とこなした。攻撃的な役割はもちろん、危機の芽を察知して守備の局面でも激しく動き回った。だからといって驚異的なスタミナがあった、というわけでもない。ペース配分を無視し、「動けなくなったら、代えてもらう」というスタンスで、チームのために動き回った。

 94年に設立された大分は、99年のJ2加入を契機に一足飛びに周辺設備を整えていった。ビッグアイが完成し、天然芝3面に人工芝1面。そしてクラブハウスといういっぱしのクラブへと成長した。クラブの施設が公金を含めて充実することに対して一切の批判がなかったわけではない。ただ、それに対する正当性は、チームが残した成績にあった。

 02年に昇格を決めたシーズンの、吉田とアンドラジーニャとのコンビネーションは鮮烈で、あのシーズンを含めて、吉田がいたからこそ大分は今の施設を手にしたともいえる。そういう意味で、99年以降の大分にとって、吉田という選手は象徴的な存在だった。彼が流した汗は、嘘をつかなかった。

 シャムスカ監督体制下では出場停止を除いて全試合で先発出場。大分の快進撃は彼の献身的な働きによるところが大きく、また、来季の先発メンバーの座もかなりの確率で揺るぐことはなさそうだった。そんな吉田にとって移籍という選択は非常に苦しいものだった。大分で行われた移籍会見では「あえて厳しい道を選び、自分一人で決めた。家族にもサポーターにも迷惑をかけた」と明かし、大分に対する深い思いが涙になった。

 試合を求めて大分に移籍し、そして「自分の中で少しでもレベルの高いところで、代表レベルの選手と競い合ってレギュラー争いをしたいという気持ちがあり、移籍を決断しました」と横浜への移籍を説明した。

 吉田のコメントを読み返すと、吉田が求めていたのはチームの雰囲気だとか、給料だとかではないことがわかる。ただただ彼は、ビッグクラブに行きたかったのである。経営の安定したビッグクラブに行きたかったのである。その思いは、チーム消滅の話を聞いて食事をもどした繊細さや、去年大分が露呈したクラブ経営のずさんさと、はっきりとリンクしている。

 正直に言って、今季の大分が目指そうとするチーム像がわからない。絶対的なストライカーを放出し、あらゆる意味で精神的支柱となっていた選手までも手放ししてしまった。今オフになされたチーム編成には大いなる疑問符をつけざるを得ない。ただ、若い選手を使いこなす手腕に長けているというシャムスカ監督にとって、今季のチーム編成は満足のいくものなのかもしれないし、監督のオーダーがあったのかもしれない。ただ、それにしても吉田の放出は、悲しい。金銭的な損得勘定を抜きにした、もっと大事な感情がそこにはあるのではないかと、そう、思ってしまう。

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 お父さんに連れられて見に行った西が丘での横浜FC戦で、吉田のゴールを見て、ずっと「すげー! すげー!」と言い続けた少年は、地元Jクラブの難関の下部組織セレクションに合格した。吉田のゴールが、一人の少年の人生に大いなる刺激を与えた。

 振り返るといろいろな場面を思い出すが、00年に加入直後の加賀見健介からの、意外性あふれるパスを受け、竹村へのラストパスを決めた仙台戦が真っ先に思い浮かんだ。もちろん原色の記憶も現れるが、セピア色になりかけた記憶の中でも吉田は躍動している。だからこそ、悲しい。この移籍が、悲しい。彼の大分サポーターへの「ありがとう。ありがとう。本当に、ありがとう」というメッセージが、とにかく悲しい。

 ただ、移籍という事実は動かしようがない事実であり、それはもう決定事項となった。吉田には新天地でも、がんばってほしい。そして大分戦では元気な姿を見せてほしい。そのときはサポーターは、愛情満載のブーイングで出迎えてほしいと思う。常々「だめなときはブーイングしてほしい」と口にしていた吉田のことだ。大分サポーターをあきらめさせつつも、うならせる最高のパフォーマンスを見せてくれるに違いない。それじゃだめだけど、1年くらいはまあ、許容範囲内かな。

 とにかく、がんばって。吉田クン。



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野洲高校と選手権。

by ETOH Takashi 2006.1.12

2006/1/9 選手権決勝
鹿実vs野洲
鹿実 1 0 前半 1
1 後半 0
0延長前半0
0延長後半1
 2 野洲
 昨年(05年)の11月21日に、サンチャゴ・ベルナベウを埋め尽くしたホームの観客が、スタンディングオベーションでロナウジーニョに賞賛の拍手を送った時の、心の底からわき上がる感情は、おそらくはこういうものだったのだろう。ぼくは目の前で見せ付けられた光景に対する賛辞と、手が痛くなるほどの拍手を送る衝動を抑えることができなかった。国立競技場を訪れた観客の少なからぬ人たちは破顔一笑で立ち上がり、無意識に大声を発して拍手を送っていたはずだ。それほどまでに素晴らしいゴールだった。野洲高校を率いた山本監督の、野望が成就した瞬間だった。

 野洲高校のサッカーの真骨頂を見せ付けた決勝ゴールだったが、正直な話立ち上がりに関しては平凡なものだった。彼らが準決勝までに見せてきた、時には無駄だろうとさえ思わせた中盤でのつなぎのパスを見てきた人間からすれば、この「不細工な」立ち上がりに大いなる疑問を抱かざるを得なかった。

「鹿児島実業のここまでのビデオの前半の15分を繰り返し見て、これでは負けると思いました」

 試合後の会見で試合を振り返った山本監督は、失望させられた立ち上がりの10分間を読み解くヒントは提示してくれたが、言葉を重ねた説明は、予想とは乖離するものだった。

「最終ラインを押し上げて全体をコンパクトにし、セカンドボールを拾おうと指示しました」(山本監督)

 この指示が、野洲高校が見せた立ち上がりの10分間を説明しているとはとても思えなかったが、会見に臨む前に用意していた「立ち上がりの10分間、蹴っていましたがその指示を出すことに葛藤はなかったのですか」という質問は、山本監督の説明とは反する内容であり、この質問をどうアレンジすればいいのか頭を悩ませるうちに会見は終わってしまった。

 疑問は尽きなかったが、それを解く鍵は思わぬところから転がり込んできた。立ち上がりの10分間にボールを蹴り続けていた田中雄大が、こんなことを話していたと人づてに聞いた。

「蹴っていたのはぼくの判断です」(田中・野洲高校)

 この言葉と、前述の監督の説明とを補完する言葉を、中川真吾(天才的な両サイドハーフを陰で支えたボランチ)から聞きだすことができた。

「(蹴っていましたが)セカンドボールは拾えていましたから」

 これらの証言を総合すると、つまり山本監督は蹴れという指示は出してはおらず、蹴っていたのは選手の「自律的」な判断であり、その判断でなされたロングキック、というよりもフィードボールと述べたほうがこのボールの性格を正しく言い表していると思われる、は正確に前線の青木孝太と立石竜真を捕らえていた。そしてこのトップに当てた後のこぼれ球、つまりセカンドボールはそれなりに拾えていたのである。監督の指示をきっちりと履行するためにどうすべきなのか、それを試合中に独自にアレンジする戦術眼を野洲の選手たちは持ち合わせていたのである。

 確かに鹿児島実業の勢いは素晴らしかったが、彼らのペースで始まった試合は、野洲のパスワークを前にして徐々に衰えていった。怒涛の攻撃で同点ゴールを奪ったまでは見事だったが、決勝ゴールに象徴されるクリエイティブなサッカーについていくことはできなかった。一つだけ鹿児島実業に同情を寄せるとすれば、決勝ゴールの直前に決定機を迎えており、それが入っていれば試合結果は違ったものになっていたはずで、さらにいうと、その場面で守備の要である西岡謙太が痛んでしまい、決勝ゴールの場面でピッチの外に出ていた、という不運があった。ただ、そうした事実はあるにせよ、野洲の攻撃サッカーの成果は、色あせることはない。

 野洲高校の決勝戦での決勝ゴールは、「高校サッカーを変える」と豪語していた山本監督の言葉を現実のものにする足がかりとしては最高の形になるだろう。過去には、佐賀一平、河村優を擁した76回大会の藤枝東のような、ファンタスティックなサッカーを展開していた高校もあった。しかし、その藤枝東は高さとパワーの帝京に0-2と完敗。それがファンタスティックなサッカーの限界でもあった。ただ、体格で完全に劣る藤枝東が、普通に入れても跳ね返されるCKの場面で早く鋭く低い弾道のボールを蹴る姿を見て強烈に印象に残っていたのも事実。この76回大会では、同じく準決勝で東福岡に敗れた丸岡も強烈に面白いサッカーを展開していたが、そうした藤枝東の系譜に連なりつつ、そうした過去の「グッドルーザー」を超える結果を出した野洲のサッカーは、今後ブランド化する可能性は高いだろう。

 それにしても、この野洲高校の優勝は選手権のあり方に一石を投じるものになって欲しいと思う。今大会前、複数の事情通からは出場選手の印象として総じて「小粒だ」という話を繰り返し聞かされていた。しかし現実に優勝した野洲高校は、この年代で日本一とも言える攻撃的なサイドハーフを擁しており、普通に戦前から大きく取り上げられてしかるべき存在だった。しかし、高校選手権をプロデュースする側は、サッカーの内容云々に関わらず過去の伝統校や、インターハイの結果にのみフォーカスをおいた、楽な報道に終始。その結果、野洲のサイドアタッカーは完全に情報の蚊帳の外に置かれた形になってしまった。そしてそれは高校選手権をめぐる報道の底の浅さ、つまり有力校を中心にしたスカウティングしかできていないという現実をさらけ出した形だとも言える。

 もちろん限られた人員の中でやりくりをせざるを得ないサッカージャーナリズムの世界ににおいて、高校選手権のためだけに広域にわたる取材活動をすることのリスクはあまりに大きい。そうしたエクスキューズは存在するが、それにしても、ひとくくりに「選手は小粒でヒーロー不在」だと言い切るマスメディアもどうかと思うのである。まあ、下手に騒がれて勘違いしてしまう選手を大量生産してきた選手権が、それなりに適正な形にシフトしつつある、と考えれば、「ヒーロー不在」という大会のスタンスも、ありっちゃありな訳だが。

 ちなみに国見の小嶺総監督は、選手権にヒーローが出現しにくくなった現状について「Jリーグの下部組織の影響はない」と断定していたが、そんなこともないだろう。国見のパワーサッカーの限界はすでに多くのメディアで語られており、さらにはJリーグやその先にある代表の活躍によって高校選手権は若年層にとっての終点ではなくなってきたという現実がある。そして「その先」を目指す子供たちにとって、彼らが伸びていくもっとも確実な選択肢はJユースであることに異論を挟む余地はないだろう。そうした時代背景の中で、高校選手権が生きる道はパワーサッカーではなく、エンターテイメントサッカーにあるのではないか。そしてそうしたサッカーを標榜し、実現させようとする高校に、過去の実績にとらわれないスポットライトを浴びせていく必要が、あるのではないだろうか。それが結果的に優勝につながらないとしても、それはそれで涙で完結される物語として意味を成すものが作れるだろうし、高校生年代における「グッドルーザー」は、日本人の感性にも合致しているように思うがどうだろうか。


ニュースコラム
明けましておめでとうございます。

by ETOH Takashi 2006.1.1

旧年中は大変お世話になりました。
今年はサッカー界にとっては大きなイベントを控えた一年になりますが、五体満足で一年を乗り切れればと思っております。

ちなみに今年はいまだに年賀状を書いていないのですが、実は屋根崩落のため、昨年末から現在のアパートを立ち退くよう求められてきました。そのため、年賀状の作成が遅れてしまいました。

年明け早々には新住所が確定するかと思いますが、その際に、引っ越しの報告と合わせて年賀状は送付させて頂こうと思っています。

ということで、簡単ではありますが、今年もよろしくお願いします。



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